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若頭編
貴方とケーキが食べたい
しおりを挟む目の前に置かれたホールケーキ。
ゆらゆらと蝋燭の炎が揺れているのを見ている。
ケーキから目を離して、視線を斜め後ろに目を向ける。そこに立っていたのは、見慣れた上司ではなかった。優しそうな笑みを浮かべた、左横で一つ縛りをした黒髪の女がいた。どことなく見たことにある顔だな、と思っていたら、肩に手を置かれる。そこでやっと、鏡に写した自分に似ているのだと気付いた。
「ほら、ろうそくを消して。――」
もう久しく聞いていない名前が、女の口から紡がれる。
嗚呼、と思う。
これは記憶だ。遠い昔の、世界はすべて光で満ちているとまだ信じて疑わなかったときの記憶。
この時の自分は、悪意で出来た人間がいる事を知らなかった。この時の幸せが薄氷の上に成り立っていた危ういものであることを、知る由もなかった。
確かにこの時も幸せだった。少し我儘な姉と、大抵のことは許してくれる両親と、何不自由のない生活をしていた。
暑さで死にそうになる事も、寒さで凍える事もなく、苦痛を与えられることも、飢えることも、理不尽にさらされることもない、普通の日々を送っていた。
もう戻ることはない『世間一般の幸せ』がそこにはあった。
とん、と肩を叩かれて、瞼をゆっくりと上げる。
持ち上げた瞼の先。
変わらない笑みを浮かべた上司――透が少し身を屈めてこちらを覗き込んでいた。
「ぼんやりしてたみたいだけど、大丈夫?」
柔らかな低めのテノールが鼓膜を揺さぶる。
視線を少しだけ巡らせれば、どうやら壁に背を預けて立ったまま夢を見ていたらしい。
透は少し前まで他の幹部と談笑していたはずだ。そんな彼が目の前にいる事を考えると、数分にも満たない時間だったことは予測が出来る。
しかし立ったまま居眠りとは、我ながら呆れる。
なんたる失態だろう。組織内の立食座談会だったからまだ良かったものの、緊張関係にある組織との会合だったら自害レベルの失敗だ。
ペコリと素直に頭を下げた。
「すみません。寝てたみたいです」
「え? 立ったまま?」
「はい」
すぐさま肯定する。
今ここで銃弾で心臓を撃たれて死んでも、透の決定なら受け入れた。それくらいの事をした自覚がある。もしくは、直接心臓をナイフで刺されることもあるかもしれない。しかし龍の予想は、結局外れることになった。透はパチパチと目を瞬くと、プッと吹き出して肩を揺らし始めたのだ。
「ははっ、立ったまま寝るとか。お前器用だねぇ。どうやったらそんなこと出来るわけ?」
「なんか、いつの間にか出来てました」
「いつの間にかかぁ。ふふ、本当俺のこと飽きさせないよねぇ、お前。寝てたって確信があるってことは、何かの夢でも見たのかな?」
「ええ、まあ」
ふうん、と楽しげに口角を釣り上げた透。
嗚呼これは本当に楽しんでいる時のサクラさんだな、と思う。彼は常に笑みを浮かべているが、心の底から楽しんでいる時と、仮面を貼り付けただけの時とがある。どこがどう違うのかと聞かれても言葉にするのは難しいのだが、龍はそれを見分けることが出来る。
龍の右側を陣取るように壁に背を預けた透。彼を見ても視線は合わない。立食を楽しんでいる他のメンバーを見ながら、透はふと言った。
「どんな夢か気になるなぁ」
柔らかな言葉に隠れた命令に、もちろん龍が逆らうはずはない。つまらない夢ですよ、と前置きしつつ、口を開いた。
「昔の記憶の夢です。ホールケーキを食べるだけの」
「ホールケーキ? 何かのお祝い事?」
「俺の誕生日でしょうね」
誕生日のプレートがあったわけではない。蝋燭の数も明確には覚えていない。
確かに母親に誕生日を祝われた記憶はあるが、そこには姉も父親もいたはずだ。しかし夢の中には母親しか出てこなかった。だから他人事のような言葉になってしまったのだが。
目の端で、ゆっくりと透が龍へと視線を投げてきたのが見えた。釣られるようにして、龍もまた透を見る。
ペールブラウンの瞳がしっかりと龍を捉えていた。
その瞳には揶揄するような光はない。感情をすべて削ぎ落としたような瞳が龍を見ていた。透さん、と声をかけようとして飲み込む。
時々透はこういう顔をする。
タッパもあるし、線がとても細いわけではないのに、どこかふと消えてしまいそうだと龍に思わせる。それが透が纏っている空気故なのか、はたまた別の理由があるのか、未だにわからないままだ。
簡単に死ぬタマではないのは確かだ。しかし、たちまち霞のように消えてしまいそうな気が、どうしてもする瞬間がある。
「サクラさん」
彼が此処にいることを確かめるように名前を呼ぶ。
どうしたんですか、とは聞けなかった。龍の声を聞いた透の瞳が、ゆっくりと弧を描く。いつもの透の表情に戻ったことに、内心安堵しつつ、彼の言葉を待った。
「龍の誕生日、いつ?」
思わぬ質問に、一瞬何を聞かれたのかわからなかった。え、と言った龍に、透は再度同じ言葉を繰り返す。
「だから、お前の誕生日だよ。いつ?」
「え、っと。二月四日なんで、今日……、いやもう昨日ですね」
時計を見ながら答える。数十分ほど前までは当日だったが、この座談会に同行しているうちに、もう日付が変わっていた。へぇ、とさして興味のなさそうな返事が耳に届いて、顔を上げる。
透が笑っていた。
いつもの貼り付けたような笑みではない、かといって冷たいわけではない。心臓のもっと深い場所を握り潰されるような、名状しがたい笑みだった。
「じゃあ行こうか」
しかしその笑みは一瞬で見えなくなった。透が踵を返して、出口に向かっていってしまったから。
己の目を疑うくらいには、一瞬だった。しかし透が出るとなれば、龍も突っ立っているわけにもいかない。すぐに透の後を追いかける。
「何味がいい?」
そんな透の声が耳に届いて、また目を瞬く。何味って何の話だ。まさか。
「……ゴムの話ですか?」
「ふはっ、なんでだよ。ケーキだよ」
「ケーキ?」
どうして、と思ったのと同時に、透が首だけで振り返った。やはり彼は笑っている。どこか楽しそうで、いつもの空虚さはない。
「ケーキ食べようよ。誕生日だったんだろ?」
「そうすけど、なんで」
どうして突然そんな事を言い出したのかわからない。祝ってくれる、ということだろうか。
まさかサクラさんが? これこそ夢じゃないのか?
目を瞬いている龍に、透は声を上げて笑った。彼の下にいるようになってから、こんなことは一度だってなかった。そもそも誕生日の話をすることも、誕生日を祝うこともなかったのに。どうして。
それなのに、透はなんてことないように言うのだ。
「俺以外に、誰がお前のこと祝うんだよ」
誰かに生まれた日を祝ってほしいと思ったことはない。しかし透になら、別だ。自分が心酔している自覚がある人から、祝われるなんてそんなことがあっていいのだろうか。
「……いいんすか? 本当に」
「いいよ。俺もケーキ食べられるしね」
「サクラさん、甘いの好きでしたっけ?」
「いや? 別に?」
ますますわからない。自分が食べたい口実なら納得がいくのに。透はこんなときも胸の内を読ませてはくれない。龍が分かることといえば、鼻歌を歌うくらい透の気分が良いことと、今はケーキ屋がやっているような時間ではないということくらいだ。
でも、と思う。
透とならそれもまた良いと思える。結局のところ、透と過ごせるのだったら何だって構わないから。そう考えると毎日プレゼントをもらっているのと一緒だな、と馬鹿みたいなことを思う。馬鹿みたいだが、龍にとっては真実で事実だ。
わずかに緩んだ笑みを隠さずに、背中に向かって呼びかける。
「じゃあ俺、いちごのタルトが良いです」
「いいね。かさ増しでいろんなフルーツ乗っけてもらおう」
「それもうフルーツタルトじゃないすか」
「同じようなものだろ」
来年の話なんて出来るような世界にいない。
それでも、来年も同じような話をしてケーキを食べたい。
今目の前にいる、焦がれてやまない透という男と一緒に。
そんな事を思った。
2/4happy birthday!龍!
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