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おかゆ

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Unknown 名前のついていないもの

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他人からの言葉で傷付いた経験は誰にでもある。相手にとってそれが自分を傷つけることを意図したものでもそうでなくても自分は傷付いたという経験。

私は傷にも名前をつけたほうがいいのかもしれないと思っている。他人の言葉によって付けられた傷の名前。なぜならば、その傷は、治すなり、ケアするなりして、どうにか癒そうとすれば、まずは怪我を負わされたというのを自分自身が認識するところが第一歩であるからだ。そして、そんな傷を負わせたということを相手にもわからせないといけない。でないと繰り返すからだ。
物理的に殴られて、血でも流せば、相手は少なくともハッとするだろう。流れた血を見て、やりすぎた!とかしまった!と思うだろう。血とは、そのくらい、なまなましいものだからだ。その血を見せつけながら、傷害罪で訴えてやると悲痛に叫びでもすれば、形成逆転するかもしれないが、言葉という見えないもので受けた、目では見えない傷への対処法についてはどうするのだろうか。まだ我々は、名前も持ち合わせず、そこに対する罰の名前も設けていない。名誉毀損だとかそういう話ではない。傷自体の名前のことだ。打身だとか、かすり傷だとか、だぼくだとか、骨折だとか、まあ状態を表す言葉ならあるけれど、傷のほうの名前もなければ、そういった見えない暴力の認識は遅れてしまう。遅れれば遅れるほど手遅れとなることもあるだろう。その先にあるのは自殺であったりもする。ある人がいじめのことを“魂の殺人”と呼んでいたが、世間一般に定着して当たり前のようにそう呼ばれているわけではないのでここでは除外する。我々は今見えないものに対する対処法を問われている。今回のウイルス禍においてもそうだが、いじめにあって自殺するこどもや、うつになる人、そのほかのさまざまな精神病なんかも当てはまる。むろん、うつには無数の原因が複雑に絡まっているので、個々に命名など今のところ不可能のようにも思う。見えないものは、明確ではないから相手にも、自分ですらわかりにくく、確認が遅れてしまうことがある。見えている傷であれば、どのくらい深いものか、出血はどのくらいか。そういったことが判断材料となるのに対して、見えない傷というのは、見えないからこそやっかいである。この問題に対して、なかなか人類は進展を見せない。見えないものにはこんなにも弱く、太刀打ちができないのかと思わせられている。それは、なぜだろう。今までの時代は、物質主義だった。日本は法治国家で資本主義社会である。そういった社会で生きていると、無意識のうちに、見えるものを優先的にし、見えないものの価値を下げてしまうのかもしれない。それでなくとも見えないものの判断というのは、非常に難しい。今、持っている手段は、言葉だけである。だけど、どの言葉が、どのように私をえぐり、どのように傷を付けたかというのを説明するのはなお難しい。それが400文字程度で説明が可能なものであるならばいいが、80,000文字(小説のような長さ)必要なものであれば、そんな説明は毎度毎度できるものではない。物事が複雑になればなるほど、簡易化できないのである。それでは、複雑なものは理解しなくて良いのだろうか。説明しなくて良いのだろうか。考えなくていいのだろうか。そうではない。だがしかし、80,000文字の物事を、もしくはそれ以上の言葉数が必要な物事を、説明するのは実に骨が折れる作業である。「今から説明するけれど、説明が終わるまで3日ほどかかるけどいいかな?」と言って、首を縦に振る人間などいないのである。その場合、物事の説明ができなくても、相手に複雑なことなのだと言う事だけは伝わるように、何かしら名前があったら良いものだとよく思うのだ。だから、そういったものを癒すために、この世の中には本があり、音楽があり、絵画があり、映画があり、アートがある。文化の中に、人間の普遍の傷や苦しみを描いて、同じような傷を持つ人を何百年と寄り添い、癒してきた。だから、文化というのは何百年の単位で残るのだ。これがなければ、生きていけないのである。そういう人が、いつの時代もいたということを教えてくれている。1つの対策として、嫌な奴がいればとことん無視をしてスルーをするというのがある。関わらないのが1番だからである。相手をしてはならない人間というのが誰にとっても必ずいるものである。嫌な奴側に言えることといえば、他人に迷惑をかけてはならないと言うことを毎日1000回ほど復唱しろということくらいである。サイコパスや毒親、いじめっ子、犯罪者、ナルシスト、他人を支配したがる人たち...そういう人間の正体と言うのは近年わかりかけている。こうして名前がついていることからして、判別できるものであるということでもある。そういう人たちの正体というのは、はっきり言って、自分の欠陥を認めることができないが故に、自分の悪いところを他の何かに投影し、攻撃する。腰抜けの、腑抜けの、ずるい、闇を抱えた、他人を傷つける、共感力のない人間たちである。そんな人間は、確かに関わる価値は無い。良い関係を築くことなど不可能だからだ。そういう人たちのやるべき事は、他人に関わることではなく自分の治療だ。自分の持つ欠陥や、闇や、邪悪性に向き合うことである。人に言葉を発する前に、その言葉は思慮のある言葉かどうか、いきおいのまま気分のまま、考えのないままにただなんとなく話していないかということをまず考えないといけない。言論の自由は誰しもが持つ権利といえど、それは誰かを傷つけなければ、という前置きがなければならない。何言ってもいい、わけがないのである。


ずるい人というのは、あなたの言葉に傷付いたと伝えると、誤魔化そうとする。それは他人を傷つけても、責任を取るつもりはないという意思表示だ。腰抜けの、こそこそとした、弱くてずるくてみっともない卑怯者である。そんなつもりでいったんじゃない、などと言って、みっともなく自分の責任から逃げようとする。お前がそんなつもりがあるかどうかなんて、言われた側からすればどうでもいいことである。相手が傷ついたと言ったら、それが事実だ。逃がしはしない。泣いて土下座してもらうか?そんなことはどうでもいい。慰謝料をがっぽりと搾り取ったあとに、そいつが社会的に消えてくれればそれでいいのだ。もちろん、そのくらいしないと気が済まないという意味である。

つけられた傷に、一つ一つ名前をつけることが、本当に良いことか、傷を治すのに実際に有効に働くかどうかは私にはわからない。ただ、認識することができるし、どんな傷なのか、名前があればそれを言うことができる。病名と同じである。だけど、傷を負った方が病気であるなんていうのはおかしな話である。どちらかというと病気なのは傷を負わせた方であるからだ。もうひとつは、相手の言動を注意深く読み取ることである。その言葉の裏にあるのはなんなのか。相手の魂胆がわかれば、それ以上で撃ち返すことも可能だ。たいていの場合、他人の人生の邪魔をする人間と言うのは、自分の人生がうまくいっていないことが多い。当然といえば当然だ。さらにその自分の人生のつまらなさや退屈を、他人に八つ当たりすることでごまかそうとしているから救いようがない。医者もさじを投げ出すとはこういう人間のことである。こういう人間のことこそ、人間の底辺といえる。仕事で成功しているかいないか、お金を持っているか持っていないか、結婚しているかいないか、友達がいるかいないか、そんなものではなく、自分の人生に向き合えず、そのことについて誤魔化すしかない人ほど哀れなものはないが、それは他人の人生を邪魔していい理由にはならないからだ。そういう人間に対する、罪の名前もあっていいのかもしれない。
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