紅玉楽師は後宮の音を聞く 〜生き残りたい私の脱走計画〜

高里まつり

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第5章 櫻と紅玉

第52話 勅書

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「ちょっと待ってください! 私は今からどこへ――」
「申し訳ございません。私共も何も聞かされておりませんので」

 曄琳イェリンは慌ただしく荷を纏める女官らの間で途方に暮れる。
 
 曄琳の手には一枚の紙切れ。いや、紙切れなどと呼ぶのは万死に値する。これは勅書ちょくしょ――皇帝陛下から下されるみことのりだ。しかも御名御璽ぎょめいぎょじ淳良チュンリャンの印が燦然と輝く、この国で最も力のある勅定ちょくじょうなのだ。
 この命に逆らえる者はこの国に誰一人としておらず、あの皇太后ですら退けることは不可能だ。
  
 そんなものを頂いたのが、つい一刻前だ。
 
 驚く間もなくあれよあれよと沈花宮から出ることが決まり、片付けに追われる女官を尻目に、顔色悪くこの詔書を届けに来た使いの侍従に挟まれて、曄琳は頭を抱えている。

(主上は一体何を考えているの。こんなことに勅命を使うだなんて)

 曄琳の手の中の勅書には、つたない文字で短くこう書かれている。

 ――紅琳ホンリン長公主を宋暁明ソンシャオメイへ降嫁す。






 久しぶりに出た外は清々しい空気であった。
 しかし開放感を味わう間もなく、曄琳は重い裾を引き摺りながら外廷の大庁堂おおひろまへと赴く。扉をくぐるやいなや、高く柔らかな声が飛んでくる。
 
「曄琳!」

 淳良が顔をほころばせてこちらへ駆けてくるので、曄琳も膝をついて迎える。

「……主上」
「大事なかったか? 色々とおそくなってしまって申し訳ない。もっと早く外にだしてやりたかった」
「主上、たくさん言いたいことがあるのですが」

 曄琳は懐に畳んでいた勅書を取り出す。

「これは一体何ですか! こんなことに勅命をお使いになるだなんて、主上の治世に傷がついたらどうするんです!?」

 曄琳は本気で困惑していた。
 淳良がこのような形で厳命を下すのは初と記憶している。最初の勅命が、姉を臣下の嫁にする宣言だなんて、そんな皇帝は歴代探しても一人もいない。

「いやだったか?」
「そういう問題ではなく!」

 淳良は丸い目を瞬かせる。

「なら問題ないだろう?」
「……誰もお止めにならなかったのですか……」

 止めてくれそうな人はたくさんいそうなのに。
 曄琳が諦めて項垂れると、淳良が顔を覗き込んできた。彼はしばらく唸っていたが、何かを決心したのかそっと曄琳の耳元に口を寄せてきた。

「だまっていろと言われたが、せっかくだから言っておくぞ」
「なにを――」
「じつは、曄琳に縁組の話が出たとき、降嫁先にとシャオが真っ先に名乗りを上げたんだ」
「…………………………え」
「皇太后にすぐに握りつぶされていたがな」

 時が止まったような気がした。
 ――あの暁明が、本当にそんなことを?

からも皇太后へ何度も口添えしたのだが、当然きいてもらえなかった」

 それはそうだろう。折の良くない相手の元へ曄琳をやるということは、実質曄琳を手放すということだ。わざわざ過去の公言を撤回してまで曄琳を囲い込んだ皇太后からしてみれば、あり得ない選択である。

 そのあり得ないを可能にさせたのが――勅書か。
 
「暁にも今日まで伏せていたんだ。とてつもなく驚いていた。あんな顔は初めてみたな」

 けらけらと笑う淳良と目を合わせる。

「……本当に、私のような者のために大事な詔を使ってよかったのですか?」
「曄琳だけじゃない。曄琳と暁、ふたりのためだ」
「ふたりの、ため」
「それに……曄琳には感謝している」

 幼き皇帝は大人びた笑みを口端に乗せる。

「今まで皇太后と衝突しても、うまくやりこまれて思うようにいかなかった。でも今回、初めてを出し抜くことができた。これは大きな一歩だ」
「主上……」
「曄琳と出会って、ぼくのなかで何かが少し変わったんだ。ありがとう。それから……これからもよろしくたのむ」

 会わない間に、淳良は少し背が伸びた気がする。中身もこの魔窟を生き抜くに相応しい逞しさを見せつつある。しかしまだまだ年相応に笑う皇帝陛下を前に――曄琳はやっと勅書を受け止められるようになっていた。
 万感の思いと感謝を込めて、我が主へ頭を垂れる。 
 まるで足元から包み込むようなこの浮遊感は、安堵だけじゃない。自然と笑みのこぼれる頬を押さえていると、淳良が「それと」と声を上げた。

「曄琳のあねなどという人間が、この一月の間ずっと曄琳に面会を申し出ていたんだが、しりあいか?」
「……! ミン姐様!」

 ああ、ずっと会いたかった。曄琳が目元を潤ませると、淳良が鷹揚に頷く。 
 
「知っているなら話は早い。後で馨可宮けいかきゅうに赴くよう、つたえておく」
「馨可宮というのは」
「新しい曄琳の住まいだ」

 そこであれも待っている。
 淳良の言葉に背中を押されて曄琳は歩き出した。


 
  
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