旦那様と僕・番外編

三冬月マヨ

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はる

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「ええ、そうよ。雪緒ゆきお君はとても覚えが早いのね」

 高梨家へと奉公に来て一週間が経ちました。
 ここのお屋敷の方々は、皆様とてもお優しい方ばかりです。
 旦那様は、その細い目が怖い方であるとの印象を与えますが、そうでもない様ですし。
 奥様は、何時も柔らかな微笑みを浮かべています。
 お妙さんは、僕に家事のコツ等を教えて下さいますが、働き過ぎなので、もっと僕にお仕事を回して欲しいです。

「疲れたでしょう? お茶にしましょう」

「あ、はい。只今お持ちしますね」

 お疲れになりましたのは奥様の方ですのに、それを口にせず僕なんかの気を遣って下さいます。
 これまでに、こんな風に気を遣われる事はありませんでしたので、何故だか胸の奥がむずむずします。
 奥様のお部屋を出て、台所へと向かいます。
 お庭を見ますと、植えてある桜の花がはらはらと舞っていました。
 こちらへ来た時は満開だったと思うのですが、桜の花は散るのが早いです。
 けれど、ここへ来てからの時間は。
 ここで流れる時間は、何故だかゆったりと穏やかに感じます。
 何故なのでしょうか? 時間の流れ等変わる筈もありませんのに。
 お食事を、毎食お腹が膨れる程に口にしているせいでしょうか?
 ですが、皆様から『食べるのも仕事』だと言われていますので、食べない訳には行きません。
 睡眠も十分過ぎる程に取らせて頂いているせいでしょうか?
 ですが、寝るのもお仕事だと言われていますので、眠らない訳には行きません。
 これまでと勝手が違い過ぎて戸惑う事ばかりです。
 これまでは、家人の誰よりも早くに起きて、家人の誰よりも遅くに眠りに付いておりましたのに。
 後は…今の様に奥様から文字の読み書きや計算の仕方、他にも礼節ある立ち振る舞い等を教えて頂いているからでしょうか?
 この様な事は僕には必要ありませんのに。
 ですが、これもやはりお仕事なのだそうです。
 うぅん。お仕事とは複雑で多岐に渡る物なのですね。

 ◇

「…雪緒君…? 何故、お茶やお茶菓子が一人分しかないのかしら?」

 小さな四角い高さの無い机の上に、お茶をお出ししましたら、何故か奥様が笑みを深めてそう口にされました。

「はい。僕は喉は渇いておりませんので。それに、毎度毎度ご相伴に預かりますのも…」

「…ゆ~き~く~ん~?」

「は、はひ!?」

 突然低くなりました奥様のお声に、僕はぴんっと背筋を伸ばしました。

「細かい事はどうでも良いの。今直ぐゆき君のお茶とお茶菓子を用意しなさい。いい? 私はゆき君とお茶を飲みたいのよ? これもお仕事です。さあ、早くなさい」

「は、はい! 只今!」

 お仕事だと言われてしまえば、僕に断る術はありません。
 慌てて立ち上がり、自分の分のお茶を用意しに台所へと向かいました。
 その後ろから、奥様の小さな溜め息が聞こえた気がしました。

『ゆき君』

 何故でしょう?
 何故だか口元が緩みます。
 ぽかぽかと胸も暖かいです。
 春だからでしょうか?
 不思議です。
 春なんて、もう何度も経験していますのに。
 これ程に、包まれる様に暖かくて穏やかな春は初めての様な気がします。
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