カンテノ

よんそん

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第3章 サフォケイション

3-10 空と海

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 僕らが乗るクロスカントリー車は一般道を走る。時刻は11時を既に過ぎているため、道を走る車は多い。

「もうしばらく一般道を走るつもりだから眠くなったらいつでも寝てくれ。何かあったらすぐに起こす」

  ファルさんにそう言われ、隣に座る一颯さんは微睡み始めた。ほとんど寝ていなかったし、流石にそろそろ限界だったのだろう。僕も瞳を閉じ、クアルトへと意識を向ける。


  クアルトに着くなり、僕は早々にシクスと稽古を始める。あの軍人、ブルータルはラウディさんの話によれば相当な手練れだ。
  そして、江飛凱えひがい 凰寿おうす。あいつを倒さなきゃいけない。交渉で事が済むならそれに越した事はないが、そう上手くいくような気がしない。少しでも力を付けねばならない。

「想、焦ってますか?」

  僕の拳を受け止めたシクスがそう言った。心を見透かされたようで、僕は動きが止まってしまった。

「強くなりたいという気持ちはわかります。でも、精神が乱れては行動に影響が出ます。落ち着いて」

  あぁ、そうだ。シクスの言う通りだ。僕は一呼吸おいて、再びシクスに拳を放つ。

  数十分ほどトレーニングをしてから、シクスに休憩にしましょうと言われ、僕はソファに腰をおろす。
  自分は強くなれているのだろうか。あの強そうな男達に立ち向かえるのだろうか。そんな事を考えてしまう。やはり、まだ僕は焦っている。

「ごめんね、そーくん。なんかー、あたしのせいで面倒臭い事に巻き込んじゃったよね」

  顔を上げると、姉さんが弱々しく笑っている。姉さんがこんな表情をして、こうやって本音で謝る事なんて珍しい。

「姉さんは何一つ悪くない。世の中が、どこかおかしいんだ」

  僕は姉の言葉を否定した。姉が謝る事なんて何もない。

「ありがとう、そーくん。あのSDカードの事、あたしすっかり忘れてたよ! 押し付けるような形になっちゃったけど。あの時計をそーくんが大事にしていてくれて本当によかった。時計そのものを大事にしてくれてたのが嬉しかったんだ。そーくんは、やっぱりそーくんだなって」

  今日は珍しく姉が素直だ。前回のようなレースクイーンの衣装ではなく、白いブラウスの上にネイビーのジャンスカを着ている。大人しめでありながらも、可愛らしいコーデだ。

「姉さんからもらった物だもん。そりゃあ大切にするよ」

  僕がそう言うと、姉は満面の笑みを向けてお礼を言ってくれた。

「想は真面目でいい弟ですね。はい、紅茶です。それから、アップルパイを用意しておいたので召し上がってください」

  シクスが紅茶と共にアップルパイをテーブルに置いてくれた。シナモンのいい香りが鼻をくすぐる。

「美味しいよ、シクス! リンゴの甘みがすごい」

  僕はあまりの美味しさに興奮してしまい、それを見たシクスはどこか嬉しそうにしていた。

「シクスはそーくんの事を親友と思ってるけど、親友であると同時にそーくんは兄でもあるんだよ? あたし達3人は、3人で姉弟なんだから」

  姉さんはアップルパイを1口食べてからそう言った。そう言われると不思議だな。シクスの事を年上だと思っていたからな。

「僕がお兄さんてなんか似合わなくない? ずっと弟って気持ちだったし」

「あたしだって、そーくんが産まれた時そうだったんだよ? お姉ちゃんになるんだーって不思議な気持ちだったな」

  姉は当時を思い出すように懐かしんでいた。

「私が、弟ですか? 2人は私の姉と兄ですか? フフッ、そうですね。確かにその通りです」

  姉の言葉を聞いてずっとぽかんとしていたシクスだったが、納得し始めたようだった。

「あー! シクスが笑った!」

  姉が目敏く反応した。やはり2人きりでいる時もシクスは笑わないのだろうな。

「い、いけませんか?」

   シクスは珍しく動揺している。中々見ることができない彼の反応に僕は思わず笑ってしまう。

「べっつにー? 普段からもっと笑えばいいんじゃない?」

  姉は得意の意地悪そうな顔をしている。しかし、シクスはそれを真に受けて、精進しますなどと言っている。僕ら3人はみんな違うけど、それでもどこか似ている。

「それで、あのスペースコロニーですか? あれは一体何なのですか?」

  シクスは紅茶を一口飲んでから姉に訊ねた。姉は真剣な面持ちになる。

「あれの使用用途についてははっきりしてない。考えられるのは、ノアの方舟のような物ではないかという事。それが一番妥当だろう」

  ノアの方舟。旧約聖書に於いて、大洪水を前にノアの家族と動物を乗せ、その危機から逃れるために造られたと言われている代物。

「それをゼブルムは造ろうとしているの? 何らかの危機から逃れるため?」

  僕は自分でも考えを巡らせながら口にする。

「現段階では憶測の域を越えないけどね。でも、あたしがこれを見つけたのが7年も前だからね。今はどこまで計画が進んでいるのかはわからない」

  姉はそう言って長い白銀の髪を撫でるように触っている。僕は壁面に映し出された宇宙要塞のデータを改めて見る。これが7年前の物なのか。

「姉さんは、自殺じゃなかったんだよね? あの江飛凱って男に殺されたんだよね? あいつは何者なの?」

  僕は意を決して姉に質問した。姉自身に死んだ瞬間の事を思い出させるような事をしたくはなかったからだ。

「あたしからしたら殺された気でいたんだけど、自殺って扱いにされてたみたいだね。それ知ったのさっきだったから驚いたよ。自殺扱いにして事実を隠蔽しようだなんて、いかにもアイツが考えそうな事だね」

  そうか、姉は自殺扱いされていた事を知らなかったのか。少し、僕は気が楽になった。
  しかし、事実をねじ曲げるやり方は、今回の僕らの指名手配の件についても同じだな。自分達の都合のいい方へと物事を動かしていくわけか。

「江飛凱、あの男は底知れない奴だよ。何を考えているかわからない。あたしは死んだ時の事をよく覚えているけど、何が起きたのか今でもよくわからない。何か見えない力に押されてビルの屋上から落とされた。それしかわからないなー」

  やはり正体不明のグラインド能力か。今はまだ何もわからない状態だな。

「あの男は、今は想を狙ってるわけですね。執念深い奴ですね」

  シクスはそう呟いた。どこか憤っているような、そんな声だった。

「こっちのオレンジの髪の男については姉さんも知らない?」

  壁面にあの3人の男の写真を映し出し、僕は指で差しながら聞いた。唯一正体がわからない男。

「残念ながらこいつはあたしも知らない。少なくとも、あの職場にはいなかったよ」

  姉はそう言った。そうか。何者なのだろうな。そして、少し間を置いてから僕はまた訊ねる。

「姉さん、あの職場、つらくなかった? ブラックだったって噂も聞いたけど」

  姉は当時、愚痴の1つも僕に話さなかった。だから、僕の知らない所で泣いていたりしたんじゃないかと、姉がいなくなってから僕は悲しんでいた。

「あー、なんか他と比べたらだいぶ厳しい事ばっかやってたよね。周りの同期の子も結構やめてっちゃったりしてさ。でも、あたしは負けたくなかったからさ。いつも、『気合い気合い』って言い聞かせて、いつか出世したらあの江飛凱のツラぶん殴ってやるって毎日思ってたよ。まぁ、死んじゃってそれも叶わなかったけど」

  姉の言葉に僕は思わず吹き出してしまった。姉は怪訝そうに僕を見る。

「姉さんはやっぱり姉さんだね。なんだか、安心した」

  僕がそう言うと、姉は納得したのか微笑みながら頷いていた。その後も3人でゆっくり話をして、僕は現実を忘れてしまいそうになるほど、緩やかな時を過ごした。この2人は、僕にとって、とてもかけがえのない存在だ。


  クアルトから戻る。隣の一颯さんはまだ寝ているようだ。ゆっくり休ませてあげよう。窓から外を見るとまだ一般道を走っているようだ。
  時刻はお昼に差し掛かっており、道は混雑している。急ぐ必要もないので、このまま進めば何も問題はない。

  少し走り続けると、僕のいる左側の窓から海が見えた。海なんて何年ぶりに見ただろうか。それは言ってしまえば、「大きな水溜まり」なのだが、規則的かつ様々な波を引き起こす様を見ていると、生き物であるかのような錯覚を覚える。雄大で、全てを見守っていてくれる存在。

「あ、海ですねー。すごーい」

  と、いつの間にか隣の一颯さんが目を覚ましていた。

「起きてたんですか? まだ寝ててもいいですよ?」

  僕がそう言うと、彼女は首を振り、

「もう少し見ていたいので。なんだか安心します」

  そう言って少し身体を僕のいる左側へ乗り出していた。

「海は大きい。俺、ファルゼン、お前達は住む国が違う。だが、海と空が繋がっている。国に帰ったとしても、ずっと繋がっている」

  ラウディさんがサングラス越しに海を見ながらそう呟いた。その言葉に僕は無言で頷く。クアルトだけじゃなく、現実世界にも僕にはかけがえのない仲間がいる。今は遠く離れているシルベーヌさんとも、海と空が繋いでくれている。

  それから更に何十分か車で走った所で、ファルさんが口を開く。

「カフェにでも寄るか? お昼も過ぎたし、平日だから人もそんなにいないだろ?」

「僕は構いませんけど、大丈夫でしょうか? また帽子を被って変装します?」

  ラウディさんとファルさんを交互に見る。

「全く。まぁ、こんな事もあろうかとさっきの米軍基地で貰ってきた物がある。弟の髪は目立つからな」

  そう言って、ラウディさんは紙袋から黒髪のカツラ、帽子、それから伊達眼鏡を取り出した。

「お、やるねー、大佐ー。用意周到だな! これなら大丈夫だろ」

  ファルさんも「大佐」という呼び方が気に入ったようだった。

「だから、俺は大佐じゃねぇって言ってるだろ。ドドマルとミスイブキは帽子だけでも大丈夫か? サングラスもあるぞ」

  そう言ったが、ドドはまだ起きていない。一颯さんは自前の帽子と眼鏡をしていくようだった。

  数分車を走らせ、カフェに到着し、ラウディさんがドドを起こす。軽く殴りながら。慌てて起きたドドは寝ぼけながら事情を飲み込み、髪を縛り、帽子をかぶってサングラスをした。
  僕はカツラを被り、伊達眼鏡をする。そして、5人でカフェへと入店した。

「なんだかカフェに来るのもちょっと久しぶりに感じますね。璃風にいた頃は毎日のように通ってましたし」

  一颯さんは席に着くなり、ウキウキとメニューを眺めていた。万全の変装で入店したが、店内には客は数人程度だったので安心した。
  僕らは昼食も兼ねて、軽食と飲み物を注文し、しばし休息の時を過ごした。

「旅は楽しいですか?」

  ふと、声を掛けられた。いつの間にか、隣のテーブルに女性が2人、男性が1人座っていた。声を発したのは男性だった。その男性がこちらを向く。

 「初めまして、弖寅衣くん」

  そう言って、男は自分の頭に手を置き、その毛を引っ張る。カツラだった。僕と同じ様にカツラをしている。
  そして、カツラを取った男の髪はオレンジ色をしていた。
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