孤高の愛の傍らで…。

礼三

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15 再会

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 その小屋はアシダンセラ伯爵領の森の奥へ建っていた。
 アシダンセラ伯爵領はアルセア王国最大の淡水湖を保有しているが領地は小さい。
 伯爵領の主な収入源は湖の港湾利用料や関税であり港町は賑わっている。グラジオラス公爵領と接しているため、グラジオラス特産品の葡萄酒はその港町から諸国へ出荷されていた。
 日は傾き始め湖面がオレンジ色へ色づいていく。小屋は湖から遠かったが見晴らしのよい高台へ位置していたため、夕焼けで美しく変化していく湖を見下ろせた。

「メラニーさん!荷物を持ってきたぞ!」

 馬車の荷台から麻袋を両肩に担いだ体格のしっかりとした男が大声で叫ぶと、小屋の中からメラニーが姿を現した。
 西に沈んでいく太陽へ男の横顔が晒された。日々の労働で鍛えた筋肉が腕へ浮かぶ。日に焼けて野生的な印象を見受けられる彼の名はマリユス。
 ここから1マイル程離れた場所へ集落があり、村唯一の宿屋を営んでいるアンの弟である。

「重たくはありませんか?いつも、私たちの買い物を運搬くださりありがとうございます」

 マリウスは慣れた手つきで玄関扉の脇に備えてある木箱へ麻袋を納めた。
 木箱は荷車に積まれておりそのままメラニーは必要な場所へ運べばよい。

「いいってことよ!これぐらい屁でもないさ!オレんとこの甥や姪御に勉強を教えてもらっててこちらこそ感謝してる…。こんなど田舎じゃ…。学校とかもなくてさ…」

「大したことではありません…。簡単な文字や計算を遊びを交えて教えているだけですよ…。私も娘に教えなくちゃいけないし…」

 アシダンセラ伯爵夫人はメラニーの父方の叔母にあたる。
 離縁後メラニーは実家へ戻ることも検討していたが、メラニーの今後を心配したアシダンセラ伯爵夫人がメラニー親子の住居を用意してくれたので、素直に叔母へ甘えることにしたのだ。
 恩返しといえば烏滸がましいと思うが、アシダンセラ伯爵領の発展のために、メラニーは近隣の村へエヴァを連れて時折子供たちへ教育支援を行なっていた。

「お母様!お腹空いた!スープ注いだよ!」

 溌剌とした少女が開け放っていた扉から顔を覗かせる。
 母親によく似た愛らしい娘だ。
 室内の灯りに反射した艶やかな暗褐色の髪を揺らしながら、マホガニーのような深みと温かみのある大きな瞳を輝かせている。

「よっ!エヴァ!」

「えぇ、マリウスのおじさんまた来たの?今日もご飯を食べていく気?」

「こらっ!エヴァ!マリウスさんは私たちのために荷物を運んでくださったのよ…」

 髪を優しく指で解きほぐしながらメラニーはエヴァを諫めた。メラニーの腰あたりへ嬉しそうに両腕を回してエヴァは抱きつく。
 その様子をマリウスは目を細めながら眺めた。

「ふっ…。バレたか?」

 頬を膨らませエヴァはマリウスを見上げた。人好きのする顔をしたマリウスが目尻に皺を寄せたので、更に親しみやすさが出ている。

「アンおばさんがお家でご飯を作って待ってるんじゃないの?」

「ああ、今日はいつもより張り切って働いたからここで食べたあと、家で食べても問題なく腹に余裕がある…って…。メラニーさんの許可をもらったわけじゃないのに…。すいません…」

「ふふ…」

 日常的なやり取りだ。この調子でマリウスはメラニーの手料理を食べて帰る。
 だが、この日はいつもと勝手が違った…。

「ヒヒーーン!」

 馬の嘶きと蹄が土を蹴る音が近づいている。
 その方向へ皆が顔を向けると、物凄い勢いで馬が駆けてきた。

「メラニー!」

 大きな影…。馬へ騎乗している人物が声を張りあげてメラニーの名を呼んだ。
 転げるように馬から下りてきた男は無精髭を生やし、髪が乱れて目は隠れていた。
 不審者だと判断してマリウスはメラニーとエヴァを庇うように前へ進みでた。

「あんた誰だ?メラニーさんに何か用か?」

「君こそ誰だ?メラニー…。この男は誰だ?」

 訝しむような口調で男は尋ねた。
 黒髪の隙間から宝石のように煌めく紅玉を認めたメラニーが呟く。

「旦那様?」

 驚いた様子でマリウスはメラニーへ確認した。

「旦那?えっ?メラニーさん、離婚したんじゃなかったっけ?」

 村人たちはメラニーが離婚したことは知っていたが、経緯を根掘り葉掘り聞くことはしなかった。
 夫人の話し方や仕草から貴族であろうことは窺い知れたが、気さくな人柄で周囲へ難なく溶けこんだ。
 少しばかり顔立ちの綺麗な娘も、腕白ではあるが普通の少女で村の子供たちともすぐさま仲良くなった。
 一人で懸命にエヴァを育て逞しく生活をしているメラニーへマリウスは惹かれている。
 健気だが芯が通っていて、品があり潔い…。

「別れた夫です」

「えっ?別れて何年もたっているよな?あんた!何だ?」

 牽制するようにマリウスはシリルの胸を手で押したが、シリルは一寸も動かなかった。
 何なら、マリウスの方が二、三歩後退した。
 指へ痛みを感じる。マリウスは突き指をしたようだ。強靭なシリルの胸板にマリウスは敗北した。

「話がある…」

「私にはもう話すことはありません…」

「ほらっ!メラニーさんも嫌がっているだろう?」

 二人の間を漂う雰囲気へ無性に不安を感じてマリウスは焦った。二人の会話を遮ろうとするも、シリルはマリウスの言葉を無視する。

「頼む…」

 シリルは深々と頭を下げてメラニーへ乞う。
 シリルは寄宿学校から戻ったヒューゴと話した後、いてもたってもいられなくなり、アシダンセラ伯爵領へ馬を走らせた。
 家のものを遣り、騎士団へ休みの一報は出したが、今頃、突然の休暇で同僚たちは狼狽えているだろう。シリルは長期休暇を取ったことがない。
 通常の旅程ではグラジオラスの領都を経由して馬車で半月ほどかかるものを、シリルは最短距離の道のりで馬を乗り換え、寝る間も惜しみ、時には野宿をして5日間でメラニーの家へ辿り着いた。
 登城するときの精悍な姿と打って変わり、シリルの髭は生やし放題、滑らかな黒髪はボサボサで、身だしなみに構っておらず風呂も入っていなかった。
 その身なりでは子供が怯えてしまうだろうと、マリウスはエヴァへ視線を移した。
 マリウスの心配を余所にエヴァは好奇心旺盛な瞳を瞬かせシリルを見つめていた。

「お兄様と同じ目だわ…。お母様…。あの方がお父様なのですか?」

「エヴァか?あぁ…。大きくなって…」

 恥ずかしそうにエヴァはメラニーの背に隠れる。シリルは伸ばした手を引っ込めた。

「そうだな…。小さい頃に屋敷を出たのだ。私のことなど覚えていないか…」

「お父様は私が寝ているときに会いに来てくれたんでしょう?」

 何故、エヴァがそのことを知っているのか、シリルは不思議に思った。
 シリルがエヴァの部屋を訪れた時はいつもエヴァは安穏と眠っていた。小さく上下する胸の動きにシリルは和んだ。日々の仕事の疲れも癒やされていた。

「そうね…。この子にとって父親には違いないのよ…」

「メラニーさん…。大丈夫か…」

 メラニーの肩へ手を置こうとするマリウスへ射抜くような眼差しが向けられる。

「えぇ…。ありがとうございます。今日は残念ですが…」

 意図していなかったが、メラニーはまるで手を躱すかのようにマリウスへお辞儀をする。
 宙に浮いた手を握ったり開いたりしながらマリウスは告げた。

「あっ…。うん、そうだな…。ばっ…。場違いはオレか…。あっその…。メラニーさん、オレが側に居なくて大丈夫か?何なら…」

「大丈夫だよ!だって、エヴァがいるもん!」

 元気いっぱいにエヴァが答える。その言葉にマリウスはたじろいだ。

「そっ、そうか…」

 去り行くユリウスの背中は寂しそうだった。
 メラニーはさほど気にした様子もなく、シリルを玄関へ招きいれた。

「さぁ、入ってください…」

「すまない…」

 メラニーが暮らしている家は二階建ての質素な佇まいをしていた。
 シリルは玄関から中を見渡す。玄関からすぐにキッチンがあり、ダイニングテーブルには二人分のパンとスープが並んでいる。
 その真ん中へ名前は知らないがシリルが道端でよく見かける可愛らしい黄色の花が花瓶へ飾られていた。
 
「お父様もスープ飲む?」

 母の背後からシリルを見上げているエヴァの瞳は輝いている。

「頂いても?」

「エヴァ、お父様に注いで差し上げなさい」

 頭を撫でながらメラニーが促すと、エヴァは大きく頷いた。
 エヴァは自分たちの向かい合わせの席へ座ったシリルのためにスープを準備した。

「ありがとう…」

 ここへ来るまで食事も疎かにしてきたシリル、まろやかなスープが胃に優しい。

「美味しいな…」

「この人参はエヴァが切ったんだよ…。上手に出来たでしょう?」

「そうか…」

 シリルは言葉を詰まらせる。こんなに愛おしい我が子が世間では「不必要な公女」だと笑いものにされていた。

 全て私が無責任な噂を放置してきたせいだ…。

 シリルは自責の念に駆られた。目には大粒の涙が溢れてスープへ滴る。

「お父様?そんなに泣いちゃうと…。スープが塩辛くなるよ?」

 テーブルから身を乗りだして、エヴァはシリルヘハンカチを手渡す。エヴァの掌に触れたシリルへエヴァの体温が伝わった。娘の温かな命を感じて、シリルの涙は益々止まらなくなっていた。
 メラニーは初めて見るシリルの泣き顔に唖然とした。シリルの涙腺はこれほど緩かっただろうか…。いや、メラニーの前で涙一つ零さなかった人だ…。
 父親の咽び泣きにエヴァも驚いているようだが、何も言わずに見守っている。
 しばらく、シリルの慟哭は続いた。

「あぁ…。愛しているんだ…。戻ってきてくれないか?」

 シリルは瞼を腫らして、やっとの思いでメラニーへ告げた。
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