19 / 37
第一部
18.束の間のやすらぎ
しおりを挟む「ミュトラ?」
問いかけても返事はない。何かを押し殺すように拳が握られていた。何か言いたいことがあるのだろうか。無理に聞き出すのも野暮だろう、と彼のしたいままにさせてやる。
ふーっと長く吐かれた息を合図に、ミュトラの声が耳に届く。
「本当は、お前をここに留め置きたい。そんなことが許されないのはわかっているし、お前がそれを望まないのも頭ではわかっている。だが、そう願ってしまうんだ」
それは独り言のようでもあったし、こちらに語りかけているようでもあった。うん、と相槌を打つ。
自分の心のままならなさに、彼は戸惑っているのだと思う。相手の望むことは分かっていても、自分の意思を通したいと思ってしまう。
それは今のヴェルナに似ていた。
今ここで、ミュトラが望んでいるであろう『番になる』という選択を取ることも出来る。実際にミュトラと番になることに嫌悪感はない。なんなら利点の方が多い。他のαに好き勝手にされることはなくなるし、己の身を守ることにも繋がる。
しかし、それをしたくない自分がいる。
ミュトラが嫌いだとかそんな理由ではない。
今は、この関係を変えたくない。このまま何でも言い合える関係で、もう暫くいさせてほしい。自分のΩ性にもミュトラのα性にも、今は縛られたくないから。
この前の一件で自分のΩ性が、自分自身やミュトラに牙を剥くのが嫌だ、と心底思った。Ω性が好き勝手に暴れて、余計なことをミュトラにするのが嫌だ。Ω性を振りかざしてしまうのが嫌だ。自分の意志と関係なく彼を求めてしまうかもしれない、と考えると、ゾッとする。誰かを激しく求めたことは一度もない。だから自分がどうなってしまうか分からない。その未知を知るのが恐ろしい。だからこそ、なんとしてもΩ性に理性を食われる事態は避けたい。
それに、と思う。
自分は色んな国を渡り歩く踊り子で、ミュトラは王族だ。
番になったとしても、彼が根差すこの国を離れるとは思えない。自分がこの国を離れた後、運命と呼ばれる別の番が見つかるかも知れない。それならば、関係を結ばないほうがミュトラのためにも、自分のためにもなる。
「でもお前は強要しない。それがお前の良さだよ」
願ってしまうことは誰しもある。しかし、それを押し付けるのではなくただ吐露するだけに押し留めることが出来るのは、彼の凄さであり、ヴェルナが気に入っているところでもあった。
自分を押し通そうとするヴェルナには出来ない芸当だ。だからこそ、番になっても良い、と思える。番になるならミュトラが良い、と思える。
でも今は惨禍がお互いに及ばないように出来ることをする。
ふっと笑った声が聞こえたと思ったら、ミュトラの顔が持ち上がる。眉尻を下げて笑っていた。
「全くお前は、俺の扱い方が上手い」
「えぇ? そうか?」
「ああ。そうだよ」
分からないがミュトラがそう言うならそうなのかもしれない。首を僅かに傾げても、分からないなら良い、と笑われてしまった。
手を持ち上げられたと思ったら、何かを願うようにミュトラの額が当てられた。
「無理はしないでくれ。そして俺が力になれることがあったら、一人で抱えずに必ず俺に頼ると約束してくれ」
「わかった。約束する」
自由な方の手の小指を目の前に出す。目を瞬いたミュトラに笑った。
「東方の国の約束の儀式だ。必ず守る約束に使うんだ。お前も小指出して」
指先同士を絡ませた。瞼を閉じて彼との約束を反芻してから、ぐっと握り込む。そのままぱっと放せば、ミュトラはお互いの手を交互に見ながら不思議そうにしていた。
色んな国のことを知りたい、と言った彼の好奇心は健在らしい。この時だけは、ヴェルナも腹の底から笑うことが出来たのだった。
この時のヴェルナは考えもしなかった。
己が最も避けたかった事態になってしまうなんて。
***
月と星が覆う夜空を、ウィリア王妃は椅子に体を預けて眺めていた。その手には相変わらず水煙管がある。たくさんの煙が満ちて随分と視界が悪いにも関わらず、彼女は少しも気にしていないらしく、ただぼんやりと空を眺めている。
「失礼いたします」
そんな彼女に声をかけたのは、王妃付きの宦官だ。王妃はそちらを見やることもなく、ふうっと煙を吐き出しただけだった。
「王妃殿下、ご報告に参りました」
「ええ、どうぞ」
「どうやらミュトラ王子が踊り子に、伴侶になってほしい、と告げたようです」
ぴくりと指先を動かした王妃が、ゆっくりと背もたれから体を起こす。そのまま宦官の方へと視線を向けた。その顔にはいつもの穏やかな笑みはない。何の感情もこもらない無が、その顔にはありありと出ていた。
「伴侶、といったかしら」
「はい」
「そうなの。番ではなく、伴侶、と言ったのね」
不意に彼女は自分の髪の毛を一房掴むと、その毛先を爪でなぞり始めた。何度も何度も行き来する爪に、髪が悲鳴に似た音を立てても止める様子はない。
「それで、ヴェルナさんはなんて応えたのかしら」
「まだ返事はしていないようです」
「保留にしている、ということ?」
「はい」
「やはり賢い子ね。見込んでいた通りだわ」
うっとりとして、ふふ、と彼女は笑った。独り言を続けるようにゆったりとした口調で、鈴のような声がその場に満ちていく。
「つまりヴェルナさんは、まだミュトラ第三王子とは番ではないということ。それなら、ヴィシラが先に番になってしまえば良いわね。うん、いい考えだわ。……ねえ、貴方もそう思うでしょう?」
「王妃殿下の御心のままに」
定型文のような返答にも、彼女は鬱蒼と笑うだけだった。
「じゃあ二、三、頼まれてくれるかしら?」
「御意に従います」
「まず一つ、とびきり強い強制発情薬を仕入れて欲しいの。二つ、緊急抑制薬を私の名義で買い占めて。あともう一つは、ヴィシラにヴェルナさんを晩餐に誘うように伝えて。そうね、五日あれば足りるかしら?」
「十分かと」
「そう。じゃあ、お願いね。抜かりの無いように」
王妃の言葉に、短く返事をした宦官はすぐさま下がっていった。その場にたった一人残されたウィリア王妃は、視線を夜空に戻しながら薄く微笑む。
「Ωとしての誉れだわ。次期王の妃になれるなんて。そう思うでしょう?」
ぽつりと呟かれたそれは誰かに聞かせるようでもあったし、彼女が自分自身に言い聞かせているようでもあった。
誰も応えない独り言は、静かにゆっくりと煙に溶けるように消えていった。
―――――――――
少し短いですが、キリが良いので一度切ります!
次から波乱編(?)です
1
あなたにおすすめの小説
(完結)冷徹アルファを揺さぶるオメガの衝動
相沢蒼依
BL
名門・青陵高校に通う佐伯涼は、誰もが一目置く完璧なアルファ。冷静沈着で成績優秀、規律を重んじる彼は、常に自分を律して生きてきた。だがその裏には厳格な父と家の名に縛られ、感情を抑え込んできた孤独があった。
一方、クラスの問題児と呼ばれる榎本虎太郎は自由奔放で喧嘩っ早く、どこか影を抱えた青年。不良のような外見とは裏腹に、心はまっすぐで仲間思い。彼が強さを求めるのは、かつて“弱さ”ゆえに傷ついた過去がある。
青陵高校1年の秋。冷徹で完璧主義の委員長・佐伯涼(α)は、他校の生徒に絡まれたところを隣のクラスの榎本虎太郎(Ω)に助けられる。だがプライドを傷つけられた佐伯は「余計なことをするな」と突き放し、二人の関係は最悪の出会いから始まった。
《届かぬ調べに、心が響き合い》
https://estar.jp/novels/26414089
https://blove.jp/novel/265056/
https://www.neopage.com/book/32111833029792800
(ネオページが作品の連載がいちばん進んでおります)
運命を知らないアルファ
riiko
BL
オメガ嫌いの西条司は女性アルファとしか付き合わない、そんな中やたらと気になるオメガを見つけた。
運命やフェロモンという不確かなモノではなく、初めて本気で惹かれた唯一のオメガにはとんでもない秘密があった!?
オメガ嫌い御曹司α×ベータとして育った平凡Ω
オメガ主人公がお好きな方は『運命を知っているオメガ』をお読みくださいませ。こちらはその物語のアルファ側のお話です。このお話だけでも物語は完結しますが、両方読まれると答え合わせが楽しめます。
性描写が入るシーンは
※マークをタイトルにつけます、ご注意くださいませ。
コメント欄はそのまま載せておりますので、ネタバレ大丈夫な方のみご覧くださいませ。
物語、お楽しみいただけたら幸いです。
ほたるのゆめ
ruki
BL
恋をすると世界が輝く。でもその輝きは身体を重ねるといつも消えてしまった。そんな蛍が好きになったのはオメガ嫌いのアルファ優人だった。発情したオメガとその香りを嫌悪する彼に嫌われないように、ひたすらオメガである事を匂わさないようにしてきた蛍は、告げることの出来ない思いに悩んでいた。
『さかなのみるゆめ』の蛍と(木佐)優人のお話です。時間軸的には『さかな・・・』のお話の直後ですが、本編主人公達はほとんど出てこないので、このお話だけでも楽しめるかと思います。けれど『さかな・・・』の方も読んで頂けると幸いです。
売れ残りオメガの従僕なる日々
灰鷹
BL
王弟騎士α(23才)× 地方貴族庶子Ω(18才)
※ 第12回BL大賞では、たくさんの応援をありがとうございました!
ユリウスが暮らすシャマラーン帝国では、平民のオメガは18才になると、宮廷で開かれる選定の儀に参加することが義務付けられている。王族の妾となるオメガを選ぶためのその儀式に参加し、誰にも選ばれずに売れ残ったユリウスは、国王陛下から「第3王弟に謀反の疑いがあるため、身辺を探るように」という密命を受け、オメガ嫌いと噂される第3王弟ラインハルトの従僕になった。
無口で無愛想な彼の優しい一面を知り、任務とは裏腹にラインハルトに惹かれていくユリウスであったが、働き始めて3カ月が過ぎたところで第3王弟殿下が辺境伯令嬢の婿養子になるという噂を聞き、従僕も解雇される。
当たり前の幸せ
ヒイロ
BL
結婚4年目で別れを決意する。長い間愛があると思っていた結婚だったが嫌われてるとは気付かずいたから。すれ違いからのハッピーエンド。オメガバース。よくある話。
初投稿なので色々矛盾などご容赦を。
ゆっくり更新します。
すみません名前変えました。
αが離してくれない
雪兎
BL
運命の番じゃないのに、αの彼は僕を離さない――。
Ωとして生まれた僕は、発情期を抑える薬を使いながら、普通の生活を目指していた。
でもある日、隣の席の無口なαが、僕の香りに気づいてしまって……。
これは、番じゃないふたりの、近すぎる距離で始まる、運命から少しはずれた恋の話。
冷めない恋、いただきます
リミル
BL
生真面目なMR(29)×料理教室の美人講師(31)
同性に好かれやすく、そして自身の恋愛対象も同性である由衣濱 多希は、女性の主婦ばかりの料理教室で、講師として働いている。甘いルックスと柔らかな雰囲気のおかげで、多希は人気講師だった。
ある日、男の生徒──久住が教室の体験にやって来る。
MRとして働く久住は、接待と多忙で不規則な生活のせいで今年の健康診断はオールEだと言う。それを改善すべく、料理教室に通う決心をしたらしい。生真面目だが、どことなく抜けている久住に会うのが、多希の密かな楽しみになっていた。
ほんのりと幸せな日々もつかの間、ある日多希の職場に、元恋人の菅原が現れて……。
【完結済】キズモノオメガの幸せの見つけ方~番のいる俺がアイツを愛することなんて許されない~
つきよの
BL
●ハッピーエンド●
「勇利先輩……?」
俺、勇利渉は、真冬に照明と暖房も消されたオフィスで、コートを着たままノートパソコンに向かっていた。
だが、突然背後から名前を呼ばれて後ろを振り向くと、声の主である人物の存在に思わず驚き、心臓が跳ね上がった。
(どうして……)
声が出ないほど驚いたのは、今日はまだ、そこにいるはずのない人物が立っていたからだった。
「東谷……」
俺の目に映し出されたのは、俺が初めて新人研修を担当した後輩、東谷晧だった。
背が高く、ネイビーより少し明るい色の細身スーツ。
落ち着いたブラウンカラーの髪色は、目鼻立ちの整った顔を引き立たせる。
誰もが目を惹くルックスは、最後に会った三年前となんら変わっていなかった。
そう、最後に過ごしたあの夜から、空白の三年間なんてなかったかのように。
番になればラット化を抑えられる
そんな一方的な理由で番にさせられたオメガ
しかし、アルファだと偽って生きていくには
関係を続けることが必要で……
そんな中、心から愛する人と出会うも
自分には噛み痕が……
愛したいのに愛することは許されない
社会人オメガバース
あの日から三年ぶりに会うアイツは…
敬語後輩α × 首元に噛み痕が残るΩ
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる