呪われた婚約者と結婚した話

よしゆき

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 時間を少し遡り、パーティー会場に残されたサイラスはクロエの戻りが遅い事に不審を抱きはじめていた。
 会場内を何度も見回すが、クロエの姿はない。戻ってきてはいないはずだ。
 心配で待ちきれず、サイラスは女性の使用人に頼んで化粧室を見てきてもらった。すると、そこにクロエはいなかった。
 いよいよおかしい。戻ってくると言ったクロエが姿を消してしまった。
 焦る気持ちを抑え、冷静に彼女を捜しはじめる。会場内も改めて隅々までしっかりと見て回り、庭やパーティーの招待客用に解放されている客室も全て捜した。だがクロエの姿はどこにもない。
 捜していない厨房や解放されていない部屋にいるのか。それとももうこの屋敷の中にいないのか。
 彼女が自主的に出て行ったのではないとしたら、誘拐だろうか。それとも招待客の男に無理やりどこかに連れ込まれたのか。
 嫌な想像が頭を駆け巡りゾッとする。今、彼女が無事であるという保証はない。一刻も早く捜し出さなくては。
 サイラスはパーティー主催者にクロエの捜索を申し出ようとした。パーティーは中止になり、主催者も招待客も迷惑を被る事になるだろう。だが、そんな事はどうでもいい。クロエの方が大事だ。
 だが行動に出る前に、背後からサイラスを呼ぶ声が聞こえた。

「サイラス様」
「っ……クロエ!?」

 振り返れば、捜し求めていた彼女がそこにいた。クロエの無事な姿を目に映し、サイラスは心の底から安堵する。

「良かった、無事だったのか……!? どこにも姿が見えないから、何かあったのかと……っ」
「心配かけてごめんなさい。サイラス様のところへ戻る途中で、体調を崩した人を見つけて。その人を休める場所へ連れていっていたの」
「そう、だったのか……」

 そうだとしたら、サイラスは屋敷の中を歩き回っていたので遭遇していてもおかしくないのだが。ちょうど庭に出ていた時にクロエは屋敷内を移動していたのかもしれない。

「とにかく、君が無事で良かった……。何もないのなら、それでいいんだ……」

 胸を撫で下ろし、サイラスはくしゃりと笑った。それは彼がクロエの前だけで見せる、気の抜けた笑顔だった。
 それを見たクロエは奇妙なものを見たような顔をして固まった。

「クロエ? どうしたんだ?」
「っ、え、あっ、いいえ、何でもないです……」

 クロエは気を取り直したようにサイラスの腕に手を伸ばした。するりと腕を絡ませて、ぴったりと身を寄せる。

「それよりサイラス様、もう帰りましょう? 早く帰ってサイラス様と二人きりになりたいです」
「…………は?」

 上目遣いに、あざとさの滲む微笑。
 クロエの表情も言動も、違和感しかなかった。

「どうしたんだ、クロエ……?」
「え? 何がですか?」
「君がそんな事を言うなんて……何かあったのか?」
「えっ、あ、いいえ……その、そういう気分、だったので」
「そういう気分……?」
「サイラスに甘えたいって思って……」

 クロエは笑う。艶やかに、色香を浮かべ。
 サイラスは反射的に彼女から離れた。
 違和感は疑惑に変わり、不審に満ちた目で目の前の彼女を見据える。

「君は誰だ……?」
「だ、誰って……嫌だわ、サイラスってば……クロエよ。あなたの妻でしょう?」

 クロエの笑顔が引きつる。縋るように伸ばされた手をサイラスは避けた。
 姿形はクロエだ。でも違う。確信を持って言える。

「違う……。クロエはそんな顔をしない。そんな風に笑わない。君はクロエじゃない」
「な、何でそんな事言うの……? どう見ても私はクロエでしょう? クロエじゃなかったら誰だって言うの?」
「わからない。でも、クロエじゃないのは確かだ。クロエはどこだ? クロエは今、どこにいる? お前が彼女をどこかへやったのか?」

 サイラスは目の前の女性に詰め寄る。彼女がクロエでないとしたら、クロエは一体どこにいるのだ。
 再び焦燥感に包まれ、唯一の手がかりであるクロエの姿をした誰かを問い詰める。

「クロエはどこだ? 彼女は無事なのか? 彼女に何をした? クロエをどこへやったんだっ?」
「や、やめてよっ……! 私がクロエだって言ってるでしょう……!?」

 サイラスの追及に目の前の人物はどんどん取り繕えなくなっていき、声を荒げる。

「姿形がクロエなら、騙せると思ったのか? 口調も表情も仕種も、何もかもがクロエとは違うのに?」
「っ……」

 悔しそうに顔を歪める女性を、サイラスは冷ややかに見つめる。

「クロエは今、どこにいる?」
「……さあ。今頃、他の男と楽しんでるかもね」
「何だとっ……」
「きゃっ……!?」

 片手で胸ぐらを掴まれ、クロエの姿をした彼女は信じられないという表情を浮かべる。サイラスに乱暴にされるなど思ってもみなかったというように。

「は、離してよ……!」
「クロエはどこだ?」
「い、言っておくけど、この体は本当にクロエのものなんだからっ……。この体を傷つけたら、彼女を傷つける事になるんだからね……!?」

 脅すような彼女の発言に、サイラスは一瞬怯んだ。しかし胸ぐらを掴む手を離さず、もう片方の手でナイフを取り出す。それはサイラスが護身用にいつも持ち歩いているものだ。
 ナイフの刃を頬に寄せられ、彼女は瞠目する。

「クロエはどこにいる?」
「っ…………」
「答えないなら、痛い思いをする事になるぞ。体はクロエのものでも、もちろん痛みは感じるんだろう?」
「っ……こ、この体が、傷物になってもいいって言うの……? 何よあなた、本当は彼女の事なんて愛してないの?」
「いいや、違う。どれだけ傷ついても、俺はクロエを愛してる。それがクロエならな。本物のクロエを見つけ出すためなら、彼女の体を傷つける事だって厭わない。寧ろ、傷だらけになってクロエが誰にも見向きもされなくなった方が嬉しいくらいだ。彼女を目に映すのが俺だけになるんだからな」

 そう言ってサイラスはうっそりと笑う。
 その狂気を孕んだ笑みに彼女はゾッと青ざめた。
 実際のところ、サイラスにクロエを傷つける事はできない。こうして彼女の顔にナイフを近づけているだけで手が震えそうだ。うっかり傷つけてしまったら……そう考えるだけで恐怖に竦みそうになる。
 だから、精一杯演じる。この嘘を彼女に信じ込ませるために。
 相手はクロエではない。ならば、いくらでも冷酷になれる。クロエの体を傷つける事はできないが、精神的に追い詰める事はできる。

「さあ、どんな傷をつけようか。頬の肉を削いで、目を抉って……どうせならうんと醜くしよう。俺とお揃いになるように。そうしたら、きっと俺以外の男に……男だけじゃない、誰もクロエに見向きもしなくなる。俺だけのクロエにできる」
「ひっ……」

 クロエの顔が恐怖で歪み、短い悲鳴を上げる。

「や、やめてやめて……!! わかったわ、教えるからっ……」

 彼女が屈服した事に、サイラスは内心深く安堵する。しかしそれを表には出さず、平静を装ったまま冷めた声を出す。

「クロエの居場所を教える気になったのか?」
「教えるわ、教えるから……っ」
「どこだ?」
「ゲストハウスよ……。裏口から出て、少し離れたところにある……」

 サイラスはひとまずナイフをしまい、彼女の腕を掴んで移動する。クロエではなくてもクロエの体だ。逃がすわけにはいかない。
 向かった先のゲストハウスに入る。廊下の奥にあるドアの向こうから声が聞こえてきた。

「いやっ……離して下さい……!! 助けて、サイラス様……っ」

 それが自分に助けを求める悲鳴だと気付き、サイラスは考えるよりも先に動いていた。
 壊すような勢いでドアを開ける。ベッドの上の二人の顔がこちらを向く。
 一人は女性で、その女性の上に青年が跨がっている。二人とも見知った相手だった。イザベラと、今回のパーティーの主催者の息子だ。
 イザベラが、サイラスの存在に気付き声を上げる。

「サイラス様……っ」

 呼ばれた瞬間、彼女がクロエなのだとわかった。そして状況を理解し、カッと頭に血が上る。
 サイラスはベッドに駆け寄り、クロエに襲いかかる青年を殴り飛ばした。呻き声を上げて青年がベッドから転げ落ちる。

「クロエ……!!」

 サイラスは青年に見向きもせず、イザベラの姿をしたクロエの状態を確認する。ドレスが乱されているのを見て怒りが湧き上がる。しかしどうにか心を落ち着け、彼女の手首を縛るロープを持っていたナイフで切った。
 彼女のドレスの乱れを直し、体を起こす。

「クロエ、怪我はないか……?」
「サイラス様……」
「遅くなってすまない……。もう大丈夫だ」
「はい……」

 震える彼女の体をそっと抱き締める。蒼白になり怯える彼女の姿を見て、込み上げる感情を懸命に抑えた。
 クロエがどれほど怖い思いをしたのか。怖い思いをさせてしまったのか。考えると自分の不甲斐なさに胸が押し潰されそうになる。

「な、何なんだ一体っ……どういう事だ、話が違うじゃないか……!?」

 青年が喚きながら逃げるように走り去っていく。
 部屋に残ったのはサイラスとクロエとイザベラだ。
 サイラスはクロエの姿をしたイザベラに視線を向ける。
 イザベラ。サイラスに呪いをかけた張本人。
 サイラスはクロエと結婚する前、色んな女性と遊んだ。それはあくまで遊びで、誰一人本気ではなかった。
 それはサイラスだけではなく、女性側もそうだった。ちょっとした刺激を求め、ほんの一時楽しい時間を過ごす為だけに、女性達はサイラスの誘いに乗る。
 だから、今まで女性に恨まれた事はなかった。互いに割り切った関係しか結んでこなかった。
 しかしイザベラは違った。サイラスが遊びでしか女性に手を出さないと知っていたから、イザベラは遊びの振りで声をかけてきた。でも実際はサイラスを落とす気でいたのだ。
 当初、サイラスがクロエとの結婚に乗り気でない事をイザベラは知っていた。だから、イザベラは自分が誘惑すればサイラスはクロエとの婚約を破棄して自分と結婚してくれるだろうと考えていた。
 しかしサイラスは落ちなかった。サイラスもサイラスで、結婚は家の為にするものだと割り切っていた。でなければ、そもそも婚約が決まる前に断っていただろう。
 クロエは家の為に選ばれた最適な婚約相手だ。だから、サイラスはイザベラに何を言われようと婚約を解消するつもりなどなかった。それに、イザベラはあくまで遊び相手であって結婚したいと思えるような相手でもなかった。
 それにイザベラが激怒した。自分のものにならないのなら不幸にしてやる。そんな思いから彼女はサイラスに呪いをかけたのだ。

「君だったんだな、イザベラ……」
「ええ、そうよ」
「どうしてこんな事を? 君が憎んでいるのは俺だろう? 俺に呪いをかけて満足したんじゃないのか? どうしてクロエを巻き込んだ……っ」
「だって許せないじゃない!!」

 クロエの姿でイザベラは激昂する。

「私はあなたを不幸にしたいのよ! その為に呪いをかけたの! それなのに何よ、そんな女と楽しそうに、呪いになんてかかってないみたいな幸せそうな顔でデートして……っ」

 二人は普通にデートしていただけだが、眼帯姿のサイラスとクロエのデートは密かに周りの注目を集めていた。仲睦まじく微笑ましい二人の様子に、サイラスを知る女性は少なからず驚いた。
 クロエと結婚してからは女遊びもピタリと止まり、女性が誘っても全て断られていた。呪いのせいではなく、彼は妻を大事に思っているのだろうと。そんな噂を耳にして、イザベラは許せないと思った。
 呪いで醜い顔にしたのは、二度と人前に出られなくなればいいと、部屋に引きこもり孤独で寂しい人生をサイラスに送らせる為だ。最初は確かに彼は人前に出るのを恐れ外に出なくなった。
 それなのに今では堂々と外に出て、しかも幸せそうに妻とデートしているのだ。
 イザベラは我慢ならなかった。自分を捨てたくせに、自分の事を忘れ、サイラスが他の誰かと幸せになるなんて許せない。
 憎しみを込めてサイラスを睨み付ける。

「……わかった。俺の事が憎いなら、俺には何をしてもいい。何でも言う事を聞く。でも、クロエを巻き込むのだけはやめてくれ。彼女を元に戻してくれ」
「嫌よ! サイラスを不幸にするには、その女を利用するのが一番効果的だってわかったんだもの」
「イザベラ……」

 サイラスは立ち上がる。イザベラは身構えた。またナイフを突き付けられるのではないかと思ったからだ。
 だが違った。サイラスは床に膝をつく。両手も床につける。
 その様子を、イザベラもクロエも呆然と、信じられないという顔で見ていた。
 サイラスは深く頭を下げ、床に額もつける。

「頼む、イザベラ……。君の望む事は何でもする。だから、クロエにだけは手を出さないでくれ。お願いだ……っ」

 サイラスは暴力をふるうのでもなく、脅すでもなく、ただ誠心誠意イザベラに頼み込んだ。

「何よそれ……。土下座とか、信じらんない……だっさい……。そんな事して、情けないと思わないの……?」

 暴言を吐くイザベラの瞳は揺れていた。握った拳は震えている。
 サイラスは顔を上げない。何を言われようと、どう思われようと構わなかった。クロエを助けられるのなら、サイラスは何でもするつもりだった。

「何で、そんな……。あの時は、何もしなかったくせに……っ」

 責めるようなイザベラの声は、弱々しく掠れていた。
 彼女の言う「あの時」とは、サイラスに呪いをかけた時の事だろう。
 クロエとの婚約を解消し自分と結婚しないかというイザベラの誘いを断れば、彼女は「呪ってやる」という捨て台詞を残して去っていった。
 その翌朝、サイラスが目覚めるとこんな醜い顔になっていた。
 サイラスはすぐにイザベラのところへ行った。問い質すまでもなく、彼女はあっさり自分が呪いをかけたのだと認めた。
 そしてイザベラは言ったのだ。縋りつき許しを請えば呪いを解くと。
 サイラスは自分の容姿に自信を持っていた。それが彼の武器でもあり、彼という人間を作り上げた要素の大部分を占めている。
 だから、イザベラは彼の顔を呪いで醜く変貌させた。そうすれば、彼は呪いを解く為に自分の言う事を何でも聞くだろうと思ったから。
 だが、サイラスはイザベラの思い通りにはならなかった。
 彼のプライドがそれを許さなかった。彼女に縋り許しを請うくらいなら、一生この顔のままでいた方がましだった。
 サイラスはイザベラの要求を突っぱね、彼女の元を去った。
 サイラスのその行動に自尊心を傷つけられたイザベラは、彼への憎しみを一層募らせる事となった。
 自分の顔を醜く変貌させられた時は、元に戻してほしいと頭を下げる事もしなかったサイラス。その彼が、土下座をしてイザベラに懇願している。
 他でもない、クロエの為に。
 彼女の為なら、プライドも捨て何もかもを差し出すという事か。

「カッコ悪……。サイラスがそんな男だなんて、ガッカリよ。もういい、何かすっごい冷めたわ……」

 イザベラは投げやりに吐き捨てる。それが強がりなのか、彼女自身わからなかった。

「どうでもいいわ、あなた達二人の事なんて。もう興味ないから」

 イザベラはスタスタとベッドの上のクロエの元へ進む。

「イザベラ様……」
「悪かったわね、巻き込んで。安心して、もう二度とあなた達には近づかないから」

 そう言ってイザベラはクロエの顔で美しく笑った。




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