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番外編
仔竜の贈り物⑪
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俺は、冷たい床の感触で、微かに意識を取り戻した。
(……寒い……いや、熱い?)
頭がガンガンと痛み、目の前は湯気でぼやけている。
どうやら、自分は風呂場にいるらしい。
ぼんやりとした意識の中で、濡れた床にへたり込む自分の身体を、ガウルの大きな手が、驚くほど丁寧に洗い流していくのが分かった。
「……あ、ガウル……」
「目ェ覚めたか。もう少しで終わる」
ガウルの声は、いつもよりずっと低い。そして、少しだけ罪悪感が滲んでいる気がした。
俺の背中に回された無骨な指が、優しく、しかし確かな力で泡を立てていく。昨晩の激戦で強張った全身の筋肉が、温かい湯と彼の手に触れられ、少しずつ緩んでいくのが分かった。
「……背中、痛いか」
ガウルがそう尋ねる。
俺は、「お前のせいだ」とツッコミを入れる気力もなく、弱々しく首を横に振る。
「……ん、だ、いじょぶ……」
ガウルは返事をせず、黙って俺の襟足についた泡を、丁寧にすすいだ。
「待ってろ。すぐ湯に浸からせてやる」
その献身的な手つきと、武骨な優しさが、かえって俺の羞恥心を刺激した。
(……くそ、俺、どんだけボロボロなんだよ……)
自分で自分の身体を支える力さえ残っていない。ガウルが俺の腕を掴み、まるで壊れ物のように支えていなければ、俺はとっくに浴槽の底に沈んでいたはずだ。
(なんで俺、長旅で疲れてるはずの奴に、こんな介護されてんだ……!)
だが、抗議する力もない。俺は結局、ガウルの腕と、彼の持つ底なしの体力に、完全に屈服してしまったのだ。
俺は諦めて、熱い湯気に包まれながら、再び意識を白い霧の中に手放した。
彼の手の温かさが、唯一の現実の感触だった。
***
俺は、朝日が眩しい窓の方ではなく、壁側を向いたまま、呻き声を上げた。
「んん……いてぇ……っ、……ん? いや、待て。……痛くねぇぞ?」
目は重い。身体もだるい。
一晩中、激しい嵐のど真ん中に放り込まれていたような、言葉にしがたい倦怠感は確かに残っている。
――けど。
本来あるはずの、全身の筋肉が軋むような痛み。
特に、腰から下――昨夜あれほど酷使されたはずの“そこ”が、焼けるようにジンジンする感覚が、綺麗さっぱり消えていた。
隣に目をやると、ベッドはすでに冷たかった。当然のように、ガウルはもうそこに居ない。
(あの体力オバケ……一体いつ寝て、いつ起きたんだよ……)
重い身体を引きずって起き上がり、無意識に腰へ手を伸ばす。
「まさかガウルのやつ……、俺に治癒グミ使ったのか……?」
寝ている隙を狙って、某万能軟膏よろしく、治癒グミを潰して塗り込まれた可能性がある。
よりにもよって、そんな場所に。
想像したら情けなくて、恥ずかしくて、ついでにちょっと涙が出てきた。
まあ、治癒グミを使ったところで、癒せるのは肉体の損傷だけだ。本当にヒールが必要なのは、この一晩で打ち砕かれた俺のメンタルである。
腰と尻の痛みは治癒グミで誤魔化せたとしても、眠気と全身の倦怠感までは取れない。しかし、今日は学校を休むわけにはいかない。
(一ヶ月分の我慢を、まとめて清算された気分だ……)
俺は自虐的なモノローグを脳内で繰り返しながら、重い体に鞭打ってローブを纏った。足が、まるで他人のもののように重い。
俺はあくびを噛み殺し、一階の食堂へと足を運んだ。
眠い目を擦りながら、食堂に顔を出す。
「……おはよう」
間髪入れず「お、おはようございます、兄貴」とチビの声が返ってきた。
……が。
そこで、ようやく気づく。
なにかがおかしい。
いや、チビたちだけじゃない。
食堂全体が、妙な空気に包まれている。
既に席についているアヴィは、かつてないほど機嫌が悪い。腕を固く組み、負のオーラを無言で放っている。
その隣で、クーがやけに真剣な顔で俺を見つめてくる。心配というか、憐れみというか……そんな目だ。
リィノとリーヤは、俯いたまま視線を合わせてくれない。
ライトに至っては、この空気すら面白がっているのか、口角をわずかに上げている。
極めつけは、チビたちだった。
やけにそわそわしていて、落ち着きがない。
目が合うと、あからさまに逸らされる。
なぜか全員、眠そうで――
……そして、揃いも揃って、顔が赤い。
(……なんだ、この空気……)
嫌な予感が背筋を這い上がる。
「な、なんか……おまえら元気ないけど……だ、大丈夫か……?」
恐る恐るそう聞くと、チビが肩をすくめ、もごもごと口を開いた。
「……申し訳ねぇ、兄貴。その……ちぃとばかし、言いにくい事なんすけどね」
その言葉と同時に、食堂の空気がピシッと凍る。
「……二階の壁――その……あんまり、厚くないみたいでして」
嫌な単語が出た瞬間、心臓が一段跳ねた。
「……へ?」
俺の喉から、間抜けな声が漏れる。
チビは、完全に目を逸らしながら続けた。
「それに……あっしら獣人、耳がいいもんで……」
そこで一拍、妙な間が空いた。
「……その……兄貴の、声が……」
言葉を探すように、チビは唇を噛み、
「……えーと……なんつーか……艶っぽくて……」
俺の視界が、スーッと白くなる。
「……ドキドキして、誰も眠れなかったんでさぁ……」
しん、と静まり返る食堂。
アヴィが、露骨に舌打ちした。
クーは「やっぱり……」という顔で目を伏せる。
リィノは咳払いで誤魔化し、リーヤは耳まで真っ赤だ。
ライトだけが、楽しそうに言った。
「なあ、ベッド壊れなかったか?」
「聞くなぁぁぁ!!」
反射的に叫んでいた。
顔から火が出るどころの話じゃない。
全身が一斉に沸騰して、今にも爆発しそうだ。
(……さよなら、俺の男としての尊厳……)
その瞬間、背後から低く、落ち着いた声がした。
「……なに突っ立ってる」
振り返ると、そこには何事もなかったかのような顔をしたガウルが立っていた。
全員の視線が、一斉にガウルへ向く。
……そして、もう一度、俺へ。
俺は、ゆっくりと天を仰いだ。
誰か……!!
俺に忘却魔法をかけてくれ……!!!
(……寒い……いや、熱い?)
頭がガンガンと痛み、目の前は湯気でぼやけている。
どうやら、自分は風呂場にいるらしい。
ぼんやりとした意識の中で、濡れた床にへたり込む自分の身体を、ガウルの大きな手が、驚くほど丁寧に洗い流していくのが分かった。
「……あ、ガウル……」
「目ェ覚めたか。もう少しで終わる」
ガウルの声は、いつもよりずっと低い。そして、少しだけ罪悪感が滲んでいる気がした。
俺の背中に回された無骨な指が、優しく、しかし確かな力で泡を立てていく。昨晩の激戦で強張った全身の筋肉が、温かい湯と彼の手に触れられ、少しずつ緩んでいくのが分かった。
「……背中、痛いか」
ガウルがそう尋ねる。
俺は、「お前のせいだ」とツッコミを入れる気力もなく、弱々しく首を横に振る。
「……ん、だ、いじょぶ……」
ガウルは返事をせず、黙って俺の襟足についた泡を、丁寧にすすいだ。
「待ってろ。すぐ湯に浸からせてやる」
その献身的な手つきと、武骨な優しさが、かえって俺の羞恥心を刺激した。
(……くそ、俺、どんだけボロボロなんだよ……)
自分で自分の身体を支える力さえ残っていない。ガウルが俺の腕を掴み、まるで壊れ物のように支えていなければ、俺はとっくに浴槽の底に沈んでいたはずだ。
(なんで俺、長旅で疲れてるはずの奴に、こんな介護されてんだ……!)
だが、抗議する力もない。俺は結局、ガウルの腕と、彼の持つ底なしの体力に、完全に屈服してしまったのだ。
俺は諦めて、熱い湯気に包まれながら、再び意識を白い霧の中に手放した。
彼の手の温かさが、唯一の現実の感触だった。
***
俺は、朝日が眩しい窓の方ではなく、壁側を向いたまま、呻き声を上げた。
「んん……いてぇ……っ、……ん? いや、待て。……痛くねぇぞ?」
目は重い。身体もだるい。
一晩中、激しい嵐のど真ん中に放り込まれていたような、言葉にしがたい倦怠感は確かに残っている。
――けど。
本来あるはずの、全身の筋肉が軋むような痛み。
特に、腰から下――昨夜あれほど酷使されたはずの“そこ”が、焼けるようにジンジンする感覚が、綺麗さっぱり消えていた。
隣に目をやると、ベッドはすでに冷たかった。当然のように、ガウルはもうそこに居ない。
(あの体力オバケ……一体いつ寝て、いつ起きたんだよ……)
重い身体を引きずって起き上がり、無意識に腰へ手を伸ばす。
「まさかガウルのやつ……、俺に治癒グミ使ったのか……?」
寝ている隙を狙って、某万能軟膏よろしく、治癒グミを潰して塗り込まれた可能性がある。
よりにもよって、そんな場所に。
想像したら情けなくて、恥ずかしくて、ついでにちょっと涙が出てきた。
まあ、治癒グミを使ったところで、癒せるのは肉体の損傷だけだ。本当にヒールが必要なのは、この一晩で打ち砕かれた俺のメンタルである。
腰と尻の痛みは治癒グミで誤魔化せたとしても、眠気と全身の倦怠感までは取れない。しかし、今日は学校を休むわけにはいかない。
(一ヶ月分の我慢を、まとめて清算された気分だ……)
俺は自虐的なモノローグを脳内で繰り返しながら、重い体に鞭打ってローブを纏った。足が、まるで他人のもののように重い。
俺はあくびを噛み殺し、一階の食堂へと足を運んだ。
眠い目を擦りながら、食堂に顔を出す。
「……おはよう」
間髪入れず「お、おはようございます、兄貴」とチビの声が返ってきた。
……が。
そこで、ようやく気づく。
なにかがおかしい。
いや、チビたちだけじゃない。
食堂全体が、妙な空気に包まれている。
既に席についているアヴィは、かつてないほど機嫌が悪い。腕を固く組み、負のオーラを無言で放っている。
その隣で、クーがやけに真剣な顔で俺を見つめてくる。心配というか、憐れみというか……そんな目だ。
リィノとリーヤは、俯いたまま視線を合わせてくれない。
ライトに至っては、この空気すら面白がっているのか、口角をわずかに上げている。
極めつけは、チビたちだった。
やけにそわそわしていて、落ち着きがない。
目が合うと、あからさまに逸らされる。
なぜか全員、眠そうで――
……そして、揃いも揃って、顔が赤い。
(……なんだ、この空気……)
嫌な予感が背筋を這い上がる。
「な、なんか……おまえら元気ないけど……だ、大丈夫か……?」
恐る恐るそう聞くと、チビが肩をすくめ、もごもごと口を開いた。
「……申し訳ねぇ、兄貴。その……ちぃとばかし、言いにくい事なんすけどね」
その言葉と同時に、食堂の空気がピシッと凍る。
「……二階の壁――その……あんまり、厚くないみたいでして」
嫌な単語が出た瞬間、心臓が一段跳ねた。
「……へ?」
俺の喉から、間抜けな声が漏れる。
チビは、完全に目を逸らしながら続けた。
「それに……あっしら獣人、耳がいいもんで……」
そこで一拍、妙な間が空いた。
「……その……兄貴の、声が……」
言葉を探すように、チビは唇を噛み、
「……えーと……なんつーか……艶っぽくて……」
俺の視界が、スーッと白くなる。
「……ドキドキして、誰も眠れなかったんでさぁ……」
しん、と静まり返る食堂。
アヴィが、露骨に舌打ちした。
クーは「やっぱり……」という顔で目を伏せる。
リィノは咳払いで誤魔化し、リーヤは耳まで真っ赤だ。
ライトだけが、楽しそうに言った。
「なあ、ベッド壊れなかったか?」
「聞くなぁぁぁ!!」
反射的に叫んでいた。
顔から火が出るどころの話じゃない。
全身が一斉に沸騰して、今にも爆発しそうだ。
(……さよなら、俺の男としての尊厳……)
その瞬間、背後から低く、落ち着いた声がした。
「……なに突っ立ってる」
振り返ると、そこには何事もなかったかのような顔をしたガウルが立っていた。
全員の視線が、一斉にガウルへ向く。
……そして、もう一度、俺へ。
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