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第一王道『異世界にトリップ、てきな?』
5.立ち向かってみようか
しおりを挟む「……僕の両親は、僕をとても溺愛していてね」
萩野に、ベッドサイドに置いてあるアロマをもう少し近くに持ってきてもらった。バラの香りがするアロマで、忌まわしい記憶に立ち向かってみよう。
桃色の明かりを見上げながら話す僕の側で、萩野が見守っている。
「子供の頃、母さんも父さんも、僕にたくさんキスしていたんだ。僕もそれが、愛情表現だと分かっていたから素直に受けていた」
甘いバラの香り。あれとは違う。
「そんなある日のことだ。事件が起こったのは」
ぐっと喉に詰まりそうになる。顔をしかめた僕を励ますように、萩野が手を握ってきた。
ゴツゴツしている。顔は爽やかなのに、骨張っているのはボクシングをしていたからだろう。その手を握り返す。
「いつものように、父さんにキスされた。でも、その時、父さんはとても酔っていてね」
「ま、まさかディープ的な!?」
「でぃーぷ? それが何かは分からないが……」
映像は思い出すな。臭いもだ。
萩野の手を力一杯握り締める。
「父さんはサキイカを食べていたんだ……! そのイカを口に含んだまま唇にキスしてきて……!」
「……えっ……さ、サキイカ?」
「その時のなんとも言えないイカの臭いがっ……!」
もう、駄目だ。バラのアロマの匂いより、サキイカの臭いの記憶が勝ってくる。
跳ね起き、息を止めて吐き戻すのを堪えた。変な汗が噴き出てくる。
父さんのことは好きだけれど、それ以来、キスは遠慮してもらった。母さんのキスも受けられなくなった。
大反省した父さんだけれど、どうしても、他の誰でも、唇を見ると吐きそうになってしまう。
「だから、君が特別嫌いという訳ではないんだ。気にしないでくれ」
どうにか話を終えることができた。これで分かってくれるだろうか。
カラカラになってしまった喉に潤いが欲しい。水を汲みに行こうと立ち上がった僕より先に、萩野が飛び降りている。風呂場へ駆けていった。
彼の行動の意味が分からなかった。テーブルに置いていたペットボトルからコップに水を注ぎ、喉を潤しながら待ってみた。
数分経っても出てこない。もしかして笑っているのだろうか。僕的にはかなりショッキングなできごとだったけれど、世間的には大したことがなかったのか。
ベッドに腰掛けて待っていると、慌ただしく飛び出してくる。そうして、僕の隣に勢いよく座った。
「めっちゃ磨いてきました!」
「……何を?」
「歯!」
「何で」
「キスさせて下さい!」
ゴツゴツした手が、僕の両手を握りしめた。目元を赤くした萩野は、真っ直ぐに僕を見つめてくる。
「吐いても良いです! それでも、俺は先輩とキスしたいです。それで、良ければセックスもしたいです」
「……どうしてそんなにしたいの。男同士だよ? 子供は……」
「さっき言ってたじゃないですか。愛情表現です。俺は先輩がすっげー好きです。何でって言われても困りますけど、好きなんです。だから抱き合いたいです」
握り締められている両手は、彼の手で汗ばんでくる。緊張しているのが良く分かった。
ストレートな言葉だ。キスしたい、セックスしたい。
それが彼が言う、好きという愛情表現なのか。
「……君、変わってるね。僕なんかのどこに好きになる要素があるのか分からないよ」
「そうですか? 先輩、格好いいけどめっちゃ可愛いですよ」
「可愛いというのは心外だな」
「後輩の失敗にきちんと叱って、でも今の時代って厳しく言うとすぐ拗ねるしへこむじゃないですか。言い過ぎたかなーってちょっと落ち込んでる背中がもう、キュンキュンです」
「……君、大丈夫かい?」
やはりどの辺が好きなのか分からなかった。
確かに、僕は後輩の失敗には厳しく指導している。次に同じ失敗をさせないためだ。会社にとっても、本人の評価にも、関わってくると思っているからだ。
言葉が足りないのか、萩野以外の後輩は僕を避けるようになった。怯えるように見られていると気付いた時、もっと言葉を選ぶべきだったと思うことはある。
それがキュンキュンするのか?
目の前の唯一懐いた後輩をまじまじと見つめてしまう。
「俺は、厳しい先輩も、ちょっと恋からずれてる先輩も、好きです」
「失礼な。ずれてはないないだろう? ずれてるのは男を好きな君だろう」
「お互いずれてる者同士、つり合いが取れると思いませんか?」
「強引だな」
そろりと、めげずに顔を近づけてくる。今までの女性達なら、一回目の嗚咽は我慢できても、二回目の嗚咽を起こしてしまうと呆気なく別れを切り出された。
子犬だ。
子犬が近づいていると思えば良い。
唇を見ないよう、瞼を閉じてじっとした。
しっとりと、唇が重なっている。磨きたての歯と、洗われた唇からは、ミントの匂いがした。
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