公爵夫人は謎解きがお好き

灰猫さんきち

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第3章 水面下の戦い

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 私の意識は、もはやこの聖堂にはない。マナ・クリスタルと一体化して、その先にある大陸全土の地脈へと広がっていく。傷つき、泣いている大地の魔力に、私の魂が歌いかける。
 それはもはや言葉ではない。
 鎮まれ、と。穏やかであれ、と。
 愛する故郷と愛する人の未来を願う、魂の歌。
 究極の「調律」。

 やがて私の意識がゆっくりと浮上した時、聖堂は嘘のような静寂に包まれていた。
 暴走する魔力の奔流は止まっている。ザラスは光の翼を失って、ただの抜け殻となった青年の姿で、床に崩れ落ちていた。
 マナ・クリスタルは、夜明けの空のような、穏やかで清らかな青い輝きを取り戻していた。

「……終わったのですね」

「ああ……終わった」

 満身創痍のセオドアが、優しい手つきで疲労困憊の私を支えてくれていた。

 私はふらつく足を叱咤して、床に倒れているラザラスに近寄った。銀の髪の青年は目を閉じて、まるで眠っているようにさえ見える。

 ――ごめんなさい。

 ふと、声が聞こえた。

 ――ごめんね。僕、助けられなかったよ。

 小さく貧しい村の風景が見えた。銀の髪の少年が、彼そっくりの小さな少女と手を取り合って座っている。二人とも痩せこけていて、生気が感じられない。

『みんな、死んじゃったね』

 少女が言った。あどけない声だった。

『たべもの、なくなっちゃったね。おなか、すいたね……』

『待ってろ。兄ちゃんが、何か食べるものを探してきてやるから』

『ううん、いいよ。あたしのそばにいて。行かないで、おにいちゃん』

『でも、このままじゃひもじくて死んじゃうよ。行ってくる』

 少年はふらつく足で立ち上がった。野山に分け入り、いくばくかの山菜や木の実をやっと見つけて戻ってくると――少女の命は尽きていた。

『……なんで』

 少年が膝をつく。手に持っていたわずかな食物が、ばらばらと地面に散らばった。

『なんで! 僕たち、何も悪いことなんかしていないのに! なんで神様は助けてくれないんだ!』

 やがて神官たちが死に絶えた村にやって来て、少年を引き取っていった。少年は聖職者として育ちながらも、心の底に神への不信感とこの世の救済を抱えながら生きていた……。

「…………」

 ラザラスの心の奥底には、妹を助けられなかった罪悪感と自責の念がある。
 たぶん彼は本気で、マナ・クリスタルによる救済を計画していたのだろう。それが妹のような被害者を産む事実からは目を背けて。

 ラザラスの魂は、大きすぎる魔力で壊れてしまった。今残っているのは、彼の根源にある思い出だけだ。
 彼がこれからどうなるのか、私にもわからない。
 ただ……いつか自分を取り戻すことがあれば、犯した罪と向き合ってほしいと思う。二度と悲劇を生まないように。

 そして、彼自身の心のために。





 数週間後。賢者の塔には、いつもの穏やかな日常が戻っていた。
 国王陛下から、最大限の感謝の言葉を賜った。あの一件は隣国にも知られることなく、極秘裏に処理されたらしい。私たちの国から奪われた魔力は、マナ・クリスタルの正常化に伴って、ゆっくりと確実に元の土地へと還り始めているという。
 全てが秘密のうちに始まって、終わった。だから私たちに栄誉はない。
 でも、そんなものはどうだっていいのだ。私たちの力で国を、国に住まうたくさんの人々を救えたのだから。

 ……まぁ正直なところを言えば、報奨金はたっぷりもらった。アシュベリー公爵家は十分な資産家だが、お金はいくらあってもいい。
 私の愛する天才魔道学者様が存分に研究するための資金になるし、私としても使い道は色々考える。

 もう一つ。
 すべての記憶を失ったラザラスは、王宮の地下で厳重な保護観察下に置かれている。
 彼が自我と記憶を取り戻すかどうかはわからない。今はただ、心の奥底に残った悲しい思い出を抱いて、ぼんやりと毎日を過ごしているとのことだ。

 中庭では、あの古い木が今年も美しい花を咲かせていた。
 その下で、私は愛する夫の肩にそっと寄りかかる。

「私たちの戦いは、これで終わりでしょうか」

「いいや」

 セオドアは穏やかに微笑んで、私の髪を優しく撫でた。

「始まりだ。この世界にはまだ我々の知らない謎や、救いを求める人々がいる。君と私、二人でならどこへでも行ける」

 偽りの契約から始まった、私たちの物語。
 それは国を救うという、想像もしなかった結末を迎えた。
 そして今。無限の可能性を秘めた新しい日常が、ここからまた始まっていく。

「ええ、どこへでも」

 私は頷き、彼の顔を見上げる。
 温かい日差しの中、私たちの唇が、静かに重なり合った。
 永遠の愛を誓う、夜明けの口づけだった。
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