カンテノ

よんそん

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第4章 ナターシャ

4-7 群青

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 先生の家での暮らしは続き、僕達は毎日のように山に入り、その恵みを頂き、生活していった。
  雨が降っている日は前日までに残っていた備蓄の食料で済ませる。そして、その時間は内職に費やす。具体的に言うと、裁縫をしたり、木の蔓を編んで小物を作ったり、木をナイフで削って置き物を作ったりした。

  先生の家に来てから2週間経ち、僕はリハビリがてらに少しずつ身体を動かすようにしていく。初めは本当に軽いストレッチからだった。
  山に入る時には、少しずつ走る事も始めた。まだ骨折は完治していない。それでも、その状態でも戦うべき時がいつ来てもいいようにと、先生にも協力してもらった。

「無理するとまた身体に響くよー?」

  木々の合間を走りながら先生は僕にそう声をかけた。隣で走っているモンジも一声、ワンと鳴いた。

「このくらいなら大丈夫です」

  僕はそう言う。峽峰の樹海の中は地面がうねうねして、木々もぐねぐねしていたためもっと歩きにくかったが、ここは地面も安定しているため走りやすい。
  そして、何より僕も先生の下で少しだけ修行してみたかったのだ。思い切って先生にその旨を伝えると、

「そうか、ならしょうがないね。少し、鍛えようか」

  そう言って先生は川へと連れて行き、ここで泳げと言った。僕はカナヅチではないが、水泳はあまり得意ではない。しかも川の流れはかなり速い。

「ほら、慣れれば君もいつかはあの男のように」

  見ると、ドドは川の流れに逆らいながらバタフライで泳いでいた。おそるべし。

  僕は意を決して川に入る。9月下旬の川の水は冷たすぎる。しかし、修行したいと言ったからにはやらなくてはと、平泳ぎで泳ぎ始める。が、川の流れに逆らう所か、少しずつ流されてしまう。
  危うく溺れかけそうになった瞬間もあったが、それでも自分の体勢を保ちつつ、泳ぎ続ける。少しだけだが、手足の動かし方、動かすタイミングを掴んでいく。

「き、きつい。流石にもう無理」

  川の流れに逆らえるようになった所で、僕は岸に戻って仰向けに倒れた。息が苦しく、貧血気味になる。と、先生は僕にタオルを渡してくれ、いつの間にか焚き火も起こしてくれていた。

「だいぶ泳げるようになったね。百々丸はこれを毎日やってたんだよ?」

  そう言って先生は僕に水筒のお茶も渡してくれた。ドドと同じ事は流石に無理かもしれないが、それでも少しだけでも鍛えたい。
 
  他にも薪割りの作業もやり始めた。これがなかなかきつい。上半身だけでなく、全身の筋肉も使う。
  骨折してない片腕でも1本2本程度なら余裕だったが、何本もやり続けているうちに腕が上がらなくなった程にきつい。
 
  そして、先生の家で暮らし始めて20日目の夕食後、僕は胸の内の決意を打ち明ける。

「そうか……旅立つんだね」

  先生は寂しそうに微笑んでいた。ドドに相談もせずに決めてしまったが、彼は別段驚きもせずに、まるで僕の心中を見抜いていたかのように目を閉じて微笑んでいる。

「先生、本当に、何から何までお世話になりました。僕は、あなたから多くの事を学ばせていただきました。生きる事、人の心、そして強さを。こんな僕を助けてくれて、本当に、本当にありがとうございました」

  僕は頭を下げながらも泣いていた。

「想くんがいなくなるのは寂しいね。でも、わかっているよ。君には、やるべき事があるんだろ? まだ身体は完治していないが、君が決めた事だ。自信を持って進みなさい。そして、必ず生きてまた会いに来ておくれ。モンジと一緒に待ってるからね」

  モンジは状況を察したのか、僕の頬をペロペロ舐めてくれた。

「はい、必ずこのご恩を返しにまた来ます」

  そして、最後の夜を過ごした。ここでの日々を思い出し、なかなか寝付けなかったが、それでも明日のために、数分でも寝るようにと睡眠を取った。

  翌朝、朝食の後僕らは先生に別れを告げ旅立った。先生は旅立つ僕らにおにぎりとあの漢方薬をくれた。最後までお世話になりっぱなしだ。

「さて、ここから先は俺も考えてねぇんだ。とりあえず、当てのない旅でもするか」

  再び山道を歩き出し、ドドはそう言った。来た道とは別の道を歩いて山を下りるようだった。

「そうだね。行き場所がなくなったらどこかの離島に行くか、それか国外に行こうか」

  幸い、この3週間でサバイバル生活を学んだ。ドドに比べたら僕なんかまだまだだけど、それでも今はやれそうな気がしてしまう。
  緩やかな下り坂が続いていたが、時には草木が生い茂った道無き道を進む。ドドはこの山々の地形を熟知していたので、僕は安心して彼の案内に従う。

  途中、見晴らしのいい丘に出た所でお昼にする。先生からもらったおにぎりを2人で食べた。中身は鮭だ。以前、ドドが取った鮭を塩麹に漬けていたらしく、とても美味しかった。

  次はさらにまた山を登って行く。今までだったら途方もない道程に感じたかもしれない。しかし山道にも慣れ、怪我も回復しつつあるので苦ではない。

「待て。誰かいる」

  と、数時間歩いたところで、前方を歩くドドが緊張した声を発した。傾斜が緩い山道を下っていたところだ。確かに人の気配がする。1人じゃない。何人かの足音が前方のカーブ地帯の向こうからする。どうする? 隠れるべきか?

「お、こんな所に人がいるなんて珍しいなぁ? 登山ですかな?」

  隠れようにも隠れる場所がなく悩んでいると、相手の方が少し驚きながら声をかけた。その後ろからぞろぞろと人が現れる。
  皆、作業着を着ており、背中に材木や大きなバックパックを背負っている。肌も焼けている人が多く、いかにも肉体労働者といった印象だ。

「あぁ、そうなんだ。趣味でね。日本中の山を周ろうとしてるところなんだ」

  ドドは平然とそう言ってのけた。その言葉に相手の男達はみな感心していた。と、その男達を掻き分けるように、声を上げながら後ろからやってくる人影がいた。

「なんじゃ? なんじゃー? んおっ? 人がおったんか? いやー、こりゃ失礼しましたわ! 旅人さんかね?」

  なかなか恰幅かっぷくのよい短髪の男が現れた。年齢は50代程だろうか。首に赤いバンダナを巻いている。作業着のツナギを着ており、その袖の部分を腰の辺りで縛り、黒いTシャツを着ている。

「あぁそうだ。山を巡って旅をしてるんだ。あんたらはこの辺の人なのか?」

  こんなにも大人数いるのだから恐らくそうなのだろう。しかし、僕らを見ても指名手配犯だとは言ってこないし、知らないのだろうか。

「そうさ! オラたちゃこの近くの里に住んでんだ。あんた達、もしよかったら寄ってきなよ! こんな山の中で会ったのも何かの縁じゃな! おう、そうだ申し遅れたがオラの名前はブルヘリアっちゅーんだ」

  やはり外国の人か。日本人離れしているなーと思っていた。

「こんな所に里なんかあったのか。そうだなー、もうじき日も暮れるし、せっかくだから寄らせてもらうか」

  ドドは僕の方にも確認し、彼らの里について行く事になった。先生のように都会離れしている人は指名手配のニュースなど見ていないのかもしれない。もしかしたら、2週間も経って指名手配が解除されているかもしれないとも考えたが、流石にそれは楽観的すぎるか。

  そして、ブルヘリアと名乗った男の案内で辿り着いた里を見て僕は目を見開いて驚いた。そこは里と言うよりも作業所や鉱山に近かったからだ。
  山の谷間に位置するその里は、山の傾斜地を削って段状にしてあり、その平地に住居や製作所が軒を連ねるように配置されている。上下の建物を繋ぐように階段や、昇降機なども設けられている。

「すごい所ですね。なんだか、町みたいですね」

  僕は驚きのあまり言葉を発した。住民達にも活気が満ちている。

「でしょでしょう? ここで作った製品を街まで運んでんのよ。生産性にも優れてるから、日に日に拡大してそのうち都市になっちまうわなぁ! ンナッハッハッ!」

  ブルヘリアさんは変な笑い方をした。ちょっと変わった人なんだな。そして、彼の案内のもと、僕らはその里を見て回る事になった。
  材木は、家具や新しい建物を作るための資材にしている他、工芸品のような何かの木像に加工したりもしていた。
  また、鉱石などもこの周辺で採掘しているらしく、それを加工する製鉄所があった。ここは最早、小さな工業都市と言っても過言ではない。こうやって町はできていくんだなと、僕はしみじみ思った。

「いよーしっ! せっかくだからお二人にご馳走しまっさ! 遠慮せずじゃんじゃん食べておくんな!」

  そう言って、ブルヘリアさんは僕らを大衆食堂へと案内した。そこはとても広い場所だったが、夕刻で既に人がごった返していた。

「すげぇな! こんなに人いるのか。賑わってるなー」

  ドドは辺りを見渡しながら驚いていた。

「メニューも充実してますし、ほとんど居酒屋並みですね」

  壁際に貼られた品目を見て僕も驚いている。ビールもある事から、下の街との交流も盛んなようだ。

「食べ物はまぁ油っこいものが多いがね。ささ、どんどん注文しておくんなまし!」

  なかなか景気のいい人だ。周りの住人もブルヘリアさんによく声を掛けていたため、彼がこの里の中心人物のようだ。
  僕はカレーライスを頼み、ドドは500gのステーキとライス大盛り、さらにビールも頼んでいた。

「群青色の兄ちゃん、もっと頼んでいいんよー? あ、まだ名前聞いとらんかったね。なんて言いますの?」

  僕はもうカツラを被っておらず、ブルヘリアさんはこの髪の毛の色の事をそう称した。ブルヘリアさんの問いに僕は予め用意していた回答をする。

「僕は寺井、こっちは島田です」

  念の為、偽名を使わせてもらった。少し安直すぎた名前かもしれないが。

「寺井さんかぁ! 山がお好きなんで? 山はいいよなー。なんちゅーか、こう自分に素直になれるっちゅーかな?」

  ブルヘリアさんは日本人でないからか、たまに変な喋り方になる。発音は違和感ないのだが。

「はい、その通りだと思います。都会にいるとついつい山が恋しくなってしまうんです」

  僕は今、山を愛する男、寺井。その役になりきるんだ。

「ンホホホホッ! 山に恋しちゃっとるんすな! ロマンチストかい! ンホホ!」

  なんだこの人の笑い方は。本当に変わった人だ。僕はカレーを吹き出しそうになるのをぐっと堪えた。幸い、料理はとても美味しく、ブルヘリアさんに感謝して、食事を堪能した。
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