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大学生編
たそがれにはまだ早い
しおりを挟む「どうして、あんたなの」
悔しそうに口元を歪めた同級生の女子の瞳は、涙に濡れていた。 綺麗なメイクが台無しになることを意地でも避けているのか、その涙は落ちることはない。爪も髪の毛もきちんと手入れされた女子。自分とは違い、胸もあるし、美人だし、足だって細い。
一軍と呼ばれても可笑しくない女子に、今にも校舎を出ようとしていた洸希は詰られている。
理由は簡単。
洸希の恋人はあの『梢江璃空』だ、という真実が、大学内に広まってしまったから。だとしても、こうして呼び止められるのは初めてだ。
なんだかなぁ、とは思う。誰が誰と付き合っていようが本人たち以外には関係ないはずなのに。否、と思い直す。確かに璃空の事を好きな人は沢山いたわけで、その人たちにとっては関係大ありで、彼女はその内の一人なのだろう。
どうして。
彼女の問いを自分に投げ掛けてみる。だが、明確な答えは持ち合わせていなかった。どうして璃空が俺を選んだか、なんて俺だって知りたいよ、と言いたい。言いたいが、どう考えても言える雰囲気ではない。
今にも泣きそうな彼女にそんなことを言ってしまったら、今度こそ泣かせてしまうに違いない。姉に口酸っぱく、可愛い女の子を泣かせるな、と言われている洸希にとってはなるべく避けて通りたい道である。
えーっと、と情けない声が出た。キッと彼女の視線が鋭くなる。
「とりあえず立ち話もなんだし、座って話そうか」
そう声を掛けた洸希に、名も知らぬ女子は僅かに目を見開いてから、また鋭く睨みつけてきた。まあ当然の反応だよな。思いはするものの、断られないことを良いことに、近くにあったベンチに足を進めた。
彼女も目の鋭さは変えないものの、無闇に突き放す言い方をしなかったのが功を奏したのか、渋々と言わんばかりになるべく距離を取って座ってくれた。
そよそよと流れてくる風が、二人の髪を撫でていく。
冬が近づいている事もあって、だいぶ風が冷たくなってきた。そんな中、恋人でもない男女がベンチに座っている光景もなかなか変だな、と他所事を考えつつ、口を開いた。
「さっきの『どうして』って話だけど」
ぴくりと目の端で彼女の肩が揺れたのが見えた。そんな彼女に視線を向けながら、続けた。
「実際のところ、俺にも分からない」
「……は?」
舐めてんの、と続きそうな不機嫌な声がその場に響く。交わった視線の先の瞳は、やはり険を帯びている。彼女の怒りも尤もだ。でも分からないものは仕方がない。何が決定打になったかなんて、当の本人にしか分からないのだから。
「俺が璃空を好きで、璃空も俺を好いてくれた。その結果が恋人ってだけで、明確な理由は璃空にはないのかもしれない」
苛、とした炎が彼女の瞳に灯ったのを見た。
でもそれは、きっとどんな答えを伝えようが、起こった炎だろう。
好きな人の好きな人が、自分ではなかった。
その事実が悲しくて、自分だけで昇華できなかったから、彼女は洸希に声を掛けてきたのだろうと思う。自分と何処が違ったのか、何があれば自分が選ばれたのか、それを確かめたい気持ちと、自分の方が勝っているのにという自信がどこかにあるから。
なんて、分かった気になって決めつけるのは良くないよな、と思い直して、もう一度口を開く。
「璃空が俺を選んだ理由はわからないけど、俺が璃空を選んだ理由なら言えるよ」
本人にしか分からないことは言えないし、憶測で話すべきじゃない、と洸希は思っている。だからこそ、今ここにいる自分のことなら話せる。
真っ直ぐに見つめて伝えた言葉に、彼女は少なからず動揺しているのか、視線を少しだけうろつかせている。マウントうざい、と言われても仕方がないことを言ったかも、と思ったのと、彼女が口を開いたのは同時だった。
「……言ってみてよ」
投げやりな言葉だった。でも知りたいとも言われている気がして、少しだけ笑みが零れる。彼女には睨まれてしまったけれど、洸希は視線を逸らすことなく、言う。
「アイツの親友として失格だったから」
少しの沈黙の後、どういう意味、とまた投げやりな言葉が飛んできた。小さく笑ってしまったのは、彼女の所為ではない。己の狭量を思い知った当時の自分を思い出したから。
「アイツに恋人ができたって考えたら、全然祝福できなかった。ムカついたし、嫌だって思った。アイツと誰かが恋人らしいことするって考えた時、そこは俺が良いって思ったんだ」
実に子どもじみていて、手前勝手な考えだと思う。親友として当然のように傍にいたのに、その時まで己の心に気付かなかったことも、己の馬鹿さ加減に笑ってしまう。その時に気付けて良かった、と今では思えるようになったけれど。
「だから、俺は璃空を選んだ」
言葉を切った。彼女から目を逸らして、空を見上げる。西に傾き始めた太陽が、たそがれの空を作るまではもう少し時間がありそうだなぁ。そんな呑気なことを思った時だ。
プッと噴き出した声が聞こえた。彼女が発したことは明白だ。ちらりと見れば、口元を拳で隠して肩を震わせている。
泣いているのか、笑っているのか、洸希には分からなかった。
五分に満たない時間だったか、それ以上の時間だったかは定かではない。彼女がふと顔を上げた。洸希を見た瞳はまだ濡れていたけれど、声を掛けてきた時のような怒りは姿を消していた。
「やっぱずるいしムカつく。――でも納得した」
立ち上がった彼女は、ふふん、と笑って言った。
「せいぜいしあわせになってよね! 璃空のこと不幸にしたら許さないから!」
清々しいまでに言い放った彼女は、そのまま振り返ることなく行ってしまった。その後ろ姿を見ながら、カッコいい人だなと洸希は思う。もっと詰られても可笑しくないのに、しあわせになれ、とまで言って去れるなんて。見習いたいものである。
実際問題、璃空と別れた未来があったとして、その時他に好きな人ができた、なんて言われた時、同じセリフを言えるだろうか。
いや怪しいな。だいぶ。恨み言吐いて終わっちゃうかも。
うーん、と頭を悩ませていたら、ぴこん、と間抜けな音を立てたスマートフォン。画面を覗き込めば、渦中の男からのメッセージだった。
終わった! という呑気さに、ふっと漏れた笑い。中庭にいる、と返事をすれば、すぐに了解のスタンプが届く。きっとここまで来てくれるのだろう。
ふうっと息を吐いて、瞼を閉じる。
彼女には悪いけれど、不幸にしない約束はできない。
洸希は璃空じゃないし、璃空は洸希じゃない。何が璃空の不幸かなんてまだ知らない。何が璃空を不幸にするのかもまだ知らない。
出来ることなら、長く手を繋いで歩いていきたい。手を放したいと璃空が願うその時まで。そのために出来ることはするつもりだ。
言葉にすること。勝手に思い込んで決めないこと。話し合うべきことは話し合うこと。百パーセント納得なんて出来ないかもしれない。それでもそれに近づけることは諦めちゃいけないと思うから。
冬を帯びた秋風を感じながら、洸希はそんなことを思ったのだ。
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