旦那様と僕

三冬月マヨ

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向日葵の庭で

向日葵の庭で※

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 はらはらと薄い桃色の花弁がささやかな風に吹かれ、舞っています。春を告げる花が、軽やかに舞いながら一片ひとひら、また一片と地面へと落ちて、茶色い地面を桃色へと染め上げて行きます。
 そんな穏やかな春の日の午後です。
 桜の木が見守る縁側には、柔らかな座布団が二つ並べられ、そこに並んで座る二人の男性が居ます。
 一人は胡座を掻いていますが、その背筋は真っ直ぐに伸びており、老いを感じさせません。湯呑みを持つ手には、沢山の皺が刻まれているのですけどね。
 一人は綺麗に正座をしています。隣で胡座を掻く方と同じ様に、その背筋は真っ直ぐととても綺麗です。湯呑みを持つ両の手には、やはり皺がありますが、そこまでではありませんね。

「今年も綺麗に咲いたな」

「はい。毎年毎年、とても綺麗に咲いて下さいます」

 ずずっと湯呑みを傾けてから、胡座を掻いた細い目の方が、やにわに目尻を下げて言えば、隣の穏やかに微笑む方も目を細めて頷きます。

 淡い淡い薄い薄い桃色の花。
 春を告げる花。そして、春の終わりを告げる様に、静かに風に流されて往く花弁達。
 ひらりひらりと。
 ふわりふわりと。
 風の吹くままに。風の気ままに。
 そよそよと、さわさわと。
 それは、とても優しく。
 それは、とても暖かく。
 ただ、ただ、静かに。
 青い碧い空の下を舞い続けます。
 何処までも。何時までも。果ての無い様に。
 けれど。

「また、来年も見よう。ああ、その前に…あの箱もそろそろ、また修復せんとな…」

 果てはあるのです。

「はい」

 こつりと小さな音が聞こえた気がしました。

「…ああ…お休みですか? この様な処では風邪を引いてしまいますよ」

 穏やかな方が、穏やかな声で、肩に頭を預けた方の背中に触れます。

「…ゆ…旦那、様…」

 ぴくりと、小さく震えた手でしたが、そっとゆっくりとその背中を撫でて行きます。その手には。左手の薬指には、銀色に光る指輪がありました。

「…もう…お休みに、なられるのでしたら…一言、言って下さい…お休みなさいを…言わせない、だなんて…狡いですよ…旦那様…」

 旦那様と呼ばれた方は、目を閉じて、けれど幸せそうに微笑んでいました。
 旦那様が持っていた湯呑みが、カチャリとした音を立てて地面へと落ちます。その湯呑みを持っていた左手の薬指にも銀色に光る指輪がありました。
 湯呑みを落としてしまった旦那様と呼んだ方を叱る事なく、その背中に手を回したまま、穏やかに微笑む方は青い碧い空を見上げます。

「…見て下さい…。綺麗な青空ですよ…。とても青く…流れる雲は白く…今は…見えないですけれど…けれど…あのお空には、見えないだけで、今も沢山のお星様が輝いているのですよね…。…旦那様が作って下さった沢山のお星様よりも、沢山のお星様が…。…ですが…僕は…お空にある輝く沢山のお星様より…旦那様が…僕の為に…作って下さった…沢山のお星様の方が…どのお星様よりも、綺麗で…大好きです…。…大好き、なのですよ…旦那様…」

 旦那様、と呼びながら穏やかな微笑みを浮かべたままで、その方は空を見上げ続けます。
 何処までも青い空を。
 何処までも碧い空を。
 何処までも果ての無い空を。
 何処までも何処までも澄んだ綺麗な瞳で。
 その瞳に湛えた雫を零さない様に、空を見上げ、微笑みを浮かべたままで。
 何処までも、穏やかで優しい微笑みを浮かべたままで。
 何処までも何処までも、胸の奥にぽかぽかとした温かい想いを宿したままで。

『…ゆ…』

 …『ゆき君』…と、私の口が動いた様な気がします。

「…あら…?」

 気が付いたら、私は日傘を差して向日葵を見て居ました。

「あら?」

 目の前には、いいえ、私の周り一面には沢山の向日葵が咲いています。
 どれも皆、青い空にある太陽に向かっています。真っ直ぐと、その光に、その輝きに負けない様に。

「あらあら…?」

 …私…確か…二人を見ていた筈なのですけれど…?
 ぽかぽかとした光に包まれて…気が付いたら、ずっと二人を見守る様にしていて…? あら…? 夢…?

「あらあらあら?」

 ずっと、此処に居た様な気もしますし、ずっと二人の傍に居た様な気もします…不思議ですわね…?
 くるくると日傘の柄を回しながら、私は見渡す限りの向日葵の中を歩いて行きます。
 私が歩く度に。
 私が持つ日傘が軽く当たる度に。
 黄色い花弁がゆらゆらと楽しそうに揺れます。
 それは本当に楽しいと。楽しくて仕方がないと云う様に。まるで踊っているかの様に。

「…ふふ…楽しいわよね? こんなに綺麗な青空なんですもの。心が躍りますわよね?」

 足を止めて。
 柄を回す手を止めて。
 何処までも何処までも青い碧い空を私は見上げます。
 太陽は眩しいですけれど、焼け付く様な熱さは無くて。
 ただ、ぽかぽかと、ふわふわと、優しく柔らかく私を、ここに在る総ての物を包み込んでくれている様でした。
 その光に身体を預けていましたら、ガサガサとした音が聞こえて来ました。
 ここに来て、この様な音は初めて聞いた気がします。
 ガサガサと、向日葵が大きく揺れています。
 何でしょう?
 何故だか胸がドキドキしますわね?
 おかしいですわね?
 ここに来てからは、こんなに胸がドキドキする様な事なんて無かった気がするのですけれど?

「…あら…」

 …ですけれど…大きく揺れる向日葵の向こうから現れた二つの人影を見て、私は頬を綻ばせました。
 ああ…そうね…そうだったわね…。
 ここは…この向日葵達は…。
 私の…いいえ、皆が過ごしたあの家のお庭の向日葵達なのね…。
 それなら、私が二人に言うべき言葉は決まっていますわよね?
 近付いて来る、大きな人影と小さな人影に。
 私は向日葵に負けないくらいの明るい笑顔を浮かべて、こう言いました。

「あらあら…お帰りなさい」

 青い碧い空は何処までも何処までも広がっていて。
 それと同じ様に、上がった笑い声にも果ては無くて。
 さわさわと、そよそよと吹く風の中。
 何処までも何処までも。
 透き通る様に染み渡る様に、広がって行ったのでした…――――――――。
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