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第5章 櫻と紅玉
第51話 籠の鳥
ものすごく暇だ、と曄琳は天井を仰ぐ。
正確に言うと天井ではなく、天蓋を仰いでいる。豪奢な牀榻に昼間から寝転がり、よくわからない植物の文様と雲龍で描かれた装飾を眺めているのだ。もう半刻はこうしている気がする。
皇太后に捕まってから、一月が過ぎた。
捕まるという表現は今の曄琳にぴったりの表現だ。まさに軟禁、鳥籠の鳥というやつである。
皇太后にあてがわれた曄琳の宮は、沈花宮という。名前からして非常に嫌味だ。そして必要なときに皇太后に呼び出され、やれあの男の話を盗み聞け、やれあの官人の動向を探れと言われ。しかも大体が宴席の場であるため、酒の入った面倒な男の相手をせねばならず、ほとほと嫌気がさしていた。
宮妓は皇帝のお抱え楽師であったため、あからさまないたずらはなかった。が、庶民あがりの長公主ともなると、相手も正統な皇家ほど身構えずに済むのか、馴れ馴れしい態度を取られることもしばしば。殴ってやろうかと拳を袖の中で握ることは日常茶飯事だった。
曄琳は近づいてきた足音に、のろとろと身体を起こす。
「紅琳様、夕餉をお持ちいたしました」
紅琳というのは、長公主としての曄琳の名だ。この紅い目から、自然と呼ばれるようになった。
何名もの女官が食膳を持って入室してくる。淡々と並べられていく豪勢な食事。品数など十を優に超えている。皆で食べればきっと美味しいだろうに、と思ってしまう。
曄琳の世話を受け持つ筆頭女官がいつものように一歩前へ出る。
「本日の献立は――」
朗々と読み上げられる内容は、半分ほどしか理解できない。宮廷料理は庶民には縁遠い。何を何で蒸して、などわかるわけがない。
一通りの流れが終わると、曄琳はいつものように笑顔を作る。
「ありがとうございます。後でゆっくり食べるので、皆さんはどうぞ下がってください」
人に見られながら食べるというのはどうにも慣れない。それにこんなに立派な食事、ひとりで食べろという方が無理がある。
業務に忠実な女官はぴくりと眉を動かしはしたが表情は変えない。準備を終えると毒見役を残してすみやかに退出していく。
(教坊の食事の方がおいしかったなぁ)
箸を取るが、食欲はない。まず沈花宮から一歩も出れない時点で、腹が減る訳がない。飼い殺しにされている家畜はきっとこんな気分なんだろう。
茗は元気だろうか。曄琳のことを聞いているとは思うが、どう思っているのだろう。会って話ができればと思うが、そんなことは当然許されるわけもない。
そういえば、この宮に幽閉される直前に淳良から四華の儀の結果を聞いた。
朱が首席だったそうだが、貴妃の位を辞退し交渉の末、徳妃に就いた。玉温が次点で賢妃へ就き、貴妃と淑妃の位は空位のまま儀式は終わったらしい。
碧鈴はその頑張りを認められ、場の雰囲気は悪くなかったとか。
四華の儀は顔見せの意味も強い。結局のところ、今後妃を左右するのは皇帝の寵愛だ。見事淳良の心を射止めれば、碧鈴にも可能性はある。老師を勤めた身としては応援したくもなる。碧鈴にもいつか会えればと思う。
――と、走廊の方で先程退出した女官らが囁きあう声が耳に入る。
――本当に変わった方。
――呪い子だって。
――あの櫻花妃の娘だから。
――紅い目が怖いわ。
いつものことだ。ここが離宮ということもあり、周囲には耳を妨げる騒音がない。こういった陰口は風に乗ってよく聞こえてきた。
今の朝廷がどうなっているのか曄琳にはわからない。情報が少なすぎるのだ。女官らは陰口は叩いても、それ以上の有益な話は沈花宮で話さない。どんどんとこの小さな宮の中に取り残されていく気がして、たまに恐ろしくなる。
「あのぉ、紅琳様。お召し上がりにならないのですか……?」
毒見役の女官がおずおずと切り出してくるも、曄琳は力なく微笑む。取り繕うのも疲れてきた。本来自分はこんなに愛想の良い人間じゃない。汚い言葉も使うし、足だって平気で投げ出す。近日中に絶対本性を出してやろうと心の中で誓う。
「私はあまりお腹が空いていないので、もしよろしければ、どうぞ代わりに召し上がってください」
「い、いいんですか……!」
目を輝かして食膳の前にすり寄ってきた女官。時折顔を合わせ、時折こうして食事を進めてみるとだんだんと打ち解けてきて、ぽつぽつと世間話を落としていってくれるようになった。貴重な外の情報源だ。
先の女官達はおそらく皇太后より『何も言うな』と命を受けている。業務に忠実に、余計なことは何も言わない。対してこの毒見役は殿中省管轄、皇家専門の尚食局の人間。他の女官より皇太后の息がかかっていない。外のことを探るなら彼女からと思っていただけに、お近づきになれたのは幸いだった。
「最近、外で変わったことはありましたか?」
曄琳が問うと、毒見役は米粒をつけながら首を傾げ「特にありませんねぇ」と零す。
「何か大きな事件があっただとか、面白い話だとか」
「うーん……」
「……いっそ噂話とかでもいいんですけど」
「ううーん……」
うん駄目だ、今日は何もなさそう。
諦めて曄琳も箸を動かそうとしたとき、あっと声が上がった。
「一つございます!」
「なんでしょう」
「紅琳様の縁組のお話です!」
ぶふっと咽せた。
縁組。つまり――。
「こ、輿入れ……?」
「はい!」
「ちなみにお相手は」
「わたしが聞いたのは、右僕射のご子息です」
右僕射――尚書省次官、いや実質の長官か。多分皇太后派の人間なのだろう。
「皇太后様が他にも色々とお話を持ちかけてらっしゃるそうですよ! 殿方との縁組、素敵ですねぇ」
毒見役の夢見がちな呟きは置いておいて。
やはりあの人の企みだ。降嫁させて、いよいよ曄琳の自由を奪う気なのだろう。西方や従属国へ嫁に出されるより随分マシだが、それでも嫌なものは嫌だ。
(今度こそ脱走したいところだけど、皇太后に負けるのは癪だし、淳良の行く末はもっと気になる)
諦めて嫁に行くか――曄琳は箸を咥えたまま、考える。
見ず知らずの男のもとへ自分が嫁ぐ。手が触れることもあるだろう。いや、それ以上だってあるに決まっている。
知らぬ男に抱き寄せられ、口でも吸われる己を想像して――ぞぞぞと背筋に悪寒が走った。
無理だ、絶っ対に無理。多分泣く。
曄琳は箸を置いて吐息する。
抱き寄せられる姿に、どうしてもありし日の光景が重なって――心が締め付けられるようだ。
でも、と叱咤する。
やれと言われればやる。やれるだけの気合は持ち合わせているつもりだ。それが皇家の女の勤めなのだから。
今までの生き方が自由すぎた。今の不自由さがきっと、本来あるべき曄琳の生き方なのだ。
そう自分に言い聞かせながら、夕餉を終えて。
そして、翌朝になって己の縁組が正式に決まったという話を聞き――もう一つ飛び込んできた内容に、曄琳は目をひん剥くことになる。
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