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俺のヒールが人生を変えたそうです①―ヒール職なのにモテ期来た件―
しおりを挟むギルドで報酬を受け取った後、俺たちは街の酒場に来ていた。
酒場と言っても、ちゃんとした食事も提供してるし、味も悪くない。
冒険者御用達って感じで、夕飯どきになると満席になるらしい。今はまだ少し早い時間だから、席も空いていて静かだった。上の階は宿屋になっていて、昨夜はここで俺も世話になった。
俺とガウルは、テーブルの隅に向かい合って座っていた。
湯気の立つ具沢山のスープが二つ、木製のトレイに乗って運ばれてきて、目の前に置かれる。
ガウルはスプーンを手に取り、スープを一口すすりながら、金の詰まった革袋をジャラッと無造作にテーブルの上に置いた。
「15万ギニーだ」
一瞬、俺はその金額が理解できずに固まった。次の瞬間には思わず声が裏返る。
「……は?」
「これで、礼は返せたか?」
「え、いやいやいや!? 返せたかって、なにが!?」
信じられない。これ、俺のヒール1発ぶんの報酬ってこと?
いや、確かにあのとき助けたかもしれないけど、それって、足に挟まった罠を外して、ちょこっと回復しただけで――
「俺のしたことって、ただのヒールだよ!? 小回復だよ!? 唾つけたようなもんだよ!?」
気づけば声が裏返るほど叫んでいた。
けれどガウルは、まったく動じず、むしろ不思議そうに小さく首を傾げた。
「……違う。俺の人生を変えた」
さらっと、そんなとんでもないことを言うガウルに、俺は言葉を失った。
(え、それ……マジで言ってんの? 俺が? お前の人生を?)
「それに、今日……あんたがいなかったら、ドレイクに狙われてたのは俺の方だ」
……なんか、こういうところなんだよな。
この子――いや、この人は。言葉少ないくせに、たまに心臓にド直球をぶつけてくる。
俺はごまかすように笑って、グラスの水を飲んだ。
「……15万ギニー、じゃあ、ありがたく半分だけもらっとくよ」
「いらない」
「いやいや受け取ってくれ! 頼むから!」
たぶん、こいつは俺に金を使わせたいわけじゃない。
ただ、助けてもらった礼をきちんと返したいだけなんだ。
――だからこそ、ズルい。
真っ直ぐすぎるし、優しすぎる。
俺は袋をそっと押し戻しながら、深く息を吐いた。
ふと、ガウルの手の甲に、うっすらと赤く残る傷跡が目に入った。
ドレイクの爪……だろうか。戦いの最中、あの至近距離で無傷で済んだとは思えない。
「おい、手……見せて」
そう言って、彼の手をそっと取る。
案の定、浅いけど裂けたような痕がいくつも走っていた。血はもう止まって、かさぶたになりかけてはいるけど――やっぱり見ていて胸がざわつく。
指先を包み込むように握ったまま、ゆっくりと魔力を流し込む。
「……ヒール」
淡い緑光がじわ、と手のひらの隙間からこぼれた。
皮膚が少しずつ再生していくのがわかる。でも、どうしても“全部”は治しきれない。
「……でも、しないよりはいくらかマシか……?」
思わず、ため息がこぼれた。
あんな強い相手に、俺は結局、なにもできなかった。
ただ隣で見てるだけの、足手まといで――。
そんなことを思いながら顔を上げると、ガウルは視線を泳がせていた。
(え……?)
目が合った瞬間、彼はパッと手を引っ込めて、ローブの中に隠してしまった。
その頬は、ほんのりと、桃色に染まっていて――
(おいおい、なんだその可愛い反応!?)
いやいやいや。待て待て待て。おかしいだろ!?
あんなドレイクを一瞬で倒した、冷静沈着・無敵のプラチナランカーが、ヒールひとつで顔赤くするとか――ギャップで俺が死ぬぞ!?
こっちはガチで鼓動がヤバい。心臓がもたん。
とにかく、気持ちを誤魔化さないと死ぬ。
俺は震えを抑えながら、目の前のスープをひと口すすった。
そんな俺の心情を知ってか知らずか、やがてガウルが視線を逸らしたまま、ぽつりと呟いた。
「……ユーマ。俺と、パーティーを組んで欲しい」
それは、不意打ちのように投げかけられた言葉だった。
俺はスープのスプーンを落としかけた。
「……は?」
「俺には、あんたが必要なんだ」
ガウルは真っ直ぐ、俺だけを射抜くように見つめていた。
――あのドレイクに立ち向かった時と、まったく同じ眼だ。
ふざけてもいない。取り繕ってもいない。
痛いほど真剣で、まっすぐで――逃げ場のない眼差し。
「……俺は、強くなった。あんたに気づいてもらえるくらいには。ずっと、それだけ考えてきた」
声が震えてるわけでもないのに、不思議と胸に響いた。
これまでの無愛想さや、ぶっきらぼうな態度からは想像もつかないほどの、純粋でひたむきな想いだった。
「俺……ヒールしかできないよ? しかも、切り傷、擦り傷、ひびあかぎれ、目の疲れぐらいしか癒せないよ? 塗れば治る系の某万能軟膏の方がマシまであるよ?」
「それでもいい。あんたがいるだけで、俺は安心できる。だから、俺と組んでほしい。ずっと――傍にいてくれ」
静かに、でも確かに告げられたその言葉に、俺は……言葉を失った。
あの無表情で冷静沈着、あのプラチナランクの最強獣人少年が、だ。
この胸の奥の、じんわりと温かくなる感覚は――なんなんだろう。
いや、わかってる。
俺はずっと、「こういう子」に救われたかったんだ。
強くて、美しくて、でもどこか寂しげで。
そして今、そんな彼が俺を必要としてくれている――だと……?
ありがとう、異世界。
ありがとう、神様。
「……ああ」
気づけば、声が漏れていた。ていうか勝手に漏れた。
「よろしくな、ガウル。これから、たくさん足を引っ張ると思うけど……」
「それも含めて、ユーマだろ」
そう言って、ガウルは少しだけ、口元を緩めた。
それは、初めて見た――心からの、笑顔だった。
ああ……その一言で、その笑顔で、世界のすべてが赦された気がした。
こんなにも尊い存在が、俺なんかの名前を呼んでくれる。
(控えめに言って神託)
今日から俺は、全力でこの少年を崇め奉って生きていく。
できれば朝晩の祈りも取り入れていきたい。
ありがとう、ガウル。
ありがとう、異世界(2回目)。
***
結局あの後も、ガウルは頑なに金を受け取らなかった。
だから、あの15万ギニーは丸ごと俺が預かっている。
彼とこれから本格的に冒険を共にするなら、危険は避けられない。
せめて装備だけでも、まともなものを揃えておこう――そう考え、俺はガウルに見立てをお願いした。
二人並んで、防具屋の扉をくぐる。
店内には、冒険者向けの軽装から重装備までが所狭しと並んでいた。
俺たちはその中から、比較的動きやすそうなローブや胸当てを手に取り、試着鏡の前で肩に当ててみたり、値段を確かめたりしながら品定めをしていた。
「……これは?」
「生地が弱い。牙の通り道になる」
「そっか……こっちは?」
「腹が甘い。心臓を狙われたら終わる」
ガウルの静かな指摘が頼もしすぎて、若干テンションが上がる。
そして──その時だった。
背後から聞こえてきた、金属の引きずるような音と、荒い声に、思わず振り返る。
「……ちんたら歩いてんじゃねぇ! さっさと来いよオラ!」
そこにいたのは、他の冒険者パーティーと、その後ろで鎖を引かれていた、小柄な獣人の少年だった。
うさぎ耳がだらんと垂れたその子は、ボロボロの服のまま地面を引きずられるように歩かされており、手足は擦り傷だらけだった。顔は伏せられ、その瞳に生気は感じられない。
(……ひでぇ)
咄嗟に足を踏み出しかけたが、思わず立ち止まる。
男たちは三人組で、全身に軽鎧をまとい、粗野な笑いを浮かべながら何やら話し込んでいた。一人がこちらの気配に気づいて顔を上げ、顎をしゃくるような仕草を向けてくる。
見るからにガラが悪い。正直、関わりたくないタイプだ。
けど――。
隣に立つ気配が強くなる。
ガウルが一歩前に出た気がした。空気が、ぴんと張り詰めたように変わる。
俺はそっと横目で彼を見たが、表情はいつも通りで読めない。
だけど、なぜだろう。背中を押されたような気がした。
「……すみません、その子、少しだけヒールさせてもらえませんか?」
「はァ? なんだてめえ。関係ねーだろ」
リーダー格らしき冒険者が、面倒くさそうに舌打ちする。
「ただでってんなら、好きにしろよ。金は払わんぞ?」
「いりません。……ありがとう」
倒れかけていたその少年の前にしゃがみこみ、怖がらせないように「ちょっとだけ、触るよ」と声をかけ、そっと手を取る。
「……ヒール」
俺の手から微かに光がにじみ、擦り傷や打ち身がふわりと癒えていく。
少年の瞳が、一瞬だけこちらを見た。
驚いたような、信じられないような目だった。
(……こんな顔をするなんて、どんな扱いを受けてきたんだよ)
兎獣人の子の瞳に、かすかに光が戻ったように見えた。
長く諦め続けた者だけが持つ、曇った光。
それが、ほんの一瞬で研ぎ澄まされたような、そんな錯覚を覚える。
彼は、傷の癒えた腕をゆっくりと持ち上げ、鎖を引いていた男たちを睨みつけた。
「……僕はもう、お前たちの言うことは聞かない」
静かな声だった。けれど、そこには確かな意志が宿っていた。
俺は、息をのんだ。
「はァ? なんだとコラ。てめぇは俺が奴隷商から買ったんだぞ!」
リーダー格の男が、声を荒げて一歩詰め寄る。
「関係ない」
彼は真っ直ぐに言い切った。
その声に、男たちの顔が一瞬引き攣る。
「……ってめえ、この野郎ッ!」
男が拳を振り上げた、その瞬間。
気づけば、俺の体が動いていた。
「やめろッ!!」
彼の前に飛び出すと同時に、男の拳が俺の頬を捉える。
鈍い衝撃とともに、地面が跳ね、俺の体が吹き飛ぶ。
「ユーマ!」
誰かの叫ぶ声が聞こえた。
たぶん、ガウルだ。
視界がぐるりと回転し、地面に叩きつけられた俺は、ふらふらと起き上がりながら呟いた。
「クソ、いってぇ……」
(痛い。マジで痛い、死ぬほど痛い……だけど)
倒れたまま、じんじんと痺れる頬に手を当てながら、俺は目を細めた。
彼の小さな体が、まだ男たちの鎖に繋がれている。
それがどうしようもなく、許せなかった。
――前世でも、ああして誰かを救えなかった。
助けられたはずの命を、見殺しにした。
もう二度と、あんな後悔をするのはごめんだ。
「……その子、いくらで買ったんだ?」
「はっ。何だよお前、買い取るってか? 偽善者が」
男が鼻で笑いながら、指を一本立ててきた。
「10万ギニーだ。払えるもんなら払ってみろよ」
男のニヤついた口元に、嫌な予感が走る。あきらかにふっかけてきた額だ
俺はゆっくりと立ち上がり、痛む頬を擦る。そのまま隣に立つガウルに目を向けた。
「……ガウル。あの金、使わせてもらってもいいか?」
問いかけに、彼は一瞬だけ黙ったあと、小さく頷く。
「ああ。あれはあんたの金だ。好きにしろ」
たったそれだけのやりとりで、背中を押された気がした。
もう、迷いはなかった。
俺は腰の鞄から金の入った袋を取り出し、男に向かって投げるように差し出した。
男たちは一瞬面食らったような顔をしたが、すぐにその袋を掴み取る。
中身を開くこともせず、ただ手のひらで軽く重さを確かめてにやりと笑った。
「チッ、マジで払いやがったか。……ほらよ」
ぶっきらぼうな声とともに、少年を突き飛ばすように寄越してくる。
彼の小柄な体がよろめいて、俺の方へと倒れかけた。
慌ててその体を支えた俺の胸に、軽く湿った毛並みと、かすかに震える温もりが触れた。
「ったく、いくぞてめぇら……」
リーダー格の男がそう呟くと、彼らは店の出入り口からぞろぞろと出ていき、やがて姿が見えなくなる。
「大丈夫か?」
そっと声をかけると、少年は迷うことなく、俺の腰にぎゅっとしがみついた。
まるで、離れたらまたどこかへ連れ去られてしまうかのように──。
「ガ、ガウル……どうしよう……?」
困った俺が助けを求めると、ガウルは軽く肩をすくめて言った。
「……あんたの好きにすればいい」
「って言われてもさあ。つい、成り行きと言うか、べつに、奴隷が欲しかったわけじゃないんだよね……」
「……っ!?」
突然、彼が俺の足元にひれ伏すように土下座した。
「っ、ご主人様ッ!!」
「……へ?」
「必ず……必ずお金はお返しします! どうか、僕を連れて行ってください! 荷物持ちでも、雑用でも、何でもやりますから!」
「ちょ、ちょっと待って落ち着いて!? お金とか、ほんと、気にしなくていいからね!?」
ふと視線を感じて顔を上げると、防具屋の店主が無言でこちらを見ていた。
「……冷やかしならさっさと出てけよ」とでも言いたげな、あからさまに呆れた顔だ。
少年は地面にひれ伏したまま、変わらず「お願いします……!」と懇願している。
いたたまれなくなって、俺は慌てて声をあげた。
「わ、わかった! わかったから、とりあえず落ち着こう!? な? ちょっと、ここじゃアレだから、いったん外に出よう!」
その瞬間、目の前の少年の目が、ぱあっと光を取り戻した。
「はいっ! ありがとうございます!! 僕、アヴィって言います。よろしくお願いしますご主人様ッ!」
「…………」
(俺のなかの……何かが……目覚めそうだった)
(ご主人様って……いいもんだな……?)
(いや違う、そうじゃない、落ち着け俺)
「……よ、よろしく。アヴィ」
ほんの少しだけ声が裏返った気がするが、気にしないことにした。
「俺はユーマだ」
……こうして、10万ギニーと俺の顔面を犠牲にして、俺たちのパーティーにまたひとり、尊い獣人ショタが加わったのであった。
さよなら10万ギニー。
ありがとう、異世界(3回目)。
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