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第三十一節「幾空を抜けて 渇き地の悪意 青の星の先へ」
~後編破曲〝命牙崩蓮掌〟~
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一瞬にして行われた攻防を前に、見学者達が思わず声を上げる。
当然、何が起こったのかわからなかった者も多い。
それでも、一瞬でイシュライトが消えて勇がそれに対応した……それだけは十分に認識出来ていた。
彼等にはイシュライトの動く姿が見えている。
勇だけが見えていないに過ぎない。
しかし、遠くから見てもわかる人知を超えた素早い身のこなしに、初めて見る者は開いた口が塞がらない様子を見せていた。
そんな時、ふと茶奈が気付く。
「あの……動きは……!?」
彼女が気付いたのは……イシュライトの動き。
それは先程の間合い詰めの延長の様に……弧が『花びら』を描いていた。
勇の周りを描く一輪の花……まるでその様にも見えて。
「もしかしてあれって……!!」
勇に届く事の無い茶奈の声が静かに呟かれる。
彼女の心配をよそに……勇はイシュライトの攻撃に備え、その意識を周囲に配り続けていた。
しかしまだ勇は気付いていない。
それすらもイシュライトの置いた布石であるという事に……。
◇◇◇
広場の中央で勇が構え、次の一手に備える。
相手は気配では悟れぬ動きを行うイシュライト……感覚に頼っては捉える事は出来ない。
命力を感じ取れない今の勇ならなおさらだ。
空気の動きを読み取り、肌で位置と動きを探る。
そして一定のリズムを掴み、相手の動きを歪める。
ッタァーン!!
不規則な床の衝撃音を幾度と無く刻み、勇がその度に体を回して相手の動きを察知しようと試みていた。
威嚇は効いている……それは間違いないのだから。
「フウッ……フウッ……」
小さな呼吸がリズミカルに継がれ、勇の平常心を保たせる。
落ち着いて対応すれば如何な事があろうと対処が出来る自信があったからだ。
経験はあちらが上でも、実力は勇が上……それは彼自身も理解している事。
だからこそ、おごる事無くそれを発揮する為に、勇は最善策を導き出したのである。
その合間にも、イシュライトの奇襲は続く。
不規則に死角から襲い掛かるも、その度に勇は察知して攻撃をいなし、反撃する。
しかしそれでも捉える事は出来ず。
その様な攻防が繰り返され、勇の集中力を削いでいく。
そんな中でも勇は諦める事無く、イシュライトの動きに合わせて対処速度を徐々に上げ始めていた。
そう……上がり始めているのだ。
当然勇も気付いてはいる。
ただそれを冷静に捌き続けているに過ぎない。
いずれも腰の入っていない牽制の一撃……未だ躱すに足る攻撃ばかりだからこそ。
でも油断は出来ない。
いつ何時、本命の一撃が来るかわかりはしない。
だからこそ勇は防ぎ続けるしか無い。
その先に在る活路を見出す為に。
ッパァーーーーーーンッ!!
幾度目の攻撃が繰り出され、勇の防御する拳に打ち当たる。
だがそれは……先程までとは大きく異なっていた。
パンッパァーンッ!!
先程まで一撃だった攻撃がとうとう連撃を重ねる様になったのだ。
それだけではない。
途端に攻撃間隔が狭まり、まるで畳みかけるかの様に勇へと襲い掛かった。
「何ッ!?」
怒涛の連撃が勇へと襲い掛かる。
それは余す事の無い全角度、全周囲からの攻撃。
「うおおおおッ!!!??」
遂にイシュライトの猛攻が極限に達した時……その場が異質に包まれた。
なんと、勇を中心に……床へ巨大な蓮の様な花の紋様が形成されていたのだ。
それは命力を伴った足跡軌道。
不規則の様でしっかりと描かれた……イシュライトだけの攻撃軌道。
これぞ彼の真骨頂。
―――貴方に感謝します……私にここまでさせてくれた事をッ!!―――
その名も【命牙崩蓮掌】。
勇の全周囲へ力を篭めた掌底が一瞬にして繰り出される大技である。
命力軌道を大地へ刻み、その力を自身の加速力へと変換する。
それが超高速での移動を可能とし、更にここから生まれた回転運動が掌底の威力を最大限に引き出すのだ。
蓮の軌跡を更に濃くしながら、速く、強く。
その速度はもはや人の眼には捉える事叶わない。
その威力はもはや並みの者に耐える事叶わない。
まさに攻防一体。
イシュライトが編み出した神速拳……それが遂に解き放たれた。
全周囲からの凄まじい衝撃が与えられ、勇の意識を刈り取る。
謎の力で防御していたのにも関わらず、そのダメージは完全に彼の体へ通していた。
例えデュゼローを追い詰める程の力を持つ謎の力でも、防ぐ事叶わぬイシュライトの連撃。
それはもはや……彼が頂点の領域に達しようとしている何よりもの証。
もちろん大技だからこその威力ではあるが、それが通じるという事実が重要なのである。
水平に撃ち放たれた連掌は勇の体をなお地に固定させたまま。
連撃の影響によって崩れつつある勇はもはや動く事叶わない。
そんな彼の前に立ち、イシュライトが拳を構える。
そして遂に……イシュライトからの最後の攻撃が撃ち放たれようとしていた。
「これで終わりです―――ッ!?」
ダンッ―――
しかしイシュライトはあろう事か……途端に床を蹴り、勇から離れる様に跳んでいた。
―――ットーン……
そして最初の頃よりもずっと離れた場所へと着地し……再びその身を構えさせたのだった。
「フウッ……フウッ……!!」
その息遣いは先程の冷静とは打って変わり焦りを伴うもの。
身を縮める様に固めさせ、警戒心をふんだんに露わとさせていた。
「……今攻撃したら……間違いなく、やられていたのは私でした……!!」
思わず漏れた本音。
予想だにもしていなかった展開に……そう言わずには居られなかったのだから。
それに対し勇は……先程の攻撃によってその身を崩れさせ、中腰になったままだ。
だが、防御する腕の間から覗く瞳は……全く死んではいなかった。
それどころか、強い意思をぶつけんばかりに……見開いた眼をイシュライトへと向けていたのだ。
周りから見れば、それは何が起きているのかわかりはしない。
しかし、イシュライトには見えていた。
勇から自身へとぶつけられた……殺意にも似た激しい暴力衝動を。
それがイシュライトを脅えさせ、身を引かせたのである。
「だがこの意思は殺意ではありません……もっと別の……」
落ち着きを取り戻そうと呼吸のリズムを整え、心を蝕んでいた焦りを徐々に和らげる。
次第に呼吸が普段の静けさを呼び、いつもの冷静さを取り戻し始めていた。
それでもイシュライトは前に出る事は無く……勇の動きを静かに見つめる。
彼の衝動の正体がわからぬ以上、迂闊に動く事が出来ないと感じたからだ。
その間にも、勇はゆっくりとその身を起こし……イシュライトへと向けて再び構え始めていた。
ただ一心にイシュライトを睨み付けながら。
勇の体の至る所には、先程の攻撃で出来た大きな痣が浮かび上がっている。
それに苦しむ様子も見せず、まるで何事も無かったかのように……力強く構える様を見せつけた。
「フゥーーー……」
勇の口からとめどない息が吐き出される。
肺に溜まった空気を全て絞り出す様な深い深い排気。
そして大きく息を吸い込み……大量の空気を取り込んだ肺が胸を大きく膨らませた。
その時、突如として勇の顔が鋭く下がる。
ドンッ!!!!
それもまた一瞬の出来事だった。
一瞬にして……勇がイシュライトの懐へと飛び込んだのだ。
「くおおーーーッ!?」
イシュライトすら認識する事の出来ぬ速度。
床が防御素材で出来ていなければ崩壊すらしてしまいかねない程の威力で踏み出し、瞬時にその距離を詰めたのだ。
それと同時に勇の渾身の正拳突きが撃ち込まれる。
全身を捻り、回転力と突進力を余す事無く乗せた一撃。
バロルフを打ち上げたのと同じ威力を持つ……流星の拳である。
ドッバォウッ!!
凄まじい衝撃波が遅れて到達し、拳と共にイシュライトへと襲い掛かる。
だがそれは直線的な一撃。
イシュライトは咄嗟にその正拳突きを掌で滑らす様に受け流した。
ギャギャギャッ!!
拳撃を繰り出した腕を覆う空気の膜に触れるだけでも激しく掌の皮を削ぎ取り、轟音を掻き鳴らす。
その音源は命力の壁が削れた事によるもの。
謎の力をコントロールする事が出来る様になった今、もはや命力を貫く事すら造作も無く可能になっていたのである。
しかもイシュライト程の実力者の命力の壁をも、である。
だが、その一撃をもイシュライトは躱しきった。
自身の手の皮など構う事無く……完全にいなしきったのである。
そこから待つのは、彼による反撃。
イシュライトは既に、いなした際の回転力を利用してその身を素早く捻り……勇の頭部へと向けて拳を振り込んでいた。
その瞬間……イシュライトの体に激しい衝撃が走る。
なんと、勇が振り抜いた腕を強引に振り上げたのである。
イシュライトがいなし、滑らせていた掌、腕、体ごと。
それは彼の反撃すら無為にさせる程の強引な力技。
そのままイシュライトの体は空中へと打ち上げられ……その身を舞わせた。
それでも諦める事無く、イシュライトが空中で体勢を整える。
次の一手に備える為……勇の追撃を躱し、反撃に繋げる為に。
それが出来ると思っていたのは……彼のおごりだったのかもしれない。
「なッ!?」
それに気付いた時、イシュライトは驚愕する。
勇は地上で悠長に待つはずも無かったのだ。
腕を振り払った時の勢いのままに、もう片方の腕で……イシュライト目掛けて振り込んでいたのである。
勇とイシュライトとの距離は既に人二・三人分も離れている。
だがその拳が降り抜かれた瞬間……突如イシュライトの体に凄まじい衝撃がぶつけられたのだった。
ッドォォォンッ!!!!!
それは勇が撃ち放った拳による拳圧。
流星が如き一撃は、威力を空気に載せて伝達させられる。
空気そのものを叩きだす事によって。
故に……この程度の距離間など、勇には何の意味も成しはしない。
「ぐぅおおおおッ!?」
撃ち出された拳圧が放射状に広がり、イシュライトの全身くまなくへとぶつけられた。
途端、体がまるでひしゃげた様に歪み、捻られる。
たちまちバランスを崩し……拳圧領域から飛び出す様に弾かれたのだった。
床へと向けて打ち付けられるイシュライト。
余りの勢いに、その体が一転二転していく。
しかし、それが逆に地の付く方向を彼に教えた。
空かさずその体を捻らせ、その勢いを利用して崩れていた体勢を整える。
両足を床に突き、膝に肘を打ち付ける事で・……転がる勢いを強引に抑え付けた。
ザザザーッ!!
そしてとうとうその勢いは留まり、無事に着地する事が出来たのだった。
「うっ!?」
そんな折、イシュライトに異変が襲う。
膝が……上がらない。
それだけではない。
肩も、腰も、まるで砕けてしまったかのように……立ち上がる事を拒否していたのだ。
無理に立ち上がろうとしても、全身に震えを呼ぶだけ。
それほどまでのダメージを……先程の一撃で受けてしまっていたのである。
―――なんという……一撃ッ!!―――
それはイシュライトの顔を歪ませてしまう程に想定を超えたもの。
たった一撃で……全身を砕かれてしまった。
その様な現実が容赦なく彼の心を焦燥心で覆い尽くす。
なおも勇が迫り来るその中で。
もうイシュライトに抵抗する力は残っていなかった。
ただの反撃すらも出来ぬ身体へと成り果てた今……ただ頭を垂れ、己の無力さに打ちひしがれるのみ。
それでも勇の一撃を見届けんと……イシュライトは再びその頭を上げる。
目の前で拳を振り上げている勇の強さを眼に焼き付ける為に。
ッドバァーーーッ!!
爆風の様な凄まじい轟音が鳴り響く。
勇の渾身の一撃が振り下ろされたのだ。
だがその拳は……イシュライトの顔面紙一重で……止められていた。
「これで……終わりだな」
勇もまた、イシュライトに戦う力が残っていない事を悟っていた。
それも当然か……もし戦えるのならば、今の一撃を躱す事などイシュライトには造作も無い事だったのだから。
だからこそ確信し、その拳を止めたのである。
これ以上は、勇の望まない無意味な戦いとなってしまうのだから。
当然、何が起こったのかわからなかった者も多い。
それでも、一瞬でイシュライトが消えて勇がそれに対応した……それだけは十分に認識出来ていた。
彼等にはイシュライトの動く姿が見えている。
勇だけが見えていないに過ぎない。
しかし、遠くから見てもわかる人知を超えた素早い身のこなしに、初めて見る者は開いた口が塞がらない様子を見せていた。
そんな時、ふと茶奈が気付く。
「あの……動きは……!?」
彼女が気付いたのは……イシュライトの動き。
それは先程の間合い詰めの延長の様に……弧が『花びら』を描いていた。
勇の周りを描く一輪の花……まるでその様にも見えて。
「もしかしてあれって……!!」
勇に届く事の無い茶奈の声が静かに呟かれる。
彼女の心配をよそに……勇はイシュライトの攻撃に備え、その意識を周囲に配り続けていた。
しかしまだ勇は気付いていない。
それすらもイシュライトの置いた布石であるという事に……。
◇◇◇
広場の中央で勇が構え、次の一手に備える。
相手は気配では悟れぬ動きを行うイシュライト……感覚に頼っては捉える事は出来ない。
命力を感じ取れない今の勇ならなおさらだ。
空気の動きを読み取り、肌で位置と動きを探る。
そして一定のリズムを掴み、相手の動きを歪める。
ッタァーン!!
不規則な床の衝撃音を幾度と無く刻み、勇がその度に体を回して相手の動きを察知しようと試みていた。
威嚇は効いている……それは間違いないのだから。
「フウッ……フウッ……」
小さな呼吸がリズミカルに継がれ、勇の平常心を保たせる。
落ち着いて対応すれば如何な事があろうと対処が出来る自信があったからだ。
経験はあちらが上でも、実力は勇が上……それは彼自身も理解している事。
だからこそ、おごる事無くそれを発揮する為に、勇は最善策を導き出したのである。
その合間にも、イシュライトの奇襲は続く。
不規則に死角から襲い掛かるも、その度に勇は察知して攻撃をいなし、反撃する。
しかしそれでも捉える事は出来ず。
その様な攻防が繰り返され、勇の集中力を削いでいく。
そんな中でも勇は諦める事無く、イシュライトの動きに合わせて対処速度を徐々に上げ始めていた。
そう……上がり始めているのだ。
当然勇も気付いてはいる。
ただそれを冷静に捌き続けているに過ぎない。
いずれも腰の入っていない牽制の一撃……未だ躱すに足る攻撃ばかりだからこそ。
でも油断は出来ない。
いつ何時、本命の一撃が来るかわかりはしない。
だからこそ勇は防ぎ続けるしか無い。
その先に在る活路を見出す為に。
ッパァーーーーーーンッ!!
幾度目の攻撃が繰り出され、勇の防御する拳に打ち当たる。
だがそれは……先程までとは大きく異なっていた。
パンッパァーンッ!!
先程まで一撃だった攻撃がとうとう連撃を重ねる様になったのだ。
それだけではない。
途端に攻撃間隔が狭まり、まるで畳みかけるかの様に勇へと襲い掛かった。
「何ッ!?」
怒涛の連撃が勇へと襲い掛かる。
それは余す事の無い全角度、全周囲からの攻撃。
「うおおおおッ!!!??」
遂にイシュライトの猛攻が極限に達した時……その場が異質に包まれた。
なんと、勇を中心に……床へ巨大な蓮の様な花の紋様が形成されていたのだ。
それは命力を伴った足跡軌道。
不規則の様でしっかりと描かれた……イシュライトだけの攻撃軌道。
これぞ彼の真骨頂。
―――貴方に感謝します……私にここまでさせてくれた事をッ!!―――
その名も【命牙崩蓮掌】。
勇の全周囲へ力を篭めた掌底が一瞬にして繰り出される大技である。
命力軌道を大地へ刻み、その力を自身の加速力へと変換する。
それが超高速での移動を可能とし、更にここから生まれた回転運動が掌底の威力を最大限に引き出すのだ。
蓮の軌跡を更に濃くしながら、速く、強く。
その速度はもはや人の眼には捉える事叶わない。
その威力はもはや並みの者に耐える事叶わない。
まさに攻防一体。
イシュライトが編み出した神速拳……それが遂に解き放たれた。
全周囲からの凄まじい衝撃が与えられ、勇の意識を刈り取る。
謎の力で防御していたのにも関わらず、そのダメージは完全に彼の体へ通していた。
例えデュゼローを追い詰める程の力を持つ謎の力でも、防ぐ事叶わぬイシュライトの連撃。
それはもはや……彼が頂点の領域に達しようとしている何よりもの証。
もちろん大技だからこその威力ではあるが、それが通じるという事実が重要なのである。
水平に撃ち放たれた連掌は勇の体をなお地に固定させたまま。
連撃の影響によって崩れつつある勇はもはや動く事叶わない。
そんな彼の前に立ち、イシュライトが拳を構える。
そして遂に……イシュライトからの最後の攻撃が撃ち放たれようとしていた。
「これで終わりです―――ッ!?」
ダンッ―――
しかしイシュライトはあろう事か……途端に床を蹴り、勇から離れる様に跳んでいた。
―――ットーン……
そして最初の頃よりもずっと離れた場所へと着地し……再びその身を構えさせたのだった。
「フウッ……フウッ……!!」
その息遣いは先程の冷静とは打って変わり焦りを伴うもの。
身を縮める様に固めさせ、警戒心をふんだんに露わとさせていた。
「……今攻撃したら……間違いなく、やられていたのは私でした……!!」
思わず漏れた本音。
予想だにもしていなかった展開に……そう言わずには居られなかったのだから。
それに対し勇は……先程の攻撃によってその身を崩れさせ、中腰になったままだ。
だが、防御する腕の間から覗く瞳は……全く死んではいなかった。
それどころか、強い意思をぶつけんばかりに……見開いた眼をイシュライトへと向けていたのだ。
周りから見れば、それは何が起きているのかわかりはしない。
しかし、イシュライトには見えていた。
勇から自身へとぶつけられた……殺意にも似た激しい暴力衝動を。
それがイシュライトを脅えさせ、身を引かせたのである。
「だがこの意思は殺意ではありません……もっと別の……」
落ち着きを取り戻そうと呼吸のリズムを整え、心を蝕んでいた焦りを徐々に和らげる。
次第に呼吸が普段の静けさを呼び、いつもの冷静さを取り戻し始めていた。
それでもイシュライトは前に出る事は無く……勇の動きを静かに見つめる。
彼の衝動の正体がわからぬ以上、迂闊に動く事が出来ないと感じたからだ。
その間にも、勇はゆっくりとその身を起こし……イシュライトへと向けて再び構え始めていた。
ただ一心にイシュライトを睨み付けながら。
勇の体の至る所には、先程の攻撃で出来た大きな痣が浮かび上がっている。
それに苦しむ様子も見せず、まるで何事も無かったかのように……力強く構える様を見せつけた。
「フゥーーー……」
勇の口からとめどない息が吐き出される。
肺に溜まった空気を全て絞り出す様な深い深い排気。
そして大きく息を吸い込み……大量の空気を取り込んだ肺が胸を大きく膨らませた。
その時、突如として勇の顔が鋭く下がる。
ドンッ!!!!
それもまた一瞬の出来事だった。
一瞬にして……勇がイシュライトの懐へと飛び込んだのだ。
「くおおーーーッ!?」
イシュライトすら認識する事の出来ぬ速度。
床が防御素材で出来ていなければ崩壊すらしてしまいかねない程の威力で踏み出し、瞬時にその距離を詰めたのだ。
それと同時に勇の渾身の正拳突きが撃ち込まれる。
全身を捻り、回転力と突進力を余す事無く乗せた一撃。
バロルフを打ち上げたのと同じ威力を持つ……流星の拳である。
ドッバォウッ!!
凄まじい衝撃波が遅れて到達し、拳と共にイシュライトへと襲い掛かる。
だがそれは直線的な一撃。
イシュライトは咄嗟にその正拳突きを掌で滑らす様に受け流した。
ギャギャギャッ!!
拳撃を繰り出した腕を覆う空気の膜に触れるだけでも激しく掌の皮を削ぎ取り、轟音を掻き鳴らす。
その音源は命力の壁が削れた事によるもの。
謎の力をコントロールする事が出来る様になった今、もはや命力を貫く事すら造作も無く可能になっていたのである。
しかもイシュライト程の実力者の命力の壁をも、である。
だが、その一撃をもイシュライトは躱しきった。
自身の手の皮など構う事無く……完全にいなしきったのである。
そこから待つのは、彼による反撃。
イシュライトは既に、いなした際の回転力を利用してその身を素早く捻り……勇の頭部へと向けて拳を振り込んでいた。
その瞬間……イシュライトの体に激しい衝撃が走る。
なんと、勇が振り抜いた腕を強引に振り上げたのである。
イシュライトがいなし、滑らせていた掌、腕、体ごと。
それは彼の反撃すら無為にさせる程の強引な力技。
そのままイシュライトの体は空中へと打ち上げられ……その身を舞わせた。
それでも諦める事無く、イシュライトが空中で体勢を整える。
次の一手に備える為……勇の追撃を躱し、反撃に繋げる為に。
それが出来ると思っていたのは……彼のおごりだったのかもしれない。
「なッ!?」
それに気付いた時、イシュライトは驚愕する。
勇は地上で悠長に待つはずも無かったのだ。
腕を振り払った時の勢いのままに、もう片方の腕で……イシュライト目掛けて振り込んでいたのである。
勇とイシュライトとの距離は既に人二・三人分も離れている。
だがその拳が降り抜かれた瞬間……突如イシュライトの体に凄まじい衝撃がぶつけられたのだった。
ッドォォォンッ!!!!!
それは勇が撃ち放った拳による拳圧。
流星が如き一撃は、威力を空気に載せて伝達させられる。
空気そのものを叩きだす事によって。
故に……この程度の距離間など、勇には何の意味も成しはしない。
「ぐぅおおおおッ!?」
撃ち出された拳圧が放射状に広がり、イシュライトの全身くまなくへとぶつけられた。
途端、体がまるでひしゃげた様に歪み、捻られる。
たちまちバランスを崩し……拳圧領域から飛び出す様に弾かれたのだった。
床へと向けて打ち付けられるイシュライト。
余りの勢いに、その体が一転二転していく。
しかし、それが逆に地の付く方向を彼に教えた。
空かさずその体を捻らせ、その勢いを利用して崩れていた体勢を整える。
両足を床に突き、膝に肘を打ち付ける事で・……転がる勢いを強引に抑え付けた。
ザザザーッ!!
そしてとうとうその勢いは留まり、無事に着地する事が出来たのだった。
「うっ!?」
そんな折、イシュライトに異変が襲う。
膝が……上がらない。
それだけではない。
肩も、腰も、まるで砕けてしまったかのように……立ち上がる事を拒否していたのだ。
無理に立ち上がろうとしても、全身に震えを呼ぶだけ。
それほどまでのダメージを……先程の一撃で受けてしまっていたのである。
―――なんという……一撃ッ!!―――
それはイシュライトの顔を歪ませてしまう程に想定を超えたもの。
たった一撃で……全身を砕かれてしまった。
その様な現実が容赦なく彼の心を焦燥心で覆い尽くす。
なおも勇が迫り来るその中で。
もうイシュライトに抵抗する力は残っていなかった。
ただの反撃すらも出来ぬ身体へと成り果てた今……ただ頭を垂れ、己の無力さに打ちひしがれるのみ。
それでも勇の一撃を見届けんと……イシュライトは再びその頭を上げる。
目の前で拳を振り上げている勇の強さを眼に焼き付ける為に。
ッドバァーーーッ!!
爆風の様な凄まじい轟音が鳴り響く。
勇の渾身の一撃が振り下ろされたのだ。
だがその拳は……イシュライトの顔面紙一重で……止められていた。
「これで……終わりだな」
勇もまた、イシュライトに戦う力が残っていない事を悟っていた。
それも当然か……もし戦えるのならば、今の一撃を躱す事などイシュライトには造作も無い事だったのだから。
だからこそ確信し、その拳を止めたのである。
これ以上は、勇の望まない無意味な戦いとなってしまうのだから。
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