ローワン伯爵

おかゆ

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第一章

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カーテンを勢いよく開けると、真っ暗のだだっ広い部屋に燦然たる朝の陽光がどっと差し込んで、夢幻的な影を一気に隅へ押しやった。外は雲ひとつなく澄み渡り、よく晴れている。時刻はちょうど朝九時を回ったところで、執事がモーニングティーのアールグレイを注いでゆく。途端に柔らかい湯気が立ちこめ、ベルガモットの華やかな香りと暖かい日差しによって、だんだんと夢から意識が戻ってきた伯爵は、目を瞑ったまま大きく伸びをした。その間、目の裏っ側に新鮮なオレンジ色の光を感じて、朝が来たことを再び実感する。伯爵が長い睫毛の生え揃ったまぶたをようやく開こうとしたその時、執事が部屋に入ってきたのと同時にこっそりと侵入していた飼い猫のルビーの柔らかな肉球が、伯爵の顔を踏んだのである。


「ルビー、ずいぶんな起こし方だ。だがタイミングは、ばっちりだ」
猫は大きな瞳をこちらに一瞥くれると、なにくわぬ顔で「にゃ~」と言って、しなやかな身のこなしで、さっとベッドから降りてしまった。
そんな様子を静かに見ていた執事がようやく口を開いた。

「おはようございます。ローワン様、本日は、お昼過ぎからネイサン様とのお約束がございます。朝食はいかがいたしましょう?」

「いらない。約束って、何時だった?」

「十三時でございます。」

「じゃあ、それまで自由に過ごすとしよう。バスタブに湯を張るのを忘れずに」

「かしこまりました。それでは、失礼致します。」

お辞儀をして執事が出て行くと、ローワンはベッドからゆっくりと起き上がり、まだ朦朧とした目を覚ますように、少し熱めの紅茶を飲みながら今日をどう過ごすか思案し始める。

ロンドン郊外に建てられた、この大きな屋敷は、先代からの譲りものであった。ローワン・ウィルソンの一族、ウィルソン家は、ヨーロッパと他のそれぞれの小さな島にもいくつか屋敷を所有している。ローワンはこの屋敷を二十歳の誕生日に貰い受けてから、自分が把握出来るだけの少人数の使用人を雇って一人きりで住んでいた。
一族の財産が莫大なものであったことと、音楽や絵画にオペラと、およそ金にならない芸術ごとに傾倒することを好んだローワンは、表向きのビジネスも二十四歳を過ぎた頃に手を引いてまった。それから二年間は、貴族同士の社交の場として、時折サロンに赴くことはあっても、それ以外のほとんどを屋敷で過ごしていた。やらなければならないことは何一つなくなった彼にとって、馴染みの多いサロンに行くことも今ではめっきり減ってしまっていた。そんなローワンを心配してか、友人の一人であるネイサンはたまに屋敷を訪れてくる。そして、今日はちょうどネイサンとの約束の日だ。

ローワンはこの屋敷に越してきてから、まず最初に部屋の全体に陽の差し入るこの広い部屋を気に入って自室とし、面倒くさがりな彼が必要な身支度がすぐに出来るようにと、浴室も備え付けて改造させた。縞瑪瑙を敷きつめた浴室は、彼の好みであるギリシャ調の白いヴィーナスを中心に、何人かの女神達の銅像が飾られ、一人の美少年が担いでいるおけの中には、アメジストがふんだんに敷きつめられいて、浴槽へとお湯が注がれる仕様になっている。なんでも風呂に入りながら酒を飲むのが好きなローワンが悪酔いするのを避けるために、わざわざアメジストをあしらったという。浴室は見事な仕上がりとなった。まるで自然豊かな田舎の森林の奥深くに、人知れずひっそりと存在する泉のように、神秘的な雰囲気を醸し出している。一人で入るには十分すぎるほどゆったりとしたこのバスタブに、ぬるめの湯を張って、気に入った小説を持ち込んで読み耽るというのが彼の日課であった。この日、湯を張っている間、ローワンは朝の散歩をしようと試みた。今着ている薄いグレーのシルク製の寝具の上から、金色の絹で刺繍のついたカシミアの凝った黒い化粧着を羽織って、広い大理石の階段を降りて外へ出ると、突然流れ込んでくる明るい日差しの眩しさに思わず目を細めた。しっとりと朝露に濡れた庭で、様々な鳥の囀る声が元気よく頭上で響いている。あまりの清々しい澄んだ空気に、伯爵はすっかり魅了されていた。陰鬱な情念ごとなにもかも吹き飛ばしてしまうかのようだ。こうした爽快感を感じるのは、まさしく今日のような朝がふさわしく感じられ、息をひそめたような静けさの中で、ローワンは再びゆっくり深呼吸をすると、適当に庭を歩き始めた。最近はずっと曇り天気が続いていたので、久しぶりの晴天だった。

庭師によって綺麗に整えられた青々とした広い庭のあちこちに植えられている薔薇の花は、すでにほとんどが満開を迎えている。新鮮な色をした花弁が何層にも重なる様は、貴婦人が着ているシルクのドレスのごとく華やかであった。ピンクオレンジ色の可愛らしいジェミニ、外側から内側に向かって色が薄くなっていくブルー・リバー、細やかな花弁が重厚に折り畳まれたルージュ・ロワイヤルは、ライチやマンゴーに似た豊潤な香りを、惜しげもなく放っていた。ローワンは吸い込まれるようにして花弁に近づくと、その香りを肺腑いっぱいに吸い込み、うっとりと目をつぶる。薔薇には香りがあるものとないものがあるが、ローワンはとりわけ甘い香りのする薔薇を好んだ。彼は時折、薔薇に対して並々ならぬ一種執着めいた愛情を感じることがあった。そして、その時の気分に触発されるたびに未だかつてない素晴らしい香気を夢見て、密かに品種改良を試みてもいたが成果は皆無だった。それから十分に香気と鑑賞を堪能し身体の感覚という感覚を満たした彼は、屋敷に戻ると、いいつけ通りしっかり湯の張られている浴槽へ沈んだ。

ネイサンが来るのは十三時と言っていた。彼は今まで一度も約束の時間に遅れたことはなかった。ゆえに、今日も時間ぴったりにここへ来ることが予想される。今日はとにかく天気がいい。きっと、あの客部屋も絶好調になっていることだろう。そんなことを考えながら、新調しておいたヒヤシンスの香水をふりかけた時だった–  時計の針が十三時を差し、壁にかけられたアンティーク調の古い時計が低い音を部屋中に響かせると、時間きっかり、ネイサンが訪れた。
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