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第4話 一触即発?妾と対峙するとき
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玄関を出た瞬間、私の足はぴたりと止まりました。
前からひとりの女性が歩いてきたのです。膨らんだお腹を片方の手でそっと抱えています。
荷物を持ち、少しぎこちない歩き方。義母の着物を仕立て直したのでしょうか。見覚えのある紬の着物でした。
松島家の嫁と言わんばかりの、隠しきれない幸福を纏っているかのようでした。
彼女の視線がゆっくりと上がりました。
「お、奥様!」
彼女の手から落ちた荷物から、何かが転がり落ちます。
乾いた土の上、ガラガラと涼やかな、けれどどこか物悲しい音を立てて響き渡ります。小さく鮮やかな色彩を纏ったそれは、赤子用の鈴でした。
その音は、私の心臓に直接触れるようでした。
「ご、ご無沙汰しております」
女性は顔を青ざめさせ、足元に転がった荷物を慌てて拾い上げます。隠すように袋へしまいました。
「ああ、やっぱり貴女だったのね」
私の声に息を呑むその表情。怯えと、そして微かな諦めが混じり合っています。
あぁ、間違いありません。
彼女は――私が松島家に嫁いだ当初、最初に雇った女中でした。
まだ少女の面影を残し、真面目で素直だった、あの子です。いつも屈託のない笑顔で、この屋敷の廊下を駆け回っていたものです。
幼い少女は、すっかり女に成長していました。
美人とは少し違うけれど、ふっくらとした頬は、愛嬌があります。
「どうして、急に、お帰りになられたのですか?」
まるで、私がこの場所、この時代に存在すること自体が、彼女にとっての災いであるかのように。私はその問いに、微かに首を傾げます。
「私がこの家に帰るのに、許可が要るのですか?」
「いえ、そのようなことは」
「ここは私の家。松島家の女主人は私です。あなたが、そのように驚き、慌てる理由が私には分かりかねます」
私の言葉に、彼女は口をつぐんだ。
「仰る通りです。申し訳ありません」
まるで私が危害を加えるとでも思っているかのように、膨らんだお腹を両手で庇いました。その仕草は、母性を宿す女性特有の、本能的なもの。
何よりも尊い命を守ろうとする、彼女の偽らざる本性がそこにありました。
――私が、そんなことをするものですか。
私はかつて、幾度となく子を望み、その度に絶望という深い淵に沈みました。
期待と絶望を繰り返し、枕を濡らす日々を送りました。
妊婦を目にするたび、胸には羨望と、尊い命を宿す者への尊敬、そしてどうしようもないほどの慈しみの念が押し寄せます。
例え、それが夫の手付きだとしても、お腹の中にいる赤子への恨み辛みなど、一片もございません。
ただ、自分には与えられなかった尊い奇跡を、静かに見つめるばかりです。
「すぐにお茶を入れます!」
「 お茶はもう不要です 先ほど頂きましたから。見慣なれい女中にね」
「あ、あの人は、その……」
「それに、必要な話は夫と済ませましたから。もう、帰るところです」
彼女の顔色はみるみる蒼白になり、唇さえ血の気を失っていきます。青白い顔で、小刻みに震えるその姿は、まるで冬枯れの野に立つ、か弱な花弁のようでした。
その様子を見て、私は静かに問いかけます。
「そこまで怯えるのは、なぜです?何か、私に隠し事でもあるとでも?」
私の声は、あくまで穏やかでした。しかし、その穏やかさが、かえって彼女の罪の意識を深くえぐるのでしょう。
気丈に見えた彼女が、ここまで怯えるのはなぜか。それは、彼女自身が、夫との間に生まれたこの子が、松島家の血筋を引いていること、そして私の夫を奪ったという罪を自覚しているからに他ならないでしょう。
かつての笑顔を思い出します。
『若奥様、私、松島家のために、精一杯、精進いたします!』
その言葉に、嘘も偽りはなかったはず。
なぜこんな結末に至ったのか――。
夫の寂しさが、彼女の献身的な優しさに付け込んだのか。
大正という新しい時代にあっても、人の情は、かくも古く、そして深いものかと、どこか達観した気持ちで眺めていました。私にとっては悲劇でも、当人たちにとっては、宿命とでも呼ぶべき、抗いがたい運命だったのかもしれません。
「……あなたで、良かったわ」
私は微笑みました。作り物ではない、心からの本心ですから。
「松島家の人事整理をいたします」
「あなたと、あの年配の女中ーー、あなたのお母様は本日をもって解雇です」
私の言葉は、一切の感情を排した、乾いた響きを帯びていました。ここは、
まるで、乾いた葉が風に舞う音のように。彼女の瞳孔が開き、理解が追いつかないかのように、ゆっくりと瞬きをします。
「奥様!」
彼女の声は悲鳴に近かった。
その場に膝から崩れ落ち、再び転がり落ちた鈴にも目もくれず、必死に訴えます。
嗚咽が、夏の盛りの庭にまで響き渡りました。
「ど、どうした!」
騒ぎを聞きつけ、今さらながら、夫が玄関から飛び出して来ました。
あらあら、裸足じゃないですか。
「里子、帰っていたのか」
夫は「バレたか」と言いたそうに、天を仰ぎました。
やれやれ。あなたは自分から、バラしてしまったのですよ。
「ど、どうか穏便に。な、頼むよ、香里奈」
夫の狼狽した声には、あきれ果てものも言えませんね。
私が、取り乱すような女だと思っているのでしょうか。残念ですが、嫉妬するほど貴方に興味などございません。
ついでに申せば、名前で呼ばれることも不快です。
この茶番劇は、私にとっては、もはや遠い世界の出来事のように思えました。
前からひとりの女性が歩いてきたのです。膨らんだお腹を片方の手でそっと抱えています。
荷物を持ち、少しぎこちない歩き方。義母の着物を仕立て直したのでしょうか。見覚えのある紬の着物でした。
松島家の嫁と言わんばかりの、隠しきれない幸福を纏っているかのようでした。
彼女の視線がゆっくりと上がりました。
「お、奥様!」
彼女の手から落ちた荷物から、何かが転がり落ちます。
乾いた土の上、ガラガラと涼やかな、けれどどこか物悲しい音を立てて響き渡ります。小さく鮮やかな色彩を纏ったそれは、赤子用の鈴でした。
その音は、私の心臓に直接触れるようでした。
「ご、ご無沙汰しております」
女性は顔を青ざめさせ、足元に転がった荷物を慌てて拾い上げます。隠すように袋へしまいました。
「ああ、やっぱり貴女だったのね」
私の声に息を呑むその表情。怯えと、そして微かな諦めが混じり合っています。
あぁ、間違いありません。
彼女は――私が松島家に嫁いだ当初、最初に雇った女中でした。
まだ少女の面影を残し、真面目で素直だった、あの子です。いつも屈託のない笑顔で、この屋敷の廊下を駆け回っていたものです。
幼い少女は、すっかり女に成長していました。
美人とは少し違うけれど、ふっくらとした頬は、愛嬌があります。
「どうして、急に、お帰りになられたのですか?」
まるで、私がこの場所、この時代に存在すること自体が、彼女にとっての災いであるかのように。私はその問いに、微かに首を傾げます。
「私がこの家に帰るのに、許可が要るのですか?」
「いえ、そのようなことは」
「ここは私の家。松島家の女主人は私です。あなたが、そのように驚き、慌てる理由が私には分かりかねます」
私の言葉に、彼女は口をつぐんだ。
「仰る通りです。申し訳ありません」
まるで私が危害を加えるとでも思っているかのように、膨らんだお腹を両手で庇いました。その仕草は、母性を宿す女性特有の、本能的なもの。
何よりも尊い命を守ろうとする、彼女の偽らざる本性がそこにありました。
――私が、そんなことをするものですか。
私はかつて、幾度となく子を望み、その度に絶望という深い淵に沈みました。
期待と絶望を繰り返し、枕を濡らす日々を送りました。
妊婦を目にするたび、胸には羨望と、尊い命を宿す者への尊敬、そしてどうしようもないほどの慈しみの念が押し寄せます。
例え、それが夫の手付きだとしても、お腹の中にいる赤子への恨み辛みなど、一片もございません。
ただ、自分には与えられなかった尊い奇跡を、静かに見つめるばかりです。
「すぐにお茶を入れます!」
「 お茶はもう不要です 先ほど頂きましたから。見慣なれい女中にね」
「あ、あの人は、その……」
「それに、必要な話は夫と済ませましたから。もう、帰るところです」
彼女の顔色はみるみる蒼白になり、唇さえ血の気を失っていきます。青白い顔で、小刻みに震えるその姿は、まるで冬枯れの野に立つ、か弱な花弁のようでした。
その様子を見て、私は静かに問いかけます。
「そこまで怯えるのは、なぜです?何か、私に隠し事でもあるとでも?」
私の声は、あくまで穏やかでした。しかし、その穏やかさが、かえって彼女の罪の意識を深くえぐるのでしょう。
気丈に見えた彼女が、ここまで怯えるのはなぜか。それは、彼女自身が、夫との間に生まれたこの子が、松島家の血筋を引いていること、そして私の夫を奪ったという罪を自覚しているからに他ならないでしょう。
かつての笑顔を思い出します。
『若奥様、私、松島家のために、精一杯、精進いたします!』
その言葉に、嘘も偽りはなかったはず。
なぜこんな結末に至ったのか――。
夫の寂しさが、彼女の献身的な優しさに付け込んだのか。
大正という新しい時代にあっても、人の情は、かくも古く、そして深いものかと、どこか達観した気持ちで眺めていました。私にとっては悲劇でも、当人たちにとっては、宿命とでも呼ぶべき、抗いがたい運命だったのかもしれません。
「……あなたで、良かったわ」
私は微笑みました。作り物ではない、心からの本心ですから。
「松島家の人事整理をいたします」
「あなたと、あの年配の女中ーー、あなたのお母様は本日をもって解雇です」
私の言葉は、一切の感情を排した、乾いた響きを帯びていました。ここは、
まるで、乾いた葉が風に舞う音のように。彼女の瞳孔が開き、理解が追いつかないかのように、ゆっくりと瞬きをします。
「奥様!」
彼女の声は悲鳴に近かった。
その場に膝から崩れ落ち、再び転がり落ちた鈴にも目もくれず、必死に訴えます。
嗚咽が、夏の盛りの庭にまで響き渡りました。
「ど、どうした!」
騒ぎを聞きつけ、今さらながら、夫が玄関から飛び出して来ました。
あらあら、裸足じゃないですか。
「里子、帰っていたのか」
夫は「バレたか」と言いたそうに、天を仰ぎました。
やれやれ。あなたは自分から、バラしてしまったのですよ。
「ど、どうか穏便に。な、頼むよ、香里奈」
夫の狼狽した声には、あきれ果てものも言えませんね。
私が、取り乱すような女だと思っているのでしょうか。残念ですが、嫉妬するほど貴方に興味などございません。
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この茶番劇は、私にとっては、もはや遠い世界の出来事のように思えました。
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