79 / 86
向日葵の庭で
向日葵の庭で※
しおりを挟む
はらはらと薄い桃色の花弁が細やかな風に吹かれ、舞っています。春を告げる花が、軽やかに舞いながら一片、また一片と地面へと落ちて、茶色い地面を桃色へと染め上げて行きます。
そんな穏やかな春の日の午後です。
桜の木が見守る縁側には、柔らかな座布団が二つ並べられ、そこに並んで座る二人の男性が居ます。
一人は胡座を掻いていますが、その背筋は真っ直ぐに伸びており、老いを感じさせません。湯呑みを持つ手には、沢山の皺が刻まれているのですけどね。
一人は綺麗に正座をしています。隣で胡座を掻く方と同じ様に、その背筋は真っ直ぐととても綺麗です。湯呑みを持つ両の手には、やはり皺がありますが、そこまでではありませんね。
「今年も綺麗に咲いたな」
「はい。毎年毎年、とても綺麗に咲いて下さいます」
ずずっと湯呑みを傾けてから、胡座を掻いた細い目の方が、やにわに目尻を下げて言えば、隣の穏やかに微笑む方も目を細めて頷きます。
淡い淡い薄い薄い桃色の花。
春を告げる花。そして、春の終わりを告げる様に、静かに風に流されて往く花弁達。
ひらりひらりと。
ふわりふわりと。
風の吹くままに。風の気ままに。
そよそよと、さわさわと。
それは、とても優しく。
それは、とても暖かく。
ただ、ただ、静かに。
青い碧い空の下を舞い続けます。
何処までも。何時までも。果ての無い様に。
けれど。
「また、来年も見よう。ああ、その前に…あの箱もそろそろ、また修復せんとな…」
果てはあるのです。
「はい」
こつりと小さな音が聞こえた気がしました。
「…ああ…お休みですか? この様な処では風邪を引いてしまいますよ」
穏やかな方が、穏やかな声で、肩に頭を預けた方の背中に触れます。
「…ゆ…旦那、様…」
ぴくりと、小さく震えた手でしたが、そっとゆっくりとその背中を撫でて行きます。その手には。左手の薬指には、銀色に光る指輪がありました。
「…もう…お休みに、なられるのでしたら…一言、言って下さい…お休みなさいを…言わせない、だなんて…狡いですよ…旦那様…」
旦那様と呼ばれた方は、目を閉じて、けれど幸せそうに微笑んでいました。
旦那様が持っていた湯呑みが、カチャリとした音を立てて地面へと落ちます。その湯呑みを持っていた左手の薬指にも銀色に光る指輪がありました。
湯呑みを落としてしまった旦那様と呼んだ方を叱る事なく、その背中に手を回したまま、穏やかに微笑む方は青い碧い空を見上げます。
「…見て下さい…。綺麗な青空ですよ…。とても青く…流れる雲は白く…今は…見えないですけれど…けれど…あのお空には、見えないだけで、今も沢山のお星様が輝いているのですよね…。…旦那様が作って下さった沢山のお星様よりも、沢山のお星様が…。…ですが…僕は…お空にある輝く沢山のお星様より…旦那様が…僕の為に…作って下さった…沢山のお星様の方が…どのお星様よりも、綺麗で…大好きです…。…大好き、なのですよ…旦那様…」
旦那様、と呼びながら穏やかな微笑みを浮かべたままで、その方は空を見上げ続けます。
何処までも青い空を。
何処までも碧い空を。
何処までも果ての無い空を。
何処までも何処までも澄んだ綺麗な瞳で。
その瞳に湛えた雫を零さない様に、空を見上げ、微笑みを浮かべたままで。
何処までも、穏やかで優しい微笑みを浮かべたままで。
何処までも何処までも、胸の奥にぽかぽかとした温かい想いを宿したままで。
『…ゆ…』
…『ゆき君』…と、私の口が動いた様な気がします。
「…あら…?」
気が付いたら、私は日傘を差して向日葵を見て居ました。
「あら?」
目の前には、いいえ、私の周り一面には沢山の向日葵が咲いています。
どれも皆、青い空にある太陽に向かっています。真っ直ぐと、その光に、その輝きに負けない様に。
「あらあら…?」
…私…確か…二人を見ていた筈なのですけれど…?
ぽかぽかとした光に包まれて…気が付いたら、ずっと二人を見守る様にしていて…? あら…? 夢…?
「あらあらあら?」
ずっと、此処に居た様な気もしますし、ずっと二人の傍に居た様な気もします…不思議ですわね…?
くるくると日傘の柄を回しながら、私は見渡す限りの向日葵の中を歩いて行きます。
私が歩く度に。
私が持つ日傘が軽く当たる度に。
黄色い花弁がゆらゆらと楽しそうに揺れます。
それは本当に楽しいと。楽しくて仕方がないと云う様に。まるで踊っているかの様に。
「…ふふ…楽しいわよね? こんなに綺麗な青空なんですもの。心が躍りますわよね?」
足を止めて。
柄を回す手を止めて。
何処までも何処までも青い碧い空を私は見上げます。
太陽は眩しいですけれど、焼け付く様な熱さは無くて。
ただ、ぽかぽかと、ふわふわと、優しく柔らかく私を、ここに在る総ての物を包み込んでくれている様でした。
その光に身体を預けていましたら、ガサガサとした音が聞こえて来ました。
ここに来て、この様な音は初めて聞いた気がします。
ガサガサと、向日葵が大きく揺れています。
何でしょう?
何故だか胸がドキドキしますわね?
おかしいですわね?
ここに来てからは、こんなに胸がドキドキする様な事なんて無かった気がするのですけれど?
「…あら…」
…ですけれど…大きく揺れる向日葵の向こうから現れた二つの人影を見て、私は頬を綻ばせました。
ああ…そうね…そうだったわね…。
ここは…この向日葵達は…。
私の…いいえ、皆が過ごしたあの家のお庭の向日葵達なのね…。
それなら、私が二人に言うべき言葉は決まっていますわよね?
近付いて来る、大きな人影と小さな人影に。
私は向日葵に負けないくらいの明るい笑顔を浮かべて、こう言いました。
「あらあら…お帰りなさい」
青い碧い空は何処までも何処までも広がっていて。
それと同じ様に、上がった笑い声にも果ては無くて。
さわさわと、そよそよと吹く風の中。
何処までも何処までも。
透き通る様に染み渡る様に、広がって行ったのでした…――――――――。
そんな穏やかな春の日の午後です。
桜の木が見守る縁側には、柔らかな座布団が二つ並べられ、そこに並んで座る二人の男性が居ます。
一人は胡座を掻いていますが、その背筋は真っ直ぐに伸びており、老いを感じさせません。湯呑みを持つ手には、沢山の皺が刻まれているのですけどね。
一人は綺麗に正座をしています。隣で胡座を掻く方と同じ様に、その背筋は真っ直ぐととても綺麗です。湯呑みを持つ両の手には、やはり皺がありますが、そこまでではありませんね。
「今年も綺麗に咲いたな」
「はい。毎年毎年、とても綺麗に咲いて下さいます」
ずずっと湯呑みを傾けてから、胡座を掻いた細い目の方が、やにわに目尻を下げて言えば、隣の穏やかに微笑む方も目を細めて頷きます。
淡い淡い薄い薄い桃色の花。
春を告げる花。そして、春の終わりを告げる様に、静かに風に流されて往く花弁達。
ひらりひらりと。
ふわりふわりと。
風の吹くままに。風の気ままに。
そよそよと、さわさわと。
それは、とても優しく。
それは、とても暖かく。
ただ、ただ、静かに。
青い碧い空の下を舞い続けます。
何処までも。何時までも。果ての無い様に。
けれど。
「また、来年も見よう。ああ、その前に…あの箱もそろそろ、また修復せんとな…」
果てはあるのです。
「はい」
こつりと小さな音が聞こえた気がしました。
「…ああ…お休みですか? この様な処では風邪を引いてしまいますよ」
穏やかな方が、穏やかな声で、肩に頭を預けた方の背中に触れます。
「…ゆ…旦那、様…」
ぴくりと、小さく震えた手でしたが、そっとゆっくりとその背中を撫でて行きます。その手には。左手の薬指には、銀色に光る指輪がありました。
「…もう…お休みに、なられるのでしたら…一言、言って下さい…お休みなさいを…言わせない、だなんて…狡いですよ…旦那様…」
旦那様と呼ばれた方は、目を閉じて、けれど幸せそうに微笑んでいました。
旦那様が持っていた湯呑みが、カチャリとした音を立てて地面へと落ちます。その湯呑みを持っていた左手の薬指にも銀色に光る指輪がありました。
湯呑みを落としてしまった旦那様と呼んだ方を叱る事なく、その背中に手を回したまま、穏やかに微笑む方は青い碧い空を見上げます。
「…見て下さい…。綺麗な青空ですよ…。とても青く…流れる雲は白く…今は…見えないですけれど…けれど…あのお空には、見えないだけで、今も沢山のお星様が輝いているのですよね…。…旦那様が作って下さった沢山のお星様よりも、沢山のお星様が…。…ですが…僕は…お空にある輝く沢山のお星様より…旦那様が…僕の為に…作って下さった…沢山のお星様の方が…どのお星様よりも、綺麗で…大好きです…。…大好き、なのですよ…旦那様…」
旦那様、と呼びながら穏やかな微笑みを浮かべたままで、その方は空を見上げ続けます。
何処までも青い空を。
何処までも碧い空を。
何処までも果ての無い空を。
何処までも何処までも澄んだ綺麗な瞳で。
その瞳に湛えた雫を零さない様に、空を見上げ、微笑みを浮かべたままで。
何処までも、穏やかで優しい微笑みを浮かべたままで。
何処までも何処までも、胸の奥にぽかぽかとした温かい想いを宿したままで。
『…ゆ…』
…『ゆき君』…と、私の口が動いた様な気がします。
「…あら…?」
気が付いたら、私は日傘を差して向日葵を見て居ました。
「あら?」
目の前には、いいえ、私の周り一面には沢山の向日葵が咲いています。
どれも皆、青い空にある太陽に向かっています。真っ直ぐと、その光に、その輝きに負けない様に。
「あらあら…?」
…私…確か…二人を見ていた筈なのですけれど…?
ぽかぽかとした光に包まれて…気が付いたら、ずっと二人を見守る様にしていて…? あら…? 夢…?
「あらあらあら?」
ずっと、此処に居た様な気もしますし、ずっと二人の傍に居た様な気もします…不思議ですわね…?
くるくると日傘の柄を回しながら、私は見渡す限りの向日葵の中を歩いて行きます。
私が歩く度に。
私が持つ日傘が軽く当たる度に。
黄色い花弁がゆらゆらと楽しそうに揺れます。
それは本当に楽しいと。楽しくて仕方がないと云う様に。まるで踊っているかの様に。
「…ふふ…楽しいわよね? こんなに綺麗な青空なんですもの。心が躍りますわよね?」
足を止めて。
柄を回す手を止めて。
何処までも何処までも青い碧い空を私は見上げます。
太陽は眩しいですけれど、焼け付く様な熱さは無くて。
ただ、ぽかぽかと、ふわふわと、優しく柔らかく私を、ここに在る総ての物を包み込んでくれている様でした。
その光に身体を預けていましたら、ガサガサとした音が聞こえて来ました。
ここに来て、この様な音は初めて聞いた気がします。
ガサガサと、向日葵が大きく揺れています。
何でしょう?
何故だか胸がドキドキしますわね?
おかしいですわね?
ここに来てからは、こんなに胸がドキドキする様な事なんて無かった気がするのですけれど?
「…あら…」
…ですけれど…大きく揺れる向日葵の向こうから現れた二つの人影を見て、私は頬を綻ばせました。
ああ…そうね…そうだったわね…。
ここは…この向日葵達は…。
私の…いいえ、皆が過ごしたあの家のお庭の向日葵達なのね…。
それなら、私が二人に言うべき言葉は決まっていますわよね?
近付いて来る、大きな人影と小さな人影に。
私は向日葵に負けないくらいの明るい笑顔を浮かべて、こう言いました。
「あらあら…お帰りなさい」
青い碧い空は何処までも何処までも広がっていて。
それと同じ様に、上がった笑い声にも果ては無くて。
さわさわと、そよそよと吹く風の中。
何処までも何処までも。
透き通る様に染み渡る様に、広がって行ったのでした…――――――――。
38
あなたにおすすめの小説
星降る夜に ~これは大人の純愛なのか。臆病者の足踏みか。~
大波小波
BL
鳴滝 和正(なるたき かずまさ)は、イベント会社に勤めるサラリーマンだ。
彼はある日、打ち合わせ先の空き時間を過ごしたプラネタリウムで、寝入ってしまう。
和正を優しく起こしてくれたのは、そこのナレーターを務める青年・清水 祐也(しみず ゆうや)だった。
祐也を気に入った和正は、頻繁にプラネタリウムに通うようになる。
夕食も共にするほど、親しくなった二人。
しかし祐也は夜のバイトが忙しく、なかなかデートの時間が取れなかった。
それでも彼と過ごした後は、心が晴れる和正だ。
浮かれ気分のまま、彼はボーイズ・バーに立ち寄った。
そしてスタッフメニューの中に、祐也の姿を見つけてしまう。
彼の夜の顔は、風俗店で働く男娼だったのだ……。
番に見つからない街で、子供を育てている
はちも
BL
目を覚ますと、腕の中には赤ん坊がいた。
異世界の青年ロアンとして目覚めた「俺」は、希少な男性オメガであり、子を産んだ母親だった。
現世の記憶は失われているが、
この子を守らなければならない、という想いだけははっきりと残っている。
街の人々に助けられ、魔石への魔力注入で生計を立てながら、
ロアンと息子カイルは、番のいない街で慎ましく暮らしていく。
だが、行方不明の番を探す噂が、静かに近づいていた。
再会は望まない。
今はただ、この子との生活を守りたい。
これは、番から逃げたオメガが、
選び直すまでの物語。
*不定期連載です。
【完結】君の穿ったインソムニア
古都まとい
BL
建設会社の事務として働く佐野純平(さの じゅんぺい)は、上司のパワハラによって眠れない日々を過ごしていた。後輩の勧めで病院を受診した純平は不眠症の診断を受け、処方された薬を受け取りに薬局を訪れる。
純平が訪れた薬局には担当薬剤師制度があり、純平の担当薬剤師となったのは水瀬隼人(みなせ はやと)という茶髪の明るい青年だった。
「佐野さんの全部、俺が支えてあげますよ?」
陽キャ薬剤師×不眠症会社員の社会人BL。
平凡な男子高校生が、素敵な、ある意味必然的な運命をつかむお話。
しゅ
BL
平凡な男子高校生が、非凡な男子高校生にベタベタで甘々に可愛がられて、ただただ幸せになる話です。
基本主人公目線で進行しますが、1部友人達の目線になることがあります。
一部ファンタジー。基本ありきたりな話です。
それでも宜しければどうぞ。
うるさい恋人
さるやま
BL
攻めがキモイです。あとうるさい
攻め→→→←受け
小森 陽芳(受け)
野茂のことが好きだけど、野茂を煩わしくも思ってる。ツンデレ小説家。言ってることとやってることがちぐはぐ。
野茂 遥斗(攻め)
陽芳のことを陽ちゃんと呼び、溺愛する。人気の若手俳優。陽ちゃんのことが大好きで、言動がキモイ。
橋本
野茂のマネージャー。自分の苦労を理解してくれる陽芳に少し惹かれる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる