公爵夫人は謎解きがお好き

灰猫さんきち

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第3章 水面下の戦い

57:最後の調律

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 私の力は破壊ではない。鎮静。調和。寄り添って相手の言葉を聞き取ること。
 荒れ狂う物語を根源から鎮めて、あるべき場所へと還す。
 私の「調律」の波長を受けた壁画から、悲鳴のような音が響いた。迫っていた幻影兵たちが、まるで絵の中に吸い込まれるように、次々とその姿を消していく。

「なっ……! 私の英雄譚が、私の聖域が……!」

 最大の戦力を無力化され、ラザラスは愕然とした表情で立ち尽くす。
 だが彼の瞳に宿る光は、まだ消えてはいなかった。
 彼はゆっくりと振り返ると、背後にある巨大なマナ・クリスタルに向かって手をかざした。

「――ならばこの私が、神の力で、あなた方を裁きましょう」

 マナ・クリスタルからおびただしい量の魔力が、彼の身体へと流れ込んでいく。その身体はまばゆい光に包まれ、やがて人ならざるものへと、その姿を変容させ始めた。
 最後の戦いが始まろうとしていた。







 まばゆい光が収まった時、そこに立っていたのは、もはやラザラスという名の青年ではなかった。
 背には純粋な魔力でできた六枚の光の翼。感情の色を失い、ただ紫色の光で満たされた瞳。それは、自らを神と称するにふさわしいほど神々しく――魂の底から凍てつくほどに禍々しい「何か」だった。

「――我は新世界の神なり。古き世界の咎人よ、その身に裁きの光を受けよ」

 その声は複数の男女の声が混じり合ったような、奇妙な響きを含んでいた。
 彼が、いや、『それ』が片手を振りかざすと、聖堂の空間そのものが歪み、私たちに襲いかかってきた。セオドアが即座に展開した幾重もの防御結界が、まるで薄いガラスのように、あっけなく砕け散る。
 あれほど苦戦していたケルベロスさえ、空間の歪みに飲み込まれてあっさりと消えた。

「くっ……!」

「セオドア!」

 これまでの幻影兵など児戯に等しい。天変地異のような純粋な力の奔流。私たちはただ防戦一方に追い込まれた。しかも確実に追い詰められている。私の胸のペンダントも、悲鳴のようなきしみ音を立てている。

 絶望的な攻防の最中、私は「調律」の力で感じ取っていた。
 ラザラスはあの強大な力を、全く制御できていない。彼の魂はマナ・クリスタルから流れ込む巨大すぎる魔力の奔流に飲み込まれ、悲鳴を上げている。彼の掲げた「救済」という理想は、とっくに暴走している。これはもはや救済ではない。すべてを無に帰す、狂気の「浄化」だ。

「あれは神などではない!」

 セオドアが、吐き捨てるように叫んだ。

「自らの力に溺れた、哀れな子供だ!」

 彼もまたラザラスの攻撃が、ただ力の奔流を垂れ流しているだけであることを見抜いていた。だがその子供の癇癪が、このままでは大陸全土を消し飛ばしかねない。

 その時、私はセオドアの瞳にある覚悟が宿るのを見た。
 それはかつて私を救うために彼が選んだ道とは逆の、すべてを自分一人で背負おうとするもの。たった一人きりで世界から消え去ろうとする、あまりに孤独で悲しい覚悟だった。

「アリアーナ、君だけは逃げろ! アレクシスに連絡を!」

 セオドアはかつて自らを蝕んでいた呪いの術式を、その身に再び刻もうとする。暴走するマナ・クリスタルの魔力を、すべてその身に封じ込めるつもりなのだ。そうすれば莫大な魔力は、彼の体と魂を飲み込んだ後に崩壊して消えるだろう。
 私は彼の前に立ちはだかった。

「いいえ、セオドア。あなたを一人にはさせません」

 涙が頬を伝う。

「私たちは、二人で一つなのですから」

 あなたが再び孤独の闇に沈むくらいなら、私も共に。
 私の覚悟に、彼は息を呑んだ。

「……アリアーナ」

「私が、暴走するマナ・クリスタルそのものを『調律』します」

 私は、最後の作戦を提案する。

「ですが、それには準備の時間と集中力が必要。だから、セオドア……お願いです。準備が終わるまで、私を守ってください。あなたが、私の最後の盾になって」

 彼は私の瞳を真っ直ぐに見つめる。ほんの少しの迷いは、私の危険を思いやってのことか。
 しかし最後に、力強く頷いてくれた。

「承知した。必ず、守り抜く」

「ありがとう。……始めます」

 私は目を閉じた。すべての意識を、暴走するマナ・クリスタルへと注ぎ込む。
 セオドアが、私の前で最後の防御結界を展開する。ラザラスの猛攻が叩きつけられる。結界が砕けるたびに、セオドアの口から苦悶の呻きが漏れるのが聞こえる。血の匂いが私の鼻をついた。

(ごめんなさい、セオドア。もう少しだけ、耐えて……!)
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