獣王の花嫁─ときは縁を結ぶ

しろがね はな

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「テア!」
 仕事を早く終わらせた主人が嬉しそうに走ってくる。幼子もそちらを見る。
 ─まったく、困ったひとだわ。
 彼女は苦笑した。
 庭園、というには小さな場所で花に水をやったり種を蒔いたりしていた。
 たどり着くと、ぎゅうと抱きしめられた。
「会いたかったよ」
「はいはい、おつかれさまでした。あなた、汚れますよ?」
 主人の背中をポンポンと労いを込めて綺麗な手の方で叩く。
 見つめる幼子にも、彼はハグをした。訳が分からずくすぐったい~と笑う娘。
 食事にしましょうか、と侍女長に声をかけられるまでずっとやっていた。

 食事時はいつも主人は笑顔だ。
 大反対されていたというのに、最後には皆を説き伏せ皇帝からお墨付きを貰い彼女と結婚をした。
 それから1年後、娘が産まれた。娘が産まれてからも彼のテアに対する愛情は変わらなかった。テアの人柄もあり、使用人たちをはじめ、親族や貴族も親しくしてくれている。有難いことだ。
それから数年、母子ともに良くして貰っている。

 ただひとつ、彼に告げなければいけないことがあった。まだ若い主人であったがこの家にも関わる事だ。

食事も終わったところで、テアは侍女長と娘の乳母、主人の執事のみを残し人払いをした。
「どうした?テア」
彼は相変わらずご機嫌である。
そんな彼に少々苦笑する。朗らかで、優しく「いい人」なのだ。
「あなた。フィズフィス家は皇帝さまの血縁でございますよね?いつかは望まれれば皇帝さまにお力を尽くす……」
唐突な話題にきょとんとする主人だが、ああ、と頷いた。
テアは微笑しながら続けた。
「ではどうか、何かありましたら娘を優先的に扱いくださいませ。」
何をいきなり話し出したのか分からず、主人は困惑している。
「この国の為にも、この家の為にも、皇帝陛下、そして一族と民を救うべく娘を優先的に「使う」ことをお考え下さい」
「優先的……?使う……?」
テアはコクリと頷く。
「よろしゅうございますね?」
一種の圧のような言葉に、主人は躊躇いがちにああ、と答えた。
侍女長達は静かに聞いている。

「あなた」
テアは居住まいを正して主人をみた。
そして。
「私は、長くは生きられません。保って1年との事です」
綺麗な微笑からは想像もつかない言葉が飛び出し、主人は一瞬何を言っているか理解が出来なかった。
「どうも少数の人間がかかる奇病のようで。数年前から兆しはありました。治す術は見つかっておりません。それに私にお金を割くくらいなら、民たちに少しでも行き渡るようにしてあげてください。
それから─私が居なくなった後はきちんとした家柄からちゃんとした方をご正妻にお迎えください。そして、私と変わらず愛して差し上げてください。娘は、その奥様のお子の手助けをするよう日々言って聞かせておりますので。間違っても後継の争いには入らないようにと口酸っぱく教えています」
穏やかに、ただ穏やかに告げる彼女に主人は呆然とするしか無かった。
侍女長たちは沈痛な面持ちで黙って聞いていた。

翌日より職務をしながら奇病のことを調べる毎日。医師にも怒り何度も確認した。
本当に、本当に病なのかと。資料も取り寄せ隅々まで穴が空くくらい読み込んだ。かなしいかな、分かることは病状のみで如何に進行してゆくかだけだった。資料を放り投げ頭を抱え込む。

「ご正妻をお迎えください」

テアの言葉がチクリと胸を刺す。
自分が愛しているのはテアだ。身分の差を超え、手に入れた幸せの女性ひと。そしてその証のひとり娘。
まだこれからだというのに。なんとかならないのか。
「……テア……!!」
悲嘆にくれる姿をみて、執事は小さな咳払いをした。



「お父さま、今日もいらっしゃらないの?」
室内で刺繍をするテアの横ですこし少女らしくなったメティアナはつまらなさそうに本の頁をめくっていた。
「……そうねえ。お仕事が忙しいんじゃないかしら」
テアは少し寂しげな笑みで答えた。
そっかあ、と本を閉じるメティアナ。代わりにぬいぐるみと戯れだした。
「旦那様がお見えになられました」
侍女長がテアに告げる。
続いていつもとおりの優しい笑みをたたえた主人が来室した。
「おとうさま!!」
メティアナはぬいぐるみを放り出し走って父に抱きつく。
テアは手を止め、少し驚いたような安堵したような表情かおで主人を見た。
「……おかえりなさいませ」
変わらぬ笑顔で主人を見る。
そして。
「おめでとうございます」
変わらぬ笑顔で言った。
ヒュ、と窓の外で風が通り過ぎた。

テアには報らされていた。正妻を迎えること。それがどんな方なのか。

少女のメティアナにはよく分からなかったが、父の顔色が少し暗くなった気がした。
「……おとうさま?」
しがみついて見上げたまま問うと、普段の表情に戻りメティアナを抱き上げ、ぎゅうとした。
「愛しているよ、メティアナ」
きゃははと無邪気に笑う子に対し、静かな居住まいの彼女にもまっすぐに言った。
「愛している、テア。これからもずっと」
母は顔色を変えなかった、と思う。
ただただメティアナは、こんな日々がまた続けばいいと思うだけだった。


─その半年と少し経ちメティアナの誕生日を過ぎた頃だった。
珍しく虹の出た朝、テアは柔らかな表情のまま、息を引き取った。
亡骸に呆然とするメティアナ。
さっきまで色々話していたのに。
両手で挟んでくれた右手がほんの少しずつ冷たさを感じてゆく。
「……かあさま……?」
掠れた声で何度も呟いた。
手を握りかえしても反応はなく、するりと甲にあった手が寝具に落ちる。
「かあ……さま……」
ぽたり、と雫が落ちる。
変わらない微笑み。

「失礼します、そろそろお食事を……」
数回ノックをしたのだろう。ドアをそっと開け、侍女長が2人を見─両手で口を塞いだ。

柔らかな日が差し込む寝台で横たわる女主人。
その傍らで、声もなく静かに涙を流しながら母の最期のかおを忘れまいとじっと見つめる娘。

侍女長はそっと扉を閉じ引き返した。
─きてしまった。
ついに、この日がきてしまったのかと胸元をぎゅうと握った。
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