白砂の夜に踊る

晴なつちくわ

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第一部

18.束の間のやすらぎ

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「ミュトラ?」

 問いかけても返事はない。何かを押し殺すように拳が握られていた。何か言いたいことがあるのだろうか。無理に聞き出すのも野暮だろう、と彼のしたいままにさせてやる。
 ふーっと長く吐かれた息を合図に、ミュトラの声が耳に届く。

「本当は、お前をここに留め置きたい。そんなことが許されないのはわかっているし、お前がそれを望まないのも頭ではわかっている。だが、そう願ってしまうんだ」

 それは独り言のようでもあったし、こちらに語りかけているようでもあった。うん、と相槌を打つ。
 自分の心のままならなさに、彼は戸惑っているのだと思う。相手の望むことは分かっていても、自分の意思を通したいと思ってしまう。
 それは今のヴェルナに似ていた。
 今ここで、ミュトラが望んでいるであろう『番になる』という選択を取ることも出来る。実際にミュトラと番になることに嫌悪感はない。なんなら利点の方が多い。他のαに好き勝手にされることはなくなるし、己の身を守ることにも繋がる。
 しかし、それをしたくない自分がいる。
 ミュトラが嫌いだとかそんな理由ではない。
 今は、この関係を変えたくない。このまま何でも言い合える関係で、もう暫くいさせてほしい。自分のΩ性にもミュトラのα性にも、今は縛られたくないから。
 この前の一件で自分のΩ性が、自分自身やミュトラに牙を剥くのが嫌だ、と心底思った。Ω性が好き勝手に暴れて、余計なことをミュトラにするのが嫌だ。Ω性を振りかざしてしまうのが嫌だ。自分の意志と関係なく彼を求めてしまうかもしれない、と考えると、ゾッとする。誰かを激しく求めたことは一度もない。だから自分がどうなってしまうか分からない。その未知を知るのが恐ろしい。だからこそ、なんとしてもΩ性に理性を食われる事態は避けたい。
 それに、と思う。
 自分は色んな国を渡り歩く踊り子で、ミュトラは王族だ。
 番になったとしても、彼が根差すこの国を離れるとは思えない。自分がこの国を離れた後、運命と呼ばれる別の番が見つかるかも知れない。それならば、関係を結ばないほうがミュトラのためにも、自分のためにもなる。
 
「でもお前は強要しない。それがお前の良さだよ」

 願ってしまうことは誰しもある。しかし、それを押し付けるのではなくただ吐露するだけに押し留めることが出来るのは、彼の凄さであり、ヴェルナが気に入っているところでもあった。
 自分を押し通そうとするヴェルナには出来ない芸当だ。だからこそ、番になっても良い、と思える。番になるならミュトラが良い、と思える。
 でも今は惨禍がお互いに及ばないように出来ることをする。
 ふっと笑った声が聞こえたと思ったら、ミュトラの顔が持ち上がる。眉尻を下げて笑っていた。

「全くお前は、俺の扱い方が上手い」
「えぇ? そうか?」
「ああ。そうだよ」

 分からないがミュトラがそう言うならそうなのかもしれない。首を僅かに傾げても、分からないなら良い、と笑われてしまった。
 手を持ち上げられたと思ったら、何かを願うようにミュトラの額が当てられた。

「無理はしないでくれ。そして俺が力になれることがあったら、一人で抱えずに必ず俺に頼ると約束してくれ」
「わかった。約束する」

 自由な方の手の小指を目の前に出す。目を瞬いたミュトラに笑った。

「東方の国の約束の儀式だ。必ず守る約束に使うんだ。お前も小指出して」

 指先同士を絡ませた。瞼を閉じて彼との約束を反芻してから、ぐっと握り込む。そのままぱっと放せば、ミュトラはお互いの手を交互に見ながら不思議そうにしていた。
 色んな国のことを知りたい、と言った彼の好奇心は健在らしい。この時だけは、ヴェルナも腹の底から笑うことが出来たのだった。

 この時のヴェルナは考えもしなかった。
 己が最も避けたかった事態になってしまうなんて。


 ***


 月と星が覆う夜空を、ウィリア王妃は椅子に体を預けて眺めていた。その手には相変わらず水煙管がある。たくさんの煙が満ちて随分と視界が悪いにも関わらず、彼女は少しも気にしていないらしく、ただぼんやりと空を眺めている。

「失礼いたします」

 そんな彼女に声をかけたのは、王妃付きの宦官だ。王妃はそちらを見やることもなく、ふうっと煙を吐き出しただけだった。

「王妃殿下、ご報告に参りました」
「ええ、どうぞ」
「どうやらミュトラ王子が踊り子に、伴侶になってほしい、と告げたようです」

 ぴくりと指先を動かした王妃が、ゆっくりと背もたれから体を起こす。そのまま宦官の方へと視線を向けた。その顔にはいつもの穏やかな笑みはない。何の感情もこもらない無が、その顔にはありありと出ていた。

「伴侶、といったかしら」
「はい」
「そうなの。番ではなく、伴侶、と言ったのね」

 不意に彼女は自分の髪の毛を一房掴むと、その毛先を爪でなぞり始めた。何度も何度も行き来する爪に、髪が悲鳴に似た音を立てても止める様子はない。

「それで、ヴェルナさんはなんて応えたのかしら」
「まだ返事はしていないようです」
「保留にしている、ということ?」
「はい」
「やはり賢い子ね。見込んでいた通りだわ」

 うっとりとして、ふふ、と彼女は笑った。独り言を続けるようにゆったりとした口調で、鈴のような声がその場に満ちていく。

「つまりヴェルナさんは、まだミュトラ第三王子とは番ではないということ。それなら、ヴィシラが先に番になってしまえば良いわね。うん、いい考えだわ。……ねえ、貴方もそう思うでしょう?」
「王妃殿下の御心のままに」

 定型文のような返答にも、彼女は鬱蒼と笑うだけだった。

「じゃあ二、三、頼まれてくれるかしら?」
「御意に従います」
「まず一つ、とびきり強い強制発情薬を仕入れて欲しいの。二つ、緊急抑制薬を私の名義で買い占めて。あともう一つは、ヴィシラにヴェルナさんを晩餐に誘うように伝えて。そうね、五日あれば足りるかしら?」
「十分かと」
「そう。じゃあ、お願いね。抜かりの無いように」

 王妃の言葉に、短く返事をした宦官はすぐさま下がっていった。その場にたった一人残されたウィリア王妃は、視線を夜空に戻しながら薄く微笑む。

「Ωとしての誉れだわ。次期王の妃になれるなんて。そう思うでしょう?」

 ぽつりと呟かれたそれは誰かに聞かせるようでもあったし、彼女が自分自身に言い聞かせているようでもあった。
 誰も応えない独り言は、静かにゆっくりと煙に溶けるように消えていった。


―――――――――
少し短いですが、キリが良いので一度切ります!
次から波乱編(?)です
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