魔王城すこや課、本日も無事社畜です!

ハルタカ

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8.光のほうへ

10話

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 雪が溶けたら港町に行ってみたいねと笑いあっていた。
 船に乗ったことがあると言う彼女はどこか誇らしげで、いつか魔王城の商人として世界を飛び回りたいと言っていた。
 そしてシオンは、近い将来それが実現するものだと信じていた。

 ――こんなこと、想像もしていなかった。

「シオン」

 レヴィアスの声がして、現実に引き戻される。
 シオンは、割れて飛び散ったガラスを箒で掃き集め、少しでも研究室を現状復帰させようと動いていた。

「カイレンはどうですか?」

 改めて拘束されたあと、施錠可能な別の部屋へと連れられたカイレンの様子が気に掛かった。
 体の傷を治してあげたかったが、それが今の彼女にどう影響するのか判断ができず、外傷の簡単な処置だけ済ませて隔離するほかなかったのだ。

「まだ意識は戻っていません。外の事態が落ち着き次第、シンシアが調査するとのことです」

「そうですか……」

 シンシアとガルオンは既に医務室へ向かっており、研究室はしんと静まり返っている。
 手元に戻ってきたリボンを見つめ、ポケットにしまう。
 カイレンを締め上げたそれで、髪を結う気にはとてもなれなかった。

「もう少ししたら私も見回りに戻りますが、……大丈夫ですか?」

 レヴィアスの問いかけが、シオンの涙腺を刺激する。
 彼には一刻も早く、仕事に戻ってもらうべきだ。
 頭ではわかっているが、ぐらつく心が一瞬だけ、彼の支えを求めた。

「レヴィアスさん、すみません。少しだけ、こちらに背中を向けてくれますか?」

 何も言わずに背を向けるレヴィアスに、シオンは感謝した。
 その広くて真っ直ぐな背に、シオンはぴたりと額を当てて目を閉じた。
 寄せた額と体から感じる温かさにつられて、双眸から涙が滔々と流れていく。
 涙に事態を変える力はない。
 だからこの一瞬でおしまいにしたかったのだ。

 ……不意に、レヴィアスが体を動かし、くるりとシオンのほうを向く。
 泣き顔を見られたくなくて、シオンはあわてて俯こうとするが、頬に添えられたレヴィアスの手がそれを許さなかった。

「……涙を拭う役目くらい、任せていただけませんか?」

 少し屈んだ彼はシオンの濡れた頬に唇を寄せた後、指でそっと涙の跡をなぞった。
 シオンはくすぐったさに目を伏せてから、ゆっくりと呼吸して、笑った。

 大丈夫。
 夢見た未来は潰えていない。
 勝手に絶望して、諦めたりしない。

「落ち着きました。ありがとうございます」

 その言葉に嘘はなかった。

「……では、私は戻ります。研究室の片付けは後で構いませんから、取り急ぎ、城内の誰かと合流を……」

 レヴィアスがそう言いかけた時。

 ――城が、大きく揺れた。

 城内のあちこちから、爆発音とも、何かが叩きつけられる音とも感じる大きな音が鳴り響く。

「……地上へ」

 レヴィアスに促されるままに階段を駆け上がる。
 一瞬耳を激しく叩いた音はどこかへ消え失せ、妙な静けさが城内を満たしていた。

 レヴィアスと顔を見合わせてから、慎重に城内を歩く。
 音は複数箇所で鳴っていた。
 城内に爆発物でも持ち込まれたのだろうか。

「備品庫でも音が鳴った気がします。向かう途中、医務室でナナリーと合流したらそこにいて下さい」

 シオンは短く返事をする。
 廊下には誰の姿も見当たらない。
 しばらく静かにふたり連れ立って歩いていると、ふと鼻先に覚えのある香りが漂った。

「これって……」

 シオンがぽつりと呟く。
 ……甘い、花のような香り。

 視線の先には、白い煙のようなもやが揺れた。
 訝しんで急いで近づくと、どんどんと香りが強くなる。

 もやの奥で、誰かの倒れる姿が見えた。
 駆け寄ろうとするレヴィアスに、シオンははっとして声をかける。

「レヴィアスさん、これ、吸っちゃ駄目です!」

 口元を押さえて、もやを指差す。
 これは――

「魔力を吸い取るお香です」

 忘れもしない、あの村で何度も嗅いだ香り。
 どうしてここに、この香りが漂っているのだろうか。

 レヴィアスはシオンの言葉を聞いて手元で小さなつむじ風をつくりだすと、空気を外へと押し出していく。
 少しもやが薄れたところで、シオンは倒れ伏している人影へと駆け寄った。

「この人……医療班にいる、エルフです」

 顔を青ざめさせているエルフの青年を抱き起こし、外傷がないかそっと確認する。

「襲われた様子はありません。魔力を吸われて意識を失ったのかも……」

「医務室の面々も気がかりです。急いで向かいましょう」

 レヴィアスはエルフの青年を抱えあげてそう言った。
 頷いたシオンは、小さな風を生み出して廊下の空気が流れるようにしてから、その後ろ姿を追いかけた。

 静かな廊下に、ひとつ、ふたつ、何かが動くような音が聞こえる。
 シオンはその生々しい音に体をこわばらせた。
 まるで、固い爪が何かを引っ掻くような音。
 それも犬や猫の爪ではなく、はるかに、もっと大きな――

 辿り着いた医務室の前には、あの日見たパイロリザードと……鋭い鉤爪を振り回しながら飛ぶ、怪鳥の姿があった。
 
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