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第一部
17.こいねがう
しおりを挟むはぁ、と漏れた溜息を落としながら、ヴェルナは廊下を歩いていた。ほろほろと落ちる月明かりを、磨き抜かれた石の廊下が反射しているのをぼんやり見ながら、約束通り離宮にあるミュトラの自室へ向かっている。
あの後、フィニと連れ立ってジアノに相談に行った。
ジアノは驚きつつも、険しい顔をした。理由を聞けば彼はこう言った。
「ウィリア王妃殿下が絡んでいるとなると、少々厄介な事になりそうですね」
「やっぱり王宮を仕切ってるのはあの人か」
「お察しの通りです。それに加えて彼女に関しては、あまりいい噂を聞かないんです」
曰く、気に入らない妃候補を後宮から追い出した、とか。現国王の側室を一人残らず追い出した、とか。
予想出来ない事ではなかったから、特段驚きはしなかった。でもこうして噂になっているということは、事実もあるのだろう。後宮では、かなり恐れられているらしい、ともジアノは言っていた。
とりあえずいつも通りにしよう、と言う事になった。
変に刺激して王妃を怒らせるのは適切ではない、とジアノも判断したのだと思う。
余談だが、ミュトラに告白された事に関しては、複雑な表情を見せていた。本当に番になるつもりですか、と恐る恐る聞かれたが、今の所は考えていない、と首を横に振れば、少しだけホッとしたような顔をしていた。
いつも通りに、というわけで、こうしてミュトラの元へ向かっている。出来ることならフィニも、と思ったが、今日は妹分達が兄のヴィシラに呼ばれたらしい。
王族として公務にも出ている人だから、よほど変な事はされないとは思うのだが、念の為だ。渋々といったように頷いたフィニを見送ったのは、十数分前のこと。
同じ方向なのだから一緒に行けばよかった。
嗚呼、と大事なことを思い出す。
緊急抑制剤を、追加で頼んでおかないといけなかったんだった。
この前ミュトラに飲ませ多分と自分が飲んでしまった分で、手持ちは無くなってしまった。αのフェロモンに耐性があるとはいえ、気を抜けないのはこの前の夜に思い知った。何があっても良いようにしておかないと。
そんな事を思っている内に、ミュトラの自室の前に辿り着く。いつも通り礼式を省いて、垂れ幕を潜り抜けた。
相変わらず広い部屋がヴェルナを迎えてくれる。しかし、いつもなら聞こえてくる挨拶は飛んで来ない。部屋の中をぐるりと見回すと、やはりミュトラの姿が見当たらない。
「どこ行ったんだ、アイツ」
ぼやきながら、長椅子の近くまで歩を進めた。そこでやっと家主の姿を見つける。
ミュトラはどうやら、長椅子に横になって寝こけていたらしい。ふっ、と小さく漏れた息を落としながら、ミュトラの胴辺りの隙間に浅く腰を掛ける。
結構ガタイの良いミュトラが寝転んでも、もう二人は優に座れるであろう座面が今はありがたかった。
顔を覗き込む。高温の青い炎のような瞳を、ミュトラは瞼の向こう側に隠している。その瞼を縁取るのは、彼の色素の薄い金色の睫毛だ。
どこかの美術品のように美しい男だと思う。そのくせ、肉体を鍛える事も忘れていないのか、胸から下腹部までガッチリとした筋肉が覆っている。鍛え上げるのは、簡単な事ではない。一緒に居るとわかるが、相当な努力家なのだと思う。これだと決めた事を絶対に貫き通しているから。
気持ち良さそうに寝てるし、このまま起こさない方がいいか。寒さには無縁の国ではあるが、腹を出したままでは風邪を引く可能性がある。
何か掛けるものを、と周りを見ながら立ち上がりかけた時だ。
不意に手を掴まれて、肩が跳ねる。パッと見た先。座面に置いていたはずの手が大きな手に包まれていた。視線を上げれば、まだ鈍い光を持つ水宝玉の瞳と目が合った。
寝起きのこいつってこんな感じなのか。
ぼんやりとしたままの瞳を見ながら、思わず笑いが漏れる。まだ寝ぼけているらしいミュトラに、少し顔を寄せて言ってやった。
「よく眠れたか、寝坊助さん?」
「……ゔぇるな」
確かめるように名前を呼ばれて、うん、と頷く。いつもハキハキと話す彼からは、考えられないほど緩んでいる。
こういうところがかわいいんだよな、なんて思ったのと同時。腰に巻き付いてきた腕。うおっ、と色気のない声が出たのも気にせず、ミュトラは横腹に額を擦り付けてくる。
なんか野生の動物みたいだな。
だからつい手が伸びて、街に住み着く猫にやるように頭を撫でてしまった。
「……ウワッ! びっくりした」
数度手が行き来したところで、バッと音がしそうな勢いで温もりが離れた。ミュトラが突然起き上がったのだと遅れて気付く。
くしゃくしゃの金の髪と、見開かれた目。
何度か目を瞬いているのを見ていたら、ミュトラが片手で顔を覆った。よくよく見れば、彼の耳は少しだけ赤みがあるように見える。
これはもしかして照れてるのでは。
ふはっ、と吹き出してしまったのは許してほしい。あまりにもミュトラが動揺しているから、可笑しくなってしまった。もちろん嫌悪感は露ほどもない。冷静沈着なコイツも焦る時はあるんだな、と逆に感心してしまったくらいだ。
ははは、と笑い続けていたら、指の隙間からこちらを薄水色が覗いてくる。笑いを止めないまま言う。
「悪かったって。そんなに動揺すると思わなくてさ」
「……いや寝惚けていた俺が悪かった」
「別に良いよ。ネコみたいでかわいかったし」
ジトリとした目が向けられても、しばらくは笑いを止められそうにない。ヴェルナだって朝っぱらから動揺させられたから、お互い様だ。
「お前の寝起きっていつもそんな感じなの?」
「寝惚けるのは初めてだ。お前だと気が緩むらしい」
なんて事のないように言っている。
その言い方は気を持たせるみたいでちょっとマズい言い方なのでは。そう思ってすぐに、いや、と思い直す。ミュトラには既に好意を告げられているし、気を持たせる以前の問題だろう。しかも多分だが、彼は何かを意図してそう言ったのではなく、ただ素直に返答してくれただけなのだと思う。
気を許してくれているならまあ喜ぶべきところか? なんてよく分からない事を考えていたら、手を掴まれた。
「どうした?」
見た顔はやけに真剣で、瞼が少し伏せられていた。少しだけ悩むような沈黙を寄越してから、ミュトラは静かに言った。
「兄のヴィシラが、王妃からお前を妃にと打診があったと言っていた」
「……やっぱりか」
予想内ではあるが、思ったよりも打診が早かった。
そんな答えが返ってくるとは思っていなかったのか、ミュトラは目を見開いて直ぐに肩を掴んでくる。
「やっぱりとはどういう意味だ? まさかもう兄上に何か、」
「落ち着け。ヴィシラ王子には何もされてない。ただ、王妃にはその牽制は既に受けてたんだ」
「どういう事だ」
言わないと離してくれなさそうな空気に、ふー、と息を吐いてから口を開く。
「元々王妃からは、ヴィシラ王子の妃候補に推薦する事もできる、と言われてたんだ。もちろん断ったが、国を出るまでに気が変わったら教えろ、とも言われた。王妃としては、俺がお前と仲良くしてるのは気に食わないんだろう」
「……何故だ? 王位継承権は兄上が持っている。俺を目の敵にする理由はない筈だ」
「仮にお前と俺が番になって、優秀な世継ぎが産まれたら困るんだろうさ。ヴィシラ王子に世継ぎが産まれない、もしくは万が一ヴィシラ王子に何かあった時、継承権はお前や産まれた子どもに与えられるからな」
ミュトラに王になる気がなくても、ヴィシラを不幸が襲えば、必然的に繰り上がりでミュトラが王になる。そうなれば正妃であっても、ヴィシラ以外に子が居ない王妃は、『王の母』という肩書きを得ることは出来ない。
それを危惧しているのだろう。
「王妃殿下は、αの王の正妃となり子を産むことがΩの幸せだ、みたいなことを俺に言った。だから彼女にとっての幸せを崩す可能性があるミュトラや俺は、目障りなんだと思う」
その気がない、と言っても彼女には無駄だろう。疑り深い人に感じたし、腹の底で何を考えているのか読ませてくれない人だ。彼女には説明は無駄だと思った方が良い。
そうなると対策は限られてくる。
「ヴェルナ」
そんな事を考えていたら、両肩を掴まれて体をミュトラの方へと向けられた。真剣な視線が刺さる。
「勝手を承知で言うが、兄上とは関わらないで欲しい」
彼の言葉の意図が分かりかねて、首を僅かに傾げる。悪い意味で言ったのではないと思いたいが、しかし。
答えずに居たヴェルナに、ミュトラは視線を逸らさずに続けた。
「兄上に、お前を取られたくない。兄上も聡い方だ。お前の魅力にすぐに気付くだろう。だからこそ、兄上と二人きりになることだけは避けて欲しい」
臆面も無くそんな事よく言えるな!?
多くの人は心に秘めたままにしておくだろう言葉を、直接ぶつけられるとは思わなかった。熱烈過ぎて心臓の鼓動の調子がおかしくなってしまった。熱すぎる想いが真っ直ぐに胸に突き刺さって、抜けない。
こんなふうに真っ直ぐに想いを伝えられたことは、今までなかった。こんなにも強烈で、しかし清々しいものなのかと初めて知った。
思わず視線から逃げてしまうほどの熱の籠った瞳で見つめられて、視線が彷徨う。
一つ咳払いをして告げる。
「悪いが、約束は出来ない。俺たちは王族に此処に呼ばれてる身だ。俺の一存でヴィシラ王子の誘いを断れば、俺だけじゃなく皆に怒りの矛先が向かうかもしれない。それは避けたい。だから俺は指名があれば彼の元に行くと思う」
真っ直ぐに想いをぶつけてくれたからこそ、嘘は吐きたくなかった。二人きりでと指定があったとしても、呼ばれてしまったら最後、ヴェルナはその場に行かなければならない。それは絶対だ。それがこの国に留まる理由でもある。
王族なくしては、この場にいることは許されない。
はっきりと告げたら、ミュトラはそっと瞼を閉じた。すぐさま持ち上がった瞼の先、薄水色は確固たる意思を宿していた。
「わかった。もしも兄上に何かされそうになったら、叫んでくれ。助けに行く」
「ははっ、心配し過ぎだって。そんな軽率な人には見えなかったし大丈夫だろ」
ミュトラが『聡い』と称した通り、ヴェルナの目にも第一王子のヴィシラは聡明に見えた。不用意に口を動かさないからなのか、ミュトラと同じく冷静沈着であるように見えるからなのかは、定かではない。
しかしヴィシラもまた、どこか感情が抜け落ちているように見えた。何と言えば良いのか、王以外の何かになる事を諦めているように感じたのだ。
そんな彼が自分に興味を持つかどうかは、甚だ疑問ではあるのだが。
とん、と左肩に重みが乗る。それがミュトラの頭だと気付くのは早かった。
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