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第一部
24.反撃の狼煙
しおりを挟む真っ白な空間で、小さな子が膝を抱えて泣いていた。
褐色の肌に金の髪。顔を見なくても、ミュトラだ、と何故か思った。ゆっくりと寄って、膝を折ってその肩を優しく撫でると、静かにその子の顔が上がる。涙でぐしゃぐしゃにした顔に、ふっと笑って頭を撫でてやる。
「どうしたんだ、そんなに泣いて」
問いかければまたくしゃりと顔を歪ませたその子は、ぽたぽたと涙を流す。痛いのか、と聞けば、首を横に振る。悲しいのか、と聞けば、また同じ。
じゃあどうしたんだ。
やけに優しい声が自分の口から出ていった。
「嫌われちゃうのが怖いんだ」
「嫌われちゃう? 誰に」
薄水色の瞳が、じっとこちらを見る。小さな人差し指の先が自分に向いている事に気付いて、ヴェルナは首を傾げた。
「何で俺に嫌われるんだ」
「だってヴェルナがっ、嫌がること、ぼくがしちゃったんだ」
子どもらしくしゃっくりを上げながら、その子は言った。嫌われること、と言われても全く心当たりがない。なのに勝手に口が動く。ははっ、と勝手に笑った口はそのまま勝手に言葉を紡いだ。
「大丈夫だよ。嫌ったりしない。お前が俺を思ってやってくれたことってちゃんと分かってるよ。だからもう泣くな」
その言葉とともに、子どもの顔が急に大人びていく。
ヴェルナがよく知っているミュトラと相違ない精悍な顔つきになると、彼に手を取られた。そのまま彼の頬に当てられる。水宝玉の瞳を涙に濡らしたまま、ミュトラは美しく笑って言った。
「ヴェルナが好きだ。他の誰よりもお前が好きだ」
わかってるよ。お前の気持ちが嬉しい。ありがとうな。
そう伝えたかったのに、声は出なかった。
辺りの白が自分を飲み込んでいく。そのまま意識を手放した。そこでやっと、嗚呼これはやっぱり夢だったんだ、とヴェルナは理解した。
ゆっくりと瞼を開くと、見慣れない天井が目に入る。ここはどこだろう。視線をゆっくりと動かすと、寝台に上半身を預けて眠っているフィニが目に入る。周りに置いてある器具をみれば、診療室のような場所だった。
体を起こそうとして、腰に走った痛み。それが腰だけでなく尻の方から来た痛みで、段々と意識が鮮明になっていく。
フィニ、と呼ぼうとして、己の声がひどく掠れていることに気付く。一体何が。そう思った一秒もしないうちに、意識を落とした直前のことを思い出す。
そうだ。俺はヴィシラの部屋を訪れて、話をしながら水を飲んでいるうちに体が変になって、それで。じゃあこの痛みはその時の。
さっと血の気が引いて、痛みも無視して体を起こす。そのままフィニの肩を揺すった。
「フィニ! 起きろ、フィニ!」
「…! ヴェルナ様! お目覚めですか!?」
「あれから何日経った!? 俺はどうなったんだ!?」
自分の身体の異変に気づいて、ヴィシラの部屋を出たところまでは覚えている。だがヴィシラに腕を掴まれたところから、記憶が曖昧だ。フィニの焦ったような声が耳に届いたのは覚えているが、その後どうなったかは全く分からない。
「落ち着いてください、ヴェルナ様。まず深呼吸を」
こんなときでもフィニは冷静だった。ゆっくりと静かにそう言われて、彼女に合わせて何度か呼吸をする。高ぶった感情が少しずつ凪いでいく。息を吐ききったところで、掴んでいた肩を離した。
「悪い。取り乱した」
「いえ、当然です。あんなことがあってから三日と経っていないのですから」
あんなこと。その言葉に、やはり自分はヴィシラに身体を許してしまったのかもしれない、と思った。
抑制剤はなかった。しかしこうして発情状態は落ち着いている。となれば、見えてくる答えは一つだ。
αと性交をした。それは間違いないだろう。
暗雲が胸に立ち込めそうになった時、フィニは言った。
「端的に申し上げます。ヴェルナ様はあの時、予断を許さない状態でした。最悪死に至ると判断した私は独断で、その場に居合わせたミュトラ王子にヴェルナ様を託しました」
自分の太ももの上で握り締めていた拳から、勢いよく視線を上げた。見つめたフィニの顔は真剣そのものだ。は、と声が漏れた。
「託したって、ミュトラもその場にいたのか?」
「はい。貴方様の異変にいち早く気付いたのはあの御方です。私が止める間もなく、一目散に貴方様のもとへ向かいました。そして、そこには体を守るように床に蹲る貴方様と、伸し掛かっているヴィシラ王子がいました」
息を呑む。予断を許さない状況だったのは、自分自身分かっていた。だが、ミュトラがいち早く異変に気付いて駆けつけた事実に、正直驚いた。彼の自室とヴィシラの自室は構造上隣にあるが、出入り口までの距離はかなりある。
それなのに、彼は。気付いてくれたというのだろうか。
じわりと胸に熱いものが広がる。それは全身に広がって、痺れさえ呼び起こすようだった。
「抑制剤がない以上、あの危険な発情を治めるにはα性の助けが必要だった。それ故に、私はミュトラ王子に勝手を承知で、ヴェルナ様と体を繋げて発情を治めてくれ、と頼みました。――本当に、本当にッ! 申し訳ございません!」
かなりの責任を感じているのか、フィニはそう言って床に額を擦り付けた。お、おい、と言って止めようとするのに、フィニは顔を上げようとしない。
「どんな言い訳もいたしません。貴方様の意思を確認せずに、貴方様がもっとも厭うであろう手段を取り、ウルの教えに背き、間接的に貴方様の純潔を奪った。どうか、私に罰をお与えくださいッ!」
フィニの判断はきっと正しかった。
それが分かっているから、罰なんて与えるつもりはない。それに、あの状況でよくミュトラに己を託してくれたと思う。ヴィシラも相当危ない状況だったはずだ。彼が本気かは分からないが、彼もヴェルナを番にしたかった、等と言っていた。それが本心だったなら、最悪の場合ミュトラとの殺し合いが勃発してもおかしくなかった。
なのに、あの場をどうにか収めてくれたのだろう。
小さく笑って、寝台から足を下ろす。そのままその場にしゃがみ込んで、フィニの両肩を掴んで顔を挙げさせた。涙を今にも落としそうな黄金の瞳に笑って、言ってやる。
「よくやった、フィニ。あの状況で、よく最善を尽くしてくれた。ありがとうな」
あの熱に身体が侵された時点で、純潔を失うのは覚悟していた。しかし、その相手がミュトラだったことが、ヴェルナにとっては救いだった。
自我を呑まれた状態のΩ性を、彼に見せたくなかったのも、迷惑をかけたくなかったのも本当だ。しかし自我を失う前に、頭に過ったのはミュトラだった。ミュトラだったら、と思った自分がいた。彼ならばよかったのに、と。
いつの間にこんなに心の奥深くまで潜り込まれていたのだろう。身体を明け渡すならミュトラが良いと願った自分の本心が、無惨に折り砕かれることがなかったのは、フィニとミュトラのお陰だ。
憶測だが、あの薬を仕組んだのは間違いなく王妃殿下だろう。さもなければ、ヴィシラは満悦の表情で自分を襲った筈だ。それに、部屋の外まで逃がすなんてヘマはしない。だからこそ、彼女の独断と考えて良い。
彼女の思惑通りにならなかったこと。そして、己が不本意な状態になっても不本意な結果にならなかったこと。それだけで十分すぎるほど僥倖だ。
涙ながらに、いえ、いいえ、と繰り返しているフィニの背中を撫でながら思う。
本当はミュトラにも礼を言いたいけど、気まずいよな。
心の中で苦笑する。いくら好意を告げられているからと言って、相当な痴態と醜態を見せたと思う。そんな彼に会いに行くのは気が引けた。ずっと対等でいたいなんて思っていたのに、自分が番にならない選択をして、結局こうして迷惑を掛けてしまった。不甲斐ないし、申し訳が立たない。
それに、と思う。
この作戦が失敗して、なおかつヴィシラとの性交が失敗に終わった、と知った王妃が次の手を打ってこないとは考えられない。もしかしたら今度こそ本当に、ミュトラに矛先を帰るかもしれない。
そうさせないために自分が出来ることは。
すぐさま思考を回して辿り着いた答えに、にんまりと笑う。
「フィニ、早速で悪いが頼まれてほしい事がある」
ぐすっ、と鼻を鳴らしたフィニは、すぐにきりっと顔を引き締めると、はい、と涙混じりの声で気持ちのいい返事をした。
「書状とペン、それからミカンがレモンの汁を持ってきてほしい。あと、ヴィシラ王子と王妃の様子もそれとなく探ってきてくれないか?」
「御意に従います。……あの、ヴェルナ様」
「うん?」
「ミュトラ王子に、ヴェルナ様が目を覚ましたら報せを、と言われていたのですが、お報せしても構いませんか?」
片頬を釣り上げて言う。
「あいつにも一役買ってもらうために書状を書くんだ。だからまだ報せなくて良い」
何かを企んでいることが分かったのか、フィニはくすりと笑って、承知いたしました、と下がっていった。
やられてばかりでは気が済まないのが、ヴェルナという男だ。此処まで来たら、ミュトラにはヴェルナが打つ芝居に乗ってもらうしかない。というよりも、巻き込む、といった方が正確だが。
彼が嫌がる言葉を投げつけることになる上に、ショックを与えてしまうかもしれない。でもそれが結果的にミュトラの身を守るなら、己が嫌われようがそれをする。
ミュトラがそうしてくれたように。
不意に腑に落ちた。あの夢はともすると、本当にミュトラの本心をのぞいたのかもしれない。いや、流石に夢想がすぎるか。
小さく笑って、窓から差し込む光を見つめた。
さあ、反撃の狼煙を上げよう。
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