ローワン伯爵

おかゆ

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第二章

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第二章


「ローワン、久しぶりだな!」
「ネイサン、よく来てくれたね」
背が高くがっしりとした体型のネイサンと挨拶を交わし、客間へ招き入れた。

「相変わらず細いな」そう言って少し眉を下げたネイサンだったが、またすぐ満面の笑みになって、早歩きでしゃべる様子から彼の方も久々の友人との再会を喜んでいることが伝わってくる。ネイサンは素直な人だ。人懐っこい大型犬の尻尾ように、喜んだり悲しんだり、感情が表に出やすく、人見知りもしない。だけど、愛想が良いからといって誰とでも仲良くするわけではないし、本質的には律儀で誠実な人物だ。二人は性格的にはタイプの違う人種といったところだが、ローワンにとっては馬が合う数少ない友人の一人だった。なにより籠りがちとなって友達を作る機会もめっきり減ってしまったローワンにとっても久々の友人の訪問は喜ばしいことであった。玄関口を通り抜け、二人は奥から3番目の客室へ入っていく。

こんな風に友人が訪れることを想定して、客間もローワンの好みで改装させた場所だった。ドアを開けると、真っ先に目に飛び込んでいるのは、まばゆいばかりの膨大な光。そこは、まるで光の部屋のよう。広い吹き抜けの天井からは、惜しげもなく太陽光がふり注ぐように天井全体がガラス張りになってた。

よく晴れた日の昼間は、その自然から来る膨大な明かりによって、部屋全体が、ぼんやりと白く霞んで見えるほどであった。壁は9mほどの長さのあるステンドグラスが、均一に壁に沿って埋め込まれている。ガラスには特殊加工がされており、光の反射を逃さない作りとなっていた。ガラスで壁一面が覆われていることで、上下左右のあちこちから入って来た光が反射し合い、真っ白な空間をつくりだしていた。さらに部屋のあちこちに置かれた、いくつもの球体の形をした照明が、薄いオレンジの光を放っている。この光に満ち満ちた部屋の中央には、シルバーの淵の付いているブルー色の大きなソファがいくつも設置され、どこか異国のような雰囲気を醸し出していた。

部屋に入った二人がそれぞれ腰を下ろすと、タイミングを見計らったようにトレーを持った執事がやってきて、ふたりの前に軽食や紅茶を次々に並べていく。早く話したくてうずうずしていたネイサンはさっそく口火を切った。

「ローワン、最近はどうしていた?今じゃ、すっかりサロンにも顔を出さないし、滅多に音沙汰もない。見たところ、元気そうではあるが」不満が含まれた彼の態度に、ローワンは説明を余儀なくされたような気がした。

「僕はこの通り、元気にやってるよ、ネイサン。誰とも連絡を取らないようにしたくてね。電話は使えなくしてしまったんだ。ほかに親しい人間との連絡ツールがあることは、君も知ってるだろう。それに、サロンに行かなくなった理由は、君も知っての通りだよ。あんなところはもうごめんなのだ。今のサロンに出入りする連中ときたら、すっかり自身の話題は尽きてしまったとでもいうのか、もしくは話すほど話題がないのか、そのせいで他人の噂話をするか、そうでなければ他人の粗探しばかりしている。他人の噂話しなどするようになったら、人間は終わりなのだ。自分自身から目を背ける癖がついてしまうからね。だいたいね、パーティーや会食だって、もうこれでもかというほどやったし、いい加減、うんざりした!こうして屋敷に一人きり、静かにこもる方が、遥かにましだと思えるくらいにはね」

「ああ、それについては同意するさ。最近のサロンはひどいものだから。すっかり昔のような集まりではなくなったしな。確かに退屈極まりない。だから、サロンについては同意するが...ローワン、そうは言っても、君、屋敷に籠ってばかりいて、外には行かないのか?そうだ、オペラ座には行くだろう?君は以前、あんなにも舞台鑑賞が好きだったじゃないか。友人の僕が言うのもなんだけど、君はとても美しいのだし、出掛けさえすれば、楽しいことくらいあるはずだ。サロンに限らずだが、どこへだって君が顔を出しさえすれば、ご婦人方が途端に色めき出すんだから。ずっと同じ場所に留まってると気が滅入るだろ?」


「たしかに、僕は着飾ることは好きだけど、屋敷の中はなによりも快適なのだ。それに、どれだけ着飾ったところで、そういう僕に寄ってくる女ときたら、ずいぶん勝手な生き物だからね。どこへ行こうと同じことさ。人は恋をしてる時なら、その相手に対して何でも許せてしまうような寛大さがあるのに一度そこから冷めてしまうと、もうダメだな。その時の虚しさときたら、まったく、もう少し若かったら自殺ものだ。今の僕は、しばらく恋愛からも手を引いていたいのだ。まあ、オペラ座には、行こう。そうだな、冬がいい。うんと寒くなってからがいいだろう」


「君がそんなことを言うなんて。驚きだな。あんなに遊び狂っていたくせに。」ネイサンは、わざとらしく目を細めた。どうやら、納得するまで、時間がかかりそうである。

「おや、それは良くない言い方だ。否定はしないが、それも昔のことだ。どうしても昔のことにしたい。サロンの連中は、いまだに同じことを繰り返しているだようけど」そう少しおどけたようにローワンは返した。

「それもそうだが、彼らに関しては、所詮女や子供を金で買ってるだけさ。いつの時代も権力者は低俗な遊びがお好きなようだからな。だが、何が悲しきかな、向こうから言い寄られることはない連中さ」

「それが、ひどいのだよ。金で買う方も買われる方も、どちらにしたってひどい目に遭うのだから。それでいて...まぁ、そんなくだらないことはどうだっていい。僕らが騒いだって、どうにもならないもの。そんなことより、自分自身の人生に向き合うに越したことはないのだ。僕は、もっと自分の人生をもっと有意義で、面白いものにすることにした」

「その、面白いものってなにを指してるんだ?」

少し落ち着いた様子でそうローワンに尋ねて、ネイサンが紅茶を飲んでいると、流れてきた大きな雲が太陽を遮ったことで頭上の天井ガラスから部屋に差し込んでいた光が弱まり部屋の明かりがぐっと鈍くなった。同時に手元の紅茶の色も濃くなったように見える。ローワンがやたらガラス張りこだわったことで、太陽の前を雲が行き来する度に、部屋全体の光の調子が変わるのだ。まったく忙しい性質の部屋で、なんと気が散ることか。だがこの部屋はローワンに似ている。ネイサンがそんなふうに変化に気を取られていると、しばらくして、その様子を捉えていたローワンが静かに話し出した。


「ああ、つまり、そうだな。僕も説明しづらいんだけど、それは"見えないもの"であることが多い。感覚とか、情念というのかな。何かを感じ取ることの喜びだとかね。世界広しと言えど、人間は結局のところ自分が感じ取れる範囲でしか世界をみることができないだろう?それもとてつもなく狭い範囲のね。だから自分の目に見える範囲、手が届く範囲、そこから得られる香りや感覚といった、見えざるものの中にある確かな力を楽しむことこそ、人生を向上させるいい手段に思えてね。今、こうして、我々が二人でいるこの空間こそが、今の我々の世界だ。自分の影響力が及ばぬことで、いくら悩んでも無意味だと、古代ギリシャの時代にも哲学者たちが何度も唱え、今に至るまで繰り返し繰り返し言葉を変えて言われて来たことを、いま一度、実生活において忠実に実践してみようってわけさ」

「たしかに、この屋敷にいれば誰にも邪魔されることはないし、他人によって気を散らされずに済むだろうな。それが、君がこんなにも感覚重視主義である理由か?この屋敷のやたらと凝った作りも、全て君のオーダーなんだろ?」そう言ってネイサンは辺りを見回す。


「まあね。半分は、趣味みたいなものだけれど」

ローワンはスコーンを割ると、慣れた手つきで片方にクロテッドクリームを塗りながら答えた。テーブルの上には、いちじく、ブルーベリー、オレンジのジャムに蜂蜜、それからココアパウダーが並べられていた。

「あらためて見るとすごい部屋だなあ。この部屋には何度か来てるが、いまだに慣れない。毎回、初めてきたような気分になるよ。そういえば、屋敷を随分改築したと言ってたが、ほかの部屋はどうなってるんだ?今もひとりで住んでるのか?」

「もちろんさ。使用人以外はね。ほかの部屋は、ほとんど僕の趣味のために存在してるようなものだけど、そうだなあ、今度来たときに、海賊船の晩餐部屋かピンクフラミンゴの温室あたりに招待しよう」

「なんだって?」突然の聞き慣れない言葉に、ネイサンはスコーンを口に運ぼうとしている手を止めて聞き返した。

「僕の好きな映画でね、海賊の晩餐会のシーンがあるんだけど、その雰囲気を真似て、食事用の部屋を改装させた。大きな水槽を壁に埋めてね。ちゃんと生きた魚も泳がせてあるから、船の中にいるみたいな気分になれるんだ」

「へえ!それは愉快だ。今度はそこで食事しよう」

「ご希望とあらばね」

それから、彼らの話はしばらくネイサンの仕事の話へと移り変わった。ダイヤモンドの密輸に関わっているネイサンいわく、取引先のインドで先日とあるまずい事件が起きたという。問題の対処に関してはローワンの叔父が一役買っているので、その相談であった。しばらくして、ローワンから叔父の方に話を通しておくという事で決着が着いた。




「さて、お固い話はここまでにしよう」空気を変えるかのように両手を勢いよく合わせてローワンが言った。

「少し、昔話でもどうかな。なあネイサン、君ならどう考えるだろう。昔といっても、数年前までの話だが、あの頃の僕はずいぶん夜の生活から抜け出せずに苦労していた。誰にでも、人生に嫌気がさして荒んでしまう時期くらいあるだろう。きっと、どこかのタイミングで誰しもが味わうことだ。まさにその最中だった時のことだ。君も知っての通りにね」

「ああ、あの頃の君にはずいぶん付き合わされたし、忘れもしないさ。俺にはまだローワンという男は、そういう男だと思ってるところがあるくらいだ。酒癖の悪い君の尻拭いをしていたのも俺だったしな」

「本当に世話になったね。言い訳させてもらうけれど、自分でもあの頃はどうしようもなかった。自分を慰めてくれるものが酒と女と薬くらいしか見つけられず、何にでも手を出したんだ。飲んだくれて、時には薬漬け、しだいに昼も夜もなくなって、もうぐちゃぐちゃだった。目が覚めて外が暗ければパーティーへ出かける。あの頃、僕はただひたすら現実から逃げていた気がする。何も考えないで済むものに縋りたかった。縋れるものならなんでもよかったんだ。今を投げ出したい一心でね。もっと人生は楽しいものだと思っていたし、楽しもうともしていた。だけど飲んだくれた次の日、目が覚めて、まだアルコールが残る重たい身体をゆっくりと起こして辺りを見渡すと、どうだろう、僕は強制的にまた現実に戻されて、次の瞬間には項垂れるのだ。太陽が照りつける明るい部屋でね。それで、果たして昨日の時間していたことはなんだったかと、ぼんやり考えてみる。何かが変わったのだろうかと。嫌なものから、まんまと逃げおおせたか、ということを。幾度となく、そうなることを願ったが、結局、酒は僕になにも与えてくれなかったしなんの変化ももたらさなかった。むしろ、物事は悲しいほどきっかりとそのまま一時停止されている。昨日、嫌になって投げ出したところから、今この瞬間から、また始めなければならないという、あの倦怠感にさらなる追い討ちをかけられるわけだ。それでも、しばらくの間は懲りずにそういったものに逃げることに甘んじていたのだけど、次第にそういった軽薄な愚行にも飽きてしまっていた。こんなことを続けていても、余計に疲れるだけだ。何も得るものなど、ないのに」

「まあ、その感じは、わかるがね」黙って聞いていたネイサンは微かに頷いた。

「嫌なことから逃げることすら嫌になったというわけさ。だけどね、そんな風に感じていたある日、たまたま朝早くに、気分よく目が覚めた日があってね。その日はやけにスッキリとしていて、その上天気も良かったから、気まぐれに散歩でもしようと、ふと思い立って庭に出てみることにしたんだ。今思い返しても、あの日の朝は、世界一清々しいもののように感じるよ。ありきたりだけど、目の前の世界が透き通って新鮮に見えたのだ。今までとはなにか違ったような、なにかが大きく変わった気がしたのだ。ここ何年か朝に起きるなんて生活とは無縁だったせいか、すっかり忘れてしまっていた気がする。柔らかな陽の光を浴びることの幸せや、鳥の鳴く声を聞いたり、化粧品なんかが混じった女の肌から香る人工的な花の匂いではなく、生きた花から漂う甘い香りのなんたるかをね。本来、人はそういうものこそ、味わうべきなんだ。アルコールやドラッグじゃなくね。なんだか素直にそう思えて、目が覚めるような気分だった。あの時の気持ちを忘れないようにするために今もたまに気分の良い朝には散歩するんだ」

「君のなかで、心境の変化があったことはわかるよ。だが、まったく、それは今までの反動のようなものではないのか?前からそうだと思ってはいたが、ローワン、君はどこか極端なところがある。黒の次は白といったように、夜の次は朝か。わかった、君の考えていることが、なんとなくだけど筋は見えてきた気がする。君は単に遊びに飽きてしまったのかと思っていたけど、今までやってきた生活の中で起きたさまざまな出来事に打ちのめされて、逃げた安全な鳥籠のなかで、新たな...喜びを見つけたというところだな?」

「僕はそれほど極端な人間ではないさ。むしろ極端なのはお断りだ。白や黒よりも、ファジーな部分こそ愛せる人間だ。だが、喜びに関してはその通りだ。新しい喜びを見つけた。なにか、変だろうか?」

「いいや。君の人生だ、口出しはするまい。そうと来たら、やはりしばらくは遊びの誘いは控えるよ。その調子だと連れ出そうとしても無駄骨になるだろうしな。それに、籠っていることで、かえって健康的な生活に戻れたのなら何よりだ。皮肉なものだがな。俺は君が健康に生きているならそれでいいさ。君が外に出ていきたくなったら、その時に連れ出そう」

「そうしてくれると、助かるよ。僕自身もね、この生活がいつまで続くかと言われると、正直自分でもわからないんだ。なにせ、こうも、飽き性だから。なにか、自分が興味を持てるものを探し続けなければ、死んでしまう気がする」ローワンは、ようやく説明し終えたと安堵した表情を浮かべた。

「大袈裟なやつだ。その衝動性の高さのことを言っているのだ。もっとも君がとんでもない気分屋であることは自分でも認めるだろうね?君は何か面白いものを見つけると、それにハマって少々依存的になる癖がある。刺激を追い求めるからだ。そして、飽きてしまうとさっさと捨てる。元来からのそうしたきらいがある。だが、自分の興味の赴くままに生きるというのも、一つの生き方でもあるだろう。そして、それが出来るのはそうした性質を持つ人間の特権でもあるしな。家庭を持ってなくて良かったな。君みたいなのは、家庭があっても好きに振る舞うだろうけれど」

「だからしないのさ。好き勝手したい者の責任を果たしているのだよ。そうだ、ネイサン、君は結婚してもう何年目だ?あの双子達は元気?」

「俺のとこはもう13年目になる。早いものだ。あの子達は元気だよ。今日、ここへ来ることも知ってる。ローワンに会うと言うと、あの子達はいつも着いて来たがるんだよ」

「ははは、可愛いじゃないか。僕も会いたい。もうずいぶん会ってないからね。そっか、その調子だと元気そうでなによりだ。なあ、そろそろ、一杯飲まないか。シャンパンはどう?」

そう言って執事にシャンパンを持って来させた。グラスが二つ、それぞれに手渡されると、ローワンはテーブルの上に盛られているフルーツの中から、苺を摘みあげてグラスに落とすと、泡が一気に立ち込めて苺にまとわりついた。そして、グラスを小さく傾けて飲んでいると、柔らかい何かが足元にぶつかるのを感じた。下を見ると、またしてもいつの間にか部屋に入ってきていたジルベットの姿があった。執事が入ってきた時に、またしてもちゃっかりついて来たのだろう。ジルベットはこちらに丸い目を向けて「にゃ~」と気の抜けるような甘い声を投げかける。その声に無意識にも動かされたローワンがあごの下を撫でてやると、猫は満足げに目を細めた。

「双子の話だがね、実はそんな可愛いものじゃないんだ。なんだか最近は悪だくみを覚えてきてね。よくいたずらをする。特に妹の方がね、少し心配なんだ」


「妹?ってことは、フローラの方か?」ローワンは飲んでいたシャンパンを置き、ネイサンの顔を伺うように視線を向けた。

ローワンが驚くのも無理からぬことであった。ネイサンの子供である双子のうちの妹フローラは、容姿端麗で頭も良く、礼儀正しく、いつもにこにこと愛嬌のある可愛らしい子だ。落ち着きのある聞き心地のよい透き通った声の持ち主で、ピアノも上手。というより、なにをさせても飲み込みが早く、そつなくこなすのだ。それはもう絵に描いたような優等生として有名な完璧な子であった。なによりもその美貌には誰もが注目した。母親譲りのまばゆい金髪とネイサンの淡いブルーの瞳を見事に受け継いだ端正な顔立ちからは、品行方正さと純真さまでもが自然と伝わってくるようであった。けれど、そんな美貌がありながらも当の本人はどこ吹く風で、そんなことは全くどうでもいいといったように気取ったところがなくあっけらかんとしているのである。そんな様子が相まった結果、フローラにはどこかこの世の尊いものの象徴とでもいうかのような気持ちを感じさせられるのだ。それでいて、やはり純真無垢な天使のごとく可愛らしくて分け隔てなく無邪気であるから、周りにいる人間はたちまち虜となってしまうのだった。


「ああ。あの子はね、見た目こそ天使のようだけれど、だからそれにみんなつい騙されてしまうのだ。基本的には、とてもいい子なんだが...」

ネイサンは物憂げなため息をついて一瞬ためらった。その間、ローワンが静かに黙っていると、数日前に起きた出来事について話し始めた。

「あの日は、うちの屋敷でちょっとしたパーティがあったんだ。といっても、気兼ねしない連中を数人呼んで、中庭で立食パーティーのようなことをしていただけの小さなものだが...そうだ、気まぐれな連中だから、呑気なことに、すっかり集合の時間を過ぎた頃になって、ようやくぞろぞろと集まり出してな。それで、それぞれが自由に会話や食事を楽しんでいた。天気も良くて、子供達も外で遊んでいたよ。とても穏やかな時間が流れていた。だけど、屋敷の中から突然、悲鳴が聞こえて何があったのかと慌てて駆けつけると、悲鳴の正体はメイドで、部屋の前で呆然と立ってるものだから、どうしたものかと思って開いていたドアから覗いてみると寝室のベッドの上になにかの動物の内臓やおぞましい量の血がばら撒かれていた。次の瞬間とんでもない悪臭に鼻を突かれて、思わず顔を逸らすと、床までもが血まみれになって、汚されているのが見えた。明らかに誰かの悪質なイタズラだ。こんなことをするのは...」

「まさか、それがフローラだっていうのか?」

「...」ネイサンは静かにうなずく。

「そんな。にわかに信じられないが...確かなのか?」

「確証はないが、おそらくフローラで間違いないだろう。だが、当のフローラは「きっとルカがやったんだわ」なんて言うもんだから、周りの大人たちもすっかり兄のルカがやったことだと思い込んでいる。ルカは...ほら、あんな感じだから」

「ルカか....どうだろうな。フローラは...いかにも虫が嫌いそうだし。と、思ったがどうだろう、人のことというのはわからぬものだ。言われてみればなんの気なしに虫でも鳥でも殺せそうでもあるぞ。というのも、ネイサン、覚えてるか?前に、僕の屋敷に双子を連れて来たことがあっただろう。僕はジビエが好きだから、たまに狩猟をやるんだ。一時期ハマってね。あの日の午前中も僕は狩りをしに行っていた。それで、ようやく仕留めたシカを君たちと談笑してる間に、コックに捌かせていたんだが、その現場を通りかかったフローラがしばらく一点を見つめて動かなかった。視線の先はコックの手もとだった。その時は特に気にも留めなかったけれど、今、話を聞いて、その時の顔付きを思い出してね。どうも驚いた風でも動揺した様子でもなかった。なんてこともないように見ていたから。普通なら、嫌な顔くらいするだろ。あのくらいの歳の子なら、とくにフローラのような子なら尚更ね。なのに、落ち着き払った様子だったのが印象的でね」

黙って聞いていたネイサンだったが、再びため息をついた。

「そういう瞬間があの子にはあるんだよ。俺も似た様なことに覚えがある。肝が座ってると言うか、動じないというか、たまに無感情に見える時がね。それに、あの日、ルカがどこか怯えてるようにも見えた。フローラがいる時、ルカは口数が少なくなる。まあ、もともとお喋りな子ではないが...気付くと、どこかへ姿を消してしまうんだ。まるで一緒に居たくないみたいに。それで、あの時あの場に唯一いなかったから、というのもルカが犯人だろうという憶測を助長している。本人は否定も肯定もせずといった様子だが。きっと何か事情があるのかもしれない」 

「なるほどな。ルカのことも気になるが、でも、なぜフローラがそんなことをする?」

まったく訳がわからぬといった様子で、ローワンは立ち上がると、いぶかしげな面持ちをして窓の方に向かってゆっくりと歩き、その場を行ったり来たりしていたが、なにも思い浮かばなかったのか、やがてソファまで戻ってきた。時間が経つにつれ、陽はやや南西の方に差し掛かり、空の色は淡い水色から濃いオレンジ色のグラデーションとなっていた。昼間に差し込んでいた光はすっかり弱まり、うす暗くなってきた部屋を丸い月の形をしたランプが静かに照らしている。

「それは俺が知りたいところさ。単なる子供のイタズラだと思いたいが、心配だ。何か不満があるなら言って欲しいものだが、どうもそういう素振りでもない。少なくとも俺の前では。学校のことか、友達、もしくは俺たち家族のことなのか、それとも、なんだろうな」すっかりお手上げの様子なネイサンが自信なさげに言った。

「そう心配しない方がいい。理由はわからないが、子供といえど、色々悩みはあるだろう。でも、きっと大丈夫だ。根はいい子達だもの。それを僕も知ってるし、ネイサンこそよく知ってるはずだ。どんな悩みも大抵は時間が解決するものだ。第一親に出来ることなんてそんなに多くない。せいぜい、あの子達が頼ってきた時にすぐに手を貸してやるくらいだ。それにね、人間というのはみんな少しづつ変なものなのだ」

「なあ、ローワン、今度うちへ来ないか?いや、君が良ければこの屋敷にでもいいんだが...」

「ああ。そうだな、ちょうどもうすぐ薔薇が満開の時期だから、その頃にまたうちに集まろう」


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