34 / 79
第3章
カッコウの卵-9
しおりを挟む
アクアは、すっかり途方にくれた。
バケツに蹴つまづいて無様に転んだせいで、顔も、おそらく髪も、シャツもジーンズも泥まみれになってしまった。海水が湿ってきて、気持ち悪い。
このリカバリーは、いったいどうしたらいいのだろう。
迅が、さもアクアを心配するような顔をしながら、その実、必死に笑いを噛み殺しているのを、アクアは見逃さなかった。
アクアは泥水を少しだけ掬い出し、迅の顔に掛けてやった。
こうなったら、一蓮托生だ。
迅は慌てて顔を逸らし、手で庇おうとしたが、アクアの不意打ちに当然、間に合わなかった。手で目や鼻を拭っている。
アクアは、やり過ぎたか、と反省した。怒ったかもしれない。
けれども迅は、普段どおりの口調で軽く抗議しただけだった。
「笑ってたでしょう?」
「笑ってないよ」
「笑うの、我慢してた。私には分かったよ」
迅はアクアの全身を見て、今度は遠慮なく笑い出した。
「アクアさんの転び方、素敵だったよ。豪快で。泥の上に、こう、ビシャンて」
迅は両手を前に伸ばして、転ぶ真似をして見せた。
アクアはピンクのバケツを起こすと、中から数匹ほど飛び出したアサリを拾い、バケツに入れて、さっさと歩き出す。
途中、岩場の上を慎重に歩いていると、年配の女性の三人組に出くわした。
一人がアクアの様子に、声を上げる。
「あらあら、可哀想に」
アクアは「大丈夫ですから」と、曖昧に笑顔を返した。
「近くにね、海水浴場があるよ。そこで洗ったら。近くと言っても、車で行かなきゃなんないけど」
迅が女性から、詳しい道順を聞いた。
アクアは、思いついて、一番近くの衣料品店の場所も聞き出した。
女性たちは親切にも自分たちの車から、タオルを持ってきて、応急的に、アクアの腕や足から泥を払い落としてくれた。何かに役に立つかもしれないからと、新聞紙をくれた。
迅とアクアは三人組に丁寧に礼を言って、別れた。
車を汚さない程度に、タオルで足の泥を払い落とした後、アクアは車に乗った。
「とりあえず、着替えを買いたいんだけど」
アクアの要望に従って、まずは衣料品店を目指した。
迅がナビを触り、場所を確認する。
衣料品店は、チェーン店系列で駐車場は広く、店舗も大きかった。
「Tシャツと、下はズボンなら何でもいいよ。迅君のセンスに任す」
泥だらけで、アクアはとても店には入れない。
不本意ではあるが、迅に頼むしかない。
「分かった」と言い、身を起こそうとする迅を、アクアは引き留めた。
「それからね。上下の下着も。悪いけど。染みてきちゃっているの」
迅は不安げに、アクアの顔を見る。
「でも、女の人の下着って、買ったことないし。……どうしても必要?」
「必要。私だって本当は、頼むの、抵抗があるんだから。あのね。お店の人に、姉が入院するからとでも言って、選んでもらうの」
迅の表情が明るくなった。
「そうだね。そうするよ」
迅は車を出て行く。
一人になって、アクアは、家を出て行った時と違う服装の言い訳を考え始めた。
三崎さんの家に着いたら、愛子が畑に水を撒いていて、うっかり全身に掛けられてしまった、という口実はどうだろう?
それとも……?
買い物に行った迅が、あっという間に戻ってきた。
ドアを開けるなり、アクアに訊ねる。
「サイズ、訊いてなかったんだけど」
バケツに蹴つまづいて無様に転んだせいで、顔も、おそらく髪も、シャツもジーンズも泥まみれになってしまった。海水が湿ってきて、気持ち悪い。
このリカバリーは、いったいどうしたらいいのだろう。
迅が、さもアクアを心配するような顔をしながら、その実、必死に笑いを噛み殺しているのを、アクアは見逃さなかった。
アクアは泥水を少しだけ掬い出し、迅の顔に掛けてやった。
こうなったら、一蓮托生だ。
迅は慌てて顔を逸らし、手で庇おうとしたが、アクアの不意打ちに当然、間に合わなかった。手で目や鼻を拭っている。
アクアは、やり過ぎたか、と反省した。怒ったかもしれない。
けれども迅は、普段どおりの口調で軽く抗議しただけだった。
「笑ってたでしょう?」
「笑ってないよ」
「笑うの、我慢してた。私には分かったよ」
迅はアクアの全身を見て、今度は遠慮なく笑い出した。
「アクアさんの転び方、素敵だったよ。豪快で。泥の上に、こう、ビシャンて」
迅は両手を前に伸ばして、転ぶ真似をして見せた。
アクアはピンクのバケツを起こすと、中から数匹ほど飛び出したアサリを拾い、バケツに入れて、さっさと歩き出す。
途中、岩場の上を慎重に歩いていると、年配の女性の三人組に出くわした。
一人がアクアの様子に、声を上げる。
「あらあら、可哀想に」
アクアは「大丈夫ですから」と、曖昧に笑顔を返した。
「近くにね、海水浴場があるよ。そこで洗ったら。近くと言っても、車で行かなきゃなんないけど」
迅が女性から、詳しい道順を聞いた。
アクアは、思いついて、一番近くの衣料品店の場所も聞き出した。
女性たちは親切にも自分たちの車から、タオルを持ってきて、応急的に、アクアの腕や足から泥を払い落としてくれた。何かに役に立つかもしれないからと、新聞紙をくれた。
迅とアクアは三人組に丁寧に礼を言って、別れた。
車を汚さない程度に、タオルで足の泥を払い落とした後、アクアは車に乗った。
「とりあえず、着替えを買いたいんだけど」
アクアの要望に従って、まずは衣料品店を目指した。
迅がナビを触り、場所を確認する。
衣料品店は、チェーン店系列で駐車場は広く、店舗も大きかった。
「Tシャツと、下はズボンなら何でもいいよ。迅君のセンスに任す」
泥だらけで、アクアはとても店には入れない。
不本意ではあるが、迅に頼むしかない。
「分かった」と言い、身を起こそうとする迅を、アクアは引き留めた。
「それからね。上下の下着も。悪いけど。染みてきちゃっているの」
迅は不安げに、アクアの顔を見る。
「でも、女の人の下着って、買ったことないし。……どうしても必要?」
「必要。私だって本当は、頼むの、抵抗があるんだから。あのね。お店の人に、姉が入院するからとでも言って、選んでもらうの」
迅の表情が明るくなった。
「そうだね。そうするよ」
迅は車を出て行く。
一人になって、アクアは、家を出て行った時と違う服装の言い訳を考え始めた。
三崎さんの家に着いたら、愛子が畑に水を撒いていて、うっかり全身に掛けられてしまった、という口実はどうだろう?
それとも……?
買い物に行った迅が、あっという間に戻ってきた。
ドアを開けるなり、アクアに訊ねる。
「サイズ、訊いてなかったんだけど」
0
あなたにおすすめの小説
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
壊れていく音を聞きながら
夢窓(ゆめまど)
恋愛
結婚してまだ一か月。
妻の留守中、夫婦の家に突然やってきた母と姉と姪
何気ない日常のひと幕が、
思いもよらない“ひび”を生んでいく。
母と嫁、そしてその狭間で揺れる息子。
誰も気づきがないまま、
家族のかたちが静かに崩れていく――。
壊れていく音を聞きながら、
それでも誰かを思うことはできるのか。
友達婚~5年もあいつに片想い~
日下奈緒
恋愛
求人サイトの作成の仕事をしている梨衣は
同僚の大樹に5年も片想いしている
5年前にした
「お互い30歳になっても独身だったら結婚するか」
梨衣は今30歳
その約束を大樹は覚えているのか
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる