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1.転職先は魔王城
9話
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「レヴィアス様! ハーピーの里で狂暴化したモンスターが暴れてるとかで……!」
ドアの外で叫ぶ男性の声には焦りが滲んでいる。
にわかに城内が騒がしくなり、鎧の金具が擦れる音や、慌ただしく廊下を走る足音が響き出す。
レヴィアスが立ち上がると同時に、シオンの視界が漆黒の何かで遮られた。
驚いてシオンは一瞬眼を瞑る。
「……失礼」
緊迫した空気の中に落ちる一滴の水のように、静かな声。
眼を開ければ、彼の背に黒く艶やかな翼が現れていた。
竜族のそれとは異なる、大きな鳥を思わせる両翼。
その姿を見るのは初めてではないのに、シオンの心は僅かに揺れた。
やはり、目の前にすると強く実感する。
彼もまたこの魔王城にふさわしく、"人ならざる者"なのだ。
レヴィアスが扉を開けると、その向こうには長身のレヴィアスすらもゆうに超える身の丈の屈強な男性が立っていた。
シオンも何度か業務上のやり取りしたことがある、青い毛をしたワーウルフだ。
彼の後ろを、担架で運ばれていく小さな身体が通り過ぎた。
……ハーピーの子供だ。
一瞬だけ見えた腕に巻かれた包帯は、じわりと赤く染まっていた。
幼い泣き声と、それを宥める医療班の声が交差する。
やがてもう何台かの担架が通り過ぎ、あっという間に城内には血と消毒液の匂いが立ちこめた。
シオンはその緊迫した様子を、息を潜めて見守ることしかできなかった。
「暴れている魔物の詳細と数は」
「はいっ……見た目はサンドワームなんですが、奴らにはない毒を持っているみたいで……それに、妙に狂暴で、体の大半を損傷しているのに逃げる様子が全く無いんです」
その言葉から想像できるグロテスクな状況に、シオンはぐっと息を飲んだ。
「数は、確認できているだけで五体です。ただ、地上に出てきていない奴らがどれだけいるかは……」
彼は苦し気に言葉を詰まらせた。
それはきっと、危険な状況に恐怖しているからではない。
今にでも、この場を飛び出して現場に駆け付けたい、という気持ちの表れなのだろう。
「被害状況は」
「ハーピーの子供が襲われました。助けに入った大人と、近くを見回っていた巡視隊の数名が負傷して、城内に運ばれました」
会話の間にも、にわかに城内があわただしくなる。
まさに、その負傷者の対応に当たっているのだろう。
わかった、と一言告げると、レヴィアスは作業机の横に立てかけられた細身の剣を携える。
そのまま、翼を広げて窓から身を乗り出した。
飛び立つ直前、彼がちらりとシオンの方を見やって声をかける。
「書類の件は後ほど」
それだけ告げると、レヴィアスは窓枠を軽く乗り越えるようにして、ふわりと飛び去ってしまった。
翼から抜け落ちた一本の黒い羽根が、ゆらゆらと風に舞って足元に落ちる。
みるみる小さくなるその後ろ姿を見送ると、青毛のワーウルフがシオンの方を振り返った。
勇ましい狼の顔。
屈強な人間の戦士を思わせる肢体は見事な青毛で覆われており、おとぎ話の狼男のようだ。
その眼が先ほどレヴィアスに相対していた時よりも鋭く、威圧的に感じるのは、気のせいではないだろう。
「まだいたのか、人間」
低くうなるようにそう言われ、シオンは反射的に肩をすくませる。
彼はレヴィアスが管轄する巡視隊に所属しているワーウルフだ。
巡視隊の小部隊を束ねる彼には、視察の際に何度か声をかけることがあった。
会話のたびに向けられる視線や言葉はいつも鋭く、正直なところシオンも対面するたびに胃がきゅっと痛む程度に苦手意識を持っていた。
「……早く出ていけ」
吐き捨てるようにそう言うと、彼は急ぎ足で城門の方へと向かった。
恐らく、レヴィアスの後を追って現場へと急行するのだろう。
傷ついている仲間を心配し、職務に対して忠実に行動している彼を嫌う理由は、シオンにはない。
「出ていけ、か……」
その言葉は、この部屋から出て行けということだけを意味してはいない。
恐らくは、この魔王城から――出て行け、ということなのだろう。
人間を城に受け入れた前例はある。
それでも彼らにとって人間は、敵対し戦争をしていた相手なのだ。
表面上、業務をともに担っていたとしても、心の底で嫌悪されているのかもしれない。
そしてその感情を拭い去ることは、容易ではないだろう。
ふう、とため息をついて、気持ちを切り替える。
机に広げっぱなしの書類を片付けて、処理済みのものはバッグへとしまっていく。
それでもなお、あの青毛のワーウルフの低い唸りが、まだ耳元で生々しく渦を巻いていた。
書類に触れる指先が、微かに震えている。
冷えた手を温めるように、シオンは指先を小さく数回すり合わせた。
頭の中で繰り返し再生される、頭の上から降るように響く怒声と叱責。
それは、青毛のワーウルフのものではなく、かつて自分がオフィスで浴びせられた、言葉の刃だった。
狭い会議室に押し込められ、壁際に追い詰められる。
入社したころからお世話になっていた上司の、まるで人が変わったかのような形相が忘れられない。
『誰かに守られたかった?』
『どのくらい苦しかった?』
あの面接の日、バルドラッドから投げかけられた言葉が頭の中でこだまする。
――消えたいくらい、苦しかった。
誰かに助けてほしかった。
それが贅沢な願いだとは、今も思ってはいない。
それでも、それすら叶わないことがあるのだ。
内臓を氷漬けにされていくような、感覚に襲われながら、シオンはその場にゆっくりとしゃがみ込む。
こんな風にフラッシュバックを起こすのは、魔王城に来てから初めてのことではなかった。
「大丈夫……大丈夫」
頭にしっかりと血が巡るように体を丸めて、ゆっくり深呼吸を繰り返す。
ここは魔王城なのだ。
誰にでも歓迎してもらえるなどという気持ちは、もとより持っていない。
バッグを抱えて執務室を出る。
シオンは懸命に前を向いて歩き出すが、その足取りは、きっと誰からもとぼとぼしていると見えただろう。
――せめて、皆が大きな怪我をせずに帰ってこれることを祈ろう。
両手に抱えたバッグの中身は減ったはずなのに、先ほどよりもずっしりと、重たく感じていた。
ドアの外で叫ぶ男性の声には焦りが滲んでいる。
にわかに城内が騒がしくなり、鎧の金具が擦れる音や、慌ただしく廊下を走る足音が響き出す。
レヴィアスが立ち上がると同時に、シオンの視界が漆黒の何かで遮られた。
驚いてシオンは一瞬眼を瞑る。
「……失礼」
緊迫した空気の中に落ちる一滴の水のように、静かな声。
眼を開ければ、彼の背に黒く艶やかな翼が現れていた。
竜族のそれとは異なる、大きな鳥を思わせる両翼。
その姿を見るのは初めてではないのに、シオンの心は僅かに揺れた。
やはり、目の前にすると強く実感する。
彼もまたこの魔王城にふさわしく、"人ならざる者"なのだ。
レヴィアスが扉を開けると、その向こうには長身のレヴィアスすらもゆうに超える身の丈の屈強な男性が立っていた。
シオンも何度か業務上のやり取りしたことがある、青い毛をしたワーウルフだ。
彼の後ろを、担架で運ばれていく小さな身体が通り過ぎた。
……ハーピーの子供だ。
一瞬だけ見えた腕に巻かれた包帯は、じわりと赤く染まっていた。
幼い泣き声と、それを宥める医療班の声が交差する。
やがてもう何台かの担架が通り過ぎ、あっという間に城内には血と消毒液の匂いが立ちこめた。
シオンはその緊迫した様子を、息を潜めて見守ることしかできなかった。
「暴れている魔物の詳細と数は」
「はいっ……見た目はサンドワームなんですが、奴らにはない毒を持っているみたいで……それに、妙に狂暴で、体の大半を損傷しているのに逃げる様子が全く無いんです」
その言葉から想像できるグロテスクな状況に、シオンはぐっと息を飲んだ。
「数は、確認できているだけで五体です。ただ、地上に出てきていない奴らがどれだけいるかは……」
彼は苦し気に言葉を詰まらせた。
それはきっと、危険な状況に恐怖しているからではない。
今にでも、この場を飛び出して現場に駆け付けたい、という気持ちの表れなのだろう。
「被害状況は」
「ハーピーの子供が襲われました。助けに入った大人と、近くを見回っていた巡視隊の数名が負傷して、城内に運ばれました」
会話の間にも、にわかに城内があわただしくなる。
まさに、その負傷者の対応に当たっているのだろう。
わかった、と一言告げると、レヴィアスは作業机の横に立てかけられた細身の剣を携える。
そのまま、翼を広げて窓から身を乗り出した。
飛び立つ直前、彼がちらりとシオンの方を見やって声をかける。
「書類の件は後ほど」
それだけ告げると、レヴィアスは窓枠を軽く乗り越えるようにして、ふわりと飛び去ってしまった。
翼から抜け落ちた一本の黒い羽根が、ゆらゆらと風に舞って足元に落ちる。
みるみる小さくなるその後ろ姿を見送ると、青毛のワーウルフがシオンの方を振り返った。
勇ましい狼の顔。
屈強な人間の戦士を思わせる肢体は見事な青毛で覆われており、おとぎ話の狼男のようだ。
その眼が先ほどレヴィアスに相対していた時よりも鋭く、威圧的に感じるのは、気のせいではないだろう。
「まだいたのか、人間」
低くうなるようにそう言われ、シオンは反射的に肩をすくませる。
彼はレヴィアスが管轄する巡視隊に所属しているワーウルフだ。
巡視隊の小部隊を束ねる彼には、視察の際に何度か声をかけることがあった。
会話のたびに向けられる視線や言葉はいつも鋭く、正直なところシオンも対面するたびに胃がきゅっと痛む程度に苦手意識を持っていた。
「……早く出ていけ」
吐き捨てるようにそう言うと、彼は急ぎ足で城門の方へと向かった。
恐らく、レヴィアスの後を追って現場へと急行するのだろう。
傷ついている仲間を心配し、職務に対して忠実に行動している彼を嫌う理由は、シオンにはない。
「出ていけ、か……」
その言葉は、この部屋から出て行けということだけを意味してはいない。
恐らくは、この魔王城から――出て行け、ということなのだろう。
人間を城に受け入れた前例はある。
それでも彼らにとって人間は、敵対し戦争をしていた相手なのだ。
表面上、業務をともに担っていたとしても、心の底で嫌悪されているのかもしれない。
そしてその感情を拭い去ることは、容易ではないだろう。
ふう、とため息をついて、気持ちを切り替える。
机に広げっぱなしの書類を片付けて、処理済みのものはバッグへとしまっていく。
それでもなお、あの青毛のワーウルフの低い唸りが、まだ耳元で生々しく渦を巻いていた。
書類に触れる指先が、微かに震えている。
冷えた手を温めるように、シオンは指先を小さく数回すり合わせた。
頭の中で繰り返し再生される、頭の上から降るように響く怒声と叱責。
それは、青毛のワーウルフのものではなく、かつて自分がオフィスで浴びせられた、言葉の刃だった。
狭い会議室に押し込められ、壁際に追い詰められる。
入社したころからお世話になっていた上司の、まるで人が変わったかのような形相が忘れられない。
『誰かに守られたかった?』
『どのくらい苦しかった?』
あの面接の日、バルドラッドから投げかけられた言葉が頭の中でこだまする。
――消えたいくらい、苦しかった。
誰かに助けてほしかった。
それが贅沢な願いだとは、今も思ってはいない。
それでも、それすら叶わないことがあるのだ。
内臓を氷漬けにされていくような、感覚に襲われながら、シオンはその場にゆっくりとしゃがみ込む。
こんな風にフラッシュバックを起こすのは、魔王城に来てから初めてのことではなかった。
「大丈夫……大丈夫」
頭にしっかりと血が巡るように体を丸めて、ゆっくり深呼吸を繰り返す。
ここは魔王城なのだ。
誰にでも歓迎してもらえるなどという気持ちは、もとより持っていない。
バッグを抱えて執務室を出る。
シオンは懸命に前を向いて歩き出すが、その足取りは、きっと誰からもとぼとぼしていると見えただろう。
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両手に抱えたバッグの中身は減ったはずなのに、先ほどよりもずっしりと、重たく感じていた。
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