寝癖と塩と金平糖

三冬月マヨ

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募るもの

【八】溶ける塩

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「…俺…優士ゆうじから離れたい…」

 優士を傷付けるだろうが、それでも言わなければならなかった。

「…このままじゃ…駄目なんだ…」

 杜川が座っていた丸椅子には、今、瑞樹みずきが座って居る。膝の上に置かれた手は、痛々しいぐらいに握り締められていた。
 俯いた瑞樹から放たれた言葉に、優士はただゆっくりと瞼を閉じた。

(…懐かしい夢を見たのは…これの予兆だったのか…?)

「…俺…何も出来なかった…ただ…見てるだけで…。…星先輩に助けられた時と…こないだの時から…俺…何も…変わってない…。…強く…なりたいんだ…俺…。…力が…とかじゃなくて…心から…心を強くしたい…」

 優士が何も言わないのは、話を聞く為だと知っている瑞樹は、弱々しくはあるが、思っていた事を口にした。
 車に揺られながら、ずっと考えていた事を。

「…強くなりたい…けど…優士が居たら駄目なんだ…俺…甘えちゃうから…」

 言葉にする度。
 音にする度。
 その声は震え、弱くなって行く。
 けど。
 それでも。
 伝えなければならない。
 怖くても、情けなくても。
 これは、自分が決めた事だから。
 きっと、こう云う事を言葉にして伝えるのも、強さの一つだと思うから。
 夏季休暇中に父は言った。
『母さんが守った大切な宝だ』と『立派に胸を脹って生きていいんだ』と。
 怖くても、情けなくても。
 胸を脹って生きていたい。
 これは、きっと、その一歩だから。

(…幾らでも甘えてくれて良いんだが…。…だが…ただ、それでは駄目なんだな…)

「…だから…その…離れて…優士が居なくても大丈夫な様になりたい…」

 そう言って口を結び、更に握る拳を強くした時、優士がゆっくりと目を開いて、顔を動かして俯く瑞樹へと口を開いた。

「…それは、と別れると云う事か?」

「…っ…!?」

 ヒュッと瑞樹の喉が鳴った。
 優士の声は、何時も通りの静かな塩で。
 瑞樹へと向ける視線も塩のままだけれど。
 それでも、瑞樹は心臓を鷲掴みにされた気がした。そのまま、握り潰されてしまいそうな。

「…僕の想いは、お前にとって足枷でしかないのか?」

 その声も、表情も塩だけれど。
 それは、麦茶の中に入れて溶けた様な粗さの無い塩だった。
 そんな優士の言葉に、瑞樹は俯かせていた顔を上げて、泣き出す直前の様に顔をくしゃりと歪めた。

「…っ、違うっ!! 俺は何時も何時も、優士に頼ってばっかりで、助けて貰ってばかりで…っ…! 甘えてばかりで…っ…!! だから…っ…! だから…っ…!」

 一度、言葉を区切り、瑞樹は優士が居るベッドへと手を伸ばし、その布団を両手で掴む。

「…俺だけ何も出来ないなんて嫌なんだ! 俺だって、優士を守りたい! 優士に甘えられたい! 優士に頼られたい!」

(…別れ話…ではないのか? 瑞樹は何が言いたい?) 

 守ると云うのなら、瑞樹には胃袋を守って貰っている。
 甘えると云うのなら、恥ずかしいぐらいに甘えている自覚はある。
 頼ると云うのなら、やはり、食事事情は頼りにしている。

 溶けた塩の表情を浮かべながら、そんな事を考える優士に、瑞樹は更に続ける。

「けど、今の俺じゃ優士の憧れる高梨隊長と雪緒ゆきおさんみたいな関係は無理だろ!?」

(ん?)

「誰からも認められて、自然と周りから祝福される関係なんて…っ…! それは、二人が互いに互いを必要としているからで、依存してる訳じゃ無くて…っ…! どちらかが居なくても、ちゃんと一人で立って、歩けるからで…っ…!」

(う、ん…?)

 それは、優士も考えた事だった。
 今の状態は、ただ、馬鹿みたいに互いを可愛がっているだけだと。このままでは、瑞樹に依存して、自分は瑞樹無しでは歩けなくなるだろうと、そう思っていた。
 それを、瑞樹も思っていたのかと思えば、溶けていた優士の塩は少し硬くなった気がした。

「だから、俺も、俺達もそうなるには…っ…! …っ…け…っ…! 今のままじゃ、俺、父さんに…母さんに…っ…! 胸張って優士と結婚するなんて言えない…っ…!!」

 が。
 瑞樹のその言葉で、固まり掛けた塩は、一気に卸金で削られて麦茶の中へと投入された。何とも言い難い、ミネラルたっぷりの麦茶の完成である。はっきり言って、飲めた物ではない。

「……………………お前は…僕を殺す気か…………」

 布団の中から両腕を出して、顔の上に乗せて軽く交差させて、優士は呟く。

「えっ!?」

(…信じられないぐらいに顔が熱い…)

 顔から火を噴くとは、正にこの事かと優士は何処かおかしく思いながら、口を開く。

「…離れたいなんて言うから…別れ話かと思った…」

「え、何で!? 俺、そんな事思ってないからな!? ただ、強くなる為に、優士断ちをしようってだけで…っ…!!」

(…僕断ちって、何だ…。…だが…)

「…良いと思う…。…僕も…考えていた…。…今の僕達はただ、甘えた様な関係で…このままでは、なあなあになってしまうだろうと思っていた。そうなれば、破綻は目に見えている。確かに理想とするあの二人には到底届かないだろう…。…そうだな…距離を置こう…」

(入院なんて必要無いだろうと思ったが…良い機会になったな…)

 砂糖水に浸かった様な、そんな甘ったるい関係なんて、要らない。
 こちらに来て、傍に居すぎるのが当たり前になっていたから、職場が離れて、二人の時間が減って行く事に、不安や焦りを覚えていたのだろう。
 何を焦る必要があったのか。
 心を閉じ込めた瑞樹の傍に、どれだけ居たと思っている? どれだけ待っていたと思う?
 瑞樹は、今、その目に誰を映して話していると思う?
 何をたかだかそれぐらいの事で不安になったりしたのか。

「…その…だから…俺が…自分の弱さをもっと素直に…認められるぐらいになるまでは…地元に居たみたいに…いや…それ以上に離れたい…」

 瑞樹のその言葉に、優士の交差させた腕がピクリと動く。

「…僕の飯は…?」

「…作れるだろ…」

 瑞樹の作った物を楽しみにしている優士にとって、それは多大な破壊力を齎した。

「……………………週二回…瑞樹が休みの夜だけでも…」

「…地元に居た頃だって、そんなに作って無かっただろ…」

 そろそろと顔の上から腕を退かして瑞樹を見れば、ふいっと、顔を逸らされた。

「…………………………週一回…………………」

「…………………週イチの夜だけな……」

 本当に、それだけなのか? と、優士は瑞樹の横顔を見る。そうすれば、段々と瑞樹の顔が赤く染まって行く。
 やがて、優士の視線に我慢出来なくなった瑞樹が、ガタッと椅子を鳴らして立ち上がり、目に涙を溜めて優士を指差して叫んだ。

「…っ…! な、長く居たら…っ…! さ、触りたくなったり…っ…せ、接吻したくなるだろ!? だから、駄目! 禁止! 俺が強くなるまでお預けだからなっ!!」

 瑞樹のその言葉に、優士の塩はただ溶けて流れて行った。
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