【完結】ヒールで救った獣人ショタがマッチョに進化!? 癒しが招く筋肉のカタチ

たもゆ

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番外編

赤髪の聖女⑥

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 翌日。
 ヴェスタリア法皇宮殿――王の寝室は、ルミナス枢機卿すうききょうを筆頭に高位神官たちがずらりと並び、張り詰めた空気で満ちていた。
 白を基調とした荘厳な室内。その中央に鎮座する豪奢な天蓋付きベッドには、土気色の顔をしたピウス法皇が臥せっている。肉体は痩せ細り、呼吸も浅い。しかし、その濁った瞳だけは薄く開き、こちらを捉えていた。

 沈黙の聖女ユーリアとして、俺はミシェル王子に先導されながら寝室へと入る。
 純白の聖衣、容赦ないコルセット、歩く度に足の骨をきしませるハイヒール。
 それら全ての苦痛を無理やり“慈愛の微笑み”へ変換して、優雅に一礼した。

 「猊下。アルケイン王国より、奇跡の聖女ユーリア様が参られました」

 ミシェル王子が恭しく紹介した、その刹那。
 臥せっていたはずの法皇が、喉の奥から絞り出すような叫び声を叩きつけてきた。

 「誰だこんな醜女をよこしたのは!! つまみ出せ!!」

 その絶叫が、寝室の厳粛な空気を派手にぶち破る。
 高位神官たちは一斉に硬直し、ルミナス枢機卿とバレンティン皇子は、「ああ……今日もか……」という、半ば諦観じみた表情を浮かべた。

 (ハイッ、どうもこんにちは! コルセットとハイヒールに命を狙われている芸術点だけはやたら高いピカソ系美少女(男)です!!)

 俺も鏡を見て、法皇とまったく同じ感想を抱いた身としては、分かりみが深すぎる。
 ……だが。
 隣に控えるアヴィが“いつもの微笑み”を崩さないまま、こめかみに ピキッ と青筋を浮かべたのを見て、一番ヤバいのは法皇じゃなくて、こっちだ!!
 と、別の意味で背筋が凍りついた。

 「どうか、ユーリア様。悪魔に取り憑かれた猊下をお救いください」
 バレンティン皇子にそっと促され、俺は聖女らしい優雅さを装って、ゆっくりとベッド脇へ歩み寄る。

 その間にも、法皇は枯れ果てた声で
 「近寄るな、化け物……!」「近くで見るとさらにブスだな……!」と、もはや逆に元気そうな罵倒を飛ばしてくる。

 ついにアヴィの笑顔が完全にシャットダウンされ「こいつ生かしておく価値あるのか?」とでも言いたげな殺意に満ちた眼光に変わった。

 (落ち着けアヴィ! 短剣に手をかけるんじゃない!!)

 アヴィが“処理”に動く前に、俺は急いでエクストラヒールをぶち込もうと、アイコンタクトで「殺すな・治すぞ・黙ってろ」を三点セットで伝える。

 ベッド脇に膝をつき、ピウス法皇の冷たい手にそっと触れた。
 法皇はまだ何か罵りながら手を振り払おうとしてくるが、構わず両手で包み込むようにしっかり握る。

 本来、エクストラヒールであれば接触は不要だ。
 これは、いかにも奇跡を起こしたように見せかけるための演出にすぎない。
 顔を上げて、彼の落ち窪んだ瞼と震える声を間近で感じた時。
 胸の奥に、前世で認知症だったばあちゃんの姿がふっと重なった。俺の名前を忘れても、俺の手を握ってさする、あの皺だらけの浮腫んだ指先。

 アヴィが打ち合わせ通り、自然な所作でサポートするふりをしながら、俺の背へそっと手を添える。
 その触れ方は、外から見ればただの介助、しかし実際は――アヴィを媒介にヒールを発動するための合図だった。

 俺は静かに目を伏せ、胸の内に渦巻く魔力の奔流へ意識を沈める。
 そして、息に紛れるほど微かな囁きで、ただひとこと。

 「……ヒール」

 唱えた瞬間、アヴィの足元から、光が爆ぜた。
 金色の輝きが床をかすめるように広がり、瞬く間に法皇の寝室を覆い尽くす。
 幾重にも重なる光の紋章、絡み合い旋回しながら展開される幾千の術式。
 そのひとつひとつが呼応するように脈動し、まるで大地そのものが呼吸しているかのようだった。

 あまりにも巨大な光の魔法陣――。
 もはや“魔法陣”と認識できる者はひとりもいない。
 神官たちの目に映ったのは、ただひとつ。

 神が降臨したかのような、黄金色こがねいろの奇跡。

 光は天蓋を揺らし、空気そのものを震わせる。
 沈黙の聖女が放ったその術は、彼らが生涯見ることになるすべての奇跡を凌駕していた。 

 光が溶けて消えたあとも、室内はしんと静まり返っていた。
 さっきまで暴れん坊のように罵声を飛ばしていたピウス法皇は、まるで電池が切れたように動きを止め、虚空を見つめている。

 そして――ゆっくりと、俺へ視線を向けた。

 「……おや。こちらの……美しいご婦人は、どちら様かな?」

 (お、お世辞……!? お世辞が言えてる……!! 会話になってる……!!)

 「父上……!」
 バレンティン皇子が弾かれたようにベッドへ駆け寄る。
 「父上、私です! お分かりになりますか……!?」

 「……ああ。お前は……私の息子だろう?」
 法皇は穏やかな目で息子を見つめ、「名前は……なんだったか……」と小さく首を振る。
 「バレンティンです、父上」
 皇子の声は震えていた。

 「バレンティン……? そうだ、バレンティンだったな」
 法皇は頷き、ふっと微笑む。
 「バレンティン、大きくなったな」

 その瞬間、バレンティン皇子の瞳から、ぽたりと涙が零れた。
 「……はい。もう28です、父上」

 「そうか……。もうそんなに大きくなったのか。立派になったなあ。で……」
 法皇は首をかしげる。
 「なんて名前だったかの?」

 「……バレンティンです」
 「そうだそうだ。近頃、忘れっぽくてなあ」

 そのまま、穏やかな表情のまま、ゆるやかな“忘却コント”が続く。
 だが、少し前まで荒れ狂っていた法皇とは比べものにならない、柔らかな気配。

 ――これが、症状が悪化する前の父の姿なのだ。

 バレンティン皇子の頬を伝う涙は、父を取り戻した喜びの証だった。

 ピウス法皇は、まだ50代という若さだった。
 その年齢で生じる「記憶のほつれ」は、現代医学に照らすなら若年性アルツハイマーに近い。若ければ若いほど進行が早い――そんな残酷な現実までも、思い起こさせる。

 アヴィのスキルは変質してしまった脳の細胞を浄化し、俺のソウルリトリーバルは、法皇を縛っていた不安と鬱の影をそっと拭い取った。

 それでも、なお記憶の抜け落ちは残ったまま。
 ――やはり、失われた脳そのものを取り戻すことはできない。
 けれど、残された部分がリハビリによって働きを補えるようになれば、完璧ではなくとも、日常を穏やかに過ごすことはできるはずだ。

 穏やかに微笑み合う父と息子を眺めながら、
 俺たちは、胸の奥で静かに息をついた。



 ***

 翌朝。
 枢機卿が報告のために客室を訪れ、興奮のあまり半ば駆け込むように扉を押し開けた。

 「聖女ユーリア様! 猊下の徘徊も暴言もぴたりと止まりました! まさしく……真の、奇跡にございます!」

 俺は用意していた筆談用の羊皮紙に、静かにペンを走らせる。

 『猊下の魂の歪みは、修復されました。しかし――いちど失われた記憶が自然と戻るまでには、どうしても相応の時間を要します』

 続けて、さらりともう数行。

 『悪魔の影がふたたび差し込まぬよう、猊下を決して孤独にしてはなりません。可能な範囲で公務にお戻しし、人々と語らわせ、外気に触れさせ、日々の刺激を与えること。それこそが、何より確かな治療となるでしょう』

 もっともらしい文言を、いかにも神託めかして並べ立てる。

 (認知症はリハビリとコミュニケーションが命なんだよ……! 悪魔祓いなんかより、散歩とおしゃべりの回数を増やせ!!)

 ルミナス枢機卿は、偽聖女から示された神託(?)を、一字一句噛みしめるように読み返し、深く頷いた。
 やがて胸の前で両手を組み、感極まったように何度も感謝を述べると、ひとつ大きく息を整えてから、静かに部屋を後にした。

 枢機卿が退室してしばらく経った頃、今度はミシェル王子とジョバンニ氏が部屋を訪ねてきた。
 どうやら聞きたいことが山ほどあったらしい。要点だけを噛み砕いて説明すると、二人は真剣そのものの表情で耳を傾け、やがて揃って息を呑んだ。

 「……まさかアヴィさんに、そんな力があったなんて……」
 「ですよねー。ほんと、どんだけ規格外なんだか……」

 苦笑するしかない俺の横で、アヴィが静かに口を開く。

 「いいえ。これは僕だけの力ではありません。僕とご主人様の愛の結――」
 「だからそれやめろォ!!」

 余計な単語を差し込む寸前で慌てて制止すると、向かいから柔らかな笑いが漏れた。

 「ふふ……しかし事実、わたくしの腰痛と関節炎、それに慢性化した筋肉痛が嘘のように消えました。エクストラヒールには心から感謝しておりますよ」

 ジョバンニ氏が深々と礼を述べると、ミシェル王子は瞳を輝かせて身を乗り出した。

 「つまり今の僕たちは、全ステータス1.5倍ってことなんですよね!? 
 ジョバンニ! 効果が切れる前に、法皇宮殿の外周をランニングしたいんだけど、どう思う!?」
 「殿下ッ!! それはまた別の意味で大問題になりますので、外交中の筋トレはお控えください!!  
 それに、わたくしの足腰にも休暇をいただきとうございます!!」

 ジョバンニ氏の悲痛な訴えが部屋に響き、思わずその場に和やかな笑いが広がった。

 俺はというと、相変わらずコルセットとハイヒールに腰と足裏を殺され続けていたが……
 4人で他愛もない話をしながら、ジョバンニ氏が淹れてくれた香り高い紅茶を一口含むと、ほんの少しだけ痛みと、張りつめていた緊張もゆっくりと解けていく気がした。
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