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1.転職先は魔王城
10話
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泣く子も黙る魔王城にも、ちゃんと癒しの空間がある。
自室に備え付けのバスルームや、薬草を育てる温室。
それから、古い紙の匂いが閉じ込められた立派な書庫。
静かで、腰を落ち着けて一人になれる場所というのがポイントだ。
シオンは、ほこほこと白い湯気をたてるバスルームで、甘い花の香りがする石鹸をゆっくり泡立てていた。
ナナリーが先日「試作品、感想きかせてね」と言って渡してくれたものだ。
洗い流した後の潤い感があり、心地よい。
是非とも魔王城の購買部で商品化して欲しいくらいのクオリティで、受け取ってから毎日愛用している。
以前の会社員生活ではいつからかバスタブにお湯を張ることも無くなって、もっぱらシャワー生活を送っていた。
会社に住んでるのか?と言われるくらい一心不乱に仕事をし続けたのだから、当然だ。
――その結果が、映像で見せられたあの最期だったのだろう。
自分のことを気にかける余裕なんて、これっぽっちも無かったのだ。
魔王城で綺麗に整った自室を与えられ、温かい湯の中で体の芯から温まった時……ずっと張り詰めていた緊張から解放されたようで、思わず涙がこぼれたことを思い出す。
「ふう……」
ふかふかのタオルで水気を拭い、ナナリー謹製の化粧水で肌を整えてから就寝用のワンピースに着替える。
――先日のサンドワーム騒ぎの後、魔王城内はすっかり慌ただしくなった。
対象の討伐や周囲の警戒のために人員が派遣され、入れ替わるように負傷者たちが城内の医務室へと運び込まれる。
数日の間にサンドワームの討伐は一段落し、少しずつ被害状況に合わせた復旧のフェーズへと移行していた。
かくいうシオンも、復旧用の資材や必要な人員を把握するため、明日にはカイレンと共に現地入りを控えている。
「早く寝ないと……」
ただでさえ魔物たちと比べたら貧弱な体力だ。
足手纏いになって、迷惑をかけることだけは避けたい。
青毛のワーウルフが見せた鋭い視線を思い出し、シオンは小さく頭を振った。
部屋には採光用の大きな窓が一つある。
窓を開けると、ふわりと夜風が部屋に舞い込んで心地よい。
見張りの飛竜が、緩やかに上空を旋回している。
時折聞こえる羽ばたきの音が、まるで夜の鼓動のように、あたりに鈍く響いていた。
冷たく静かな暗闇に、ふとレヴィアスのことを思い出した。
城内の警備や郊外の巡視を管轄し、夜間も休みなく巡視隊からの報告を受けているのは彼なのだ。
シオン自身も仕事中毒を自負しているが、魔王城の中では群を抜いてレヴィアスの仕事量が多い。
「そもそも体のつくりが違うのだとは思うけど……」
日々押し寄せる膨大な仕事を、顔色やペースをまったく変えずこなし続ける彼の姿に、胸がざわついた。
……自分ごときが役に立てるのだろうか?と立ち止まりそうになる。
――いや、立ち止まってはいけない。
自分の役割を全うする。
それが、ここに居場所をもらった代償なのだから。
もやつく気持ちを吹き飛ばすように、シオンは勢いよく立ち上がった。
……こういうときは散歩に限る。
何か温かい飲み物をもらいに食堂へ行こうと、シオンは部屋を後にした。
◇
魔王城も、夜は案外ひっそりとしている。
時刻は深夜に差し掛かろうという頃合いで、明かりが漏れているのは有事に備える医務室や、夜更かししているのであろう魔物たちの自室がぽつぽつ、という様子だ。
常夜灯として焚かれた壁のランプがほんのりと廊下を照らしているのを見ながら、コツ、コツと静かな城内に小さな靴音を響かせて歩く。
しばらくの間ゆっくり廊下を歩き続けていると、前方に人影があることに気がついた。
すらりとした長身と、月明かりを淡く照り返す銀髪。
「レヴィアスさんだ……」
湯上りで失礼な格好をしていないか、とシオンは数回髪を撫でつけた。
仕事上で顔を合わせることしか無いので、気の抜けた格好で挨拶するのはどうにも気が引ける。
彼は、手帳を開きながら、いつもよりも少しだけゆったりとした歩調でこちらに向かって歩いてくる。
……彼には気を抜く瞬間が無いのか?という程に、歩調以外はあまりにもいつも通りのレヴィアスだった。
あちらが気づくかどうかという距離感で、シオンはそっと会釈をする。
すると、それを見たレヴィアスは一瞬驚いたように目を見張る。
それからすぐに元の無表情に戻って、ツカツカとシオンの方へと向かってきた。
シオンは思いがけない接近におや?と怪訝に思ったが、何か仕事に関する要件でもあるのかと歩み寄る。
「……ここで何を?」
少し鋭いレヴィアスの声に、シオンは僅かにひるんだ。
ぴたりと足を止めて、少し考える。
……何か、してしまったのだろうか?
しかし、ここは立ち入り禁止区域でもない、ただの食堂への道のりだ。
誤解があるなら解きたいと思い、シオンは恐る恐る口を開いた。
「あの……目が冴えてしまったので、食堂で飲み物をいただこうと思って」
すみません、となんとなく謝罪すると、こちらを見るレヴィアスの目つきがほんの少し和らいだ。
「そうでしたか。普段から……この時間に独り歩きを?」
「たまに、です。ごめんなさい、不審な行動だったでしょうか」
魔王城に来て日が浅い自分が夜中にうろついているのは、あまり見栄えが良くなかったかもしれない。
先日のワーウルフのように、シオンに対して警戒心を持っている魔物も少なくはないだろう。
怪しまれそうな行動は、慎んでいた方が良かったのかもしれない。
「不審……?いいえ。ただ、少々不用心だとは思います」
遠慮のない口調で断じられ、シオンはうっと息を詰まらせる。
それでも、不審ではないと言い切ってもらえたことに少しだけ胸が温かくなった。
彼に、警戒されているわけではないのだ。
「出歩くなとは言いませんが、夜は警備の目も少ないですから」
そう言いながら、踵を返すようにしてシオンの数歩先をレヴィアスが歩く。
どうしたのかと不思議に思いながらその背を追うと、どうやらレヴィアスが食堂の方へ向かっていることに気が付いた。
――食堂まで、送ってくれるつもりだろうか。
何やら申し訳ない気持ちで、レヴィアスの後ろをトコトコとついていく。
そうして歩いているうちに、ひときわ明るく光が漏れている食堂へと到着した。
自室に備え付けのバスルームや、薬草を育てる温室。
それから、古い紙の匂いが閉じ込められた立派な書庫。
静かで、腰を落ち着けて一人になれる場所というのがポイントだ。
シオンは、ほこほこと白い湯気をたてるバスルームで、甘い花の香りがする石鹸をゆっくり泡立てていた。
ナナリーが先日「試作品、感想きかせてね」と言って渡してくれたものだ。
洗い流した後の潤い感があり、心地よい。
是非とも魔王城の購買部で商品化して欲しいくらいのクオリティで、受け取ってから毎日愛用している。
以前の会社員生活ではいつからかバスタブにお湯を張ることも無くなって、もっぱらシャワー生活を送っていた。
会社に住んでるのか?と言われるくらい一心不乱に仕事をし続けたのだから、当然だ。
――その結果が、映像で見せられたあの最期だったのだろう。
自分のことを気にかける余裕なんて、これっぽっちも無かったのだ。
魔王城で綺麗に整った自室を与えられ、温かい湯の中で体の芯から温まった時……ずっと張り詰めていた緊張から解放されたようで、思わず涙がこぼれたことを思い出す。
「ふう……」
ふかふかのタオルで水気を拭い、ナナリー謹製の化粧水で肌を整えてから就寝用のワンピースに着替える。
――先日のサンドワーム騒ぎの後、魔王城内はすっかり慌ただしくなった。
対象の討伐や周囲の警戒のために人員が派遣され、入れ替わるように負傷者たちが城内の医務室へと運び込まれる。
数日の間にサンドワームの討伐は一段落し、少しずつ被害状況に合わせた復旧のフェーズへと移行していた。
かくいうシオンも、復旧用の資材や必要な人員を把握するため、明日にはカイレンと共に現地入りを控えている。
「早く寝ないと……」
ただでさえ魔物たちと比べたら貧弱な体力だ。
足手纏いになって、迷惑をかけることだけは避けたい。
青毛のワーウルフが見せた鋭い視線を思い出し、シオンは小さく頭を振った。
部屋には採光用の大きな窓が一つある。
窓を開けると、ふわりと夜風が部屋に舞い込んで心地よい。
見張りの飛竜が、緩やかに上空を旋回している。
時折聞こえる羽ばたきの音が、まるで夜の鼓動のように、あたりに鈍く響いていた。
冷たく静かな暗闇に、ふとレヴィアスのことを思い出した。
城内の警備や郊外の巡視を管轄し、夜間も休みなく巡視隊からの報告を受けているのは彼なのだ。
シオン自身も仕事中毒を自負しているが、魔王城の中では群を抜いてレヴィアスの仕事量が多い。
「そもそも体のつくりが違うのだとは思うけど……」
日々押し寄せる膨大な仕事を、顔色やペースをまったく変えずこなし続ける彼の姿に、胸がざわついた。
……自分ごときが役に立てるのだろうか?と立ち止まりそうになる。
――いや、立ち止まってはいけない。
自分の役割を全うする。
それが、ここに居場所をもらった代償なのだから。
もやつく気持ちを吹き飛ばすように、シオンは勢いよく立ち上がった。
……こういうときは散歩に限る。
何か温かい飲み物をもらいに食堂へ行こうと、シオンは部屋を後にした。
◇
魔王城も、夜は案外ひっそりとしている。
時刻は深夜に差し掛かろうという頃合いで、明かりが漏れているのは有事に備える医務室や、夜更かししているのであろう魔物たちの自室がぽつぽつ、という様子だ。
常夜灯として焚かれた壁のランプがほんのりと廊下を照らしているのを見ながら、コツ、コツと静かな城内に小さな靴音を響かせて歩く。
しばらくの間ゆっくり廊下を歩き続けていると、前方に人影があることに気がついた。
すらりとした長身と、月明かりを淡く照り返す銀髪。
「レヴィアスさんだ……」
湯上りで失礼な格好をしていないか、とシオンは数回髪を撫でつけた。
仕事上で顔を合わせることしか無いので、気の抜けた格好で挨拶するのはどうにも気が引ける。
彼は、手帳を開きながら、いつもよりも少しだけゆったりとした歩調でこちらに向かって歩いてくる。
……彼には気を抜く瞬間が無いのか?という程に、歩調以外はあまりにもいつも通りのレヴィアスだった。
あちらが気づくかどうかという距離感で、シオンはそっと会釈をする。
すると、それを見たレヴィアスは一瞬驚いたように目を見張る。
それからすぐに元の無表情に戻って、ツカツカとシオンの方へと向かってきた。
シオンは思いがけない接近におや?と怪訝に思ったが、何か仕事に関する要件でもあるのかと歩み寄る。
「……ここで何を?」
少し鋭いレヴィアスの声に、シオンは僅かにひるんだ。
ぴたりと足を止めて、少し考える。
……何か、してしまったのだろうか?
しかし、ここは立ち入り禁止区域でもない、ただの食堂への道のりだ。
誤解があるなら解きたいと思い、シオンは恐る恐る口を開いた。
「あの……目が冴えてしまったので、食堂で飲み物をいただこうと思って」
すみません、となんとなく謝罪すると、こちらを見るレヴィアスの目つきがほんの少し和らいだ。
「そうでしたか。普段から……この時間に独り歩きを?」
「たまに、です。ごめんなさい、不審な行動だったでしょうか」
魔王城に来て日が浅い自分が夜中にうろついているのは、あまり見栄えが良くなかったかもしれない。
先日のワーウルフのように、シオンに対して警戒心を持っている魔物も少なくはないだろう。
怪しまれそうな行動は、慎んでいた方が良かったのかもしれない。
「不審……?いいえ。ただ、少々不用心だとは思います」
遠慮のない口調で断じられ、シオンはうっと息を詰まらせる。
それでも、不審ではないと言い切ってもらえたことに少しだけ胸が温かくなった。
彼に、警戒されているわけではないのだ。
「出歩くなとは言いませんが、夜は警備の目も少ないですから」
そう言いながら、踵を返すようにしてシオンの数歩先をレヴィアスが歩く。
どうしたのかと不思議に思いながらその背を追うと、どうやらレヴィアスが食堂の方へ向かっていることに気が付いた。
――食堂まで、送ってくれるつもりだろうか。
何やら申し訳ない気持ちで、レヴィアスの後ろをトコトコとついていく。
そうして歩いているうちに、ひときわ明るく光が漏れている食堂へと到着した。
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