51 / 55
第5章 櫻と紅玉
第51話 籠の鳥
しおりを挟むものすごく暇だ、と曄琳は天井を仰ぐ。
正確に言うと天井ではなく、天蓋を仰いでいる。豪奢な牀榻に昼間から寝転がり、よくわからない植物の文様と雲龍で描かれた装飾を眺めているのだ。もう半刻はこうしている気がする。
皇太后に捕まってから、一月が過ぎた。
捕まるという表現は今の曄琳にぴったりの表現だ。まさに軟禁、鳥籠の鳥というやつである。
皇太后にあてがわれた曄琳の宮は、沈花宮という。名前からして非常に嫌味だ。そして必要なときに皇太后に呼び出され、やれあの男の話を盗み聞け、やれあの官人の動向を探れと言われ。しかも大体が宴席の場であるため、酒の入った面倒な男の相手をせねばならず、ほとほと嫌気がさしていた。
宮妓は皇帝のお抱え楽師であったため、あからさまないたずらはなかった。が、庶民あがりの長公主ともなると、相手も正統な皇家ほど身構えずに済むのか、馴れ馴れしい態度を取られることもしばしば。殴ってやろうかと拳を袖の中で握ることは日常茶飯事だった。
曄琳は近づいてきた足音に、のろとろと身体を起こす。
「紅琳様、夕餉をお持ちいたしました」
紅琳というのは、長公主としての曄琳の名だ。この紅い目から、自然と呼ばれるようになった。
何名もの女官が食膳を持って入室してくる。淡々と並べられていく豪勢な食事。品数など十を優に超えている。皆で食べればきっと美味しいだろうに、と思ってしまう。
曄琳の世話を受け持つ筆頭女官がいつものように一歩前へ出る。
「本日の献立は――」
朗々と読み上げられる内容は、半分ほどしか理解できない。宮廷料理は庶民には縁遠い。何を何で蒸して、などわかるわけがない。
一通りの流れが終わると、曄琳はいつものように笑顔を作る。
「ありがとうございます。後でゆっくり食べるので、皆さんはどうぞ下がってください」
人に見られながら食べるというのはどうにも慣れない。それにこんなに立派な食事、ひとりで食べろという方が無理がある。
業務に忠実な女官はぴくりと眉を動かしはしたが表情は変えない。準備を終えると毒見役を残してすみやかに退出していく。
(教坊の食事の方がおいしかったなぁ)
箸を取るが、食欲はない。まず沈花宮から一歩も出れない時点で、腹が減る訳がない。飼い殺しにされている家畜はきっとこんな気分なんだろう。
茗は元気だろうか。曄琳のことを聞いているとは思うが、どう思っているのだろう。会って話ができればと思うが、そんなことは当然許されるわけもない。
そういえば、この宮に幽閉される直前に淳良から四華の儀の結果を聞いた。
朱が首席だったそうだが、貴妃の位を辞退し交渉の末、徳妃に就いた。玉温が次点で賢妃へ就き、貴妃と淑妃の位は空位のまま儀式は終わったらしい。
碧鈴はその頑張りを認められ、場の雰囲気は悪くなかったとか。
四華の儀は顔見せの意味も強い。結局のところ、今後妃を左右するのは皇帝の寵愛だ。見事淳良の心を射止めれば、碧鈴にも可能性はある。老師を勤めた身としては応援したくもなる。碧鈴にもいつか会えればと思う。
――と、走廊の方で先程退出した女官らが囁きあう声が耳に入る。
――本当に変わった方。
――呪い子だって。
――あの櫻花妃の娘だから。
――紅い目が怖いわ。
いつものことだ。ここが離宮ということもあり、周囲には耳を妨げる騒音がない。こういった陰口は風に乗ってよく聞こえてきた。
今の朝廷がどうなっているのか曄琳にはわからない。情報が少なすぎるのだ。女官らは陰口は叩いても、それ以上の有益な話は沈花宮で話さない。どんどんとこの小さな宮の中に取り残されていく気がして、たまに恐ろしくなる。
「あのぉ、紅琳様。お召し上がりにならないのですか……?」
毒見役の女官がおずおずと切り出してくるも、曄琳は力なく微笑む。取り繕うのも疲れてきた。本来自分はこんなに愛想の良い人間じゃない。汚い言葉も使うし、足だって平気で投げ出す。近日中に絶対本性を出してやろうと心の中で誓う。
「私はあまりお腹が空いていないので、もしよろしければ、どうぞ代わりに召し上がってください」
「い、いいんですか……!」
目を輝かして食膳の前にすり寄ってきた女官。時折顔を合わせ、時折こうして食事を進めてみるとだんだんと打ち解けてきて、ぽつぽつと世間話を落としていってくれるようになった。貴重な外の情報源だ。
先の女官達はおそらく皇太后より『何も言うな』と命を受けている。業務に忠実に、余計なことは何も言わない。対してこの毒見役は殿中省管轄、皇家専門の尚食局の人間。他の女官より皇太后の息がかかっていない。外のことを探るなら彼女からと思っていただけに、お近づきになれたのは幸いだった。
「最近、外で変わったことはありましたか?」
曄琳が問うと、毒見役は米粒をつけながら首を傾げ「特にありませんねぇ」と零す。
「何か大きな事件があっただとか、面白い話だとか」
「うーん……」
「……いっそ噂話とかでもいいんですけど」
「ううーん……」
うん駄目だ、今日は何もなさそう。
諦めて曄琳も箸を動かそうとしたとき、あっと声が上がった。
「一つございます!」
「なんでしょう」
「紅琳様の縁組のお話です!」
ぶふっと咽せた。
縁組。つまり――。
「こ、輿入れ……?」
「はい!」
「ちなみにお相手は」
「わたしが聞いたのは、右僕射のご子息です」
右僕射――尚書省次官、いや実質の長官か。多分皇太后派の人間なのだろう。
「皇太后様が他にも色々とお話を持ちかけてらっしゃるそうですよ! 殿方との縁組、素敵ですねぇ」
毒見役の夢見がちな呟きは置いておいて。
やはりあの人の企みだ。降嫁させて、いよいよ曄琳の自由を奪う気なのだろう。西方や従属国へ嫁に出されるより随分マシだが、それでも嫌なものは嫌だ。
(今度こそ脱走したいところだけど、皇太后に負けるのは癪だし、淳良の行く末はもっと気になる)
諦めて嫁に行くか――曄琳は箸を咥えたまま、考える。
見ず知らずの男のもとへ自分が嫁ぐ。手が触れることもあるだろう。いや、それ以上だってあるに決まっている。
知らぬ男に抱き寄せられ、口でも吸われる己を想像して――ぞぞぞと背筋に悪寒が走った。
無理だ、絶っ対に無理。多分泣く。
曄琳は箸を置いて吐息する。
抱き寄せられる姿に、どうしてもありし日の光景が重なって――心が締め付けられるようだ。
でも、と叱咤する。
やれと言われればやる。やれるだけの気合は持ち合わせているつもりだ。それが皇家の女の勤めなのだから。
今までの生き方が自由すぎた。今の不自由さがきっと、本来あるべき曄琳の生き方なのだ。
そう自分に言い聞かせながら、夕餉を終えて。
そして、翌朝になって己の縁組が正式に決まったという話を聞き――もう一つ飛び込んできた内容に、曄琳は目をひん剥くことになる。
1
あなたにおすすめの小説
後宮の偽花妃 国を追われた巫女見習いは宦官になる
gari@七柚カリン
キャラ文芸
旧題:国を追われた巫女見習いは、隣国の後宮で二重に花開く
☆4月上旬に書籍発売です。たくさんの応援をありがとうございました!☆ 植物を慈しむ巫女見習いの凛月には、二つの秘密がある。それは、『植物の心がわかること』『見目が変化すること』。
そんな凛月は、次期巫女を侮辱した罪を着せられ国外追放されてしまう。
心機一転、紹介状を手に向かったのは隣国の都。そこで偶然知り合ったのは、高官の峰風だった。
峰風の取次ぎで紹介先の人物との対面を果たすが、提案されたのは後宮内での二つの仕事。ある時は引きこもり後宮妃(欣怡)として巫女の務めを果たし、またある時は、少年宦官(子墨)として庭園管理の仕事をする、忙しくも楽しい二重生活が始まった。
仕事中に秘密の能力を活かし活躍したことで、子墨は女嫌いの峰風の助手に抜擢される。女であること・巫女であることを隠しつつ助手の仕事に邁進するが、これがきっかけとなり、宮廷内の様々な騒動に巻き込まれていく。
耽溺愛ークールな准教授に拾われましたー
汐埼ゆたか
キャラ文芸
准教授の藤波怜(ふじなみ れい)が一人静かに暮らす一軒家。
そこに迷い猫のように住み着いた女の子。
名前はミネ。
どこから来たのか分からない彼女は、“女性”と呼ぶにはあどけなく、“少女”と呼ぶには美しい
ゆるりと始まった二人暮らし。
クールなのに優しい怜と天然で素直なミネ。
そんな二人の間に、目には見えない特別な何かが、静かに、穏やかに降り積もっていくのだった。
*****
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
※他サイト掲載
後宮の手かざし皇后〜盲目のお飾り皇后が持つ波動の力〜
二位関りをん
キャラ文芸
龍の国の若き皇帝・浩明に5大名家の娘である美華が皇后として嫁いできた。しかし美華は病により目が見えなくなっていた。
そんな美華を冷たくあしらう浩明。婚儀の夜、美華の目の前で彼女付きの女官が心臓発作に倒れてしまう。
その時。美華は慌てること無く駆け寄り、女官に手をかざすと女官は元気になる。
どうも美華には不思議な力があるようで…?
あやかしたちのとまりぎの日常
彩世幻夜
キャラ文芸
吉祥寺は井の頭公園界隈の一画で、ひっそりと営業するダイニング・バー【ペルシュ】に訪れるお客の大半はひとではないもの、いわゆるあやかしたち。
勿論店の店主や店員もまた人ではない。
そんな店でバイトをするとある専門学校生とあやかしたちが織りなす〝日常(?)〟物語
香死妃(かしひ)は香りに埋もれて謎を解く
液体猫(299)
キャラ文芸
第8回キャラ文芸大賞にて奨励賞受賞しました(^_^)/
香を操り、死者の想いを知る一族がいる。そう囁かれたのは、ずっと昔の話だった。今ではその一族の生き残りすら見ず、誰もが彼ら、彼女たちの存在を忘れてしまっていた。
ある日のこと、一人の侍女が急死した。原因は不明で、解決されないまま月日が流れていき……
その事件を解決するために一人の青年が動き出す。その過程で出会った少女──香 麗然《コウ レイラン》──は、忘れ去られた一族の者だったと知った。
香 麗然《コウ レイラン》が後宮に現れた瞬間、事態は動いていく。
彼女は香りに秘められた事件を解決。ついでに、ぶっきらぼうな青年兵、幼い妃など。数多の人々を無自覚に誑かしていった。
テンパると田舎娘丸出しになる香 麗然《コウ レイラン》と謎だらけの青年兵がダッグを組み、数々の事件に挑んでいく。
後宮の闇、そして人々の想いを描く、後宮恋愛ミステリーです。
シリアス成分が少し多めとなっています。
後宮なりきり夫婦録
石田空
キャラ文芸
「月鈴、ちょっと嫁に来るか?」
「はあ……?」
雲仙国では、皇帝が三代続いて謎の昏睡状態に陥る事態が続いていた。
あまりにも不可解なために、新しい皇帝を立てる訳にもいかない国は、急遽皇帝の「影武者」として跡継ぎ騒動を防ぐために寺院に入れられていた皇子の空燕を呼び戻すことに決める。
空燕の国の声に応える条件は、同じく寺院で方士修行をしていた方士の月鈴を妃として後宮に入れること。
かくしてふたりは片や皇帝の影武者として、片や皇帝の偽りの愛妃として、後宮と言う名の魔窟に潜入捜査をすることとなった。
影武者夫婦は、後宮内で起こる事件の謎を解けるのか。そしてふたりの想いの行方はいったい。
サイトより転載になります。
烏の王と宵の花嫁
水川サキ
キャラ文芸
吸血鬼の末裔として生まれた華族の娘、月夜は家族から虐げられ孤独に生きていた。
唯一の慰めは、年に一度届く〈からす〉からの手紙。
その送り主は太陽の化身と称される上級華族、縁樹だった。
ある日、姉の縁談相手を誤って傷つけた月夜は、父に遊郭へ売られそうになり屋敷を脱出するが、陽の下で倒れてしまう。
死を覚悟した瞬間〈からす〉の正体である縁樹が現れ、互いの思惑から契約結婚を結ぶことになる。
※初出2024年7月
大正ロマン恋物語 ~将校様とサトリな私のお試し婚~
菱沼あゆ
キャラ文芸
華族の三条家の跡取り息子、三条行正と見合い結婚することになった咲子。
だが、軍人の行正は、整いすぎた美形な上に、あまりしゃべらない。
蝋人形みたいだ……と見合いの席で怯える咲子だったが。
実は、咲子には、人の心を読めるチカラがあって――。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる