白砂の夜に踊る

晴なつちくわ

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第一部

31.恋情に踊る

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 満天の星が輝いている。
 窓枠に腰掛けて眼下の街を見下ろしていたヴェルナは、深い息を落とした。夜も深まった時間だというのに、この街は未だに眠る気配がない。
 隣国との国境に位置する街であるから人の往来が激しいのだ、と宿屋の店主が言っていた意味が良くわかる。
 ラナキア国の王都を出て十日ほど経った。
 ヴィシラから渡された円形章のお陰で、何不自由なく国境まで来れた。誰一人として円形章を見て嫌な顔をする者はなく、国賓を迎えられるなんて光栄です、と逆に感謝された。それだけラナキア国全体の治安が安定しているのだろう。色恋沙汰には難ありの王は、国を治めるだけの手腕はあるのだな、と大変失礼なことを思っていたのはヴェルナだけの秘密である。
 この宿屋の店主は特に気前が良く、なんとウルウィ一座の一人一人に、部屋を用意してくれたのである。そこまでする必要はない、と言ったのだが、店主は首を横に振って満面の笑みでこう答えた。

――こうも辺鄙な場所ですと、なかなか王の友にはお会いできないのです。だから年寄の我儘だと思って、どうぞお付き合いください。
 
 そう言われてしまっては、断る理由もない。妹分たちは自室に大喜びして堪能しているようだったが、ヴェルナとしては一人部屋よりも大部屋の方が良かったのが本音だ。
 一人部屋ということは、一人の時間が長いということ。考え事をするには最適だが、今はあまり一人になりたくなかった。一人になると、ミュトラのことを考えてしまうから。
 予想通りといえばいいのか、ヴェルナの中に芽吹いてしまった恋心は、なかなか消えてくれそうになかった。
 今頃あいつはどうしているだろう、だとか、番になってくれ、と頼んだらまた違っただろうか、だとか、ありもしないことを考えてしまうから。
 現に今だって、そんなことを考えては溜息を吐いている。

 あの選択は、いま出来る最善策だったとヴェルナ自身思っている。
 自分と番になって欲しい気持ちよりも、ミュトラを縛ってしまうのが嫌だという気持ちの方が強かった。最終的に手を離されるくらいなら、最初から手を取らない方が良い、と思った。付き合いきれない、と去っていく背中を見たくない。番を解消されることに怯えるなんて真っ平だ。だからあの選択は間違っていない。
 そう考えて、ハッと笑ってしまった。
 詰まるところ、自分の事ばかりを考えて出した結論だと思い知ったから。自分の覚悟だとか体のいい事ばかり言って、結局は離れていくミュトラを見たくなかっただけだ。
 ミュトラが一国の王子であることは一生ついて回る。
 ヴィシラに何かあったら。ヴィシラに世継ぎが生まれなかったら。そうなった時、ミュトラは王位を継承し、妃を娶るだろう。その時に己が選ばれるとは限らない。国益を考えれば、他国から妃を迎え入れることだってあるだろう。
 大勢の中の一人になるなんて絶対に嫌だった。
 大勢の中の一人になるくらいなら、最初から手を取らない方が良い。大勢の中の一人になって、嫉妬に狂う醜い自分が出るよりもずっと良い。

「はっ、結局全部自分の為じゃねーか」

 自嘲の言葉を吐き出す。その言葉は静かな部屋に重く響いて、じっとりとその場に停滞するようだった。
 はーっと大きく息を吐き出して、立ち上がる。
 一人で取り留めもなく考えていたら、どんどんと重い空気に己が蝕まれてしまう気がする。眠くなるまで適当に外をぶらつこう。
 そう決めたヴェルナは、ケープを適当に頭からかぶって裾を肩に掛けながら、部屋の外に出たのだった。


 夜だというのに、やはり街中は活気に溢れている。
 商人たちの声やら酔っぱらいの声やらが響き渡る大通りを、ヴェルナはのんびりと歩いていた。出る前に座長のジアノに声を掛けたら、日付が変わる前に戻ってくださいよ、と心配そうな顔で言われて、苦笑した。もうガキじゃねーんだから、と言いながら出てきたけれど、あまり心配させて胃に穴を開けられては困るので、なるべく日付が変わる前に戻ろうとは思っている。のだが。
 うーん、困った。全く眠くない。
 それもそうだろう。今は移動だけで、力の限り踊ることをしていない。時々日銭稼ぎに大通りで踊ることはあったにしろ、いつもはその倍以上踊るために、疲労感が全くない。体力がありすぎるのも困ったモンだな、と他人事のように思いながら、ヴェルナは大通りを進んでいた足先を、石造りの家の間の路地の方へと向けた。
 夜の大通りは厄介な輩が多いから踊りは禁止、とはジアノに言われたが、大通りでなければ良いだろう。そんな屁理屈を頭に並べながら、するりするりと路地を抜けて、喧騒が少し遠い開けた場所に出た。
 閑散としたそこは、白い砂があるばかりで人もいない。
 ここなら良いかな。
 低い石垣に、ケープを掛ける。国境はどんな輩がいるか分からないから、首元を隠すようにケープを被っていたのだが、これだけ人がいなければいいだろう。履いていた靴も適当に放って、白い砂を適当に足の裏でならす。粒が細かいからか、足の裏や甲に触れると気持ちが良かった。
 ふーっと息を吐いて、空を見上げる。
 満天の星がヴェルナを見下ろしていた。ふっと笑ってしまったのは、あの時と同じだったから。祖国が滅びたあの日も、ヴェルナの心なんて知らん顔で、星がきらきらと輝いていた。あの時は憎たらしくて仕方がなかった夜空も、今では綺麗だと思える。
 星に手を伸ばすように両手を上げて。瞼を下ろす。
 ザッと白砂を蹴るのを合図に、体を激しく動かす。自分の感情に任せて、思うままに腕を、足を、首を振り乱して踊る。己の中の恋よりも激しい情を体のすべてから吐き出すように、ただひたすらに地面を踏み鳴らして、踊った。

「へぇ、随分と上玉がいるじゃあねぇか」

 不意に耳を通り過ぎた声。ピタリと動きを止めて瞼を上げれば、大通りへの道を塞ぐように一人の男が立っていた。ニタニタと品のない笑みを浮かべている。誰かさんとは大違いだ。差し詰め、碌でもないことを考えているのだろう。
 乱れた息を整えながらじっと睨みつけたヴェルナに、男は喉で笑いながら一歩、また一歩と近づいてくる。

「Ωか。しかも番は居ねぇ。αの匂いがうっすいもんな。じゃあ丁度いいや。お前を一晩買ってやるよ」

 近くまで来た下品な男に顎を掴まれる。ニコリと笑って言ってやった。

「売るわけねぇだろ、クソ野郎!」

 そのまま振り上げた膝で、男の股間に重たい一撃をお見舞いしてやる。あまりの痛さに後退った男からすぐさま離れて駆け出す。ケープも靴もその場に捨て置いて、路地を駆け抜ける。

「ッ待ちやがれ、クソΩ!」

 男の激怒した声が背中に当たる。もう回復したのかよクソッ。悪態を頭で吐き捨てて、大通りの人ごみに紛れる。足の裏が痛い。でも立ち止まるわけにはいかない。人の間を縫って駆け抜ける。しかし、上背のあるヴェルナの白銀の髪は、良い意味でも悪い意味でもよく目立つ。少し腰を低くして移動しながら、人ごみをかき分ける。
 このまま宿に戻るわけには。
 そんなことを思ったのとほぼ同時だった。横から伸びてきた手に、思い切り腕を掴まれて路地に引き込まれる。あまりに咄嗟のことだったから暴れることも出来なかった。そのまま羽交い絞めにされて口を塞がれて声も出せない。んー! と声を出したヴェルナを落ち着かせるように、後ろの男が低い声で囁いた。

「静かに。じっとしてれば気付かれない」

 その声に動きを止めてしまった。あまりにも聞き覚えがある声だったから。体の力が勝手に抜けたのをいいことに、後ろの男は静寂に紛れるように静かになった。
 まさか。そんなことあるわけない。
 ドクドクと心臓が五月蠅いのに、体が動かない。どこ行きやがった! と怒り狂った声が目の前を通り過ぎていく。そんなこともどうでもよくなるほど、今起きていることが信じられなかった。
 まさか俺の幻聴か? あまりにも恋しいと思っていたから都合の良い夢を立ったまま見ているのか?
 そんな自問をしてしまうくらいには、ここにいるはずのない人物の声が耳に貼り付いて消えない。

「……行ったか」

 羽交い絞めしている男が独り言のように呟く。夢じゃ、ない。羽交い絞めしていた腕の力が弱まっていく。それでもヴェルナは振り返ることができなかった。その人物を己の目で確認してしまったら、その場から動けなくなることを知っていたから。

「ヴェルナ、無事か?」

 そんなヴェルナの気持ちもお構いなしに、肩を掴んだ男に体を反転させられた。金の髪に、褐色の肌。こちらをみる水宝玉の瞳。
 間違えるはずがない。
 ラナキア国の第三王子であるミュトラが、そこには居た。

「な、んでお前がここに」

 ヴェルナが言えたのはそんなことだった。動揺を隠せないヴェルナとは違い、ミュトラはその瞳をゆるりと緩ませて笑った。

「お前に会いたかったから来た」

 砂糖菓子のように甘ったるい声が聞こえたのと同時。体が勝手に抱き寄せられて、そのまま腕の中に閉じ込められた。ぎゅうぎゅうと骨が軋むんじゃないかと思うくらい力強く。
 王都にいるはずのコイツがなんでこんなところに。いるわけがない。会いたかったからきたってなんだ。俺の都合の良い夢だろやっぱり。こんなことあるはずない。
 そう思うのに、体を包み込む体温も、腕の力も本物だ。
 なんで追いかけてくるんだよ。そう思考が喚く。
 それでも体は素直だった。ミュトラの抱擁に答えるように勝手に背中に回る腕。ぎゅうと彼の服を握り締めた手。嘘だと思えば思うほど、その温かさと耳元で聞こえる呼吸音が本物だと思い知らされた。じわりと熱くなった目頭を隠すように、目の前の肩口に顔を擦り付ける。

「何が会いたかっただよ、ばかやろう」

 素直になれない口がそんな悪態を吐いても、ミュトラは嬉しそうに、うん、と笑った。それがまた涙腺を緩ませてヴェルナは黙るしかなかった。嬉しさと愛おしさをごちゃ混ぜにしたような痺れが体中を駆け巡って、どうしようも出来ない。
 これだけは伝えなければ、と思った言葉をゆっくりと紡ぐ。

「俺も会いたかった」

 小さな声だった。しかし、ミュトラにはしっかりと届いたのだろう。さっきよりも強められた腕の力。苦しいのに愛おしさが勝って、負けじと目の前の体を抱き締めた。

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