魔王城すこや課、本日も無事社畜です!

ハルタカ

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5.魔王城アカデミー

2話

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「ふうん、アカデミーね」

 目の前で大きな椅子にふんぞり返りながら足を組んでいるのは、もちろんバルドラッドだ。
 シオンはその目の前で企画書を持ち、はらはらしながらバルドラッドの表情を伺っていた。

 ぱらぱらと紙をめくりながら、バルドラッドの猫のような瞳が薄く細められる。
 軽い調子に見えて、こういう時のバルドラッドの視線は鋭く、何よりもひりひりする。

「幹部の補佐役の育成と、現場の育成工数を補助するための組織……」

 すっと目を細めたまま、バルドラッドは「んー」と小さくうなった。
 興味を持ってもらえたのか、まだ少し把握しかねる温度感だ。
 会社員時代を思い出す緊張感に、シオンの胃がキリキリと締め付けられる。

「やれるならやってみれば、ってのが正直なところだけど、結構キツイと思うよ」

 ぱさっと机に企画書を置いて、バルドラッドはこめかみを何度か指でトントンと叩いた。

「懸念をお伺いできますか?」

 シオンはいつものノートをさっと開く。
 魔王城の環境に慣れてきたとはいえ、まだまだ知らないこの世界の常識がある。
 考慮漏れがあるならば、ぜひとも聞きたい。

「意図はわかるよ。ただ、指導役で名前を挙げている……例えばガルオンみたいなタイプって、魔王城じゃレアなんだよね」

「うっ……それは……そうだと思います」

「まあね……魔王城で保護が必要な魔物が増えてきてるのも事実なんだよねえ」

 シオンがアカデミーを開くことを本格的に考え始めたのは、まさにそれが理由だった。
 人間の生活区域との境界にいる魔物たちや、大きな環境変化によって住処を追われた魔物たち。
 彼らが、魔王城を目指して移動してくることが増えてきたのだ。

(魔王城という存在がそれだけ定着して、魔物の生活様式が変わってきたっていうことだよね)

 あてどなく彷徨って命を落としてしまうくらいなら、魔王城を頼ってくれた方がいい。
 それはバルドラッドも同じ考えをしている。
 しかし、ことはそう甘くない。

 魔王城のキャパシティにも限度はあるし、回せる仕事にも限りがある。
 何せ働くことなど初めてで、共同生活の経験もない状態で城にたどり着く者が相当数いるのだ。

「適材適所を見極めて、基礎教育を行った上で配置が出来れば、現場も受け入れやすいと思うんです」

 人間社会でも『人っていろいろだな』と良くも悪くも思い知ることが多かったが、魔物たちの社会は正直その比ではない。
 気に入らないことがあれば牙をむく者もいるし、時間の概念がない種族だっている。
 そんな状態でいきなり組織で受け入れを、と言われても、正直困るという悲鳴が徐々に現場から聞こえ始めていた。

「……まあ……やってみたら」

「あっ、途中で考えるの面倒くさくなりましたね?」

 ははは、と笑うバルドラッドの顔には『まあいいや』と書いてあるようだった。
 何にせよ、許可を貰えたのは大きい。
 シオンはいそいそと資料をしまい、さっそく正式に幹部各位への説明に回る日程を考え始めた。

「あっ」

 ふと、シオンの頭にひとつの疑問が浮かんだ。
 片づけをしながら、バルドラッドに尋ねる。

「魔物の皆さんって、誰かに触れることで傷が治癒したり、疲労が回復することってあるんですか?」

 シオンは、蜘蛛と対峙している時のことを思い出していた。
 傷ついたレヴィアスが自身に触れ、僅かに体の状態を持ち直したように見えたのだ。

 それを聞いたバルドラッドが、面白いことを聞いた、というようににやりと笑った。

「それは、誰でもってわけじゃないね」

「えっ、そうなんですか?」

「君には伝えてなかったね。それは、君に与えられたいくつかのギフトのうちのひとつだよ」

 ――ギフト。
 簡単にバルドラッドから説明は聞いていたが、その時に教えてもらえたのは『精神干渉無効』の能力についてだけだった。

 あえて告げられてもいなかったようなギフトだ。
 大した効果は期待できないのかもしれないけれど……

 カサ、と手元で重ねた資料たちが、乾いた音を立てた。

 淡い期待が頭をよぎってしまう。

「……それは、皆さんが戦っている時に、私も何かの役に立てる、ということでしょうか」

 バルドラッドの表情が、一瞬昏く、僅かに淀んだような雰囲気を纏った。
 口元が、ゆっくりと微笑みを形どる。

「君次第だよ」

 それはまるで悪魔のささやきのようで、シオンはその唇から視線を離せなくなった。
 
「使い方によっては、誰もが欲しがる優秀な回復手段ともいえる」

 机に肘を乗せ、ゆっくりとバルドラッドが頬杖をつく。
 じっとこちらを見つめる目は蠱惑的で、うっかり何もかもを捧げたくなってしまいそうな吸引力があった。
 
「シオンは魔王城によく尽くしてくれているよね」

 机の上に置いてある瓶に詰められたキャンディをひとつ、バルドラッドが手に取ってシオンの手のひらに乗せた。
 そのまま、ひんやりとした手で指先をきつく握られる。

 不思議に思ったシオンが「あの……」と口を開こうとすると、バルドラッドがその手を一瞬強く引いた。
 突然のことに体勢を崩し、シオンはテーブル越しにバルドラッドに大きく接近する。

「あっ……す、すみません……」

 なんだかよくわからないままに、シオンは反射的に謝罪する。
 それでもなお、バルドラッドはシオンの指先を離さない。

 毒気を帯びた視線が、シオンの首元に移動する。

「へえ、もうすっかり首輪をつけられたんだ」

 面白がるような、微かに気怠い声でバルドラッドが小さく笑った。
 ネックレスをなぞる指がシオンの首元に僅かに食い込んだ。
 バルドラッドの長い爪が、肌に当たってチクリと痛む。

「戦場で役に立てるか、だっけ? ……立てるよ、君が望むなら。でも、飼い主様が何て言うかなあ」

 笑んだ口元から、鋭い犬歯がのぞく。
 そのまま、喉笛に噛みつかれるのではないかという恐怖がシオンを襲った。
 
「あのっ……」

 痛みと恐怖に顔を歪めて、シオンは飛びのくようにバルドラッドから距離をとった。

「ははは! ごめんごめん。君の働きには頭が下がるよ」

 いつもの軽快な口調に戻ったバルドラッドが、笑い声をあげる。
 ふっとその場の空気が軽くなったように感じて、シオンはほっと息を吐く。

(今のは……何だったの?)

 いつものバルドラッドの悪ふざけなのだろうけれど、心臓は未だ恐怖の余韻に早鐘を打っている。

「それ」

 バルドラッドはゆったりとした動きでシオンの首元のネックレスを指さした。

「使い切ったら、俺のところに来てくれてもいいからね」

 そう言うと、再びバルドラッドは妖しく微笑んだ。


 失礼します、とだけ言って、シオンはバルドラッドの部屋から足早に立ち去った。
 背後から、くく、という噛み殺すような笑い声が聞こえた気がする。

(本当に! 本当に心臓に悪い!)

 会社員時代ならセクハラかパワハラで訴え出たかもしれない。
 ぷんぷんと怒りを小爆発させながら、シオンは魔王城の廊下をツカツカ歩く。

 やらなくてはいけないことは山積みだ。
 魔王様とじゃれあっている時間なんてない。
 握らされたキャンディを、歩きながらポイ、と口に放り込む。
 
 甘酸っぱさが口の中に広がり、怒りが少しだけ引いていくような心地がする。

 ふと、レヴィアスのことが頭によぎった。
 怪我の具合はどうだろうか。
 少し仕事の量をセーブさせる、とバルドラッドが言っていたが、今頃何をしているだろうか。
 
 そんなことが頭の中に浮かび始める。

 (……駄目)

 思考を打ち切るように、シオンは深呼吸した。
 整理がつかない気持ちが多すぎて、一度考え始めるとその場にぽつんと立ち止まってしまいそうになるのだ。

 今はとにかく忙しくしていたい。
 自分のせいで誰かが傷つくことがないように。

 自分の価値を、少しでもこの世界で感じることが出来るように。

 シオンはぎゅっと唇を噛むと、執務室へと真っすぐに歩き出した。
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