白砂の夜に踊る

晴なつちくわ

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第一部

5.残り香

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 ミュトラは、ラナキア王国の第三王子のαとしてこの世に生まれた。
 本来は兄が二人いるはずだったが、第二王子は生まれてすぐ亡くなったらしい。聞いた話であり、己が生まれる前の話であるから、詳しくは知らない。
 第三王子であっても、ミュトラには全てが与えられた。
 乳母も侍従も優しかった。ミュトラが何をしようが、優しく止められるばかりで、叱る人はいなかった。傲慢になる事ができれば、少しは楽だったかもしれない。しかしミュトラはそうではなかった。
 何の期待されていないのだ、と何となく分かってしまった。顔色を伺うことは自然に出来たし、こう思っているんだろうな、と思ったことは大抵当たっていた。誰も彼も、ミュトラという人間を王族の第三王子としてしか見ていないのだと、知るのは早かった。
 そんな中で唯一、たしなめてくれる者がいた。
 遊び相手が欲しい、と言ったミュトラの部屋に次の日に連れて来られたレテイという少年だった。ほぼ同じ年だった彼とはすぐ打ち解けたし、レテイはミュトラを王子扱いしなかった。誰も叱ってくれなかったミュトラを叱ってくれた。『第三王子のα』ではなく『ただのミュトラ』として接してくれていた。
 それが心地よくて、ずっと一緒に居たくて。
 ミュトラはレテイと、生涯一緒にいよう、と約束をした。
 なのに、十五歳になったある日、彼はいなくなってしまったのだ。
 国王である父の命で他国へ行った、と侍女から聞かされた。
 嗚呼そうか、と思った。
 心の底から欲しいと思ったものは手に入らないのだ。
 王座もレテイも、何一つ手に入らない。
 そう考えたら、全てがどうでも良くなった。毎日欠かさなかった鍛錬も適当に、ただ流されるままの生活を送っていた。
 退屈で仕方ない日々の中で、それは突然現れた。

 月明かりの下。ほとんどが眠りについているであろう時間。
 中庭で、一人の男が地面を踏み鳴らして踊っていた。彼の動きに合わせて音を立てる装飾すらも、彼の魅力を引き立てるようにミュトラには見えた。

 ふと脳裏をよぎったのは、随分と昔に見た光景だ。
 十歳になった頃だっただろうか。父や兄に付いていった外遊の時だった。
 その者もまた、月明かりに照らされて一人で踊っていた。
 何の変哲もない街の外れ。専用の舞台があったわけでも、観客がいたわけでもない。それなのに、その者は踊っていた。何かに怒り、感情に任せて、一心に。足を踏み鳴らして、白い砂塵が舞っていた。月明かりに晒された砂塵がキラキラと煌めいて、その者を引き立てていた。
 ただただ、美しかった。
 何の音楽もありはしないのに、ただ体一つで何かを訴えるようなそれ。何かに取り憑かれた様に、体中の感情を表すようなその踊りに、小さかったミュトラは見入ってしまった。
 同じくらいの年であろうその子の踊りに、心臓を鷲掴みにされた。どうしてあんなに小さな体で、魂が震えるような踊りを踊れるのだろう。不思議だった。
 護衛の兵に声を掛けられるまで、その場で立ち尽くしてしまったのだ。
 結局その者の名は聞けなかった。次の日に同じように通りかかったそこには、その者はいなかったから。近くを見回してもそれらしき者はいなかった。
 その者に会えたのは、その一度きり。
 だから自然と忘れていた。あまりにも大きな衝撃に蓋をしたかったのかもしれない。

 あの衝撃を再び呼び起こした張本人――ヴェルナに、ミュトラは無意識のうちに声を掛けていた。あの時のように名前が聞けなくなる前に、と思ったからなのか、単に興味があったからなのか、未だに自分でも分からない。心臓がドクドクと五月蠅かったことだけは、ハッキリと覚えている。
 ヴェルナをその場に一秒でも長く留めておきたいと思った。あわよくば、彼のことを知りたかった。下心はなかったか、と聞かれれば否だ。彼が赦すなら暴いてみたいとも思った。どんなふうに彼が乱れるのか、この目で見たいと少なからず欲を抱いた。
 申し出た誘いは、敵意と嫌悪にまみれた拒絶の声で却下された。
 顔の輪郭に触れる指先の熱さは確かなのに、全くの正反対な態度と言葉。断られたのは初めてだった。大抵の者は顔を真っ赤にして、差し出した手を取ってくれたから。驚きと同時に、ますます興味が湧いたのも確かだ。
 彼なら、レテイと同じように俺のことを『ただのミュトラ』として見てくれるかもしれない。
 その思いのまま食い下がったら、彼は言った。正規の手順を踏め、と。約束を違えるような人には見えなかったから、その通りにしたし、彼はその要求に応じてくれた。

 踊りをもう一度見たかったのも嘘ではない。
 ヴェルナが、もしかしたら、あの日踊っていた者と同一人物かもしれないと思ったからだ。それを確かめるためにも、彼の踊りを間近でじっくり見たかった。彼は人に見せるようなものじゃない、と言ったがそれでもよかった。
 見せるために作られたものは、正直見飽きていた。それよりも、心や魂がむき出しになっているあの踊りの方が、よほどミュトラの胸に刺さって抜けない。
 激しく体を動かして、汗を散らして、足で力強く地を叩く。
 泥臭くて、でも情熱的で、ヴェルナという人の本質が現れているような踊りが、もう一度見たかった。

 なのに、どうしてこうなってしまったのだろう。

 冷ややかに見下ろしてくる紫水晶の瞳。
 談笑していた数秒前の柔らかな光を帯びていた瞳とは、似ても似つかない。鋭い光を帯びながらも、言葉にはしがたい感情が籠っているように感じた。怒りは確かにあっただろう。でも侮辱するようなものではなかった。どちらかといえば、遣る瀬無さや悲しみの方が強かった気がした。
 
「死に物狂いで努力したのか? 本当に? その時出来る限りの手を尽くしたのか? 死ぬほど駆けずり回ったか? それをしないで、どうせって最初から諦めてたんじゃねーのかよ」

 その言葉に即答できなかった。ヴェルナの言う通りだったからだ。
 王である父が決めたことをそのまま受け入れるだけで、抗議もしなかった。もし抗議をしても、何も変わらなかったかもしれない。でも変わったかもしれない。何も変わらなかったにしても、理由ば聞けたかもしれない。理由を聞いて納得さえできれば、何か違ったかもしれない。実際にやっていないことだから分からない。
 もう終わったことだ。もしもの話はしてもしょうがない。
 そんなことよりも今は。どうしてヴェルナが、こんなにも怒っているのかが問題だ。
 でもこんな時に限って、己の口は動かなかった。
 痺れを切らしたのだろう、ヴェルナは呆れたような笑いを一つ落として言った。

「最初から諦めてる奴は、努力しても何も手に入らない。得るものも何もない。それを変える気がないなら、一生ないものねだりして此処で一人で喚いてろよ」
「ッ、ヴェルナ!」

 名前を呼び掛けても、彼は止まってはくれなかった。
 そのまま見向きもせずに、ひらひらと舞う蝶のように布をはためかせて出て行ってしまった。無理矢理止めることは出来なかった。多分ヴェルナは嫌がる上に、これ以上彼を怒らせる方が悪手だと思った。
 遠くなっていく装飾の擦れる音。冷えていく胸の内。
 淋しい。
 咄嗟に湧いた己の感情に驚いた。誰かと一夜を共にした後、その相手が出て行っても何とも思わなかったのに。軋むような痛みさえ胸にある。痛みを寄越してくる胸を撫でても、何か傷があるわけではないのに。

 ふと、座卓の上を見る。
 ヴェルナが切り分けた果実が、てらてらと照明の光を反射していた。そっと伸ばした指先でそれを掴んで口に含む。ふわりと口の中に広がった甘味と果汁。いつものそれよりもずっと甘く感じる。その理由は分からない。いつもと違うのは、ヴェルナがそれを剥いて切り分けた事だけ。

 兎に角、このまま話せなくなってしまうのは嫌だった。
 自分の何かがヴェルナを怒らせたことは確かだ。ならば、謝りたい。でもその機会を貰えるだろうか。もしも無理だったら。
 はた、と気付く。
 ヴェルナの言う通りだ。最初から諦めていたら何も始まらない。機会を貰えるように誠心誠意、彼に向き合うしか方法はない。もしも彼が完全な拒絶をしたら、その時に諦めればいい。努力もしないで、もう無理だなんて諦めることなど今のミュトラには出来ない。どうにか自分の想いは伝えたいから。
 切り分けられた果実をもう一つ口に含んでから、ミュトラは白紙の書状を手に取って、足先を座学用の机へと向けた。

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