石燕先生、モノノケでござる!

玉水ひひな

文字の大きさ
9 / 39
第一話 春坊の縁談

忘れ得ぬ瞬間、きっとどれだけ経っても

しおりを挟む
「――まあ。あなたは……」


「!」

 垣根越しから声が上がり、急いで振り返ってみて――、息を呑む。

 驚いたようにこちらを見ているのは……、軒先に立つ、彼女だった。
 春坊は、初めて千代の声を現実うつつに聞いた。

「……」
「……」

 時が止まったように互いに見つめ合ううちに、びゅうっと花風が吹く。

 はっとして我に返り、春坊は慌てて頭を下げて名乗った。

「そ、それがし、久慈新兵衛が三男、春右衛門と申しまする。ご存じでしょうか? この度、あなたとの縁談が決まった男です。不躾に訪ねてしまい、申し訳ない……」

 この先何年経っても思い出しては頭を抱えたくなる、花筏が川面を流れる音にすら紛れてしまいそうな、乙女がごとき震え声だった。



 ♢ 〇 ♢



 誘われるままに屋敷の門をくぐって茫々に生えた雑草を踏み分け、春坊は、すっかり歪みの来た軒下に彼女と一緒に腰掛けた。
 千代に出された茶を何とか一口飲んで、春坊は悩む。

(……帰ろうか)

 先ほどの千代は、春坊の顔を見て酷く驚いたようだった。

 さっきは近所の少女を遣わせて彼女が自分に恋の和歌を贈ってくれたのだと思ってしまったが……、恋に慣れない自分の早とちりだったのかもしれない。
 急に気恥ずかしくなって、春坊は慌てて言った。

「も、申し訳ございませぬ。
 通りで見知らぬ娘に扇を渡され、あなたからかと考えましたが、どうやらそれがしの思い違いだったようです。
 すぐに帰りますゆえ、どうか無礼をお許しください」

「まあ……」

 こんな風にふいに訪ねられては、彼女もずいぶん戸惑っただろう。
 おそるおそる目をやれば、千代は驚いてはいるようだったが、怒っている様子はない。
 しかし――どこか怯えているような気がした。

 部屋の奥の破れ障子の向こうを窺うようにそわそわと見て、千代は首を振った。

「……そうだったのですね。
 それは……、その和歌は、そうです。
 あたしから贈ったのです。
 急に驚いたでしょう?
 あたし、なぜ若いお侍さんがいつもうちの側で立ち止まるのか、ずっと理由わけを訊こうと思っていたのです」

「あ……」

 どきんと、胸が高鳴る。
 やはり、勘違いではなかった。
 彼女もまた、往来から視線を送る春坊のことを気にかけてくれていたのだ。

(やはり……。やはり、そうだったのか)

 嬉しかった。

 しかし、何と言おうか――何と答えればいいか。

 さすがに、いきなりこの募る想いを告げるのは違う気がする。
 けれど、むにゃむにゃと誤魔化すのも、男らしくない。
 だいたい、春坊は、嘘やちょろまかしの類のことが一番嫌いなのだ。

 知りもしない恋のあれこれについて思い悩んでいると、ふいに障子の向こうでガタガタと物音がした。

「っ!」

 びくりと肩を震わせて、千代が障子戸の方へと振り返る。
 その様子がどこか不安そうに見えて、春坊は首を傾げた。

(……あちらの部屋に、誰かいるのか?)

 考えてから、はっと思い当たる。
 もしや、あれはずっと病床暮らしだという彼女の年老いた父御ではないだろうか?
 春坊は、急いで千代に言った。

「ひょっとして、お父上でしょうか? もしよろしければ、ご挨拶をさせていただいても――」

 早くも春坊が腰を浮かしかけると、慌てたように千代が声を上ずらせた。

「い、いいえ、違います。きっと鼠でしょう。父は、今は眠っております。長く病に臥せっているものですから……」

「そうなのですか? では、こんなところでうるさくしては、お父上の身体に触るでしょう。もう帰りますから」

「いえ、待って……。待ってください。まだいらしたばかりではありませんか。せっかくですもの。もう少し、あなたをもてなさせてください。起きてこの話を聞いたら、きっと父も喜びます」

 何か差し迫った様子で千代が言う。

「そういうことでしたら……」

 心を寄せる女の言うことには逆らえずに、結局春坊はそのまま頷いた。
 が、この先はどうすればいいのだろう?
 春坊が何を話していいかわからずにいると、彼女が助け舟を出すように言ってくれた。


「春右衛門様は、もしかしたら……。我が家の軒先から、川向こうの桜を見てみたかったのではないですか?」
「えっ?」

 ふいの切り出しに、春坊は目を丸くした。

「ここからの景色が気になられて、いつもうちの前で立ち止まられていたのではないかと、今思いました。
 近くで見る桜もいいですが、こうして垣根越しに見るのも悪くないものでしょう?」

 少し頬を上げて、千代が続けた。

「どんなものか、気になりますよねえ。だって、あたしみたいなひまな女が始終桜ばかり眺めていますものね」
「いえ、あの、閑だなんて……。さ、桜は綺麗と思いますが……」





---

ここまで読んでくださってありがとうございます!
引き続き読んでいただけたら嬉しいです。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

意味が分かると怖い話(解説付き)

彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです 読みながら話に潜む違和感を探してみてください 最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください 実話も混ざっております

怪蒐師

糸世朔
ホラー
第8回ホラー•ミステリー大賞で優秀賞を受賞しました。ありがとうございました! ●あらすじ 『階段をのぼるだけで一万円』 大学二年生の間宮は、同じ学部にも関わらず一度も話したことすらない三ツ橋に怪しげなアルバイトを紹介される。 三ツ橋に連れて行かれたテナントビルの事務所で出迎えたのは、イスルギと名乗る男だった。 男は言った。 ーー君の「階段をのぼるという体験」を買いたいんだ。 ーーもちろん、ただの階段じゃない。 イスルギは怪異の体験を売り買いする奇妙な男だった。 《目次》 第一話「十三階段」 第二話「忌み地」 第三話「凶宅」 第四話「呪詛箱」 第五話「肉人さん」 第六話「悪夢」 最終話「触穢」 ※他サイトでも公開しています。

鷹鷲高校執事科

三石成
青春
経済社会が崩壊した後に、貴族制度が生まれた近未来。 東京都内に広大な敷地を持つ全寮制の鷹鷲高校には、貴族の子息が所属する帝王科と、そんな貴族に仕える、優秀な執事を育成するための執事科が設立されている。 物語の中心となるのは、鷹鷲高校男子部の三年生。 各々に悩みや望みを抱えた彼らは、高校三年生という貴重な一年間で、学校の行事や事件を通して、生涯の主人と執事を見つけていく。 表紙イラスト:燈実 黙(@off_the_lamp)

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【⁉】意味がわかると怖い話【解説あり】

絢郷水沙
ホラー
普通に読めばそうでもないけど、よく考えてみたらゾクッとする、そんな怖い話です。基本1ページ完結。 下にスクロールするとヒントと解説があります。何が怖いのか、ぜひ推理しながら読み進めてみてください。 ※全話オリジナル作品です。

皆さんは呪われました

禰津エソラ
ホラー
あなたは呪いたい相手はいますか? お勧めの呪いがありますよ。 効果は絶大です。 ぜひ、試してみてください…… その呪いの因果は果てしなく絡みつく。呪いは誰のものになるのか。 最後に残るのは誰だ……

処理中です...