錦織りなす明星よ

晴なつ暎ふゆ

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第一章

4.次期皇帝陛下の頼み

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 頭を僅かに下げたまま、部屋の中央まで進むと後ろで扉が閉まる音がした。
 拱手礼の姿勢を崩さず、艶やかな檜皮色の床に膝を付いて深く頭を下げる。

「お初にお目に掛かります。朱龍仙山から参りました、名を蘭憂炎と申します」
「良く来てくれた、蘭憂炎。面を上げてくれ」

 柔らかな低い声に促されるように、ゆっくりと顔を上げていく。
 上座はやはりとても美しい装飾で彩られているな、なんて他人事のように思いながら、次期皇帝となる人を瞳に移す。そこに座していた男を認めて、蘭憂炎はクッと目を見開いた。
 彼――王芳龍は、今まで見たこともないほど整った顔をしていた。

 スッと筋の通った鼻梁。
 彫刻家が彫った芸術品のように整った輪郭。
 切れ長の瞳であるのに、深い緑の瞳孔はそうと感じさせない大きさ。
 つい先ほど見た壺庭のように計算し尽くされた配置と、厚めの潤った唇。

 道理で女子たちが放っておかないわけだ、と妙に納得がいった。
 色恋沙汰には疎い蘭憂炎でも、見惚れてしまうほど彼は美しい。男相手に美しい、という言葉を使うのは拙いのかもしれないが、それ以外に彼を表す言葉を持ち合わせていなかった。これだけ美しいと、色々と別の悩み事も多そうだな、と他人事のように思いながら彼をまじまじと見ていたら、フッと小さく笑われた。心臓がどくりと音を立てる。

「そんなに見られては、穴が開いてしまう」
「! 申し訳ございません。不躾でございました。非礼をお許し下さい」
「良い。怒ってはいない。ただ、あまりそう見られる事はないから」

 可笑しくなってしまったのだ、と彼は言った。
 目元を緩ませると、益々美しさに拍車が掛かる。彼の瞳をずっと独り占めしていたい、と女子が思うのも無理はないな、と思う。天界の人間だと言われてもそうですか、と頷いてしまうくらいには、彼は本当に整った顔をしている。深くにもドキリとしてしまったし、もしも己が女だったら身分違いも甚だしいが、彼に惚れていたに違いない。
 なるほど、絶世の美男、という評判は伊達ではなかったらしい。

「――して、蘭憂炎」

 名前を呼ばれて背筋が伸びる。はい、と小さく返事をして頭を垂れた。はらり、と目の端に髪が一房落ちてくる。

「本当によく来てくれた」
「勿体ないお言葉でございます」
「貴方を此処に呼んだのは、…………頼みがあるからだ」

 僅かに言い淀んだ王芳龍に、ひやりと心臓が冷える心地がした。
 言い辛くさせるような何かを、俺にさせようとしているのだろうか。何かしらの罰か。嗚呼もうひと思いに言って欲しい! そう思えども、そんな無礼を皇太子にするわけにもいかない。

「ど、どのような事でございましょうか」

 恐る恐る顔を上げる。僅かに視線を逸らされて、やはり相当言いにくいことなのか!? と思ったのと、王芳龍が口を開いたのは同時だった。

「私の、側近になって欲しい」

 え、と声が漏れる。さっきまで逸れていたはずの深い緑の瞳は、真っ直ぐに蘭憂炎を射抜いている。
 そっきん。側近って何だっけ。
 いや側近って誰が、誰の? 俺が、殿下の?
 何度も目を瞬いても、目の前の現実が消えることはない。返事をしないままでいると、王芳龍の柳眉が僅かに中央に寄った。

「嫌、だろうか」
「いいえ! 断じてそのようなことは!」
「では引き受けてくれるか?」

 即座に否定したら、ほっとしたように顔を緩ませて第一皇子はそう言った。
 それはつまり、断るなんて退路を自分でなくした瞬間だった。
 正直皇宮の事など少しも解らない。しかしそれを理解した上で引き受けてくれるか、と聞いている。筈だ。第一皇子である王芳龍は、相当な切れ者であるとも噂だ。何の為に自分を側近などという大層な立場に置くのかは解らないが。こうなったら。
 ええいままよ。

「謹んでお受け致します」

 何事も経験だ。そう己に言い聞かせて静かに頭を下げて答えた蘭憂炎は、知らない。
 滅多に表情を崩すことがないと言われている王芳龍が、表情を和らげるどころか、口角を柔らかく持ち上げていたなんて。
 

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