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第一部
14.冷めぬ熱
しおりを挟む肌を滑っていく手のひら。熱すぎるくらいなのに、ずっと身を任せていたいほど心地よかった。自分はそれを当然のように受け入れていて、目の前の逞しい体に包まれて、熱を与えてくる相手の好きにさせている。時折落ちてくる唇も、肌を好き勝手に撫でてくる手も全てが気持ちよかった。
ヴェルナ、と名前を呼ばれて瞼を開けた先。
愛情が漏れて止まない一等緩んだ水宝玉の瞳が、自分を見ていた。そのくすぐったさに笑いながら、その瞳の持ち主の後頭部を引き寄せて唇を押し当てた。
バッと体を起こす。
磨き抜かれた石で出来た壁が目に入る。
わずかに上ずっている呼吸を整えながら、周りを見渡す。見慣れた個室。隣には当然誰もいない。そもそも一人でいっぱいになるほどのその寝台をぼんやりと見回してから、ヴェルナは大きな大きな息を吐き出した。
なんだってこんな夢を。
そう思いはするものの、原因はわかっている。
あの夜だ。ミュトラが擬似的な発情を起こしたあの夜から、見る夢がおかしくなってしまった。自分の不注意だったし、誰のせいでもないのはわかっているけれど、こうして何度も淫夢を見ると、一体全体自分はどうしてしまったのかと思う。
確かに、ミュトラの触れ方は問題だった。
でも口づけは応急処置だ。どうしても避けようがなかった。ああでもしないと、お互いに望まない形で快楽に舵を取られることになってしまったし、自分の対処は間違っていなかった。はずだ。
そう思っているが、しかし。
「こんな夢、発情期の時だってみねーのに。なんでだよ」
頭を抱えてぼやいても事実は変わらない。
夢は願望を見せる、と一説には言われている。
つまり、ミュトラとあんなふうに甘い閨事をするのが俺の願望ってことか?
自問する。まさかぁ、なんてすぐ否定するものの、更にそれを否定するような、でも、がすぐさま出た。
確かにあんなふうに大切に愛おしそうに触れられるなら、別に良いかもしれない。嫌な感じもしなかったし、むしろ気持ちよかったと言っても過言じゃない。実際ミュトラはああして別の誰かを抱いているんだろうな、と思う。もや、としたものが胸に湧いたことに首を傾げながら、ヴェルナはもう一度息を吐いて寝台から立ち上がろうとした。
のだが。
「……勘弁してくれよ」
股間の前面が濡れている感覚に、再び頭を抱えた。こうなったら。勢いよく立ち上がって新しい下着を手に、ウルウィ一座のために客室に備え付けられた浴場へ足を向けたのだった。
あの夜から、ミュトラとは会っていない。
五日ほど経った。もう会っても大丈夫だろうに、何かと理由を付けて会うのを避けていた。こうして連日彼との淫夢を見ているせいでどんな顔をして会えば良いのか、さすがのヴェルナにも分からなかったからだ。
代役を買って出てくれたのは、従者のフィニである。
彼女から聞く分には、ミュトラはもういつもの調子を取り戻していて、逆に顔を見せないヴェルナの心配までしてくれているらしい。
全くもって良い奴だと思う。
ミュトラが擬似的な発情をした誘因は間違いなく、ヴェルナだろう。どの性であれ、少なからずフェロモンは出ている。特に多く出るのがΩであり、その作用は薬を飲んでいても完全に制御できるわけではない。相性がいい相手とは発情期でなくても、お互いのフェロモンが作用し合って、発情してしまうこともあるらしい。聞いた話であって実体験ではないから、信憑性は不明であるが。
だからこそウル皇国やウルウィ座のΩたちは、自分の生まれた日前後は、よほどの事情がない限りαとの接触を避ける。それは自分のためでもあるし、相手のためにもなるからだ。
ヴェルナはその気遣いを怠った。結果がこれだ。
今までαといても発情を起こしたことはないから大丈夫だろう、と高を括った。体質によっては近くにいるだけで発情してしまうΩもいる中、ヴェルナは幼い頃からαの兄姉に囲まれてきたお陰か、αに対する耐性が高かった。だから今まで何の問題もなく過ごしてこられたのだ。
だが今回の一件で、自分のΩ性を思い知らされた。
αがΩにとっての毒になるのと同様に、Ωもαにとっての毒になりえるのだと。
ミュトラがヴェルナと対等に話がしたい、と思ってくれているのと同じように、ヴェルナだってそうありたい。なのに、自分のΩ性が邪魔をする。今までは当然のように受け入れていたΩというものが、今初めて障壁となっていた。
正直に言えば、どうすれば良いのか分からない。
薬はもちろん欠かさず飲むが、ミュトラも薬を飲んでいるとするなら、これ以上の対処のしようがない。ヴェルナに出来ることといえば、必要以上の接触を避けることくらいだ。事情を説明すれば、ミュトラもわかってくれるだろう。
それに、と思う。
自分が知っていることはフィニも知っている。ミュトラがこの先も学ぶことを望むなら、後任はフィニに頼めば良い。
それはわかっている。わかっているのに。
その提案をすることを渋っている自分がいる。最悪の事態を避ける最善の方法をわかっているのに、どうして実行できないのか。楽しみを取り上げられるようで嫌だ。でもそれだけではない気がする。
もう少しで見えそうな答えは、霧が邪魔するかのようにはっきりはしてくれない。
溜息を一つ落として、髪を布で拭きながら脱衣所から出る。
まだ少し早い時間だからか、妹分たちは眠りから覚めていないらしい。朝陽が照らし始めている談話室は、しん、と静まり返っていた。
座卓に乗っている果物を一粒手にとって口に含むと、爽やかな甘味が口内に満ちる。
さすが特産なだけあって、他の国で食べるものとは甘みが全然違うなぁ。なんて、一人感心していた時だ。
ドンドンドン、と誰かが扉を叩く音が聞こえた。
こんな朝っぱらから誰だよ。
思いはするものの、無視するわけにもいかない。辺りを見回してもいるのは自分だけ。面倒な客じゃないといいけど、と顔を顰めつつ扉へと足を進めて開けた。その先。
立っていたのは、さっきまで思考の中心を陣取っていたミュトラだった。出てきたのがヴェルナで彼も驚いたのか、目を丸くしている。
「えっ、お前どうしたんだ、こんな時間に。なんかあったのか?」
あまりの驚きにいつも通りの口調で話してしまったことに、一拍遅れて気付く。咄嗟に辺りを見回したが、従者らしき人はいない。たった一人で此処に来たようだった。ほっと胸を撫で下ろしたのも束の間、腕をいきなり掴まれる。
何が何でも放さないというような強さだ。え、俺なんか怒らせるようなことしたっけ。視線を向ければ、ミュトラはじっとこちらを見ていた。その瞳には怒りはないが、なにか決意したような強さの光がある。
数秒見つめ合った後、先に口を開いたのはミュトラだった。
「俺はまた何かをしてしまっただろうか」
思っても見なかった言葉に、え、と呆けた声が漏れる。
「何の話だ?」
「俺と会うのを避けているだろう?」
図星をさされたせいで、動揺が体に走る。それをミュトラは見逃してはくれない。掴まれている腕越しに伝わってしまったらしく、彼のまつ毛が僅かに伏せられた。悲しそうに見えるのは、自分の色眼鏡のせいかも知れない。
「お前に避けられるのは辛い。何か改善が必要なら言ってくれないか」
「い、いや! お前のせいじゃないし、むしろ俺の問題だから!」
嘘はいっていない。だがミュトラは納得できないのか、手を放してくれない。とにかく誤解だということを伝えたくて、口を動かす。
「本当にお前のせいじゃない。自分の軽率さに呆れてるんだ。その上お前に迷惑かけて、合わせる顔がなかった」
嘘ではない。自分の情けなさのせいで、合わせる顔がなかったのは本当だ。一番の理由ではないけれど。ずっと見ている淫夢のせいで変に意識をしてしまって気まずい、なんて言えるわけがない。
これ以上言及してくれるな、と思うのに。
「本当にそれだけか?」
ミュトラは追撃の手を緩めない。
全部聞くまで放してくれなさそうな手を、何気なく見る。
前腕をぐるりと簡単に一周する指先。
ふと、夢で見た熱と官能を呼び起こすように動く手が脳裏に過って、じわりと顔に集まる熱。最悪の時機に思い出してしまったのを、やはりミュトラは見逃してはくれなかった。ヴェルナ、と驚きを孕んだ声で呼ばれても、顔を逸らすことしか出来ない。
「一つだけ、聞かせてほしい」
言葉を選ぶように言ったミュトラに、なんだよ、と先を促す。ゆっくりと唾を飲み込んだ彼は、静かに口を開いた。
「俺に嫌悪があって避けているのではないのだな?」
「ないよ。理由は詳しく話せないけど、それだけはない」
だからもう手を離してくれ。恥ずかしくて死にそうだ。
心の中でそう懇願したのが通じたのか、やおら手が放された。名残惜しそうに離れていく指先。
ヴェルナは安堵の細い息を吐く。
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