旦那様と僕

三冬月マヨ

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やがて

【七】旦那様は踏んだり蹴ったり

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「ね~え? どうしてゆかり君から石鹸の香りがするのかな~? 教えて貰えるかな~?」

 茶の間で、底冷えのしそうな程の相楽さがらの声に、俺と雪緒ゆきおは身を小さくしていた。

「………………背中は軽く拭いただけで、湯船には入ってはいないぞ…」

 無駄な抵抗だと解ってはいるが、それでも抗わずには居られないのが、人と云う物だ。
 そんな俺の背中に向かって、相楽はわざとらしく長い息を吹き掛けた。

「…っ…!」

 おい、何をする。地味に傷口に沁みるのだが。

「まあ、そりゃあね~? 風呂に入るな、とは僕は言わなかったけどさあ~。けど、考えなくても解るでしょう~? 縫合したんだからね~? 直ぐに塞がる訳が無いでしょ~? 幾ら湯船に浸からなくても~、血の巡りが良くなるんだからあ~。まさか、お酒なんかも呑んだりはしていないよね~? もう、やっぱりベッドに縛り付けて置けば良かったあ~。もう、本当に馬鹿なんだから~」

 …少し…いや、少しよりは多めの出血に雪緒が驚いて、相楽の家へ電話をしたのだが、運悪く相楽本人がそれに出てしまったのだ。まだ、病院に居ると思った俺が馬鹿だった。それから俺はずっと、相楽に治療されながら、罵声を浴び続けていた。

「も、申し訳ございません、相楽様。僕が付いていながら、この様な事態になってしまいまして、何と申し開きをしたら良いのか…」

 俺の斜め後ろに座る雪緒の口から、心底申し訳無さそうな声が届く。
 こんな鬼に謝る必要は無い。

「雪緒君が謝る必要は無いよ~? 馬鹿な紫君に付き合わされただけだよね~? もー、馬鹿な父親を持つと苦労するよね~? 良い機会だし~、馬鹿が居ない僕の家の子になる~?」

 何回馬鹿だと言えば気が済むんだ、お前は。
 そして、さりげなく何を言っているんだ。

「ふわ!? 馬鹿なのは僕で、旦那様は馬鹿ではございません! 少し考えれば、解ります事ですのに、そこまで考えが及ばなかった、馬鹿な僕が悪いのです!」

 いや、お前も馬鹿馬鹿言うな。

「馬鹿な紫君を庇わなくても良いからね~? まあ、文字通り、身に沁みて解ったよね~? 流石の馬鹿な紫君でもね~?」

「…っぐ…っ…!」

 そう言いながら、消毒液を染み込ませた綿を背中に充てて来る相楽の手の動きに、俺は短く声を上げた。
 力、強過ぎやしないか!?

 雪緒を買い物に行かせて、うだうだと、答えの出ないとりとめの無い思いを巡らせて、ぼんやりとしていた。
 雪緒がせいと買い物が出来て楽しかったと、俺に礼を言い、早速風呂へと云う段階で気付いた。
 いや、軽く湯を身体に掛けて貰ってから、そこで走った痛みに呻いてから、背中の怪我の存在を思い出した。
 全く信じられない。
 身体に巻かれた包帯を解かれている時も、怪我の事は彼方へと行っていた。 
 どれだけ動揺していたんだ、俺は。意識しすぎだろう。
 こんな俺とは反対に、雪緒は何時も通りだと云うのが、また気に入らない。
 お前があんな事を口にしなければ。
 更には、それを覚えていないとは、どう云う了見なんだ。
 俺ばかりが気にして不公平ではないのか。
 そして、それに動揺する俺を見て楽しんでいる相楽も、また気に入らない。

「はい~。終わりだよ~。もう、僕が良いと云うまでは、お風呂は禁止だからね~? 拭くだけにしてね~? 勿論、激しい運動も駄目だからね~?」

「ありがとうございました、相楽様。お見送り致します」

 そう言いながら立ち上がり、部屋を出て行こうとする相楽の後に雪緒が続く。
 そんな鬼、見送りなぞせんでも良いのに。
 軽く息を吐いて頭を掻く。
 こんな事ばかり考えるのは、身体を動かさないからだ。
 仕事をしていれば、気も紛れるのに。

「…ああ、そうだ…」

 俺はふと思い付いて、茶の間を出て自分の部屋へと向かった。

 ◇

「何をなさっているのですか!!」

「………いや…まあ…身体が鈍ると復帰した時に…な…」

 俺は自分の部屋で正座して、同じく俺の目の前で正座する雪緒に叱られていた。

「相楽様をお見送りして戻って来ましたらお姿が見えないので、お部屋でお休みになられているのと思いましたのに…っ…! 暢気に昼餉の支度なんてしている場合ではありませんでした!! こちらは僕が厳重に保管させて戴きます!」

 雪緒はそう言って、俺達の間に置いてあった木刀を手に取り自分の膝の上に乗せた。
 そう。
 俺は自分の部屋で素振りをしていただけだ。
 身体を動かせば、気が紛れると思ったのだが。

「…素振りぐらい良い…」

 素振りぐらい良いではないか。
 左腕しか使っていないのだし。
 部屋の中だから、大きな動きは出来ないし。
 …まあ…腕を振る度に引き攣る様な痛みは走ったが…。

「傷口が開いたらどうするのですか!? そうなりましたら、相楽様が仰っていました様に、病院のべっどに縛り付けて貰いますからね!!」

「…すまん…」

 まなじりを上げてこちらを睨む雪緒に、俺はただ身体を小さくして頭を下げる事しか出来ない。

「…ご自身のお身体なのですから…もっと大切にして下さい…」

 下げた俺の視界に、膝にある木刀を強く握り締める雪緒の小さな手が見えた。
 そんなに強く握ったら、手が痛いだろうに。
 雪緒に心配を掛けさせるつもりでは無かったのだが。

「…雪緒…」

 震えるその声に、顔を上げた時。

「おーい、ゆかりーん! 来たぞーっ!」

 天野ばかの近所迷惑な大きな声が響いて来た。

「ふえ!? 天野様!? お仕事が終わってからなのでは!?」

 雪緒が慌てて立ち上がり、それでも木刀は手放さずに玄関へと向かって行った。
 俺は軽く息を吐き、自分の頬を軽く叩いてから玄関へと向かう。

「よう! 大人しくしてたか? ゆずっぺから電話があってさ! ゆかりんが大人しくしていないから、俺からも釘を刺す様に言われてな! 早々に上がって来たんだが…うん。どうやら大人しくして無かったみたいだな。雪坊、その木刀は何だ?」

「ふわっ!?」

 眉を下げて、白い歯を見せて笑っていた天野の目が、すっと細められて雪緒が持つ木刀を睨めば、雪緒は木刀を両手で掴み胸に抱える様にして見せた。

「………まあ…上がれ…」

 俺は額を押さえて、呻く様にそれを口にした。

 そこから後は、天野の説教祭りだった。
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