旦那様と僕・番外編

三冬月マヨ

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ちょこれいとばなな

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 ぴいひょろぉと、軽快な笛の音が聴こえます。その笛の音に合わせます様に、とんとんとんとした軽い太鼓の音も聴こえて来ます。
 街の一番大きな通りのあちらこちらには、白と赤の提灯が、柱と柱の間に結び付けられました縄に、交互にぶら下げられています。
 夜になりましても、まだ風は温く湿っていますが、行き交う方々は手に、団扇や扇子を持ちまして、皆、笑顔でいます。
 通りの両端には様々な屋台が並んでいまして、そのどちらからも良い匂いが漂って来ています。
 焼きそばに焼き烏賊、たこ焼き、牛や猪の串焼き、焼きとうもろこしに、鮎の塩焼き、綿菓子、くれえぷ、かき氷、あいすくりん、大判焼きにたい焼き、ちょこれいとばななに、お酒等もありますね。おかめやひょっとこのお面もあります。あ、ひよこが売られていますね。

雪緒ゆきお、何か食いたい物はあるか?」

 僕の隣を歩きます旦那様が屋台を見ながら、声を掛けて来ました。

 はい。
 僕達は今日、お祭りに来て居ます。
 去年は日蝕でお祭りは開催されませんでしたが、あの日蝕で亡くなった方々を弔う為にも、今年から、またお祭りを開催しようとなったそうです。遺族の方々が、それを望んだとの事でした。何時までも悲しんでいたら、亡くなった方々が浮かばれないと、想いを残さず極楽浄土へ行ける様に、笑顔で送ってやりたい、そう皆様が口にされたそうです。ですので、より賑やかに騒ぎましょう、と。騒いで騒いで、悔しがって早く極楽浄土へ渡って貰える様に。そこで苦しみや辛さを忘れて笑って貰える様にと。

「そら、食え」

「ふぐ?」

 旦那様の問いに答えずに、その様な事を考えていましたら、いきなり唇にちょこれいとばなながあてられました。

「お前の返事を待っていたら夜が明けそうだ。チョコレート好きだろう?」

 いえ。流石に夜は明けないと思いますが。
 確かにちょこれいとは好きですけれど、こんな不意打ちは困ります。 
 ですが。

「…ちょこれいとばなな…懐かしいです…」

 旦那様が差し出します、ちょこれいとばななが刺さっています棒に指を伸ばしてそう言いましたら、何故か旦那様は、悔しそうな、寂しそうな、それでいて、何処か何かを懐かしむ様な小さな微笑みを浮かべたのでした。

 ◇

「はい? お祭りですか?」

「ああ、そうだ。色々な屋台が出ていて、見ているだけでも楽しいぞ」

 今日と明日は夏祭りだ。
 人でごった返す祭り等俺は苦手だし、鞠子まりこの身体にも良くは無いと思うのだが、雪緒に楽しいと思える事を一つでも知って欲しいと鞠子が強く言うから、今、朝餉が終わった後、茶の間に雪緒を呼んでこうして話をしている。
 しかし祭りと聞いても、雪緒の表情は無表情とも言えるそれから動かない。俺達と向かい合い、ピンと背筋を伸ばす綺麗な正座が崩れる事も無い。その膝の上に置かれた手が、迷いを見せて動く事も無い。

「ゆき君が好きなチョコレートを使ったおやつもあるのよ? だから、皆で行きましょう?」

「いいえ。僕は奉公人です。僕の様な者に、それは不要です。お祭りへは旦那様と奥様が行って下さい」

 鞠子の言葉に僅かに雪緒の眉が動いたが、それでもこいつは頑なだった。

「なら、これはし…っ…!」

 仕事だと思えと言おうとしたが、鞠子が雪緒から見えない様に俺の腰を抓って来た。

「どうかされましたか?」

 不意打ちに思わず眉を顰めた俺に、雪緒が軽く首を傾げて聞いて来るが。

「ううん、何でもないわ。そうね、無理強いは良くないわね。お祭りへは私とこの人で行く事にするわ。ゆき君はこれからお洗濯をするのよね? 今日は朝から気温が高いから、日射病に気を付けてね」

「はい。お心遣いありがとうございます」

 鞠子の言葉に雪緒は両手を畳の上に置いて頭を下げて、茶の間を出て行った。

「…何故止めた」

「仕事だなんて言って連れ出しても意味がありませんわ。それでは心から楽しめませんもの。ここはおたえさんにお願いしましょう。悔しいですけれど、お妙さんの言う事ならゆき君は聞いてくれますから」

 むすっとして言えば、鞠子は浮かべていた柔らかい笑顔を消して、僅かに眉を寄せた。

 ◇

「わあ~、チョコバナナ食べる雪緒君は可愛いなあ~」

「小さい口で、あんなに一生懸命に…ッ! 今度アタイも作ろうッ!」

「みくちゃん、みくちゃん、ひよこ買おう! ひよこ!」

 …どうしてこうなった…。

 お妙さんに雪緒を祭りへと連れ出してくれと頼んだらお妙さんは二つ返事で了承し、見事に雪緒を祭りへと誘う事に成功した。夕方になり、俺達は明日行くからと祭りへと繰り出す二人を見送った後で、こっそりと二人の後を付けた。
 人が多くなり、屋台が多くなって来た処で、相楽さがらに見つかり、天野達に見つかり、現在は五人で雪緒とお妙さんの様子を伺っていた。
 今、雪緒は祭り会場のあちらこちらに設置されている休憩場所のベンチに座り、お妙さんに買って貰ったチョコバナナをゆっくりと食べている。雪緒は自分で金を出そうとしたらしいが、お妙さんが悲しそうな顔をして何やら話したと思ったら、着物の袖に入れた手をそっと何も持たずに抜いて、こくりと小さく頷いたのだった。

「…やはりお妙さんには敵いませんわ…」

「…ああ…」

 そんな雪緒の様子を見て居たら、鞠子が頬に手をあてて、小さく溜め息を零した。
 それに俺も小さく頷く。
 眉を下げ、目を細めて嬉しそうに一生懸命にチョコバナナを食べる雪緒の姿を、隣に並んで座り笑顔で見守るお妙さんの表情は、孫を優しく見守る祖母のそれだ。何処までも穏やかで優しく、包み込む様に雪緒を見ている。
 雪緒も雪緒で、普段よりは気を抜いている様に見える。ちらりと横目でお妙さんを見て、そっと小さく微笑むそれに雪緒は気付いているのか居ないのか。俺達の前では見せた事の無い仕草だ。悔しいと鞠子は言った。自分達では引き出せない、そんな雪緒の笑顔をお妙さんは何時も見て居るのかと思うと、何とも侘しい気持ちに襲われる。

「ほらほらあ~。二人共、そんなに落ち込まないの。せっかくのお祭りなんだから楽しんで行こう~。あ、雪緒君達、移動するみたいだよ~」

「そうそう! あ、アタイ、焼きそば食べたいな。買っておくれよ」

「おう! まあ、時間はあるんだから気長に行こうぜ!」

 気を重くする俺と鞠子に、相楽達は殊更明るくそう言ったのだった。

 ◇

「…旦那様?」

 これはどう云う状況なのでしょうか?
 二人で一つのちょこれいとばななを持ちまして、見詰め合うこれは一体何なのでしょうか?
 ともかくも旦那様が手を離して下さいませんと、僕はこれを食べる事が出来ないのですが…。

「…ん、ああ、いや…」

「ふえっ!?」

 何やら言い難そうに口元を押さえましたと思いましたら、旦那様は徐に身を屈めて僕達が持ちますちょこれいとばななをぱくりと一口食べてしまったのです。

「ふええええ?」

 先が掛けてしまいましたちょこれいとばななを見て、情けない声を上げましたら『どおんっ!』と、大きな音が辺りに響きました。と、同時にお星様が瞬きます夜空が明るくなりまして、周囲に歓声が沸き上がります。

「始まったか。見やすい場所へ移動するぞ」

「ふわっ!?」

 ちょこれいとばななを持って居ない方の手を旦那様に引かれ、僕は歩き出します。

 今年から、この夏祭りの日には花火を上げる事になったのです。
 亡くなられた方々を送る花火との事です。
 盛大に華やかに送ってやろうと。
 どおんどおんと上がる度に歓声が沸き、また、涙を零す人も居ました。あの日の傷はまだ癒えないのでしょう。ですが、悲しんでばかりも居られません。生きているのですから、悲しくとも辛くとも、前を向いて進まなければなりません。
 あの日は本当に怖かったです。
 ですが、今、僕も旦那様もここに居ます。二人で生きてここに居ます。
 亡くなった方々への弔いはきっと、生きて生きて生き抜く事だと思うのです。
 日々を大切に、疎かにしないで、笑って過ごして。時には泣く事もあるでしょう。辛くどうにもならない事もあるでしょう。それでも生きて生きて、何時か極楽浄土で笑いながら、こんな一生でしたよ、と胸を張って言える様に。

 どおんっと響きます音に、僕は前を歩く大きな背中を見上げます。
 その背中の向こうには、色鮮やかな花火が咲き乱れています。
 今はまだ見上げる背中ですが、何時か、追い越せなくても追い付きたいと思うのです。
 頬を撫でる風はまだぬるいですが、不快感はありません。
 それは、繋がれた手が熱いからでしょうか? そこから伝わる熱が胸を焦がしているからでしょうか?
 お行儀が悪いと思いながらも、僕は手にしていたちょこれいとばななをそっと口に運びます。それは、何時か食べたちょこれいとばななよりも甘く感じました。
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