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第一章
姉上、あなたの本音は……
しおりを挟む自室に到着した。滅多に使わないシャワールームで汚れを落とすことにした。
体を清めると、ボソボソのタオルで体を拭く。手早く髪を乾かす。
クローゼットを開いた。コルセットを着用、上質のドレスを手にとって着替え終える。数少ない私の一張羅だ。
それから鏡台の前に座り、化粧を施す。目元を強調した化粧に、光沢のある唇。
ビロードの紺色のドレスは、おばあ様から譲り受けたもの。一張羅なの。上品なネックレスが胸元で輝きを放つ。こちらは母上からの贈り物だった。
「……ふう」
かなり気合を入れたわ。あとは、と。私は鍵を手にして長机の引き出しを開ける。そしてある物を取り出す。
「――よし」
自身の髪質に似せた、長髪のウィッグだった。それを頭に被り、アレンジを施していく。
作業する時には邪魔になるからと、その理由で髪を切った。でも、たまに必要となるから。こうして大事に保管してある。
ウィッグを被ったので、改めて鏡で再確認。ええ、大丈夫ね。
切り替えられるの――令嬢であると。今の私はそうであると。
「あ……」
机の引き出しの最奥、ある存在に目線が向いてしまう。そっと手で触れたのは、小さな箱。
――私の宝物が入っている箱。
「……お元気かしら」
小さな箱から取り出したのは――指輪。それは『彼』からもらったものだ。彼は私にとって――。
「あれ……?」
この感覚は、なんだというの?
スッと――何かが抜け落ちたかのような、この感覚は?
「そう、そうよ……? ええと……?」
この指輪をくれた人物は。
その人物の名前は。
……どうしたことなの?
すごく、すごく大切な記憶なはずなの。
思い出したい。私は必死に思い出そうとするも。
「……っ!」
頭が痛み始める。痛みと共に意識が薄れそうになっていく。
「彼は……彼は誰だったの……?」
私は何を言っているの? 自分がわからなくなる。あれだけ大切に閉まっていたのに、それをくれた相手の事が思い出せないなど。
そんな、そんなおかしな話があるというの……?
「……」
私はふと指輪に触れる――軽い、衝撃が走った。微かだけれど、鋭い痛み。そのことによって、だったのか。
「そうよ……彼は、私の婚約者。彼がくれた大切な……」
――婚約指輪だった。
おかげ様で私は思い出し始めた。ゆっくり、確実に記憶を辿ってもいく。
彼は家同士が納得の上で決めた相手……そう。
相手は代々続く伯爵家、それも今も繁栄し続けている……そうよ。
かたや一方は没落した貴族、不釣り合いな婚姻に思えるもの……そうだった。
でも、どうしたことなのか。祖父の代である約束をしたそうだ……そうそう、そうよ。もう思い出したわ、大丈夫。
『ペタイゴイツァ家の正当なる長女をもらい受ける』
それは父の代では叶わなかった。次の代、私達でそれは成されることになる。
「……長女は私ではないわ」
私ではない、姉よ。でも彼の婚約者は私。その答えは、鏡台に映る私の姿にあった。
――生まれ持った姿が、この姿が。
「正妻譲りの黒髪、だから……」
正妻である母も黒髪、私もそうだから……母が最初に産んだのが、その私で。
家同士の婚姻。そこに当人達の意思も、気持ちもない。そう決められてきたから。
「彼は優しくて素敵な方だもの。私には……過ぎたお相手。それ以上望む事あるわけないじゃない……」
こちらは貴族社会。自由恋愛も令嬢には許されない。そのような中で、私はとても恵まれているの。
「……恵まれている?」
顔を俯かせた私は、どうしても考えてしまう。その度、首を振っては否定する。
充分に恵まれている。そうでしょう……?
ひとまず彼の事は思い出せた。私は箱の中に指輪をしまい、再び引き出しの鍵を閉めた。今はまだ奥で眠っていてもらいましょう。
ぎしぎしと音が鳴る螺旋階段を下り、私は大広間へと足を進めている……と、やたらと賑やかね。今宵は異国の重鎮であろう方々を招いているはずなのに。
「……ああ」
……そうならないのが、こちらの子爵。異国の重鎮であろう方々を招いていようと、お構いなし。中心で音頭をとっていたのは、茶色い巻き髪の男性。
ペタイゴイツァ子爵。私達の父、その人だった。父上よ……。
「――お? アマリアか? やっと来たかぁ!」
「え……ええ、父上」
父は私に気がついたようだ。それに続くかのように、宴に沸く人々もこちらに注目し始める。ええ、挨拶をいたしましょう。
「ごきげんよう、皆様方。ペタイゴイツァ家が次女、アマリア・グラナト・ペタイゴイツァにございます。本日はお越しくださりまして、ありがとうございます」
自分は令嬢なのだと、知らしめる微笑。私はどこまでも微笑み続ける。
そして、私は本日の祝いの席の主役達――姉と婚約者の方の元へ。
嫋やかに微笑んでいる金髪の美女。誰もが目を奪われずにはいられない佳人こそ――私の姉だった。
隣にいるのは温和そうな殿方。遠目からもわかるほど、見目が麗しい方だった。陶器のような白い肌に、特徴的なのはその瞳の色――新緑を彷彿させる緑色の瞳。ええ、かの国の方でしょう。
世界の根源である大樹を要する国――アルブルモンド。
我が国と隣接しており、交友が盛んである国。やんごとなき方とお見受けするわ。このような僻地に御用があるとは、不思議な話……。
「あのドレス、『リゲル商会』からわざわざ取り寄せたのですって!」
姉の生来の美しさの他にも、身に着けていたものにも注目が集まっていた。人々から溜息が零れていた。
青年から贈られてきた緑色のドレスは、姉の為に誂えられたものかのようだ。繊細な刺繍が施されている、一級品。
「あれ、いくらするのかしら……っと、下世話だったわね」
姉を美しく彩るのは宝飾品達。大樹をモチーフにしたネックレスが胸元で揺れる。
左手にあるのは隣国の貴重な宝石を使用した婚約指輪だ。宝石は大振りでかなり目立つ。
「先生、すごく綺麗です!」
「お幸せに!」
青少年達が姉の近くにやってきていた。誰しもが姉に笑顔を向けている。
「ありがとうございます、皆さん。嬉しいわ」
港町で教鞭をとっている姉は人柄の良さからか、多くの教え子から慕われていた。生来の美しさだけではない。心までもが美しいとよく賛美されていた。
そんな姉は誰からも愛される。誰もが彼女に訪れる幸せを祝福していた。
姉は素晴らしい人よ。美しくもあり、気高くもある……本当に素晴らしくて。
常に光を浴びていて、誰からも愛される彼女……そう、誰からも。
姉の威光によって出来た影――それが私だった。
姉が主役である本日に限ったことではなかった――いつもそうだったの。
「……」
……完全に妬みきれていれば良かったのかしら。そうはいかなかった。私にとっても、姉は――敬愛出来る存在でもあったから。
祝いましょう。
「この度はご婚約おめでとうございます――」
姉はこちらの殿方と添い遂げることになる。理想を絵に描いたようなお二人。国交の架け橋ともなり、幸せな家庭も築いていくことでしょう。
……なんてね。
ねえ、姉上。それから、私の婚約者様。
私はね、存じているのです。
――あなた達の『秘め事』を。
あれは、彼が学園に入学する前のことだったかしら。挨拶に来訪していた日のこと。
応接間の、少しの隙間から見えたもの。見えてしまったもの。
ソファの上で横になっていた、彼。
彼に上乗りしていたが、私の姉。
姉の長い、綺麗な金の髪。それが垂れていく。
重なるのは、二人の唇。
『好き……あなたが好きなの』
姉は言葉と共に、再び重ね合わせていく。
彼は……彼は受け入れていたのでしょうね。拒むこともなく、二人のキスは続いていたから。
ひとたまりもないことでしょう……あれだけ美しい人なのよ? 多くの人を虜にしてやまない相手に求められもしたら。あなたが姉に向ける視線、それが柔らかなものだとも知っていたから。
「……ああ」
思い出す度に胸が苦しくなる。彼は私の婚約者――それは家に決められたもの。
誰しもが口にしていた。誰もが思っていたこと。聡明で美しい二人こそが。
――婚約者として相応しいと。姉こそが、彼の相手として……。
『……っ』
逃げることしかできなかった、当時の私。私のような人ではなくて。
私は家に決められた相手に過ぎない。『本妻の長女』だからという理由だけで。私の黒髪、母譲りのそれが証でもあったから。
ねえ、姉上。あなたがね、今でも彼を想っているのだと私は気がついているのです。私同様、長く想っていたことも。
此度の婚約も、先方からのたっての願いがあってのこと。断ることなど、できもしないこと。
ねえ、姉上。あなたの本当の望みは――。
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