【完結】ヒールで救った獣人ショタがマッチョに進化!? 癒しが招く筋肉のカタチ

たもゆ

文字の大きさ
65 / 86
番外編

赤髪の聖女⑤

しおりを挟む
 アヴィが扉を開けると、そこに立っていたのは純白のローブを纏った男――
 ルミナス枢機卿すうききょうと名乗る人物だった。年齢はバレンティン皇子より上、彫像のように硬い表情と、すべてを見透かす氷の瞳。

 「聖女ユーリア様。お寛ぎのところ失礼いたします。
 法皇猊下のご容態について、主治医としてご報告に参りました」

 その視線がアヴィを一瞥した瞬間、ほんの一瞬だけ露骨な嫌悪が浮かぶ。しかしアヴィは眉ひとつ動かず、静かに睨み返していた。

 俺は頷いて枢機卿を室内へ招き入れ、ソファを勧める。彼が腰を落ち着けたところで、俺も向かいに座った。

 ルミナス枢機卿は胸の奥で何かを嚙み殺すように、一拍だけ呼吸を置いた。
 やがて、冷気を孕んだ眼差しがまっすぐ俺を射抜く。

 「……率直に申し上げましょう。我々が貴国の聖女様に縋った理由は、ただ一つ。――救っていただきたいのは、ピウス法皇猊下、その人にございます」

 その声は、威厳ある聖座宮の高官のものではなかった。ひとりの人間が、どうしようもない終わりに怯え、縋り付く音だった。
 俺は静かに頷くしかなかった。

 「猊下の病は、単なる老いではございません。時に、奥方様やご子息の顔すらわからなくなり……夜中に宮殿内を徘徊なさることもあります。さらには、神官に突然暴言や暴力を振るわれることも」

 徘徊、記憶障害、暴言暴力――。

 握っていた筆談用の羊皮紙がしっとりと湿る。
 背中に冷や汗が流れる。

 「本来の猊下は、温厚で、信心深く、人々を深く愛しておられました。それが“悪魔”に取り憑かれてからというもの……まるで別人のように荒れ果ててしまい、手が付けられない状態なのです」

 “悪魔”という言葉が落ちた瞬間、
 俺の脳裏に前世の光景が突き刺さるように蘇る。

 「もちろん、治癒術師による回復魔法、そして神官による悪魔祓いも施しましたが、一切効き目はございません。猊下に取り憑いた悪魔が、神の御心に抗っているのです」

 ――そうだ。前世のばあちゃんも、まったく同じだった。俺が一人暮らしする前、痴呆が悪化してグループホームに入ったんだ。家族の顔がわからなくなって、夜中に家の中を歩き回り、誰もいないのに「泥棒だ!」って怒鳴ってた。

​ (その症状って、もしかして認知症!? 悪魔じゃなくて、脳の病気なんじゃ……?)

​ 長年、その過酷な現実を見ていた俺には、枢機卿が語る「悪魔憑き」が、あまりにも現実の難病と重なって見えた。
​ (俺の“ソウルリトリーバル”は、心と魂の回復だ。既に萎縮してしまった脳細胞は元には戻せない……!)

 胸が凍りつくのを自覚したとき、
 枢機卿は深く頭を垂れた。

 「聖女様。どうか、その奇跡の御力で、
  猊下に取り憑く悪魔をお祓いくださいませ」

 (無理なもんは無理だぁ……!!)

 心の中で盛大に頭を抱えていると、傍らで控えていたアヴィが、静かに息を整えて口を開いた。

 「恐れながら、ひとつお伺いしてもよろしいでしょうか?」

 俺と枢機卿が目で促すと、アヴィはわずかに前へ出る。

 「猊下に施された回復魔法とは……エクストラヒールでしょうか?」

 枢機卿は苦い顔で首を振った。

 「いいえ。我が国にはエクストラヒールを使える者がおりませぬ。施せる最上位はグランドヒールのみ。……ですが、その二つは『単体回復』か『複数回復』かの違いであり、人一人にかけた際の効力は同等だと理解しております」

 たしかに、“普通の”エクストラヒールなら、そうだ。

 ――だが俺のエクストラヒールは、どう考えても普通ではない。
 番になった獣人を媒介すると発動する筋肉バフ。
 全ステータス1.5倍。バフかかりすぎてマッスルたちの筋肉が更にバキバキになる、あの規格外のやつだぞ!?

 (……いやもう、最後に頼れるのは筋肉バフしかねぇのか!?)

 思考が暴走し始めたところで、俺は覚悟を決め、羊皮紙と羽ペンを握った。
 そして、日本人がどんな窮地でも使える――最終奥義を書きつける。

 『善処します』

 「ありがとうございます、聖女様」

 敬虔けいけんな声が頭に降り注いだ瞬間。
 ――俺に課せられた使命は、“ヒールで認知症を治せ”という、絶望的なファンタジーコメディの幕開けだと悟った。



 ***

 さて、どうしたものか。
 ルミナス枢機卿が去ったあとも、俺はソファに沈み込んだまま、腕を組んで考え込んでいた。

 認知症そのものは治せなくても、ソウルリトリーバルで精神の安定を促すことはできる。
 根本解決には程遠いが、徘徊や暴言、暴力が少しでも減る可能性は……ある。

 「ご主人様……?」

 低く柔らかな声に顔を上げると、いつの間にかアヴィが膝をつき、俺のすぐそばで心配そうに覗き込んでいた。
 琥珀色の瞳が、まるで弱った主を見つめる忠犬みたいに揺れている。

 「なぁ、アヴィ。普通はエクストラヒールでも病気までは治せないよな?」
 「……はい。ピウス法皇は、病を……?」
 「ああ。恐らく悪魔憑きじゃない。認知症だよ。脳の問題なんだ。俺のヒールでも、ソウルリトリーバルでも、変性した脳そのものを治すことはできない」

 つい、前世のばあちゃん絡みで覚えた現代病名をそのまま口にしてしまった。
 だがアヴィは「認知症」という未知の語に眉ひとつ動かさず、むしろ尊敬の色を深める。

 「……やはり、ご主人様は凄い方です。この世界の誰もが『悪魔』と決めつける病の正体を、一瞬で見抜いてしまうとは」

 そう言って、アヴィはそっと俺の手を取った。
 包み込むようにゆっくり撫でるその手つきは、主を労わるそれとも、崇拝にも似た仕草とも取れる。

 (いやいや、俺じゃなくて、前世のばあちゃんの知識だから……!)

 「とはいえ、こればっかりは……俺じゃどうすることもできないんだよなあ……。もういっそ開き直って『聖女でも無理なもんは無理★』ってバックレるか?」

 冗談半分、本音半分の弱音が、ふっと漏れた。
 深く息を吐いたそのとき――。

 「ご主人様。諦めるのは……まだ早いですよ」
 「へ?」

 アヴィが静かに微笑んだ。
 それは慰めでも励ましでもなく、どこか確信めいた、不敵な笑み。

 その笑みに目を奪われた瞬間――ふと、記憶がフラッシュバックする。

 ……そうだ。治癒魔術士団の研究室で、マルコム室長にアヴィを媒介にしたエクストラヒールを見せた時だ。
 『すごいな……。アヴィ君もクー君の時と同じように全ステータス1.5倍のバフがかかるんだね』
 マルコム室長が魔道具の水晶球を覗き込みながら顎に手を当てて感心したように頷く。
 『おや、固有スキル欄……“異常物質の浄化・排出”って出てるね。これは……解毒系かな?』
 『“異常物質”って、つまり何なんです?』
 『毒か、病原か……まあ、調べ甲斐はありそうだ』

​ ――あの時のアレ。

 そういえば、まだマルコム室長から詳しい話を聞いていなかった。
 「……もしかして、お前の固有スキル……“異常物質”がどうのってやつ!」

 思わず前のめりに言うと、アヴィはコクンと頷いた。

 「はい。マルコムさんが調べた結果では――解毒だけでなく、病気にも一定の効果があるそうです。もちろん万能ではありませんが……ご主人様のお役に立てる可能性はあるかと」

 「……まじ!? じゃ、じゃあ……アヴィのスキルで、法皇の認知症が治るかもしれないってことか……!?」

 本当に認知症だったとして、すでに萎縮してしまった脳までは修復できないかもしれない。
 それでも――病変した細胞だけでも浄化できるなら。

 胸の奥に、消えかけていた希望がふっと灯った。

 「……まぁ、賭けてみるしかないよな」
 「はい、ご主人様。――ヴェスタリアの連中に、僕たちの“愛の力”を見せつけてやりましょう」

 「愛で救えたら苦労しないっての……。ていうか、マッスルチートで病気まで治せるなんて、この世界、筋肉優遇しすぎだろ!」

 「いいえ。これはチートではありません。僕とご主人様の“愛の結晶”です!」

 「だからその言い方をやめろ!!」

 ――こうして俺たちは、“筋肉チートで認知症を治す”という、医療でも魔術でも説明不能なカオス任務を……明日、本当にやる羽目になった。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

異世界に転生したら竜騎士たちに愛されました

あいえだ
BL
俺は病気で逝ってから生まれ変わったらしい。ど田舎に生まれ、みんな俺のことを伝説の竜騎士って呼ぶんだけど…なんだそれ?俺は生まれたときから何故か一緒にいるドラゴンと、この大自然でゆるゆる暮らしたいのにみんな王宮に行けって言う…。王宮では竜騎士イケメン二人に愛されて…。 完結済みです。 7回BL大賞エントリーします。 表紙、本文中のイラストは自作。キャライラストなどはTwitterに順次上げてます(@aieda_kei)

家族転生 ~父、勇者 母、大魔導師 兄、宰相 姉、公爵夫人 弟、S級暗殺者 妹、宮廷薬師 ……俺、門番~

北条新九郎
ファンタジー
 三好家は一家揃って全滅し、そして一家揃って異世界転生を果たしていた。  父は勇者として、母は大魔導師として異世界で名声を博し、現地人の期待に応えて魔王討伐に旅立つ。またその子供たちも兄は宰相、姉は公爵夫人、弟はS級暗殺者、妹は宮廷薬師として異世界を謳歌していた。  ただ、三好家第三子の神太郎だけは異世界において冴えない立場だった。  彼の職業は………………ただの門番である。  そして、そんな彼の目的はスローライフを送りつつ、異世界ハーレムを作ることだった。  ブックマーク・評価、宜しくお願いします。

悪役令息を改めたら皆の様子がおかしいです?

  *  ゆるゆ
BL
王太子から伴侶(予定)契約を破棄された瞬間、前世の記憶がよみがえって、悪役令息だと気づいたよ! しかし気づいたのが終了した後な件について。 悪役令息で断罪なんて絶対だめだ! 泣いちゃう! せっかく前世を思い出したんだから、これからは心を入れ替えて、真面目にがんばっていこう! と思ったんだけど……あれ? 皆やさしい? 主人公はあっちだよー? ユィリと皆の動画をつくりました! インスタ @yuruyu0 絵も皆の小話もあがります。 Youtube @BL小説動画 アカウントがなくても、どなたでもご覧になれます。動画を作ったときに更新! プロフのWebサイトから、両方に飛べるので、もしよかったら! 名前が  *   ゆるゆ  になりましたー! 中身はいっしょなので(笑)これからもどうぞよろしくお願い致しますー! ご感想欄 、うれしくてすぐ承認を押してしまい(笑)ネタバレ 配慮できないので、ご覧になる時は、お気をつけください!

呪いで猫にされた騎士は屈強な傭兵に拾われる

結衣可
BL
呪いで猫にされた騎士は屈強な傭兵に拾われる

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

俺がこんなにモテるのはおかしいだろ!? 〜魔法と弟を愛でたいだけなのに、なぜそんなに執着してくるんだ!!!〜

小屋瀬
BL
「兄さんは僕に守られてればいい。ずっと、僕の側にいたらいい。」 魔法高等学校入学式。自覚ありのブラコン、レイ−クレシスは、今日入学してくる大好きな弟との再会に心を踊らせていた。“これからは毎日弟を愛でながら、大好きな魔法制作に明け暮れる日々を過ごせる”そう思っていたレイに待ち受けていたのは、波乱万丈な毎日で――― 義弟からの激しい束縛、王子からの謎の執着、親友からの重い愛⋯俺はただ、普通に過ごしたいだけなのにーーー!!!

ブラコンすぎて面倒な男を演じていた平凡兄、やめたら押し倒されました

あと
BL
「お兄ちゃん!人肌脱ぎます!」 完璧公爵跡取り息子許嫁攻め×ブラコン兄鈍感受け 可愛い弟と攻めの幸せのために、平凡なのに面倒な男を演じることにした受け。毎日の告白、束縛発言などを繰り広げ、上手くいきそうになったため、やめたら、なんと…? 攻め:ヴィクター・ローレンツ 受け:リアム・グレイソン 弟:リチャード・グレイソン  pixivにも投稿しています。 ひよったら消します。
誤字脱字はサイレント修正します。
また、内容もサイレント修正する時もあります。
定期的にタグも整理します。

批判・中傷コメントはお控えください。
見つけ次第削除いたします。

竜の生贄になった僕だけど、甘やかされて幸せすぎっ!【完結】

ぬこまる
BL
竜の獣人はスパダリの超絶イケメン!主人公は女の子と間違うほどの美少年。この物語は勘違いから始まるBLです。2人の視点が交互に読めてハラハラドキドキ!面白いと思います。ぜひご覧くださいませ。感想お待ちしております。

処理中です...