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若頭編
居場所
しおりを挟むあの人が目の前に現れたのは突然だった。
苦痛だけが与えられる日々を壊したのは、あの人だった。救済を求めた手は振り払われたのに、あの人が、あの人だけがすべてをぶっ壊して救ってくれたのだ。
コンコン、と扉をノックする。返事はない。
はぁ、と息を落としてから、入りますよ、と念のため声を掛けて扉を開いた。
迎えたのは暗闇だ。真っ暗にしないと眠れないの俺、とおどけていた上司は、本当に暗闇の中で眠る。だからなのか、それとも別の理由があるのか、上司である透はきちんと起こしに来ないと絶対に起きない。
暗闇にやっと目が慣れてきて、足を動かし始める。辿り着いたカーテンを思い切り引いて、窓を開け放ってから、シャッターを思い切り上げる。
カッと目を焼く陽光が一気に部屋を侵食する。
「あ゛ぁぁあ、まぶしぃ」
小さなかすれた絶叫が耳を通り過ぎる。それも無視して、容赦なくすべてのカーテンとシャッターを開けていく。
部屋が光で満ちたのを確認してから、クイーンサイズのベッドに目を向ければ。藍色の毛布がこんもりと山を作っていた。はぁ、ともう一度息を吐く。
この人本当に寝起きだけはダメだな。
そんなことを思いながら、足をベッドまで動かして、無慈悲に毛布を剥ぐ。
現れたのは、パンツ一枚だけを纏った裸体。
一才の無駄がない体だな、と何度見ても思う。筋肉も最低限なのに、最大限の力を発揮する。こうして真白なシーツに埋もれている時は小さく見えるのに、実際に立ち上がると自分よりも背が高いのだから驚きだ。
視線をずらす。きらきらとした陽光を、肌とペールブラウンの髪が弾いていた。時折ゴールドにも見える髪の隙間から、憎らしげな眼光を宿す瞳が見える。
「おはようございます、サクラさん」
「…………、もっとやさしくおこしてよ、龍」
不平を垂れているが、毎朝のことだ。手早く手を動かして毛布を畳む。
「これくらいしないと、あんた起きないので」
「起きるよ、会合があれば」
「良く言う」
会合があるときだって、龍が起こす。
確かにその時はこうして無理矢理起こさなくても、目覚めが早いけれど。でもそれは、彼がベッドで寝ないから成立することであって、真っ暗闇を作った本気の眠りモードでは叶わないことだ。
畳んだベッドに置きながら、もう一度見た透は、ぶすりと頬を膨らませていた。まるで子どもみたいだ。思いはすれど、口には出さない。
「早く服着てください。目に毒です」
「え~? 別にいいじゃん。誰か困る?」
「俺が困ります」
素直に言ったことに透は気分を良くしたのか、抱えた片膝に頬を付けて、つつ、と口角を釣り上げた。腹の底の欲がぐらりと揺れる。分かっていてやっているから質が悪い。
「欲情する?」
「わかってるならさっさと着てください」
ふいっと顔を背けて、床に脱ぎ散らかされたシャツやらネクタイやらを拾い上げる。ちぇっ、なんてかわいらしい舌打ちが聞こえてきてやっと、透はベッドから下りてくれたようだった。
聞かれないように息を落として、靴下とソックスガーターを拾い上げる。せっかく格好つけてるのに靴下がくしゃくしゃになってたらダサいでしょ、といういつかの透の声が脳裏に過った。
透はずっと変わらない。
すべての感情を覆い隠すような穏やかな笑みを、常に浮かべている。人を殴る時も、殺す時も、拷問の時も、殺されかけた時も、部下が死んだ時も、次期ボス候補に指名された時も。
いつだって透の表情は崩れない。
眉一つ動かさずに、目の前の事象を、こなし、受け入れ、片付ける。
虚になった左瞼の闇に全て吸い込ませているのでは、なんて馬鹿な事を思うくらい、透は感情を揺らさない。
その理由を、龍は知らない。
聞いたことはないし、聞いたとしても彼が笑顔で躱すのが目に見えている。だとしたら、聞いても無駄だ。そう思って、今の今まで聞かずにいる。
大体、と思う。
聞いたところでなんだと言うのだ。理由がなんであろうが、透の部下を辞める気もないし、娑婆に戻る気も、傍を離れる気もない。ただそうある櫻透という男についていくだけだ。その果てが地獄であろうと。
「龍」
ハッと意識を戻して透を見れば、彼はバーガンディのワイシャツだけを身に付けて、全身鏡の前にいた。こちらを向いて笑みを浮かべたまま、手を差し出している。
手元を見れば、なるほど、拾い上げたソックスガーターを手に持ったままだった。すんません、といいつつ近寄る。手の上にそれを乗せたら、小さく笑われた。
「? 違いました?」
「いや、ふふっ、それは代えがあるから」
でも、ありがとね。
そんな声と共に額にキスされた。は、と漏れていく声。至近距離でニンマリと笑った透は、体を離した。
「ご褒美、やってなかっただろ?」
「は? 何してんですかあんた」
「ははっ、すんごい顔。本当に龍は揶揄い甲斐があるねぇ」
ご褒美なんてモノ、もらった事はない。抗議の声には、呑気な本音が返ってきた。クソ、と思いはするが口には出さない。口元ひん曲がってるよ、と言われたがそれぐらいは許されるべきだ。
ジッと睨んでも効果がないのは知っている。顔を顰めていた龍に、透は鏡越しで笑った。
「お前もかわいそう! こーんな悪い大人の部下になった挙句、揶揄われるなんて」
「そう思うなら直して下さい」
「むーり! 何年この性格で生きてると思ってんの?」
「何年なんです」
「教えてあーげない!」
ガキのような受け答え。はぁ、と今度は隠さずにため息を吐く。でもまあ、と思う。今日は機嫌が良さそうだ。酷い時は冗談一つも言わないし、こんなふうにおどけることなく、一人でさっさと行ってしまう。
透、なんて名前なのに、彼は決して腹の底を見せてくれない。何を想い、何が目的なのか。何が行動原理なのかも、出会ってからずっと一緒にいる龍ですら分からない。
それでも尚、この人の傍に居たい。彼の逆鱗に触れて殺されるかもしれなくても、彼を守る為に死に至る事があっても、決して透を憎んだりしないと断言できる。
龍の世界を作ったのは透だから。
ーー何も縋るものがないなら、俺に縋りなよ
きっとそれは透にとっては、歩けば忘れてしまうような些細な一言だっただろう。言った本人も多分覚えていない。それくらい陽炎のような戯言。分かっている。しかし、当時の龍にとってはそうではなかった。
足場のない闇の中に立たされているような感覚を、そのたった一言で拭い去ってくれた。今にも底の見えない暗闇に落ちそうだった龍を、透だけが掬い上げてくれた。
「龍、これ付けるの手伝ってくれる?」
耳に届いた声に、動かしていた思考と手を止めた。視線を向けた先。スリーピーススーツに身を包んだ透が差し出していたのは、こなれた皮の眼帯だ。はい、と頷いてその眼帯を受け取る。
透の後ろに回って、ことさら優しく眼帯で、深い傷を負った左目を隠す。ベルトを絞めながら尋ねる。
「キツくないですか」
「うん。そこでいいよ」
返事を聞いてからベルトを固定すれば、いつも通り、次期ボス候補の『サクラさん』の出来上がり。彼の肩越しに覗き込んだ鏡には、やはり笑みを浮かべた透が映っていた。
「じゃあ行こうか」
「はい」
出口へと歩き始めた透を追いかける。
柏松龍、という名前をもらったあの日から、己の身は透のものだ。もう要らないと捨てられない限り、龍は透の傍を離れるつもりはない。
どれだけ揶揄われようと、どれだけ意地悪されようと、どれだけ世話を焼かされようと、構わない。
透がいる場所だけが、己の居場所だから。
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