16 / 32
♯1
15. 楽屋での甘い誘い
しおりを挟む
楽屋のドアをノックすると、「どうぞ」と声が聞こえた。
舞台上の華やかさとは打って変わり、ここは熱気と緊張が入り混じった、独特の匂いに満ちていた。汗とパウダー、興奮と疲労の混ざった空気が肌にじんわり張り付く。
「伊勢くん。来てくれたのか。ありがとうな」
桐生さんは、バスローブ姿で鏡の前に座っていた。
舞台メイクを丁寧に落としながら、鏡に映る自分を見つめる。その背中、鎖骨、腕のライン……一瞬、視線が止まる。バスローブからちらりと見える肌が、舞台上の完璧な演技とは違った、大人の魅力を感じさせる。
「やぁ、片倉くんも来てくれたんだね」
その声は自然体で、あの夜のことなど微塵も感じさせない。桐生さんは、濃いアイラインを丁寧に拭い取りながら、オレに向かって小さく口角を上げた。
「あ、はい」
胸の奥が、チクリと痛んだ。あの夜は『理久』と呼んだのに。
「桐生さんの演技、ドラマや映画とは違った迫力でした」
「どちらかと言えば、こっちが本業だからね」
3人で舞台の感想など雑談をしていると、
伊勢は顔見知りの別の出演者へ挨拶すると、楽屋を出ていった。俳優として活躍が目覚ましい伊勢は、演者やスタッフに顔が利く。これも一つの営業だろう。
桐生さんのマネージャーも楽屋を出て行ってしまい、気づけば桐生さんとふたりきり。
「理久」
突然名前を呼ばれた瞬間、心臓が飛び出しそうになる。
「会いたかったのに、連絡くれないから寂しかったよ」
その表情は一瞬で甘く親密な顔へと変わっていた。
「少し、痩せた?」
「いや、そんなことは、ないです」
「気のせいかな」
桐生さんがゆっくり立ち上がる。バスローブの裾を揺らしながら、オレのすぐ目の前に車。
距離が縮まるたびに、鼓動が早まるのが分かった。
「顔色も、いまひとつだな」
スッと、頬を撫でられた。手のひらの汗が止まらないのを、自分でも感じていた。
舞台上での熱はもちろん、あの夜の熱がぶり返す。
「このあと、またどうかな?」
「え?」
またって、どういう意味だ?
「理久を忘れられなくてね」
「あ、えっとーー」
その時、伊勢が共演者を連れ立って戻って来た。
「この後、飲みに行くことになったけど、桐生さんと片倉も行かないか?」
「いや、オレは車だから」
伊勢は少し残念そうに肩をすくめたが、すぐに理解してくれた。
「桐生さんは?」
「うーーん、明日が早くてね。やめておくよ」
「そっか、残念だな」
伊勢は表向きは、クールな雰囲気で事務所が売り出しているけど、実際は社交的で大人数が集まる飲み会にも参加する。
でも、湊さんと付き合い始めてからは、前よりは減ったようだ。
「せっかくだから、楽しんできたら?」
桐生さんが伊勢に向かって微笑んだ。
「じゃあ、俺はここで。片倉。明日は衣装の打ち合わせだったよな。ちゃんと来いよ」
「わかってる。もう、大丈夫だよ」
伊勢はそう言うと、桐生さんに挨拶をして、他の俳優仲間と一緒に先に出て行った。
楽屋のドアが静かに閉まり、伊勢の声や喧騒は完全に遠ざかった。またしても、桐生さんと2人になってしまった。
「大丈夫って、どうかしたの?」
伊勢との短いやり取りで、なんとなく察したのだろうか。桐生さんの目が光る。
「あ、いえ」
言葉を濁す。
「まぁ、いいや。理久が車で来てるなら、俺の家に行こう」
「え?」
桐生さんの声は、突然甘く、低く、耳をくすぐるようだった。
「せっかく会いに来てくれたんだ。ゆっくり話もしたいじゃないか」
視線が絡む。バスローブからちらりと見える肩の線。腕の熱。何も言わなくても、すぐに気づく。オレの鼓動が暴れる。
「着替えるから、少し待ってて」
小さく頷くしかなかった。胸の奥の熱が、体全体に広がっていく。
舞台上の華やかさとは打って変わり、ここは熱気と緊張が入り混じった、独特の匂いに満ちていた。汗とパウダー、興奮と疲労の混ざった空気が肌にじんわり張り付く。
「伊勢くん。来てくれたのか。ありがとうな」
桐生さんは、バスローブ姿で鏡の前に座っていた。
舞台メイクを丁寧に落としながら、鏡に映る自分を見つめる。その背中、鎖骨、腕のライン……一瞬、視線が止まる。バスローブからちらりと見える肌が、舞台上の完璧な演技とは違った、大人の魅力を感じさせる。
「やぁ、片倉くんも来てくれたんだね」
その声は自然体で、あの夜のことなど微塵も感じさせない。桐生さんは、濃いアイラインを丁寧に拭い取りながら、オレに向かって小さく口角を上げた。
「あ、はい」
胸の奥が、チクリと痛んだ。あの夜は『理久』と呼んだのに。
「桐生さんの演技、ドラマや映画とは違った迫力でした」
「どちらかと言えば、こっちが本業だからね」
3人で舞台の感想など雑談をしていると、
伊勢は顔見知りの別の出演者へ挨拶すると、楽屋を出ていった。俳優として活躍が目覚ましい伊勢は、演者やスタッフに顔が利く。これも一つの営業だろう。
桐生さんのマネージャーも楽屋を出て行ってしまい、気づけば桐生さんとふたりきり。
「理久」
突然名前を呼ばれた瞬間、心臓が飛び出しそうになる。
「会いたかったのに、連絡くれないから寂しかったよ」
その表情は一瞬で甘く親密な顔へと変わっていた。
「少し、痩せた?」
「いや、そんなことは、ないです」
「気のせいかな」
桐生さんがゆっくり立ち上がる。バスローブの裾を揺らしながら、オレのすぐ目の前に車。
距離が縮まるたびに、鼓動が早まるのが分かった。
「顔色も、いまひとつだな」
スッと、頬を撫でられた。手のひらの汗が止まらないのを、自分でも感じていた。
舞台上での熱はもちろん、あの夜の熱がぶり返す。
「このあと、またどうかな?」
「え?」
またって、どういう意味だ?
「理久を忘れられなくてね」
「あ、えっとーー」
その時、伊勢が共演者を連れ立って戻って来た。
「この後、飲みに行くことになったけど、桐生さんと片倉も行かないか?」
「いや、オレは車だから」
伊勢は少し残念そうに肩をすくめたが、すぐに理解してくれた。
「桐生さんは?」
「うーーん、明日が早くてね。やめておくよ」
「そっか、残念だな」
伊勢は表向きは、クールな雰囲気で事務所が売り出しているけど、実際は社交的で大人数が集まる飲み会にも参加する。
でも、湊さんと付き合い始めてからは、前よりは減ったようだ。
「せっかくだから、楽しんできたら?」
桐生さんが伊勢に向かって微笑んだ。
「じゃあ、俺はここで。片倉。明日は衣装の打ち合わせだったよな。ちゃんと来いよ」
「わかってる。もう、大丈夫だよ」
伊勢はそう言うと、桐生さんに挨拶をして、他の俳優仲間と一緒に先に出て行った。
楽屋のドアが静かに閉まり、伊勢の声や喧騒は完全に遠ざかった。またしても、桐生さんと2人になってしまった。
「大丈夫って、どうかしたの?」
伊勢との短いやり取りで、なんとなく察したのだろうか。桐生さんの目が光る。
「あ、いえ」
言葉を濁す。
「まぁ、いいや。理久が車で来てるなら、俺の家に行こう」
「え?」
桐生さんの声は、突然甘く、低く、耳をくすぐるようだった。
「せっかく会いに来てくれたんだ。ゆっくり話もしたいじゃないか」
視線が絡む。バスローブからちらりと見える肩の線。腕の熱。何も言わなくても、すぐに気づく。オレの鼓動が暴れる。
「着替えるから、少し待ってて」
小さく頷くしかなかった。胸の奥の熱が、体全体に広がっていく。
23
あなたにおすすめの小説
アイドルくん、俺の前では生活能力ゼロの甘えん坊でした。~俺の住み込みバイト先は後輩の高校生アイドルくんでした。
天音ねる(旧:えんとっぷ)
BL
家計を助けるため、住み込み家政婦バイトを始めた高校生・桜井智也。豪邸の家主は、寝癖頭によれよれTシャツの青年…と思いきや、その正体は学校の後輩でキラキラ王子様アイドル・橘圭吾だった!?
学校では完璧、家では生活能力ゼロ。そんな圭吾のギャップに振り回されながらも、世話を焼く日々にやりがいを感じる智也。
ステージの上では完璧な王子様なのに、家ではカップ麺すら作れない究極のポンコツ男子。
智也の作る温かい手料理に胃袋を掴まれた圭吾は、次第に心を許し、子犬のように懐いてくる。
「先輩、お腹すいた」「どこにも行かないで」
無防備な素顔と時折見せる寂しげな表情に、智也の心は絆されていく。
住む世界が違うはずの二人。秘密の契約から始まる、甘くて美味しい青春ラブストーリー!
【完結】ハーレムラブコメの主人公が最後に選んだのは友人キャラのオレだった。
或波夏
BL
ハーレムラブコメが大好きな男子高校生、有真 瑛。
自分は、主人公の背中を押す友人キャラになって、特等席で恋模様を見たい!
そんな瑛には、様々なラブコメテンプレ展開に巻き込まれている酒神 昴という友人がいる。
瑛は昴に《友人》として、自分を取り巻く恋愛事情について相談を持ちかけられる。
圧倒的主人公感を持つ昴からの提案に、『友人キャラになれるチャンス』を見出した瑛は、二つ返事で承諾するが、昴には別の思惑があって……
̶ラ̶ブ̶コ̶メ̶の̶主̶人̶公̶×̶友̶人̶キ̶ャ̶ラ̶
【一途な不器用オタク×ラブコメ大好き陽キャ】が織り成す勘違いすれ違いラブ
番外編、牛歩更新です🙇♀️
※物語の特性上、女性キャラクターが数人出てきますが、主CPに挟まることはありません。
少しですが百合要素があります。
☆第1回 青春BLカップ30位、応援ありがとうございました!
第13回BL大賞にエントリーさせていただいています!もし良ければ投票していただけると大変嬉しいです!
無自覚オメガとオメガ嫌いの上司
蒼井梨音
BL
ベータとして生きてきた無自覚オメガの小国直樹は、オメガ嫌いの白鷹課長のいる部署に異動になった。
ビクビクしながら、なるべく関わらないように仕事をしてたのに、
ペアを組んでいた先輩が倒れてしまい、課長がサポートすることに。
そして、なぜか課長にキスされてしまい…??
無自覚オメガ→小国直樹(24)
オメガ嫌いの上司→白鷹迅(28)アルファ
第一部・完
お読みいただき、ありがとうございました。
第二部
白鷹課長と一緒に住むことになった直樹。
プロジェクトのこととか、新しくできた友だちの啓さんのこととか。
相変わらず、直樹は無自覚に迅さんに甘えています。
第三部
入籍した直樹は、今度は結婚式がしたくなりました。
第四部
入籍したものの、まだ番になってない直樹と迅さん。
直樹が取引先のアルファに目をつけられて……
※続きもいずれ更新します。お待ちください。
直樹のイラスト、描いてもらいました。
先輩たちの心の声に翻弄されています!
七瀬
BL
人と関わるのが少し苦手な高校1年生・綾瀬遙真(あやせとうま)。
ある日、食堂へ向かう人混みの中で先輩にぶつかった瞬間──彼は「触れた相手の心の声」が聞こえるようになった。
最初に声を拾ってしまったのは、対照的な二人の先輩。
乱暴そうな俺様ヤンキー・不破春樹(ふわはるき)と、爽やかで優しい王子様・橘司(たちばなつかさ)。
見せる顔と心の声の落差に戸惑う遙真。けれど、彼らはなぜか遙真に強い関心を示しはじめる。
****
三作目の投稿になります。三角関係の学園BLですが、なるべくみんなを幸せにして終わりますのでご安心ください。
ご感想・ご指摘など気軽にコメントいただけると嬉しいです‼️
今日もBL営業カフェで働いています!?
卵丸
BL
ブラック企業の会社に嫌気がさして、退職した沢良宜 篤は給料が高い、男だけのカフェに面接を受けるが「腐男子ですか?」と聞かれて「腐男子ではない」と答えてしまい。改めて、説明文の「BLカフェ」と見てなかったので不採用と思っていたが次の日に採用通知が届き疑心暗鬼で初日バイトに向かうと、店長とBL営業をして腐女子のお客様を喜ばせて!?ノンケBL初心者のバイトと同性愛者の店長のノンケから始まるBLコメディ
※ 不定期更新です。
僕の恋人は、超イケメン!!
八乙女 忍
BL
僕は、普通の高校2年生。そんな僕にある日恋人ができた!それは超イケメンのモテモテ男子、あまりにもモテるため女の子に嫌気をさして、偽者の恋人同士になってほしいとお願いされる。最初は、嘘から始まった恋人ごっこがだんだん本気になっていく。お互いに本気になっていくが・・・二人とも、どうすれば良いのかわからない。この後、僕たちはどうなって行くのかな?
「溺愛ビギナー」◆幼馴染みで相方。ずっと片想いしてたのに――まさかの溺愛宣言!◆
星井 悠里
BL
幼稚園からの幼馴染みで、今は二人組アーティストとして活躍する蒼紫と涼。
女の子にモテまくる完璧イケメン・蒼紫。
涼の秘密は――蒼紫が初恋で、今もずっと好きだということ。
仕事は順調。友情も壊したくない。
だから涼はこの気持ちを胸にしまい込んで、「いつか忘れる」って思っていた。
でも、本番前の楽屋で二人きり。あることをきっかけに急接近。
蒼紫の真顔、低い声、近づいてくる気配。
「涼、オレ……」
蒼紫から飛び出したのは、涼が夢にも思わなかった、びっくり大告白♥だった✨
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる