恋のサマーセッション

樫野 珠代

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ドアの前で深く呼吸をした。
このドアの向こうに真志がいるかもしれない。
そう思うと一歩を踏み出せずにいた。
どういう顔で彼と向かい合おう。
さっきからそればかり考えているけど、結局、決められずにここまで来た。
よし!
気合を入れドアを開けると
「・・・・いない。」
全身の力が一気に抜ける。
そして下に向けた視線の先に白いものが見えた。
なんだろう。
それを拾いよく見ると、封筒だ。
廊下に出て辺りを見回すが、誰もいない。
ドアの下の隙間に挟まっていたようだった。
とりあえず部屋に入り、いつものようにしっかりと鍵を閉める。
そしてベッドにストンと腰をおろし、封筒をゆっくりと開けた。
中にはカードが1枚。


 愛しの青葉へ
 ずっと君を想って見守ってきた。
 君を想う気持ちなら誰にも負けない。
 そんな僕を差し置いて他の奴と浮気なんて許さないよ。
 これ以上、君が他の男に汚されるのを見るくらいなら、
 いっそ君を誰の目にも触れないようにしてあげよう。
 そうすれば君は完全に僕のものだ。
 


読み終わった瞬間、ぞっと鳥肌が立った。
これって、もしかしなくてもヤバい?
だって誰の目にも触れないようにって・・・。
背中に嫌な汗が流れる。
でも見方を変えれば、ようやくご本人の登場ってことで、捕まえる絶好のチャンスでもある。
これを逃す手はないわ。
近いうちにストーカーは姿を現すはず。
確実に私一人の時に狙って。
しかも周りに人が来ないような状況で。
となると、やっぱり見回りの時しかないわよね。
でも見回りは真志が一緒についてくるし。
彼にも事情を話して・・・・・・って絶対、反対されると思うけど。



「何してんだ?」
「わっ!」
いきなり声が聞こえて、びっくり。
思わず、手に持っていたカードをくしゃっとつぶしてしまった。
「びっくりした。いきなり現れないでよ。」
「いきなりも何も、鍵を開ける音もすればドアを開け閉めする音もしたはずだが?」
いいえ!
全く聞こえなかったし!
私って考え事をしてると周りが見えないし、聞こえないんだよね。
「それよりさっきから難しい顔をしてどうした?何かあったのか?」
「え?あ、ううん。何もないけど。」
「ふーん。」
彼は怪訝な顔をしつつも、部活帰りとあってそのままシャワーを浴びに行った。
ほーっ、セーフ。
嘘がつけない私だけど、たまには嘘もばれないみたいね。
・・・って言うか、普通に話せてるし。
さっきまですごく悩んでた自分がバカみたいじゃない?
真志もいつもと変わらないし、私もカードのことですっかり昨日のことを忘れ去っていた。
何にしても、このカードを隠しておかないとね。
これを真志に見られたら絶対に外出禁止令が出そうだもの。
彼のシャワータイムはホントにあっという間。
早く隠さなきゃ、見つかってしまう。
そう思って慌てて、青葉の机の中に隠した。
引出しを閉めた瞬間、タイミングを計ったかのように真志が出てきた。
何気ない素振りで机から離れる。
「ああ、そうだ。今日のバイト、少し帰りが遅くなりそうなんだ。なるべく急いで戻るから、見回りは待っててくれないか。」
それを聞いた瞬間、心の中でガッツポーズをしていた。
なんてタイミングがいいのだろう。
それでも表情には出さないように、
「それなら今日は杉田君についてきてもらうことにするからいいよ。さっき、今日の夜は暇だって言ってたし。」
なんて嘘までついてみた。
今日は主演女優賞並みの演技だわ。
そんな私を信じ切って真志は
「そうか。杉田がついていくなら安心だな。」
それだけ言うと、話題を切り替え、私は無事にその場を乗り切れたことに陰で笑みを浮かべた。



時計の針は夜11時をまわった。
右手に竹刀、左手は懐中電灯。
いざとなれば暗闇でも振り下ろす覚悟だ。
いつもの習慣で素振りをしないと気が済まなくて、以前、それを真志に言ったら借してくれた竹刀。
それがこんな事に役立とうとは。
暗い廊下を警戒しながらゆっくりと進む。
時折聞こえる音や声は、それぞれが各部屋から漏れてくるものばかり。
それでも神経を尖らせ、些細なものを見逃してなるものかと集中して辺りを窺う。
結局、そのまま見回り最後の場所を周り終えてしまい、意気込んでいた私は出鼻を挫かれた形になってしまった。
きっと今日は様子を見たのだろう。
気落ちしたまま部屋へ戻ることにした。
青葉の部屋が見えてきたところでふと背後に何かを感じた。
まさか。
振り返ろうと思った瞬間、体中に電流が走り抜け、相手の顔を見ることのないまま意識を手放した。



カシャッ、カシャッ。
何?何の音?
鈍い体の痛みとともに聞こえてきた音に自分が今まで気を失っていた事に気づく。
ゆっくりと目を開けるとそこは薄暗い部屋の中。
そして先程の音はカメラのシャッターを切る音だとわかった。
目の前でフラッシュのライトが何度も光り、その度に眩しくて目を細めた。
その光のせいでなかなか目が暗闇に慣れない。
しかも手足は縛られ、口には何かを巻かれていて声を出せない。
必死に縛られている手を動かし、自由にならないかを試す。
するとカメラを持つストーカーがそれに気づき、口を開いた。
「目が覚めたみたいだね。」
初めて聞く声に自然と眉間に皺が寄る。
すると急に部屋が少しだけ明るくなった。
テーブルに置かれていたスタンドがつけられたようだ。
自然と視線はそこにいた人物を見上げる。
見たこともない男だった。
黒髪の短髪でメガネをかけていた。
一見、まじめな人にも見える。
こいつがストーカーかぁ。
人は見かけによらないな。
「ようやく僕の元へ来てくれたね。」
無理やり連れてきたんでしょ!
自由のきかない口を動かし、心ばかりの抵抗を試みた。
しかし、モゴモゴして言葉にならない。
「あぁ、ごめんよ。もう少しだけそのままで我慢してほしい。君を完全に僕の物にしたらはずしてあげる。」
ちょ、チョーっと待って!
それって、どういうこと?!
完全に僕の物って・・・ま、まさか。
頭に浮かんだ貞操の危機に身震いし、首をこれでもかとばかりに振った。
「嬉しいな。そんなに喜んで貰えるなんて。やっぱり青葉は僕を選んでくれるんだね。」
都合よく受け止めるなー!
これのどこが喜んでるように見えるっつーの!
やばい!マジでこいつ、イカれてるわ。
そんな男に私の貞操が奪われるの?!
いーやーだー!
なるべくストーカーから離れようと体全体を動かし、倒れながらも這う。
「すごい積極的だね。自ら横になって身を差し出してくれるなんて。」
だぁー!誰かこいつの口を塞いでちょーだい!
キモい!寒い!吐きそう!
でも口を塞がれているから吐けない。
嫌な笑みを浮かべたストーカーはゆっくりと近づいてくる。
「さて、あまり話をしてもムードが出ないし。そろそろ始めようか。」
は、は、始めるって?
何を言っちゃってるのっ?
冷汗が出てくる中、ストーカーの手に光るものが握られていることに気づいた。
な、何に使うのかしら?そのナイフは。
まさか変なことに使わないわよね?ね?
「さぁ、安心して僕に全てをさらけ出して。」
ナイフを持った男に対して、どう安心しろと?!
矛盾もいいところだわ。
って、そんな場合じゃない!
ストーカーから逃れようと体をくねらせると、
「おっと、動かないで。大事な体が傷つくかもしれないから。」
そう思うんだったらナイフなんて近づけるな!
ギロッと睨み、相手を威嚇してみた。
「おや、珍しい表情を見せてくれるんだね。いいねぇ、余計に燃えるよ。そうか、それが狙いなんだね。」
男は嬉しそうにしている。
はっ、しまった!
相手を余計に盛り上げさせてしまった!
ど、どうしよう。
考えている間に、男は一気に近付き、ゆっくりとシャツのボタンを下から一つずつナイフで切り付け飛ばしていく。
や、やだ・・・本当にどうしていいかわからない。
こんなことなら・・・真志に素直に話すべきだった。
そうすればこんな状況にならなかったのに。
後悔しても遅いけど、でもそう思わなきゃ恐怖で押し潰されそう。
そして最後のボタンが切り取られ、無防備な私がそこにいた。
男の手が服を掴もうと伸びてきた。
「もうすぐだ。もうすぐで君は・・・」

もう駄目だっ!

そう思って目を瞑った時。
ガタンと音が聞こえてきて、次には男のうめき声が耳に届いた。
はっと目を開けると目の前に真志が息を切らして立っていた。
そして真志の視線の先は足元に倒れている男に向かっていた。
私が身動きすると、真志の視線が男から私に向けられた。
そして一瞬顔が歪み、次の瞬間、
「っのやろ・・・。」
倒れていた男に殴りかかった。
何度も、何度も。
「大丈夫ですか?」
それを脇目で見ながら、杉田君が私に駆け寄り、手足を縛っていた縄をほどいてくれた。
解かれた手は縄の部分が真っ赤になっていて少し感覚がマヒしていた。
塞がれていた口もようやく解放され、
「なんとか。」
言葉も普通に出るようになった。
そして肌蹴たシャツを胸の前に手繰り寄せ、
「杉田君、もう真志を止めて。このままじゃ、殺人者になっちゃう。」
それだけ告げる。
杉田君もそれには頷き、殴り続ける真志の後ろから羽交い絞めにしてそれを止めた。
「もう充分でしょう、東條さん。」
ようやく正気に戻った真志の両手は、血で赤く染まっていた。
そして加害者から被害者となった男は、顔を腫れあがらせ既に気絶している。
「真志。」
声をかけると、真志はすぐに私の前に跪き、自分の上着を私にかけてくれた。
その表情は痛々しく、見てるこっちの胸が痛くなる。
「部屋に帰ろう。」
真志はそれだけ言うと、私を抱えあげた。
「い、いいよ。歩けるから。」
そういう私を無視して、真志は杉田君を振り返った。
「後を頼む。」
「わかりました。」
真志の言葉に杉田君が頷くのを見届けると、真志は何も言わずに私を抱えたまま部屋へと向かった。




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