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6.オフの顔

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 初日の撮影終了後。ヒナキは、身支度を終えたあと、外でJUNの帰りを待っていた。
「勢いで誘っちゃったけど、本当によかったのかな……」
 ついさっきのことだ。目が合った時に微笑まれたというだけで舞い上がったヒナキは、撮影が終わった直後にJUNを食事に誘ってしまった。「今後の撮影に向けて少し話をしたい」などと、口実を作ってまで。
——いや、嘘じゃないからね。撮影に向けて、JUNと仲良くなりたいんだよ。僕は。
 果たしてそれが俳優の先輩としての考えによるものか、彼のファンとしての下心によるものかが異なるだけで。
——でもやっぱり、どう考えても不審だよな。嫌われちゃったらどうしよう……。
 ため息をつく。まだJUNとは、連絡先すら交換していない。もしかしたら、色々とステップを飛ばし過ぎてしまったかもしれない。
 マネージャーの相良にも食事に行くと言ってしまった以上、今さら逃げ出すわけにもいかない。どうしたものか……。そう思ったところで、通用口から人の出てくる気配があった。
「あ、ヒナキさん。お待たせしてすみません」
——うわぁ、眩しい!
 視界に飛び込んできたJUNの姿に、ヒナキは思わず息を呑んだ。私服姿のJUNだ。夜だというのに、彼の周りだけ別の光源があるかのように輝いて見える。
 ヒナキは、自分の顔が熱くなるのを感じた。手のひらで両頬を包み、冷ます。外が寒い上に、元々手が冷たい体質で良かった。
「どこに行くんですか?」
「あはは……実はまだ決まってないんだよね。何か苦手な食べ物とかある?」
「いいえ、特には」
「そっか! 逆に好きな物は? 食べたい物とか。僕の知ってる店なら案内できるよ」
「食べたい物……は、米です」
「米……? ご飯ものってこと?」
 ヒナキが聞き返すと、JUNはゆっくりと頷いた。それきり何も言わない。もしかして、素のJUNは少し天然なのだろうか。
「ご飯もの……寿司とか? 寒いか」
「ジャンルはなんでも……あの、明るいお店に行きたいです」
「明るいお店?」
「はい。店内が明るいところ……」
 そう言ったJUNの顔は、少し赤らんでいるように見えた。何を考えているのか分からないが、ヒナキは胸が高鳴って仕方がなかった。
——可愛い。なんだか、今日一日でJUNのいろんな顔を見られた気がする。
 話し方さえ仕事中とは違うのだ。完全にオフのJUN。こんなレアな姿が見られるなんて嬉しすぎる!
「洋食屋さんにでも行こうか。知り合いのお店なんだ。あまり一般の人は来ないから安心できるよ」
「……はい!」
 JUNは明るい声でそう言った。眩しすぎて、まともに顔が見られない。ヒナキは両手をコートのポケットに突っ込むと、背を向けて歩き始めた。車道に出て、すぐにタクシーを捕まえる。
「先どうぞ」
「ありがとうございます」
 JUNを運転席の後ろに座らせてから、その隣に乗り込んだ。自分の方が先輩なのだ。まだ弱冠19歳の彼のことは、守ってやらなければならない。そんな使命感が、ヒナキの中にはあった。
——とはいっても、JUNは僕より背も高いし、しっかりしてそうなんだよね。
 横目で盗み見る。今日のJUNは、すっかり冬の装いだ。マフラーで顔の下半分がすっぽり隠されてしまっている。
「今日寒いよね」
「寒いです。ヒナキさん、そんな薄着で平気なんですか?」
「さすがに寒い。ちょっと服装間違えちゃった」
 朝晩は冷え込むと聞いていたのに、昼間の気温に合わせて薄手のコートで来てしまった。当然、マフラーや手袋は持っていない。体が丈夫な方なので、これくらいで風邪を引くことはないだろうが、帰る頃には体がキンキンに冷えてしまいそうだ。
「カイロ、使いますか?」
 そう言って、JUNがポケットからカイロを二つ取り出す。両手持ちだ。そんなに防寒するなんて、よほど寒がりなんだろうか。彼の優しさに思わず涙ぐみそうになりながら、ヒナキは首を振った。
「平気だよ。ありがとう」
 もしJUNが体調を崩したりなんかしたら大変だ。彼はこのドラマの撮影以外にも、本業のバンド活動があるのだ。来年頭からはツアーが始まるということも、当然ヒナキは把握している。
——千秋楽の東京公演、FC最速で取ったからね。今から楽しみだ……。
 仕事が入るかもしれないと分かりつつ、意地でもチケットを確保したのだ。それくらいでないと、俳優をやりながらURANOSのファンは名乗れない。
「ヒナキさん、失礼します」
「えっ?」
 顔を上げた途端、右手がじんわりと温かくなる。何をされたのか理解するまで、しばらくの時間を要した。
——JUNに、手を、握られ……て……。
 ヒナキは息を吸うことも忘れて、自分の手とJUNの顔とを見比べた。彼は、両手でカイロとヒナキの右手を同時に包み込んでいた。
「スミマセン。やっぱ寒そうに見えたんで。こうしたら、2人であったかいです」
 車窓から差し込む街明かりに照らされて、JUNの瞳がキラキラと光る。手だけではない。全身が熱い。ライブで見るのとは全然違う、素顔のJUNの優しい顔が、ヒナキの心を掴んで離さない。
——こんなことって、許されるのか。
 あの、JUNの視線が、ヒナキだけに向いている。彼の手が——普段はマイクやヴァイオリンだけを掴んでいるはずの手が、ヒナキの手を握っている。
 やがて、JUNが何かを言いかけて口を開く。
「あの、ヒナキさ……」
「お客様。どちらで降ろしましょうか?」
 突然飛び込んできた運転手の声に、ヒナキは大きく動揺した。咄嗟にJUNの手から逃れ、正面に向き直る。温もりが消えると同時に、冷や汗が噴き出した。
「ああ、もうこの辺で。停まりやすいところでお願いします」
「かしこまりました。そしたら……運賃が1,200円です」
「はい」
 震える手で財布を取り出した時、ヒナキのポケットから何か硬いものが落ちた。ゴン、と鈍い音を立てて、足元を転がる。動揺のあまり、手元が狂ってしまったようだ。
「ヒナキさん、スマホ落としましたよ」
「あ、ごめんごめん。置いといて」
 そう言って、ヒナキはさっさと代金を支払ったのだが。次に振り向いた時には、JUNの手にヒナキのスマートフォンが握られていた。傾きを感知したデバイスが、瞬時に光ってロック画面を映し出す。
「あれ? この写真……」
「えっ」
 ヒナキのスマートフォン。そのロック画面。それは……。
「……俺?」
 JUNの目が大きく瞠かれた。視線の先には、間違いなくロック画面——つまり、URANOSのJUNの写真があった。それも、ファンクラブ限定で配信された特別な壁紙の。
——お……終わった。
 ヒナキは、全身から血の気が引いていくのを感じた。タクシーの扉が開くまで、2人は身動きさえできなかった。





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