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第二十七節「空白の年月 無念重ねて なお想い途切れず」
~突如訪れた機会~
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茶奈が心を決めてから四日後。
彼女の下へ平野が訪れ、二人だけの対話が応接室で始まる。
二人が机を挟んで対面になって椅子に腰を掛け、平野が眼鏡を掛け直しながら静かに語り始めた。
「今までの田中さんの功績と職務態度から、特別休暇が与えられる事となりました。 小嶋総理からは既に許可が降りています。 今回の特別休暇では施設の外へ出る事が許されますが、くれぐれも藤咲勇、および藤咲一家との接触は避ける様お願い致します。 この約束が破られた場合、今後田中さんのみならず他のメンバー達の行動制限にも繋がるという事を肝に銘じる様に」
「……わかりました」
平野が一枚の紙を机上を滑らせる様に彼女の前に差し出す。
そこには『誓約書』という仰々しい絵柄の文字が書かれており、続く様につらづらと今語った内容が記載されている。
一番下には彼女の名前を記載する欄もあり、丁寧に押印を誘導するマークまで刻まれていた。
そこに茶奈が丁寧に書き連ね、持ってきた押印をしっかりと押す。
「これで確認は終了です。 休む日を決めたら管理委員に予定期日を記載した報告書を提出、後は制約範囲内で自由になさってもらって結構です」
「はい、ありがとうございます」
平野がそっと誓約書を手に取り書類袋へと納めると……すっくと立ち上がり、その場を後に踵を返す。
そこへ空かさず茶奈が声を上げ、彼の歩を止めた。
「平野さん……福留さんは元気にしていますか?」
「……福留先生はこの所別務で忙しく、最近お会いしていません……では、失礼致します」
素っ気なく返事を返すと……平野はそれ以上語る事無くその場からきびきびと立ち去って行った。
茶奈がそんな彼を見上げながら……寂しそうな視線を送る。
以前の様な厳格でありながらもフランクであった平野はもう居ない事に、懐かしみにも足る寂しさを感じていたから。
「福留さんにもまた会いたいな……」
そう漏らしつつ、茶奈も立ち上がる。
彼女にはこの先やりたい事があったから……その足取りはどこか自信に満ち溢れていて。
平野は今、小嶋総理の秘書として働いている。
今や完全に福留から手が離れ……政府機関として魔特隊は存在している。
そうなってから、平野もまた魔特隊隊員達との関係を遠ざけていった。
今となってはこの様によそよそしくなり……時々訪れては小嶋総理の代弁を行うばかり。
笠本は以前より引き続き、本部付けの管理役員の一人として働いているが……彼女もまた、福留の行き先はわからないのだと言う。
福留が魔特隊の直接的な管理から離れた今、茶奈達がその行方を知る術は無い。
福留の失踪……それは茶奈達にとって大きな心の拠り所を失ったと言っても過言では無かった。
聞いてもこの様にはぐらかされ、誰も教えてくれはしない。
本当は知らないのではないか、実はもう居ないのではないか……そうすら思わされる。
茶奈達がただ黙々と与えられた任務を遂行し続けていたのは、その不安を払拭する為でもあったのかもしれない。
◇◇◇
日が完全に落ち、夜が訪れる。
外出した人々が家路に就き、既に夕食すら摂り終えた時間帯。
藤咲家もまた、比較的早くなった夕食を済ませ、片付けも終わらせた後。
母親が食器などを洗い、父親はテレビを眺め……今までと変わらない日常の姿がそこにあった。
以前なら食器洗いを勇や茶奈が手伝っていたのだが……今は母親が「他にやる事が無いから」と、家事の一切を担っている。
【東京事変】の時、藤咲家の所在がインターネット上で暴露され、彼等は非難の対象となった。
その際、母親の勤務先にも迷惑が掛かるからと……彼女は自ら退職を願い出た。
勤務先の美容院は彼女が辞める事を引き留めたと言うが、母親の意思は固く……現在に至る。
なお、籍そのものは店長の意向でまだ残っているそうだ。
「いつでも戻ってきていいのよ」と言われれば、好意に甘えるしかないのが彼女の心情だ。
ちなみに父親の方はというと……こちらは未だ変わらず都内の会社で働いている。
なんでも、「二人が親子でも会社には何の関係も無いから今まで通りで良い」と言われたのだとか。
顧客にその事でやっかまれた事もあったらしいが……「彼以上の技術者は弊社には存在せず、彼を避ける以上御社の要求に対して最高の成果を出す事は出来ません」と要求を突っぱねたそうだ。
実際に彼がトップ技術者である訳ではないが、そういった差別的な物言いに対しての姿勢を見せてくれる会社には感謝しきれないと語っていた。
こういった事もあり、僅かな変化はあったが今もこうして普通の生活が出来ているという訳である。
もちろん、勇の資産だけで生きる事は出来るが……世間の体裁も加味すれば、こういった形が一番望ましいと言えるだろう。
さて勇はと言えば……何もする事が無いからと、二階の自室で絶賛筋トレ中。
これはずっと昔から変わらない。
ただ、その積み重ねが今……このようにして彼の体を構築している訳であるが。
「フッ……フッ……」
自身に宿る力を完全にコントロールする為に、動作一つ一つに意識を乗せて細かく刻む様に腕立て伏せを行う。
僅かに加減を変え、そこから起きる筋肉の伸縮速度、生まれる指の力の上下、考えうる可能性を全て意識の中に納めていく。
その様はまるで自身の肉体を研究する研究者のよう。
レポートの刻む先は自身のセンス。
全てを感覚へと刻み込み、自身が培ってきた知識のままにダイレクトに一挙一動へと繋げる。
考えるよりも速く、反射神経の様にあらゆる事象に対して緻密に正しく動く為に。
様々な動きのトレーニングをその様に繰り返す中……突然、机の上で何かが音を立てる。
それは聴き慣れない連続する電子音。
勇がそれに気付き、伏せていた身を素早く起き上がらせた。
彼の目に映るのはスマートフォン……ではなく、その横に置かれた一つのプリペイドフォン。
レンネィが茶奈に渡した物と同じ物だった。
勇がそれを手に取り、恐る恐る通話を始める。
「……もしもし?」
それは土産を持参した際にレンネィに貰った物。
理由こそ話されず、別れ際にただ無言で渡されたのである。
だからこそ彼は知らなかった……それが何の意味を成すのか。
しかし電話の先から聞こえて来た声は……彼の驚きを呼ぶ者だった。
『もしもし? 勇さんですか?』
電話のスピーカーから流れて来たのは、彼にとって聞き慣れた高く澄んだ声。
「き、君は……!!」
僅かなノイズを含むも間違えるはずも無いその声に……勇が思わず声を震わせる。
こうして聞く事など許される事も、有り得る事もないはずの……彼女の声。
『私です、茶奈です』
茶奈の声が聞こえる。
それだけで、勇の挙動は止まった。
信じられない事態に、肉体を動かす為に培ってきた思考は全て真っ白になっていたのだ。
『……勇さん?』
「え、あ……うん」
返す言葉も思いつかず、突然の出来事を前にただ相槌を打つのみ。
しかし茶奈の方はといえば……落ち着いた様な声色。
きっとこの時の為に心を纏めていたのだろう。
「ごめん……茶奈が連絡してくるとは思ってもみなくて……」
『ふふっ、連絡する事を伝えられれば良かったんですが……』
そんな事も出来ない彼と彼女の立場だからこそ仕方の無い状況と言えよう。
茶奈の落ち着いた声とほんの少し話を重ねたからだろうか。
勇の動揺も僅かに落ち着きを見せ始めていた。
「……久しぶりだね。 レンネィさんからは元気だって聞いてたけど……君の声をこうして聞くと、昔と変わってないんだなってわかる様だよ」
『勇さんも相変わらず……こういう事に対する反応が鈍いままですね……ウフフ』
痛い所を突かれ、誰に見られる事もない彼の顔が苦笑で歪む。
「でもどうして……俺と話したら君は……」
『それでも、話したい事が沢山あるから……こうしなきゃって思ったから……』
「茶奈……」
以前の彼女なら尻込みしていたであろう。
でもこうして、決まり事を破ってでも話したかった事がある。
それがわかったから……勇は静かに耳を澄ませ、彼女の声に聞き耳を立てた。
『今度の日曜、初めて会ったあの場所で……直接会って話しませんか? 私、その日特別に外出を許可されたんです。 この場ではあまり長く話せないから……』
今は恐らく本部敷地内……長く話せば誰かの目に留まるかもしれない。
通話の時間も限られている……勇はそう察し、静かに返す。
「うん、わかった……日曜、楽しみにしてるよ!」
『私も……一杯、一杯お話したいから……またお会いましょう!』
「ああ! じゃあ駅前で落ち合おう!」
こうして僅か数分間の通話は終わり、勇が耳に充てていたプリペイドフォンを降ろす。
そうした彼の顔はとても嬉しそうに……万遍な笑みをそっと天井へと向けていた。
男女がなんて事の無い想いを交わし、再び出会う日を待ち焦がれる。
その理由は何でもよかったのかもしれない。
ただ、会いたくて。
その姿を瞳に納めたくて。
家族だからという理由だけでは説明出来ない二人の願い。
それはその日、遂に叶う。
彼女の下へ平野が訪れ、二人だけの対話が応接室で始まる。
二人が机を挟んで対面になって椅子に腰を掛け、平野が眼鏡を掛け直しながら静かに語り始めた。
「今までの田中さんの功績と職務態度から、特別休暇が与えられる事となりました。 小嶋総理からは既に許可が降りています。 今回の特別休暇では施設の外へ出る事が許されますが、くれぐれも藤咲勇、および藤咲一家との接触は避ける様お願い致します。 この約束が破られた場合、今後田中さんのみならず他のメンバー達の行動制限にも繋がるという事を肝に銘じる様に」
「……わかりました」
平野が一枚の紙を机上を滑らせる様に彼女の前に差し出す。
そこには『誓約書』という仰々しい絵柄の文字が書かれており、続く様につらづらと今語った内容が記載されている。
一番下には彼女の名前を記載する欄もあり、丁寧に押印を誘導するマークまで刻まれていた。
そこに茶奈が丁寧に書き連ね、持ってきた押印をしっかりと押す。
「これで確認は終了です。 休む日を決めたら管理委員に予定期日を記載した報告書を提出、後は制約範囲内で自由になさってもらって結構です」
「はい、ありがとうございます」
平野がそっと誓約書を手に取り書類袋へと納めると……すっくと立ち上がり、その場を後に踵を返す。
そこへ空かさず茶奈が声を上げ、彼の歩を止めた。
「平野さん……福留さんは元気にしていますか?」
「……福留先生はこの所別務で忙しく、最近お会いしていません……では、失礼致します」
素っ気なく返事を返すと……平野はそれ以上語る事無くその場からきびきびと立ち去って行った。
茶奈がそんな彼を見上げながら……寂しそうな視線を送る。
以前の様な厳格でありながらもフランクであった平野はもう居ない事に、懐かしみにも足る寂しさを感じていたから。
「福留さんにもまた会いたいな……」
そう漏らしつつ、茶奈も立ち上がる。
彼女にはこの先やりたい事があったから……その足取りはどこか自信に満ち溢れていて。
平野は今、小嶋総理の秘書として働いている。
今や完全に福留から手が離れ……政府機関として魔特隊は存在している。
そうなってから、平野もまた魔特隊隊員達との関係を遠ざけていった。
今となってはこの様によそよそしくなり……時々訪れては小嶋総理の代弁を行うばかり。
笠本は以前より引き続き、本部付けの管理役員の一人として働いているが……彼女もまた、福留の行き先はわからないのだと言う。
福留が魔特隊の直接的な管理から離れた今、茶奈達がその行方を知る術は無い。
福留の失踪……それは茶奈達にとって大きな心の拠り所を失ったと言っても過言では無かった。
聞いてもこの様にはぐらかされ、誰も教えてくれはしない。
本当は知らないのではないか、実はもう居ないのではないか……そうすら思わされる。
茶奈達がただ黙々と与えられた任務を遂行し続けていたのは、その不安を払拭する為でもあったのかもしれない。
◇◇◇
日が完全に落ち、夜が訪れる。
外出した人々が家路に就き、既に夕食すら摂り終えた時間帯。
藤咲家もまた、比較的早くなった夕食を済ませ、片付けも終わらせた後。
母親が食器などを洗い、父親はテレビを眺め……今までと変わらない日常の姿がそこにあった。
以前なら食器洗いを勇や茶奈が手伝っていたのだが……今は母親が「他にやる事が無いから」と、家事の一切を担っている。
【東京事変】の時、藤咲家の所在がインターネット上で暴露され、彼等は非難の対象となった。
その際、母親の勤務先にも迷惑が掛かるからと……彼女は自ら退職を願い出た。
勤務先の美容院は彼女が辞める事を引き留めたと言うが、母親の意思は固く……現在に至る。
なお、籍そのものは店長の意向でまだ残っているそうだ。
「いつでも戻ってきていいのよ」と言われれば、好意に甘えるしかないのが彼女の心情だ。
ちなみに父親の方はというと……こちらは未だ変わらず都内の会社で働いている。
なんでも、「二人が親子でも会社には何の関係も無いから今まで通りで良い」と言われたのだとか。
顧客にその事でやっかまれた事もあったらしいが……「彼以上の技術者は弊社には存在せず、彼を避ける以上御社の要求に対して最高の成果を出す事は出来ません」と要求を突っぱねたそうだ。
実際に彼がトップ技術者である訳ではないが、そういった差別的な物言いに対しての姿勢を見せてくれる会社には感謝しきれないと語っていた。
こういった事もあり、僅かな変化はあったが今もこうして普通の生活が出来ているという訳である。
もちろん、勇の資産だけで生きる事は出来るが……世間の体裁も加味すれば、こういった形が一番望ましいと言えるだろう。
さて勇はと言えば……何もする事が無いからと、二階の自室で絶賛筋トレ中。
これはずっと昔から変わらない。
ただ、その積み重ねが今……このようにして彼の体を構築している訳であるが。
「フッ……フッ……」
自身に宿る力を完全にコントロールする為に、動作一つ一つに意識を乗せて細かく刻む様に腕立て伏せを行う。
僅かに加減を変え、そこから起きる筋肉の伸縮速度、生まれる指の力の上下、考えうる可能性を全て意識の中に納めていく。
その様はまるで自身の肉体を研究する研究者のよう。
レポートの刻む先は自身のセンス。
全てを感覚へと刻み込み、自身が培ってきた知識のままにダイレクトに一挙一動へと繋げる。
考えるよりも速く、反射神経の様にあらゆる事象に対して緻密に正しく動く為に。
様々な動きのトレーニングをその様に繰り返す中……突然、机の上で何かが音を立てる。
それは聴き慣れない連続する電子音。
勇がそれに気付き、伏せていた身を素早く起き上がらせた。
彼の目に映るのはスマートフォン……ではなく、その横に置かれた一つのプリペイドフォン。
レンネィが茶奈に渡した物と同じ物だった。
勇がそれを手に取り、恐る恐る通話を始める。
「……もしもし?」
それは土産を持参した際にレンネィに貰った物。
理由こそ話されず、別れ際にただ無言で渡されたのである。
だからこそ彼は知らなかった……それが何の意味を成すのか。
しかし電話の先から聞こえて来た声は……彼の驚きを呼ぶ者だった。
『もしもし? 勇さんですか?』
電話のスピーカーから流れて来たのは、彼にとって聞き慣れた高く澄んだ声。
「き、君は……!!」
僅かなノイズを含むも間違えるはずも無いその声に……勇が思わず声を震わせる。
こうして聞く事など許される事も、有り得る事もないはずの……彼女の声。
『私です、茶奈です』
茶奈の声が聞こえる。
それだけで、勇の挙動は止まった。
信じられない事態に、肉体を動かす為に培ってきた思考は全て真っ白になっていたのだ。
『……勇さん?』
「え、あ……うん」
返す言葉も思いつかず、突然の出来事を前にただ相槌を打つのみ。
しかし茶奈の方はといえば……落ち着いた様な声色。
きっとこの時の為に心を纏めていたのだろう。
「ごめん……茶奈が連絡してくるとは思ってもみなくて……」
『ふふっ、連絡する事を伝えられれば良かったんですが……』
そんな事も出来ない彼と彼女の立場だからこそ仕方の無い状況と言えよう。
茶奈の落ち着いた声とほんの少し話を重ねたからだろうか。
勇の動揺も僅かに落ち着きを見せ始めていた。
「……久しぶりだね。 レンネィさんからは元気だって聞いてたけど……君の声をこうして聞くと、昔と変わってないんだなってわかる様だよ」
『勇さんも相変わらず……こういう事に対する反応が鈍いままですね……ウフフ』
痛い所を突かれ、誰に見られる事もない彼の顔が苦笑で歪む。
「でもどうして……俺と話したら君は……」
『それでも、話したい事が沢山あるから……こうしなきゃって思ったから……』
「茶奈……」
以前の彼女なら尻込みしていたであろう。
でもこうして、決まり事を破ってでも話したかった事がある。
それがわかったから……勇は静かに耳を澄ませ、彼女の声に聞き耳を立てた。
『今度の日曜、初めて会ったあの場所で……直接会って話しませんか? 私、その日特別に外出を許可されたんです。 この場ではあまり長く話せないから……』
今は恐らく本部敷地内……長く話せば誰かの目に留まるかもしれない。
通話の時間も限られている……勇はそう察し、静かに返す。
「うん、わかった……日曜、楽しみにしてるよ!」
『私も……一杯、一杯お話したいから……またお会いましょう!』
「ああ! じゃあ駅前で落ち合おう!」
こうして僅か数分間の通話は終わり、勇が耳に充てていたプリペイドフォンを降ろす。
そうした彼の顔はとても嬉しそうに……万遍な笑みをそっと天井へと向けていた。
男女がなんて事の無い想いを交わし、再び出会う日を待ち焦がれる。
その理由は何でもよかったのかもしれない。
ただ、会いたくて。
その姿を瞳に納めたくて。
家族だからという理由だけでは説明出来ない二人の願い。
それはその日、遂に叶う。
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