旦那様と僕

三冬月マヨ

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やがて

【十一】旦那様と初恋

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「うっわ…何だい? このどんよりした空気は…ダンナ、生きてるのかい?」

 茶の間に入って来たみくのぼやく声が俺の耳に届いた。

「う~ん、まあ~、仲良き事は美しき事かな~って感じ~?」

「はあ?」

 苦笑する様な相楽さがらの声に、みくが僅かに声を跳ね上げた。

「まあ~。今更の初恋に戸惑っている、三十路の男がここに居ますよ~なんて?」

 初恋等と言うな。

「…はあ? え? 何だい? 今? 今更なのかい?」

「…五月蝿い、黙れ」

 むっすりと、卓袱台の上に肘を付き、その手で額を押さえれば。

「ああ、いや、初恋はともかく、さ。今、雪緒ゆきお君が好きだって事に気付いたのかと思って。ああ、ありがとう」

 そう呆れた様に言いながら、みくが俺の対面に腰を下ろし、相楽が持って来た麦茶を受け取った。その隣に相楽が座り、肩を竦める。

「でしょう~? もう、本当~、呆れを通り越して感心しちゃうよねえ~」

「………は…?」

 俺の疑問を無視して、二人は会話を続けて行く。

「で? 雪緒君はどうしたんだい?」

「あっはは~、雪緒君が居たら、こんなのになっていないでしょう~。三下り半を突き付けて出て行ったよ~」

 三下り半とか言うな。

「…はあ…」

 目の前に置かれた麦茶の入ったコップを見ながら、俺は重い溜め息を零した。

 ◇

「旦那様はお馬鹿ちんさんですっ!! 行きましょう、せい様っ!!」

「おわっ!?」

 雪緒に腕を引っ張られながらも、俺を振り返り睨む星の口が『泣かせるなって、言ったろ』と、動いた様に見えた。

「………くん…? おーい、ゆかり君~? 生きてる~?」

「…あ…ああ…。…何で…鞠子まりこが出て来るんだ…? 代わり…とは…」

 鞠子の代わり等居る筈が無いし、それは雪緒にも言える事だ。
 雪緒の代わり等居る筈も無いのに。
 あいつは何を言っているんだ?

「…まあ…紫君は言葉が足りな過ぎ~。まあ、頭に血が上ってたみたいだから~、仕方が無いのかも知れないけど~。…ふうん…それにしても、雪緒君が医師かあ~…ん~? 外傷だけなら、外科だけを学べば良いのに、内科の本もあるね~? うん~、勉強熱心だね~」

「…知らなかった…のか…?」

 今、それを知ったと言う様なその口振りに、俺はのろのろと卓袱台の上にある本を手に取る相楽を見る。

「知らなかったよ? どうしたら、僕の様に的確に素早く手当てが出来る様になるのか、とは、聞かれたけどね? 医師になるにはどうしたら良いのか、なんては聞かれていないよ?」

 トントンと、手にした本の背表紙で軽く肩を叩きながら、相楽は苦笑して見せた。

「…そう、か…」

 左手で顔を押さえながら、俺は呻く様に声を絞り出した。

「…まあ、立ち話もなんだし~? お茶でも飲みながら話そうか~? ほら、行くよ~?」

「あ、ああ…」

 卓袱台の上に残っていた二つのコップを手に取り、相楽は移動して行く。
 俺は部屋の主が居なくなった、何処か物寂しそうな部屋を見回す。
 きちんと整理された、雪緒の素直さ、実直さを表した様な部屋を。
 特に装飾品等無い、その部屋の中で、ただ一つだけ。
 たったの一つだけ、目を引く物がある。
 箪笥の上に、そっと置かれたそれを軽くなぞる。
 雪緒が宝物だと言った、その青い箱を。
 仕事帰りに、鞠子に何か手土産を、と、そう思って入った店で飛ぶ様に売れていたから、人気なのだろうなと、ただそれだけで買った物だった。
 ただ、それだけの物だったのに。
 鞠子からこの箱を貰った雪緒は、それは目を輝かせて喜んでいたのだ。
 初めてチョコレートを口にした時以上に、それは嬉しそうに笑っていた。
 ぎこちない笑顔だったが、それは出逢ってから初めて見た雪緒の本当の心からの笑顔だった。

「…馬鹿だな…」

 そっと呟いて、軽く箱を撫でてから、俺は部屋を出た。
『きらきらでぽかぽか』だと、星が言ったその箱を何処か愛しく思いながら。

 ◇

「うん、じゃあ、待ってるからねえ~。勝手に上がって来て良いからねえ~」

 茶の間へ行けば、相楽が電話を切る処だった。

「ああ、電話勝手に借りたから~。雪緒君が居ないんじゃ、ご飯も食べられないでしょ~? だから、みくちゃんに今から来て貰うから~。午前中にも来たのにねえ~」

「あ、ああ…助かる…」

 既に卓袱台の上には、麦茶が用意されていた。
 そこへ腰を下ろして、麦茶に手を伸ばせば。

「お礼とかは良いから~。で~? 何であんなに怒っていたのかな~?」

 同じく麦茶に手を伸ばした相楽が、眼鏡の奥の目を細めて聞いて来た。

「…あ、ああ…」

 相楽に菅原先生から雪緒が医師を目指したいと、そしてゆくゆくは治療隊として働きたいのだ、と云う話を聞かされたと話した。

「う~ん? それで、どうしてあんなに怒っていた訳~? 幾ら危険な仕事とは云え、あんな頭ごなしに怒る必要無くない~? 雪緒君の話も聞かないでさ~。あ~、紫君に相談が無かったのが気に入らなかった、とか~?」

「そんな事は…いや…あるのかも知れない…な…」

 首を傾げて聞き返して来る相楽の言葉を否定しかけて、俺は言葉を改めた。
 確かに、俺に何の相談も無くそれを決めた事が気に入らなかったのかも知れない。
 それもあるが。

「…ただ…俺だけの手当てをしたいのならば、医師になる必要も入隊の必要も無いだろう…。真っ先に俺の手当てをしたいと云う気持ちは嬉しいが…だが、そんなのは医師としては失格だ。そうだろう?」

「…そうだね…」

 俺が話を振れば、相楽は素直に頷いた。

「……現場では、そんな人間が真っ先に死んで行くんだ…。…それに…唯一人だけを治療したいだなんて…目の前に怪我人が居て、その時に、俺が離れた場所で怪我をした時…雪緒はどう動く? そんな事は無いと思いたいが…もし、その怪我人を放って俺の方へ来たら? 来なくとも、気をそぞろに治療でもされたら? そんな人間に治療を…命を預けられるか? 答えは否だ。そんな人間等、邪魔でしかないし、頼りにもされない。隊の調和が乱れる」

「は~あ…。もお~…どお~して、それを本人に言わないのかなあ~?」

 俺の説明に、相楽は眼鏡を外して目頭を押さえた。

「…すまん…」

「だ~か~ら~。謝るのは、僕にじゃないでしょ~? 本当、もう不器用過ぎ~。まあ、どれだけ雪緒君の事を想っているのかは伝わったけどね~? 雪緒君にも伝わっていると良いけどね~? は~、熱い熱い愛の告白大会でございましたよ、っと」

 …告白…大会…?

「…は…?」

 そう言って麦茶を飲む相楽を、俺は間抜けな顔と声を出して見た。

「ん~? だって"何も考えずに、俺に守られていろ"なんて、もう好きな相手に言われたい台詞ナンバーワンでしょ~? 何さ、その殺し文句」

 …殺し…文句…?

「……は……?」

「…子供だとか息子だなんて言って逃げてないで、ちゃんと自分の気持ちを見たら? ねえ? 何度でも聞くよ? 何で紫君は雪緒君を連れて来たの? もう、それが答えなんじゃないの?」

 …逃げる…?
 誰が?
 俺が?
 何から?

「…俺は…俺には…雪緒を幸せにする義務が…」

「だから。ねえ? 何でそこに。それに紫君が含まれないの? どうして、紫君が。雪緒君の手を取った紫君が、弾かれるの? 雪緒君の気持ちは、もう、明確でしょ? 雪緒君は、ずっと紫君の傍に居たい。紫君の特別になりたい。鞠子ちゃんに嫉妬してしまうぐらい、紫君の事が好きなんだよ? 雪緒君の幸せは、紫君が決める物じゃない。雪緒君が決める事だよ。その雪緒君の幸せは、紫君が居なければ成り立たない」

 …雪緒の幸せ…。
 …俺、が…?
 って…嫉妬…?

「…は…? いや…待て…嫉妬…? 鞠子に? 雪緒が? 何故?」

「はあ~? ねえ~? 紫君と鞠子ちゃんは、形だけとは言え、夫婦だったでしょ~? ああ~、もう~、面倒くさいなあ~。過去に関係があった人で、本気になった人の一人や二人は居るんでしょ~? 思い出してよ~、当時の事をさあ~」

 投げやりの様な相楽の言葉に、俺はぽつりと零した。

「…………ほん…き…?」

「…………………………………………………………………嘘でしょ……………?」

 ◇

 俺が思わず呟いてしまった言葉に、相楽は目を丸くして、そこからは『大人って汚い』だの『身体だけが全てだったのね』だの『爛れた関係』だのと、散々詰ってくれた。
 そして、それは、みくを交えて現在も継続中である。
 そして、勝手に雪緒が俺の"初恋"だと認定されてしまった。
 いや、落ち着けお前ら。
 今、記憶を辿って居る処なのだから。

「だってさ~、傍から見たって、丸わかりなのにさ~。なあんで、当の本人が気付かないのかなあ~」

 だから、俺の気持ちを勝手に決めるな。

「そうよねえ~。アタイは特に好意とか敵意には敏感だからさ~。出会った当初のダンナったら、そりゃ、もう敵意どころか殺意が半端無かったわ~」

 待て、何を話すんだお前は。
 相楽はお前の正体を知らないんだぞ。

「わあ~。怖いなあ~」

 目が笑ってないぞ、お前!!

「お前ら、とっとと帰れっ!! 俺を一人にしろっ!!」

「うひゃあ、八つ当たりだあ~」

「はーいはい。ちゃちゃっと、明日の朝の分も作ってしまおうかね。相楽のダンナ、手伝ってよ」

「喜んで~」

 わいわい騒ぎながら台所へと消えて行く二人を見送って、俺はまた重い息を吐いた。
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