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第25話 固執
しおりを挟む私を愛してくれれば、誰でもいい。
さやかの母親、トヨコは幼い頃からそう思っていた。
3人姉妹の長女として産まれ、専業主婦の母親とサラリーマンの父親の会社の小さな社宅で暮らす、ごく平凡な家庭だった。
違う、周囲からは、ごく平凡な家庭に見えた。
社宅といっても小さな台所、風呂、トイレと六畳の和室が3つしかない、こじんまりとした社宅で、5階建てのワンフロアには二軒ずつしか家がなく、8棟しかない、フェンスで囲まれた息苦しい場所だった。
ドアを開ければ目の前が、隣の家のドアが見えるほど近い。小6だったトヨコが2、3歩あるけば隣の家の鉄製のペンキで塗られたブルーの冷たいドアだ。
壁や階段は、コンクリート打ちっぱなしの無機質な建物で幼心でも気持ちが凍えていくような社宅。
トヨコの下には年子の妹2人がいる。母親に似た内向的な妹達2人は仲が良く、外向的なトヨコとは合わなかった。
社宅内で、トヨコの母親が父親の同僚でも昇進した話を聞くと内向的な母親は、外に出ることを嫌がった。
トヨコの父親は、仕事はきちんとする人だったが、出世欲のない人で社宅内では、後から入ってきた人が出世しても社宅内では、トヨコの家が1番下だ。
トヨコの母親は、日に日にやつれ、ある日うつ病を発症した。父親は気持ちの問題だと母親を叱咤したが、ますます悪化。母親は笑わなくなる。
学校でカースト制度はなかったが、社宅内にはあった。
登校する時に、同じ小学校に通う同級生のお母さんに引き留められた。
「お母さん、元気?最近見ないわね。トヨコちゃんも大変ね」
母親が病気だと知って話してきたのは、わざとだ。トヨコは心の中が黒く染まっていく。トヨコの後ろにいる妹2人は黙りこくっている。
早くこの場所から、この世界から、このフェンスから、出たい。
トヨコが学校から帰ってきても、母親は無表情のまま布団に潜り込んでいる。テーブルの上には、朝トヨコが作った目玉焼きとトーストの残りが、そのまま置かれている。
それを見ただけで、トヨコの気持ちは沈んだ。
「おかあさん、ただいま」
ランドセルを置き、お皿洗いを始める。
「トヨコ、お母さん、なんにも出来ないから、妹達に夕食は出前を頼んであげて」
無気力な、トヨコに無関心な冷たい声が返ってきた。トヨコを見ようともしない。
そんな毎日が、トヨコが大学を出て社会人まで続いた。父親は父親で相性の合う妹達としか、話さない。
私はこんなに頑張っているのに。
いつからか、トヨコは両親から微量しかもらえない愛情に固執していた。
社会に出て、正社員として働き同僚とお酒を飲んだり遊びに行ったり、何人かの恋人も出来たが、恋人止まりで、それはトヨコが固執している愛情ではない。
取引先からいつも来る、土屋トヤマと言う男性から声をかけられ、付き合うようになった。
トヨコが話せば、トヤマはちゃんと話を聞いてくれ、トヨコが笑えばトヤマも笑う。
久しぶりに人と話すのが楽しかった。
トヨコに見向きもしない父親や関心すらない母親とは違う。
その後、トヨコはトヤマと結婚した。
私を愛してくれれば誰でもいい。そんな真相が心の中にある事をトヨコは知らない、知ろうとしたくもなかった。
トヨコにとって、トヤマは愛する対象ではなかった。なぜなら、トヨコを愛してくれる人が結婚の条件だ。トヤマに、トヨコは固執すらしていなかった。
トヨコは、知らない。
あの社宅のフェンスの中から出たいがために固執しずぎて、囚われすぎて、あのフェンスからいまだに出られていないという事を。
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