11 / 39
第一話 春坊の縁談
鳥山石燕が描く、妖怪画 (告知アリ)
しおりを挟む
凝っとよく見れば――指を舐めて開けたと思われる、小さな覗き穴が開いていた。
♢ 〇 ♢
病床の父の看病があるから、千代は外出もままならぬらしい。
であれば、相当に心細いだろう。
彼女の不運な身の上に深く同情しつつ、春坊は日下部のぼろ屋敷を辞した。
通りに出て名残惜しく振り返ると、いつもの格子窓の向こうから、千代の結う島田髷だけが覗いていた。
揺れる島田髷を見上げて黙礼し、ふと春坊は思った。
(しかし、やはり外出は滅多になさらぬとなると……)
はたして――、あの画妖先生は、いつどこで千代の姿を目にしたのだろう?
そう考えて川面に目をやれば、恋に思い悩む男の姿がある。
春坊自身だ。
(……そうか。さては、あの変わり者の先生も)
偶然この通りを歩いている折にでも千代を見かけて、心奪われてしまったのだろう。……春坊のように。
気持ちはわかる。
千代はどこか儚げで、けれど、美しい人だ。
男ならば誰でも力になりたいと思ってしまうような、ふよふよとした魅力がある。
(では、画妖先生には悪いことをしたなあ)
同じ女人を想う男として、春坊はモノノケ先生に同情した。
逆の立場ならと思うと、つい自分まで悲しくなってしまう。
勝手に許婚の絵姿を描かれたのは腹立たしいが、許そうと春坊は思った。
だって、あの画の千代は――画妖先生が彼女に恋していると言われても得心してしまうほど、美しかった。
まるで、夜空に浮き出す儚い桜がごとく。
♢ 〇 ♢
父や兄の同輩達の住まう組屋敷の一角にある我が家に帰ると、さっそく春坊は母のおたまに和歌について聞こうと思った。
しかし、肝心の彼女は不在で――手伝いに来てくれている下女に訊けば、折も折、彼女は長命寺に桜餅を食べに出かけたらしい。
なら、帰りはきっと相応に遅いだろう。
仕方なく、春坊は、いつも蓋が開きっ放しになっているおたまの長持ちの前に座った。
「確か、母上がここに……」
和歌の師範から形見分けされた、古今の有名な歌を集めた木版印刷の版本を仕舞っていたはずだ。
しかし、いざ乱雑な長持ちを眺めてみると、古めかしい和歌の版本なんぞはどこにも見当たらず、代わりに、当世流行の浮世草子や浮世絵ばかりが目についた。
人気の歌舞伎役者が描かれた浮世絵の後ろに男女が絡み合う淫らな西川絵(春画)が急に現れて、うぶな春坊はぱっと目を覆った。
「……うっ、うわぁっ!」
母と――ことによると父の秘密まで垣間見てしまった気がして、頬を赤らめてそれをさっと仕舞うと、その最後に、奇妙な浮世絵が現れる。
「……? ……これは……」
春坊は、目を瞬いた。
――妖怪画だ。
松の古木から、腰の折れた老夫婦が現れ出ている。
老爺が妻に何某か声をかけ、老婆がそれに微笑んで答えているように見える。
〈画は無声の詩、形ありて声なし〉――などとは言うが、眺めていると、今にも老夫婦の喋り声が聞こえてきそうな一服だった。
端に【木魅】と味のある達筆で記され、〈百年の樹には神ありてかたちをあらわすと云う〉と続く。※
おたまは巷の流行に敏いから、近頃江戸の町を賑わした品々が他にもいくつもあった。百物語が人気と聞いた時にでも、こんな妖怪画を買い入れたのだろうが……。
裏を見返せば、絵のバケモノ老爺が指差した先に、隠し落款がある。
春坊は、目をぱちぱちと瞬いて、その隠し落款を何度も眺めた。
「――鳥山、石燕……」
♢ 〇 ♢
「まあ。春さんはくだんのモノノケ先生に興味があるんですか?」
目を丸くして、おたまが小首を傾げた。
春坊は慌てて首を振った。
「いえ、興味というほどのことでは……。ただ、母上の長持ちで、先生の浮世絵を目にしたものですから」
言ってしまってから、はたと春画のことを思い出す。
まずかっただろうか――そう思って母を窺うと、彼女は春画を長持ちへしまい込んだことなどすっかり忘れているようで、ぽんと手を打った。
「ああ、そういえば、三軒隣のさよお嬢さんからもらったんでした。何でもあれを描いた画妖先生は、水も滴るような色男とのお噂で……。
ふふふ、さよさんったら、先生の絵姿でもないあの妖怪画を見て、うっとりしているんですよ」
おたまがおかしそうに笑うのに反して、春坊はつい顔をしかめた。
「……それはまあ、確かに美男と言えるお方でしょうが」
こんな悋気を抱くのは、はなはだ男らしくなくて自分でも嫌なのだが……。そんな美男が千代に懸想していると考えるのは、やはり面白くない。
すると、おたまが驚いたように言った。
「おや? 春さんはそのモノノケ先生と会ったことがあるので? 何でも先生は変わり者で、ふらりと江戸の辻を歩いていたり、川辺でさらさら画を描いていたり、まるで妖怪のように神出鬼没らしいと噂に聞きましたが」
「左様でございます。噂通り、幽世から現れたような御仁でした」
「では、さよさんに先生とどこで会ったか教えてあげてくださいまし。きっと喜びます。一昨日なんぞは、さよさんは雑司ヶ谷の鬼子母神堂にわざわざお参りに行ったんですよ」
「雑司ヶ谷に?」
---
ここまでお読みいただきまして、ありがとうございます!
更新頑張りますので、引き続き読んでいただけたら嬉しいです。
お気に入り登録もありがとうございます!
凄く励みになっています。
以下、引用画像出典です。
画像:鳥山石燕「木魅(こだま)」 © Public Domain(原典: Gazu Hyakki Yagyō)
出典:Wikimedia Commons – File:SekienKodama.jpg
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:SekienKodama.jpg
また、告知なのですが、ブックウォーカー様から10名様限定でクーポンが配布されました!
適用は私の作品のみなのですが、ご入用な方にクーポンコードをお知らせしますので、XかPixivにDMをくださいませ!
https://bookwalker.jp/select/4111/
♢ 〇 ♢
病床の父の看病があるから、千代は外出もままならぬらしい。
であれば、相当に心細いだろう。
彼女の不運な身の上に深く同情しつつ、春坊は日下部のぼろ屋敷を辞した。
通りに出て名残惜しく振り返ると、いつもの格子窓の向こうから、千代の結う島田髷だけが覗いていた。
揺れる島田髷を見上げて黙礼し、ふと春坊は思った。
(しかし、やはり外出は滅多になさらぬとなると……)
はたして――、あの画妖先生は、いつどこで千代の姿を目にしたのだろう?
そう考えて川面に目をやれば、恋に思い悩む男の姿がある。
春坊自身だ。
(……そうか。さては、あの変わり者の先生も)
偶然この通りを歩いている折にでも千代を見かけて、心奪われてしまったのだろう。……春坊のように。
気持ちはわかる。
千代はどこか儚げで、けれど、美しい人だ。
男ならば誰でも力になりたいと思ってしまうような、ふよふよとした魅力がある。
(では、画妖先生には悪いことをしたなあ)
同じ女人を想う男として、春坊はモノノケ先生に同情した。
逆の立場ならと思うと、つい自分まで悲しくなってしまう。
勝手に許婚の絵姿を描かれたのは腹立たしいが、許そうと春坊は思った。
だって、あの画の千代は――画妖先生が彼女に恋していると言われても得心してしまうほど、美しかった。
まるで、夜空に浮き出す儚い桜がごとく。
♢ 〇 ♢
父や兄の同輩達の住まう組屋敷の一角にある我が家に帰ると、さっそく春坊は母のおたまに和歌について聞こうと思った。
しかし、肝心の彼女は不在で――手伝いに来てくれている下女に訊けば、折も折、彼女は長命寺に桜餅を食べに出かけたらしい。
なら、帰りはきっと相応に遅いだろう。
仕方なく、春坊は、いつも蓋が開きっ放しになっているおたまの長持ちの前に座った。
「確か、母上がここに……」
和歌の師範から形見分けされた、古今の有名な歌を集めた木版印刷の版本を仕舞っていたはずだ。
しかし、いざ乱雑な長持ちを眺めてみると、古めかしい和歌の版本なんぞはどこにも見当たらず、代わりに、当世流行の浮世草子や浮世絵ばかりが目についた。
人気の歌舞伎役者が描かれた浮世絵の後ろに男女が絡み合う淫らな西川絵(春画)が急に現れて、うぶな春坊はぱっと目を覆った。
「……うっ、うわぁっ!」
母と――ことによると父の秘密まで垣間見てしまった気がして、頬を赤らめてそれをさっと仕舞うと、その最後に、奇妙な浮世絵が現れる。
「……? ……これは……」
春坊は、目を瞬いた。
――妖怪画だ。
松の古木から、腰の折れた老夫婦が現れ出ている。
老爺が妻に何某か声をかけ、老婆がそれに微笑んで答えているように見える。
〈画は無声の詩、形ありて声なし〉――などとは言うが、眺めていると、今にも老夫婦の喋り声が聞こえてきそうな一服だった。
端に【木魅】と味のある達筆で記され、〈百年の樹には神ありてかたちをあらわすと云う〉と続く。※
おたまは巷の流行に敏いから、近頃江戸の町を賑わした品々が他にもいくつもあった。百物語が人気と聞いた時にでも、こんな妖怪画を買い入れたのだろうが……。
裏を見返せば、絵のバケモノ老爺が指差した先に、隠し落款がある。
春坊は、目をぱちぱちと瞬いて、その隠し落款を何度も眺めた。
「――鳥山、石燕……」
♢ 〇 ♢
「まあ。春さんはくだんのモノノケ先生に興味があるんですか?」
目を丸くして、おたまが小首を傾げた。
春坊は慌てて首を振った。
「いえ、興味というほどのことでは……。ただ、母上の長持ちで、先生の浮世絵を目にしたものですから」
言ってしまってから、はたと春画のことを思い出す。
まずかっただろうか――そう思って母を窺うと、彼女は春画を長持ちへしまい込んだことなどすっかり忘れているようで、ぽんと手を打った。
「ああ、そういえば、三軒隣のさよお嬢さんからもらったんでした。何でもあれを描いた画妖先生は、水も滴るような色男とのお噂で……。
ふふふ、さよさんったら、先生の絵姿でもないあの妖怪画を見て、うっとりしているんですよ」
おたまがおかしそうに笑うのに反して、春坊はつい顔をしかめた。
「……それはまあ、確かに美男と言えるお方でしょうが」
こんな悋気を抱くのは、はなはだ男らしくなくて自分でも嫌なのだが……。そんな美男が千代に懸想していると考えるのは、やはり面白くない。
すると、おたまが驚いたように言った。
「おや? 春さんはそのモノノケ先生と会ったことがあるので? 何でも先生は変わり者で、ふらりと江戸の辻を歩いていたり、川辺でさらさら画を描いていたり、まるで妖怪のように神出鬼没らしいと噂に聞きましたが」
「左様でございます。噂通り、幽世から現れたような御仁でした」
「では、さよさんに先生とどこで会ったか教えてあげてくださいまし。きっと喜びます。一昨日なんぞは、さよさんは雑司ヶ谷の鬼子母神堂にわざわざお参りに行ったんですよ」
「雑司ヶ谷に?」
---
ここまでお読みいただきまして、ありがとうございます!
更新頑張りますので、引き続き読んでいただけたら嬉しいです。
お気に入り登録もありがとうございます!
凄く励みになっています。
以下、引用画像出典です。
画像:鳥山石燕「木魅(こだま)」 © Public Domain(原典: Gazu Hyakki Yagyō)
出典:Wikimedia Commons – File:SekienKodama.jpg
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:SekienKodama.jpg
また、告知なのですが、ブックウォーカー様から10名様限定でクーポンが配布されました!
適用は私の作品のみなのですが、ご入用な方にクーポンコードをお知らせしますので、XかPixivにDMをくださいませ!
https://bookwalker.jp/select/4111/
0
あなたにおすすめの小説
意味が分かると怖い話(解説付き)
彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです
読みながら話に潜む違和感を探してみてください
最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください
実話も混ざっております
怪蒐師
糸世朔
ホラー
第8回ホラー•ミステリー大賞で優秀賞を受賞しました。ありがとうございました!
●あらすじ
『階段をのぼるだけで一万円』
大学二年生の間宮は、同じ学部にも関わらず一度も話したことすらない三ツ橋に怪しげなアルバイトを紹介される。
三ツ橋に連れて行かれたテナントビルの事務所で出迎えたのは、イスルギと名乗る男だった。
男は言った。
ーー君の「階段をのぼるという体験」を買いたいんだ。
ーーもちろん、ただの階段じゃない。
イスルギは怪異の体験を売り買いする奇妙な男だった。
《目次》
第一話「十三階段」
第二話「忌み地」
第三話「凶宅」
第四話「呪詛箱」
第五話「肉人さん」
第六話「悪夢」
最終話「触穢」
※他サイトでも公開しています。
鷹鷲高校執事科
三石成
青春
経済社会が崩壊した後に、貴族制度が生まれた近未来。
東京都内に広大な敷地を持つ全寮制の鷹鷲高校には、貴族の子息が所属する帝王科と、そんな貴族に仕える、優秀な執事を育成するための執事科が設立されている。
物語の中心となるのは、鷹鷲高校男子部の三年生。
各々に悩みや望みを抱えた彼らは、高校三年生という貴重な一年間で、学校の行事や事件を通して、生涯の主人と執事を見つけていく。
表紙イラスト:燈実 黙(@off_the_lamp)
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
【⁉】意味がわかると怖い話【解説あり】
絢郷水沙
ホラー
普通に読めばそうでもないけど、よく考えてみたらゾクッとする、そんな怖い話です。基本1ページ完結。
下にスクロールするとヒントと解説があります。何が怖いのか、ぜひ推理しながら読み進めてみてください。
※全話オリジナル作品です。
皆さんは呪われました
禰津エソラ
ホラー
あなたは呪いたい相手はいますか?
お勧めの呪いがありますよ。
効果は絶大です。
ぜひ、試してみてください……
その呪いの因果は果てしなく絡みつく。呪いは誰のものになるのか。
最後に残るのは誰だ……
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
