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第一幕
奇ノ十『兄』
しおりを挟む昼ご飯を食べた後も、俺と紫藤は修行を続けた。とにかく封印の珠を感じ続ける。それが自然になるくらいまで。
手を当てなくても、珠の存在をすぐに感じられるようにしなければならない。雑誌を読んでいる間も、テレビを見ている間も、ずっと。
「……ふむ。なかなか筋が良い。かなり自然になっているようだの」
「そう?」
「油断はならぬぞ」
気を抜きそうになると必ず注意がきた。江戸時代にも、何人か教えた事があるらしい。面倒くさがりの紫藤がどうやって教えていたのか非常に気になるところだが。きっと清次郎が手助けしていたのだろう。
テレビを見ながらも珠を気にしていた俺は、鳴ったインターフォンに意識が削がれた。
「これ、散漫になっておるぞ」
「おっと、まずい」
すぐに珠を感じなおす。そうしながら、清次郎がモニター越しに話している姿を見守った。インターフォンと門が繋がっているのか、話している声が聞こえている。
清次郎が見ているモニターを後ろから覗き見た俺は、思わず吹き出した。
「ちょ、おっさん、何してんだよ!」
「何だ? 誰だ?」
紫藤も振り返り、モニターを見ている。
「大場様です。ご兄弟で来られたようですが……」
「おっさん、しがみつきすぎだろ!」
腹を抱えて笑ってしまう。清次郎と同じくらいの身長がある大場隼人は、双子の兄である幸人に背中から抱き付いていた。その姿がモニターに映し出されている。でかい男がでかい男にしがみ付くなんて。
笑っていた俺の額を紫藤がひっぱたいた。
「笑うでない。あの者はお主の命の恩人であり、霊が見える者ぞ」
「…………あ、そっか」
紫藤の言葉に、我に返る。
「ここ、霊が多いんだっけ」
「そうだ。今のお主は見えてはおらぬだろうが、あの者には少々、辛かろう」
立ち上がった紫藤がモニターに顔を寄せた。
「今から札を飛ばす。その札に触れよ。さすれば入れる故な」
紫藤はそう言うと、指先をくいっと動かしている。どこに貼っているのか、札が飛んできた。窓も開けずにすり抜けていく。
俺もソファーから立ち上がると、モニターを見つめた。大場幸人が飛んできた札に触れている。しがみついている隼人の手を掴んで、札に触れさせた。
「清次郎」
「はい。さ、もう入ってきても大丈夫ですよ。車はそのまま置いて下さって構いませぬ」
幸人が頷き、門を開けると入ってくる。固く目を瞑った隼人の手を握り、急いで玄関まで歩いてきた。その時にはもう、清次郎が玄関先まで迎えに行っている。俺も出迎えるため、玄関に走った。
「さ、お早く」
開いたドアから、大場兄弟を招き入れた。玄関に入るなり、隼人が崩れ落ちている。警察官の制服を着ていた時とは違い、カッターシャツとジーンズを着ている彼は少し若返って見えた。
「お……多すぎです……!」
「皆、話し相手が欲しいだけ故、害はありませぬ。とはいえ、霊気に当てられたご様子。どうぞ中へ」
「申し訳ありません。さ、隼人、掴まりなさい」
双子の弟隼人はラフな格好をしているのに対し、兄の幸人はスーツを着込んでいた。崩れ落ちた弟を支え、清次郎が差し出したスリッパを履いている。
隼人にも履かせると、抱え上げるようにして歩いた。顔面蒼白になった隼人は、俺と目が合うと面目無さそうに少し笑った。
リビングのソファーに座らせた隼人はぐったりしている。隣に座った幸人が支えた。
「霊が集まりやすい場所なのでしょうか」
「皆、紫藤様を慕って集まってきます故。憑いたはしませぬ。家の中にも入っては来ませぬ。どうぞご安心を」
「隼人。聞こえているかい? ここは大丈夫だそうだ」
頬をひたひた打った幸人は、弟を支え続けている。目の前のソファーに座っていた俺の隣に、どっかりと腰を下ろした紫藤は腕を組んで見せた。
「ふむ。なかなかの霊感を持っておるようだの」
「私にはさっぱり、見ることができませんが、弟は幼い頃から見えています」
「稀にそう言う者もおるでな。生まれ持った物だ、消せはせぬ。支えてやるが良い」
「はい。私の、弟ですから」
同じ顔なのに、幸人はずいぶん大人びて見えた。綺麗に整えられた髪もそう見せるのか。
一方の隼人の髪はやっぱり寝癖が付いたままだった。幸人の肩に寄りかかっている。その左腕は吊るされていた。
「……もしかして、折れてたの?」
お茶を入れた清次郎が、二人の前に置きながら俺をチラリと見てくる。そして幸人の方を見た。
「ええ、折れていたようです。でも、気にしなくて良いからね。弟は警察官だ、君を守るのは当然の行為だから」
「でも……おっさんは巻き込まれただけで……」
「達也」
言うな、と清次郎が首を横へ振っている。それを見た幸人は、隼人にはできないだろう、大人の微笑みを浮かべた。
「申し訳ありませんが、昨晩の事は全て聞きました」
微笑み続ける幸人の腕の中で、隼人がビクッとなっている。顔を上げ、俺達を見ると、そろそろと体を起こしてソファーの端に逃げていった。
「……口の軽い男だの。言うてはならぬと申したであろうが!」
紫藤の一喝にますます逃げていく。大きな体をソファーの端に埋もれさせた。
「す、すみません!! 兄貴の尋問に屈してしまい……!」
「尋問だなんて人聞きの悪い。ただ、優しく聞いただけだよ」
「優しく!? あれが優しい訳ないだろう!?」
「だったら酷くした方が良かったかい?」
にこりと、微笑む幸人に、隼人は顔を赤くすると項垂れた。何があったのだろう、丸まる背中が気になった。
「弟の事は、何もかも話すよう躾けています。そうでなければ、守ってやれませんから」
優雅に微笑んだ幸人は、置かれたお茶を飲んでいる。
「……致し方ないの。話してしもうたのは」
紫藤も怒る気が失せたのか、渋めに入れられたお茶を飲んだ。
清次郎も茶菓子を運んでテーブルに置くと、ようやく腰を落ち着けた。
「これ以上の他言はならぬぞ? まあ、言うたところで、信じる者の方が少ないであろうがの」
「弟に話をさせたのは、怪我をした理由を把握したかったからです。聞けばこの怪我、悪霊という物が原因なのでしょう?」
隼人を隣に引き寄せた幸人は、微笑んでいた顔を引き締めた。項垂れていた隼人が顔を起こし、俺を見ると肩を竦めて見せている。俺もニッと笑って返してやった。
やっぱり隼人とは、どこかで会った気がするほど懐かしく感じる。彼の人柄なのだろう。
「そうだ。その者には感謝しておる。悪霊に気付いてくれたおかげで、達也も無事であった」
「今まで、隼人から悪霊の話など、聞いた事がありません」
「見たのは初めてだったからな」
落ち着いた隼人がお茶をすすっている。顔だけはそっくりな二人を交互に見た俺は、隼人ももう少しお洒落すればもてるだろうに、と思った。
俺としては、幸人よりも隼人の方が、話が合いそうだ。格好をつけない素朴な優しさが、少しだけ惹かれる。
「また、出てくるのでしょうか?」
幸人の問いに、紫藤はポンッと清次郎の膝を叩いた。頷いた清次郎が話し始める。
また、面倒くさくなったようだ。
「悪霊はそれほど多く居るものではありません。紫藤様は特別機関に所属し、秘密裏に依頼を受けられ、それを処理します。悪霊になる前に、天へ昇る者がほとんどなのです」
「しかし……かなりの数が居たと聞きました」
「はい。二人が襲われた晩は、少し事情が異なります。そこまでお話することはできませんが、普段なら、滅多に見ることはないでしょう。恐れず、お暮らし願います」
最後の言葉は隼人に向けてのものだった。清次郎に見つめられ、恐縮したように背筋を伸ばしている。見た目は双子の方が年上に見えるのに、威厳は清次郎の方があるように見えた。
やっぱり、江戸時代から生きているからか?
隣に座る紫藤を見れば、腕を組んでいた。
「お主等、五秒、目を瞑っておれ」
「……どうしてですか?」
「良いから瞑れ。ほれ、はよう」
紫藤は白い手を振って見せている。双子は顔を見合わせると、言われた通りに目を瞑った。清次郎が数を数え始める。
掌を下に向けた紫藤は、そこから札を噴き出した。清次郎が数え終わった時、テーブルには十枚の札が重ねられていた。
「これをやろう」
隼人の前に札を差し出した紫藤。
「これは?」
「札だ。部屋の四隅に貼っておけば、囲まれた空間に霊は入って来れなくなる」
「本当ですか!」
「達也を助けてもらった礼だ」
紫藤はまた、清次郎の膝を叩いた。心得ている清次郎が説明を引き継いでいる。
「貼る前に霊を確認した時は、今からここに札を貼ることをそれとなく伝えてあげて下さい。自分から出ていくように」
「分かりました!」
「車の中くらいでしたら空間を作らずとも、札から流れる気を感じて近付かなくなると思います。二枚ほど、天井に貼っておけば大丈夫です」
隼人は熱心に聞いている。清次郎も詳しく説明してやっている。
その他、日常的に憑かれるようであれば、背中や胸に一枚、貼っておけば良いらしい。そうすることで、寄ってこなくなるらしい。
幸人はにこにこと微笑みながら隼人を見守り、時折背中を撫でていた。
見えている弟と、見えない兄。
見えないのに、弟を信じている幸人の存在が、俺には少し羨ましかった。俺の家族の誰か一人でも、信じてくれる人が居れば良かったのに。
仲が良い双子を見つめ、寂しさを感じそうになった自分の太股を抓った。感傷に浸るなんて、らしくない。
「そうそうな事がない限り破れたりはしないと思います。もし、足りないようであれば、またいつでもどうぞ」
「本当に助かります!」
隼人は紫藤に対し、深く頭を下げている。その肩を幸人が抱いた。愛しそうな瞳に、そっと視線を外した。
「仲が良いのですね」
清次郎が茶菓子を勧めながら笑っている。幸人は跳ねている隼人の髪を一撫でした。
「弟ですから。愛しています」
堂々と言い切る幸人を思わず見てしまった。彼は隼人を見つめている。
舌打ちしたくなるのを必死に堪えた。
「兄貴が居なかったら、たぶん引きこもっていたと思います。外に出るのが、本当に怖かった」
札を手にした隼人は、もう一度紫藤に頭を下げている。
「本当にありがとうございます! 困った事があればいつでもどうぞ! 交番に居ますので!」
「そうだの、泥棒にでも入られたら連絡する」
「……つか、入れねぇじゃん、泥棒」
ここは紫藤の許しが無ければ入れないと言っていたから。そうツッコミを入れれば、ふんっと鼻を鳴らしている。
「場の雰囲気を読めぬわっぱよの」
「あんたにだけは、言われたくねぇな」
「小生意気な!」
「うっせー!」
隣同士に座っているせいか、顔を付き合わせて睨み合った。すぐに清次郎が間に入ってくる。
「紫藤様、子供相手に大人げないですぞ」
「こ奴が生意気なのだ!」
「あんたも相当だし!」
「はいはい」
さり気なく、清次郎が移動し、真ん中に座っている。俺達を引き離した彼は、紫藤の腰を抱き、俺の頭を撫でて宥めた。
「あはは! 良い兄ちゃんが二人も居るじゃないか! もう、家出すんなよ?」
「……家出じゃねぇし」
「そうか? じゃ、そう言うことにしておくよ」
笑った隼人に舌を出して見せたけれど、ますます笑われただけだった。大人の彼は、スッと立ち上がっている。幸人も優雅に立ち上がった。
「それでは失礼致します」
「弟を助けて下さってありがとうござました。今日はそのお礼に……」
「あ! 手土産忘れた!」
「車の中に置いたままだったね」
二人は交互に話し、車の中に手土産を置いてきていると話している。幸人が取りに行くと言ったのを清次郎が立ち上がりながら止めた。
「手間になりましょう。俺も一緒に行きます」
「……私も行くかの」
何故か紫藤も立ち上がっている。何となくつられて俺も立った。皆で玄関まで行き、俺も外に出ようとしたけれど紫藤に止められた。
「お主は待っておれ。出てはならぬ」
視線が、俺の胸と腹の間に注がれた。珠の力をコントロールできていないからか。
「……達也に何かあるのですか?」
隼人の目が、紫藤の視線を追っている。遮るように清次郎が彼の背を押した。
「何でもありませぬ。達也は少々、体を壊しておりまして。さ、ここでご挨拶を」
珠の事は知られてはいけないらしい。つなぎのポケットに手を突っ込みながらニッと笑った。
「じゃあな、ビビリのおっさん!」
「あのな、おっさん言うなって。お兄さんって呼べよ」
「隼人がおじさんなら、私もおじさんなのかな?」
微笑む幸人。その目が、全然、笑っていないように見えた。
ゾクリと、背筋が凍った気がする。一歩、後ずさってしまった。
「……お、お兄さんって……呼びます」
「ありがとう。それを聞いて安心したよ」
今度はちゃんと、目も笑っている。
この人は怒らせてはいけない、俺の本能がそう悟った。笑顔に騙されたら噛み付かれるだろう。
そっと紫藤の背中に隠れた俺は、気付かれないよう、ホッと息を吐き出した。
「じゃ、またな。また家出したらとっつかまえて、すぐにここへ戻してやるからな!」
ぬっと出てきた大きな手が、俺の頭をわしゃわしゃ撫でた。俺以外の四人は、皆身長が高い。人の頭を簡単に撫でてくる。
俺だってもう少し伸びるはずだ。せめて百七十センチには届きたい。大きな手をていっと引き離し、腹部に軽く一発入れてやった。
「余計なお世話だよ!」
「生意気だな!」
「どうせ俺は生意気だよ!」
首に回った太い腕に軽く締められながら笑った。隼人も笑っている。頬に当たった大きな拳が、なんとなくくすぐったい。
くすぐったくて、懐かしい。
前にも、誰かに。
触れてもらったような……。
「……まただ」
隼人が呟いている。俺も知らず、押し当てられている拳に触れていた。
「……お前とは……初めて会った気がしない……」
握られていた拳が開いた。俺の唇に、彼の親指が触れている。
「どこかで……?」
囁く彼の言葉に、頭がぼうっとしてくる。寄せられた顔を食い入るように見つめた。
たまらなく惹かれた。
どうしてだろう。
薄く開いている唇が。
愛おしい……。
「私の見ている目の前で、キスでもするのかな?」
寄せていた顔のすぐ横から、幸人の声がした。ハッと我に返った隼人が飛び退いている。俺の心臓も跳ね飛んだ。幸人の顔は笑っているのに、殺気を感じてしまう。
「あれ……? 俺何して……?」
「知らなかったよ、隼人。お前が若い男の子が好きだったなんて」
「……何だよ、それ。挨拶だよ、挨拶」
「へ~。挨拶で、見つめ合うんだね、隼人は」
「勘弁してくれよ」
肩を竦めた隼人は、ニヤッと笑うと俺の頭を掻き回した。先ほどまで感じた懐かしさは引いている。
「いってぇ~!」
「あはは!」
きっと隼人の雰囲気に、温かいものを感じただけだろう。確かめるように彼の目をみたけれど、変な感覚はもう、しなかった。
「ほら、じゃれていないで。帰るよ」
「分かってる。じゃあな!」
「おう!」
最後はパンッと手を打ち合った。大きな手に振り返した俺は、四人が出ていくのを見守った。
閉まったドア。何か話しながら門へと向かっている。紫藤が一緒に行ったのは、ここに居る霊を遠ざけてやるためだろう。
分かっていても、一人外に出られないのは、何となく寂しさを感じてしまう。俺はいつになったら、ここから自由に出られるようになるのだろう?
リビングに戻ることもできずに突っ立ってしまう。戻っていても良いはずなのに、ここから動けなかった。
ぼんやり立っていた俺は、開いたドアに顔を上げる。紫藤と清次郎が、紙袋を一つ下げて戻ってきた。
「……達也?」
何でここに立っているのか、そう清次郎に聞かれた気がした。何か聞かれる前に背を向け、リビングへ戻っていく。ついてくる二人分の足音を聞きながら。
俺の定位置になったソファーにどっかり尻を乗せ、テレビのスイッチを入れた。紫藤も真ん中の定位置に座っている。紙袋をキッチンに運んだ清次郎は、そうだ、と足早にソファーに近付いた。
「なあ、達也」
「……何?」
テレビを見る振りをする俺の肩に、清次郎の大きな手が乗った。
「我らのこと、兄と呼んではくれまいか?」
ビクッと、微かに揺れた肩に気付かれただろうか。振り返れない俺に顔を寄せてくる。
「大場様を見ていて思うたのだ。お前さえ良ければ兄と呼んでくれ」
震えてしまいそうな手を握り込んだ。ひたすらテレビを見続ける。
兄ちゃんって、呼んで良い?
風呂場で言おうとして、やっぱり恥ずかしくて飲み込んだ言葉。紫藤も清次郎も、俺の霊力を抑え込むために置いてくれているだけだから。
ずうずうしい気がしたし、あまりに恥ずかしくて言えなくて。
「どうだ?」
後ろから顔を覗き込まれ、たまらずテレビから視線を外したら紫藤と目が合った。ふんぞり返って足を組んでいる。
「……清次郎さんが兄ちゃんなのは分かるけど、あんたは姉ちゃんって感じじゃねぇ?」
「ふんっ。私の美しさは性別を超えておるからの。好きに呼ぶが良い」
偉そうな紫藤に、ムッとなる。清次郎の手を握り締めてやった。紫藤の片眉がピクリと跳ね上がる。
「じゃ、清兄って呼ぶ!」
「そうか! 紫藤様は?」
「蘭姉とか?」
「……紫藤様は男故、そこはお前が譲ってくれ」
今にも飛び掛かってきそうな紫藤を横目に見ながら、握った清次郎の手を振った。
「じゃ、仕方がねぇから蘭兄って呼んでやるよ!」
「……もう我慢ならぬ!! 清次郎の手から離れよ!」
「うっせー!!」
飛び掛かってきた紫藤と、受けて立った俺と。清次郎の手を巡り、ソファーの上で取っ組み合いが始まった。
「お主はベタベタしすぎぞ! 兄としてなら許してやると言うたが、恋敵になれば話は別ぞ!」
「あんたの脳内はそればっかだな! 俺はあんたと違ってノーマルなんだよ! 男に惚れたりしねぇし!」
「清次郎の良さはお主のようなわっぱには分からぬだろうて!」
「あんたの焼き餅うぜぇ!!」
紫藤の長い髪の毛を引っ張った。負けじと俺の短い髪も引っ張られている。頬まで摘まれた俺は、綺麗な鼻先を摘み返した。
ソファーから転がり落ちた俺達は、テーブルにぶつかりながら相手の至るところと引っ張り合う。
馬乗りになった紫藤が、勝ち誇ったように笑ったのが勘に触った。長い髪を思い切り横へ引っ張ってやれば顔が痛そうに歪んでいる。
「これ、二人とも! ほんに子供ではありませぬか!」
引っ張るだけでは足りなくて、とうとう叩き合いを始めた俺達の間に清次郎が割り込んでくる。馬乗りになっていた紫藤を後ろから抱え上げて離した。
自由になった俺は清次郎に飛び込んだ。思い切り抱き付いてやる。
「これわっぱ!! 清次郎に抱き付いて良いのは私だけぞ!」
「へっへ~んだ!! 清兄は俺が貰った!!」
「やらぬ!! 清次郎だけはやらぬぞ!!」
清次郎に抱き付いた俺ごと紫藤が飛び込んでくる。清次郎もろとも倒れた俺達は、三人でもみくちゃになっていた。一番下になった清次郎が呻いている。
俺がしがみつき、紫藤が引っ張り、清次郎の服がだんだん伸びていった。
「止め……お止めなさい!」
「だいたいあんた面倒くさがりだし何もできねぇし! 偉そうに師匠ぶってんじゃねぇよ!」
「私がおらなんだら、お主のようなわっぱはすぐに悪鬼の餌食になっておったのだぞ! 少しは敬え!!」
「威厳の欠片も無いくせにえばんじゃねぇよ!」
「お主こそもう少し礼儀を覚えよ!」
清次郎を下敷きに、俺と紫藤は睨み合った。なんとか清次郎を自分の手に収めようとした俺達は、ガッと頭を掴まれている。
俺だけじゃない、紫藤の頭も、清次郎の大きな手に掴まれていた。
「いい加減になさいませ! 紫藤様は床を、達也は夕飯を、抜きにしてもよろしゅうございますか!?」
青い瞳が、鋭く尖る。
夕飯抜き、それは嫌だ。
飛び起きた俺とほぼ同時に、紫藤も飛び起きている。
「すまなんだ、清次郎!」
「ごめん! 清兄!」
二人で謝れば、ゆっくりと体を起こしている。伸びきったシャツを無言で整えた清次郎は立ち上がった。そのままキッチンの方へ歩いていく。
紫藤と目を見合わせ、やばい、と顔を曇らせた。清次郎が怒っている。
このままでは本当に夕飯抜きになりそうだ。
「…………ぶふっ!!」
もう一度謝るべきか、紫藤と視線を交わし合っていたら、キッチンから妙な声が聞こえた。俺も紫藤も跳ね飛んだ髪のまま首を傾げ合い、恐る恐るキッチンに近付いた。
回り込めば、清次郎がしゃがみ込んでいる。その丸まった背中が震えていた。
「……清兄?」
呼びかけに、また奇妙な声を出している。紫藤が背中をさすってやれば、丸まった背中が大きく揺れた。
「……ぶふっ! あは……あはははは!」
腹を抱えた清次郎が吹き出しながら笑い転げた。俺も紫藤も呆然としてしまう。
床さえ叩いて笑いそうなほど吹き出した清次郎は、その目尻に涙を溜めていた。
この人でも、こんなに吹き出して笑うことがあるんだ、と新しい顔を発見した俺は、同時に何がそんなにおかしいのだろう、と首を傾げてしまう。
一人笑い転げた清次郎は、笑いながら俺達を抱き寄せた。両腕に俺達を抱き込んだ彼は、一人楽しそうだった。
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