上 下
19 / 112
幕間2

魔王のホワイダニット

しおりを挟む


〈マチルダに聞いてみた〉

 恋と愛の違い……ですか?
 そうですね……。

 例えば、ヴァニタス様が書いていらっしゃる物語。
 その物語に登場する人物に恋をするってこともあり得ると思うんです。
 当然、物語の登場人物から反応が返ってくることはないんですけど、それでも立派な恋だと思うんです。

 でも、愛ではないんです。
 愛とは、相手から反応が返ってくることを前提に、相手を思うことではないかと。

 ええ、それが自身の望む反応ではないかもしれません。
 相手にだって思いを拒否する権利があります。

 でも、相手にも意思があり、こちらから何かを起こせば反応が返ってくることを前提に、相手を思うのが愛ではないかなと、私は思うんです。

 ピグマリオン……ですか?
 自身の彫った彫刻に恋をした王と、それを知った女神によって人間となった彫像の物語ですか……素敵です。

 いつかそんな恋物語を是非書いてください、ヴァニタス様。

 いいえ……そんな。
 絶対に書けますとも。

 ヴァニタス様にもいつか必ず恋と愛を知り、素敵な恋物語を書ける日がきっとやって参ります。



〈メモリアに聞いてみた〉

 恋愛とは何かって?
 そんなの私より、あの紫の……げふん。
 まぁ、いいわ。

 恋愛……そう、恋愛ねぇ……。

 そもそも、恋愛って理屈じゃないと思うのよ。
「恋愛とはこういうものだ」って答えられるものじゃないと思うの。

 恋愛って、感情じゃないかしら?

「あの人と一緒に居たい」とか、「あの人と一緒に過ごしたい」とか、衝動的にそう思って動いたりして。

 案外、終わった後に気づくのが恋愛だと思うのよ。
 渦中では気づけない。
 終わった後で「あ、あれは恋愛だったんだな」って気づく……みたいな。

 何よぉ……こちとら乙女の集合体だっての。
 恋愛話なんて山ほどあるんだから、今度じっくり聞いていきなさい。
 その時は朝からお弁当持参でね。
 夜になるまで帰れないわよ、覚悟しときなさいね。



「うーん……」

 恋愛ってやっぱり難し過ぎるだろ……。

「ヴァニタス。悩み憂う貴方も素敵ですが、その艶やかで美しい髪を掻き毟るのはおやめさない」
「スピルス、今日のお前の言動もよくわかんねぇよ」

 スピルスはソファに座って俺が執筆したミステリー小説に熱心に目を通している。

「しかし、面白いですね。魔法のない世界で人が死亡し、死亡した人間が何故、どのように、誰が殺したのか推理する物語とは斬新な」

 いや……前世の俺の世界じゃ、魔法なんてないのが普通だからな。

「フーダニット、ハウダニット、ホワイダニットだな」

 スピルスが俺を見上げてキョトンとする。

「あぁ……そうだな。例えば地下水脈の件」

 フーダニット《誰がやったか》はメモリア。
 ハウダニット《どのようにやったか》は霊脈の力を使ってアンデッドモンスターやゴーストをけしかけた。
 ホワイダニット《何故やったか》は生前アッシュフィールド家に殺された復讐。

「な、なるほど……魔法のない世界だけの話とは限らないんですね」
「魔法のある世界の場合、ハウダニットがかなり幅広くなっちまうけどな。読者が特定できなくなる可能性もある」
「ふむ……確かに…………」

 しばらくミステリー小説に目を落としていたスピルスが、不意に顔を上げる。

「ヴァニタス。では、魔王のホワイダニットとは何でしょう?」

 ま、魔王のホワイダニット!?

「ヴァニタスが7歳の時に見た、夢の世界での魔王の話です。フーダニットはもちろん魔王。ハウダニットは各国の王を殺して自分の配下の魔物に成り代わらせた。ではホワイダニットは?」

 言葉に詰まる。
 当時のドット絵ロールプレイングゲームというのは、ほぼ全てが勧善懲悪物だからだ。

 水戸の御老公の物語と同じ。
 悪代官は悪であり、悪事を働くことに理由なんてない。

 魔王も、魔王だから悪なのだ。
 魔王が悪事を働くことに理由なんてない……が。

 それは俺、ヴァニタス・アッシュフィールドも同じだと気づく。

 ドット絵ロールプレイングゲーム「アルビオンズ プレッジ」のヴァニタス・アッシュフィールドが主人公アルビオンやラスティルの大英雄ユスティートに敵対することに理由なんてない。

 ただ悪役令息だから、敵対する……それだけだ。

 しかし、実際のヴァニタス・アッシュフィールドがゲーム通りに進んでアルビオンやユスティートたちと敵対したのであれば、そのホワイダニットは「自我を持たない人形であることを善しとして育てられたから」だろう。
 だからあのクソ親父の指示に従い、アルビオンやユスティートと敵対して倒された。

 ならば、この世界では魔王に動機があってもおかしくはない。

「人間の王を殺したとはいえ、配下の魔物に国を統治させるあたり、単純に世界を破壊しようとしているだけには思えない。むしろ秩序を重んじるタイプ……なのか?」

 しかし、考えつくのは此処までだ。
 何しろ、魔王本人に会っていない。
 本人がどんな性格なのか、現時点ではさっぱり推測できない。

「こ……れは、恋愛並みに難しいぜ」

 俺が机に突っ伏すと、スピルスが立ち上がって俺の頭を撫でた。

「ヴァニタスは今、恋愛についてどう思っているのですか?」

 俺が考える恋愛……。
 パッと思いつくのはヴィクトル・ユーゴーの『レ・ミゼラブル』だ。
 主人公と娼婦、主人公と養女、若者と養女……彼ら彼女らよりも、俺は……。

「俺は主人公を執拗に追う刑事と、次々と不幸のどん底に突き落とされながらも彼を許す主人公に“恋愛”を感じたんだよな」

 革命まで起きている渦中でかつてパン1本を盗み、服役まで終わっている主人公を追い続ける刑事。
 そんな彼を許し、命まで救おうとする主人公。
 刑事は最終的に自死してしまうのだが……。

「恋は執着の表裏。愛は憎悪の表裏。でも、そんなものがどうして持て囃されるのか……」

 時を越え、世界を越え、愛される恋愛物語。

「人を……生かすからか」

 執着と憎悪に相対するのは無関心。
 無関心は容易く人を殺す。
 ヴァニタスの母親、レオノーラ姫はアッシュフィールド公爵の無関心が原因で死んだとも言える。
 同時に、アッシュフィールド公爵以外の何かに彼女が関心を持ってさえいれば、彼女は死ぬことはなかったとも言える。

「人だけじゃないかもしれませんよ。魔王もそうかもしれません」

 スピルスが、ハーフアップに束ねている俺の髪を引っ張ったので顔を上げ、振り向いて彼を見る。

「魔王は人を愛していて、だからこそ自分に無関心な人に憎悪して、自分に関心を向けようとしているのかもしれません。それが魔王のホワイダニットかもしれません……そうは思いませんか?」
「そ、れは……」

 魔王本人に会っていないから、それがホワイダニットかどうかは断言できない。
 だが……。

「それが魔王のホワイダニットだったら、俺は魔王に好感を持つな。愛すべき奴じゃねぇか、そんな奴が魔王だったら」

 スピルスはポカンと俺を見た後、クスクスと笑い出した。

「やっぱりヴァニタスは最高です。尚更欲しくなりました」

 ほ、欲しい?

「俺はモノじゃねぇええええ!!」

 中身はおっさんの俺だが、まだまだわからねぇことだらけだと痛感する。
 恋愛も魔王もスピルスも、俺にはまだ正直難しい。

 前世で子供の頃、40代なんて全知全能くらいに思ってたんだけどな。
 実際はまだまだわかんねぇことだらけだ。

 でも……。

「俺なりに、頑張って考察してみるよ。恋愛も、魔王のホワイダニットも、スピルスの言葉の真意も」

 笑顔で伝えたつもりだった。
 スピルスも笑顔だ。
 でも……何処か悲しく見えるのは何故だろう?

「スピルス……?」
「待っていますよ、ヴァニタス」

 スピルスは俺の右手を取って、手の甲に唇を落とした。

 その行為の意味も、魔王のホワイダニットも、俺が真実を知るのはまだまだ先の話。




しおりを挟む

処理中です...